75.王立図書館での調べ物
イルヴァ・フェルディーンは迷っていた。
目の前にあるのは、魔法銃の本が複数冊と、それに紛れて分厚い貴族名鑑が1冊。
あるべき論でいえば、今は仕事中である。魔法銃の本を優先して読むべきだ。
「……ちょっとだけ」
しかし、悩んだ末に、貴族名鑑を開いた。
後ろめたさもあったので、図書館の端の席だ。
ページをめくると、紙のざらりとした質感と小気味良いパラパラとした音が感じられた。
レンダール公爵家は、序列も高く由緒正しい家系なので、本の最初の方に記載がある。
上から目を通し、婚姻時の年齢を調べていく。
「……32歳、40歳、25歳……」
貴族の結婚の平均年齢は10代後半から20代前半である。現在は少し遅くなってきているが、それでも20代にはほとんどの貴族は一度結婚を経験していることが多い。
そう思うと、確かにレンダール家は、時代にそぐわないような年齢で結婚している例があり、それは男性だけでなく直系の女性にも言えた。
「……新聞もないとダメか」
婚期は載っているが、婚約期間については分からない。
マリアの仮説を検証するには、各時代の新聞や場合によってはゴシップ誌が必要だ。
正直に言えば気になる。
しかし今は仕事中だ、これ以上の深追いをしている場合ではない。
マリアも資料を用意してくれるのだ。
それを待とう、と決意した時だった。
「イルヴァ?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、見慣れてもなお美しい男性の顔がそこにあった。
「エリアス! どうしたの?」
動揺でやや声が裏返りながらも尋ねると、エリアスはイルヴァの手元の本を見て、首を傾げた。
「貴族名鑑?」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
エリアスはイルヴァがなんのページを読んでいたか確認し、さらに質問を重ねた。
「レンダール公爵の家系図で気になることでも?」
ーーーまずい。何を答えれば? あなたの家って、結婚が遅い人がいるみたいだけど曰く付きなの? と聞いてはいけないことは私でも分かるわ。
イルヴァは思わず俯いた。
嘘をつけない制約がないにしても、今この場で何を言えばいいか思いつかない。
なんと言い訳をするべきか。いや、嘘を含む言い訳は、どのみちできないのだが。
気まずい沈黙の中、ふと、エリアスが動いた気配がした。
思わず顔を上げると、中途半端にこちらに手を差し出した状態のエリアスと目が合った。
エリアスは一瞬固まった後、サッと手を引っ込めて、少し気まずそうな表情で言った。
「そんなに困らせるつもりじゃなかったんだ」
「私……その……」
何をいうべきかわからずに再び俯いていると、エリアスは首を小さく振って言った。
「理由は聞かないから、そんな顔をしないで」
「……ごめんなさい」
「謝らないで。嬉しいと思っている側面もあるから」
「嬉しい?」
思わぬエリアスの言葉に、じっとエリアスの青い瞳を見上げた。
今度のエリアスの表情は、先ほどより柔らかい。
「興味を持ってくれたんでしょう? 以前のイルヴァなら、気になりもしなかったんじゃないかな?」
「あ……ええ。そうね。好奇心でつい……」
イルヴァは分厚い本を閉じると、言われたことについて考えた。
確かに、レンダール家の事情など、婚約を決めた当初のイルヴァにとってはどうでも良いことだった。
エリアスがなぜイルヴァを選んだのか疑問に思う気持ちがありつつも、具体的な行動には移してこなかった。
しかし、今回は自分の好奇心に負け、仕事中なのに貴族名鑑を開く始末である。
「イルヴァが何を気にしているのか気になる気持ちはあるんだけどね」
でも、聞かないでおくよ、とエリアスは茶目っ気ある笑顔で言った。
沈黙を選んだものの、イルヴァが何を気にしているかはすでにお見通しなのかもしれない。
「……次の休みはいつなの?」
「休みは3日後だけど……景勝地への旅行?」
「ええ」
「連続した休みの方がいい?」
問われて、一般的な感覚で言えば、景勝地までの道のりがそれなりに遠いことを思い出す。
「日帰りで十分よ。フェルディーン家の別荘もあるから、移動に問題はないわ」
空間魔法についてエリアスが思い出してくれることを祈りながらいうと、エリアスは合点がいった様子で頷いた。
「じゃあ、当日はフェルディーン家に行けばいいかな?」
「ええ。そこから一緒にいきましょう」
「分かった。楽しみにしてるね」
「ええ、私も」
エリアスはエリアスで、旅行の時に何か話したいことがあると言っていた。
お互いが腹を割るにはちょうど良い機会だろう。
その後、エリアスと解散し、魔法銃の本だけ借りる手続きを済ませて研究所に戻った。
イングリッドに家への持ち出し許可も得たので、1冊だけ選んで帰りの車で読みながら帰ることにした。
車に乗り込むと、マリアが出迎えてくれる。
「おつかれさまです。相変わらずお見事ですね」
イルヴァが乗り込みながら貼った防衛魔法を見て、マリアはしみじみと言った。
「今日は本を借りてきたから、機密情報を喋るかもしれないし、念入りにね」
「いつものものでも充分、高度ですけどね……」
マリアは本以外の荷物を受け取ると、イルヴァが本に集中できるように、口を閉じた。
イルヴァは本を開きながら、魔法銃に関する記載を読み込み、発想を広げていく。
「魔封じで魔力操作を安定……」
隣のマリアのことは気にせずに呟いた。
言葉として発することで、思考が整理される傾向にあるからだ。
「要求される魔力を極限に小さくすればいいけれど……」
そこまで呟いて、ふと、リズベナーの研究者、リタ・シーレの顔が浮かんだ。
「いっそ、魔法銃を魔力欠乏症の人でも使えるようにすればいいのか。 リタの妹さんは協力してくれるかしら」
「機密情報ですから、協力を依頼はまずいのでは?」
なんとなく状況を察したマリアが口を挟んだ。
静かにしてほしい時は静かにしていて、一言欲しい時にくれる。実に有能な侍女である。
「たしかにそのままはまずいわね。そもそも、魔力なしで起動する機構自体はリタの構想だから……軍用しない方がいいか。権利費を払えばいいという問題でもなくなるわね」
「ジルベスター様が後見されるという話でしたが、軍事が絡んでくると、少し守りが足りないかも知れません」
リタは庶民だ。
リズベナー公国内では、オープンな気質もあり風当たりはまだマシだろうが、シュゲーテルの利権も絡んでくるとなると、身に危険が及ぶ恐れがある。
症例の少ない妹のための研究に水を差すことは避けたい。
「となると、先にリタに有名になってもらう必要があるわね。あの技術が汎用化し、国際特許として発表してもらわないと」
「国際特許の成果を引用した場合は、元の研究者と国の双方に一定の利益が払われるのでしたね」
「ええ。魔法理論の利権をめぐって100年の戦乱が起きたから、各国が懲りて厳格化されたの」
国際特許として発表するかどうかは、各国の戦略の問題だが、仮に同時に発明しても、先に発表したものが権利者となる。
「軍事利用しづらいけれど、魔力が少ない状態で使えると嬉しい発明品があった方がいいんだけど……」
「ところでお嬢様」
「何?」
「お仕事のことに夢中なのは分かりますが……朝の会話をお忘れでは?」
マリアに問われて、瞬きを何度かした後、ようやくエリアスの顔が浮かんだ。
「そうだったわ。私も今日、図書館で少し調べたのだけれど、婚期が遅い人が男女問わずいるわね」
「はい。詳細はこちらにご用意していますが……口頭で説明しましょうか?」
車の中で読むと踏んで、資料を用意してくれていたようだ。
「資料は後で読むわ。ひとまず簡単に見解を聞かせて」
手元の魔法銃の本を閉じると、マリアが流れるようにそれを受け取り、カバンにしまう。
「単刀直入に申し上げますと、やはり婚姻の時期が不自然に遅い方がいらっしゃいます。具体的には成人以後、婚約されている方ですね。それに……」
「それに?」
「お相手の方々の出自は、非常に多種多様です。平民に商人に、果てには魔力欠乏症の方まで。お嬢様はかなり真っ当なほうの婚約者かと」
「公爵家に平民? まあそれは、後継者以外なら、養子縁組すればなんとかなる側面もあるけれど……魔力欠乏症は気になるわね」
公爵家が平民を受け入れることも驚きながら、魔法理論の大家であるレンダール家が、魔力欠乏症のパートナーを認めるのはもっと驚きだ。
「ゴシップ誌を漁りましたが、当時のレンダール家の態度は、まるで、その人以外とは結婚できないかのようなものです」
「魔力欠乏症の相手が良い理由……」
パッと閃いたのは、魔力過剰受容症であれば、魔力欠乏症の相手は相性がいいのではないかという仮説だが、これは否定されている仮説だ。
つまり、何か他の理由で、魔力欠乏症が都合の良い理由があると見た方がいい。
「旅行の日を待つしかないのかしら」
「そうですね……調べられる範囲では調べてみますが……」
気にはなるが、これ以上考えても仕方がなさそうだ。
「ところで、旅行にはどんな服装で行きますか?」
その問いに、イルヴァの思考は急激に服のことで埋め尽くされた。
何も考えていなかったが、美しく、動きやすく、街に馴染むものでなければいけない。
「何も考えてなかったわ。……いくつか見繕って持ってきて」
「承知しました」
レンダール家の秘密を考えていても仕方がない。
ひとまずは、旅行の服装を決めることにしたのだった。




