1.至高のカレーライスの完成
「最高だ。これがこれこそが、俺の求めていた。至高の味。そして、終着点だ」
至高の一品とは、当たり前であるがカレーライスである。
元日本人の俺は、異世界で長命種であるエルフへ転生し、レインハルトと名付けられた。物心ついた後から俺の心にはずっと不満の種がくすぶっていたんだ。
それは、あれほど愛してやまなかったカレーライスがこの世界にはないこと。
ならば作ろう。
カレーライスを。
ただのカレーライスではない。至高の一品を。
三十歳からカレーライスの研究をはじめ、途中様々な困難があった。香辛料の種がなく品種改良を重ねるだけで100年以上かかり、同じく肉の問題にも100年以上、そして極め付きが米だ。米を頼んでいた農家の国が滅ぶ事態となり、また一からやり直しになったりもした。素材が揃ってからは味を調えるため、試行錯誤の結果、ついに、ついに、ついに。
至高の一品が完成した。
「うまい! おいしい! おいしいぞ!」
一口食べて、滂沱の涙を流す。
その後、スプーンが止まらず、完食した今、これこそが至高の一品だと確信する。
「終わった。終わったのだ。レインハルトの冒険はここで」
自分で自分の名を呼び終わったというのも変な話だが、俺の数百年はこの時のためにあった。
「ふう……」
椅子に深く腰掛け、大きく息を吐く。目標を達成した俺に訪れたのは虚無だった。
「今あるカレーライスを食い尽くした後、どうしようか」
もちろん、至高のカレーライスは飽きない。ずっと食べ続けても至高の一品だろう。しかし、初めて食べたこの瞬間以上の歓喜はもう訪れない。エルフに生まれたことは幸運だった。でなきゃ、カレーライスを作ることができなかっただろうから。
「どうしたものか。あと何年くらい寿命があるのだろうか……俺は」
自分の手の甲へ目を落とす。肌は張りがあり、艶がある。自らの頬へ手を当ててみるも、皺もなく同じく張りがあり、人間の青年と変わらぬほど。
それ故の虚無。目標はもう――。
ガタ。
この音……外の軒下だな。
音の正体は、軒下の水がめの横でペタンと座り込んでいたネズミ耳の少女だった。歳の頃は12歳くらいだろうか。ピンク色の肩口までのサラサラ髪に、灰色のネズミ耳。ネズミ耳の内側は純白の毛をしていた。ボロボロの服を着て、フルフルと震える姿は小動物のよう。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
呪詛のように呟く彼女へ向け、やれやれと肩を竦める。
「どうしても、水が飲みたくて」
と言いつつもぐううと彼女の腹が鳴る。
「水? 水より最高の一品があるぞ。君は運がいい」
「え、え、あ、あの」
ちょうど至高の一品が完成したところだ。一人で食べ尽くすのも味気ないと思っていたからちょうどいい。
彼女の腕を引き、立たせると勝手口から室内へ。
ふわり。
入るとふわりと香辛料の匂いが鼻をくすぐる。
「いい匂い……」
ネズミ耳の少女は頬を紅潮させ、耳をピクリとさせた。
そうだろう、そうだろう。
勝手口から繋がるのはキッチンである。キッチンにはカレーを煮込んだ鍋があるのだ。
そいつがたまらない香りを放っている。
「こっちだ」
戸惑う彼女の腕を引き、椅子に座らせる。
「ほら、喰え」
「い、いいんですか……あたちなんかに」
「いいに決まってるだろう。じゃなきゃ、座らせたりしない。ほら、ご希望の水もあるぞ。純粋にカレーライスを味わうなら水だ。君はよくわかっている。ほら、冷めるぞ」
わ、わたし、そんなつもりでお水と言ったわけじゃ、とぼそぼそと囁く声が聞こえてくるが独り言だろうと思って聞いてないフリを決め込む。
「待て。カレーライスは米、そうその白い粒々とルーを混ぜる」
「こ、こうですか?」
恐る恐るといった感じで少女がカレーライスを口に運ぶ。
んー、と目を閉じ、ブルブルとネズミ耳が震える。
「お、おいしいですます!」
「そうだろう。君は今最高の状態でカレーライスを食しているのだから」
「最高の状態?」
「ああ、そうだとも。空腹こそが最後のスパイスなのだよ」
その後、おいしいです。と目に涙を浮かべながら何度も口にする少女。
「おいしい、おいしいか……至高の味……」
「これほどおいしいものを食べたことがありませんです!」
「至高……の一品」
「はい。これがまさしく!」
至高の一品を食べた者がおいしいと言ってくれる。笑顔になってくれる。
自分で食べるのと同じくらい、いや、それ以上の感動、歓喜が俺を包み込む。
「そうか、そうか、そうか。誰かに食べてもらう。俺の一品を知らしめる。こういう見方もあったのか。感動だ」
思わず彼女へとにじり寄り手を取り、血走った目でギュッと握りしめる。
対する彼女はおいしさからか頬を赤らめ、されるがままになっていた。
「この感動を、カレーライスを食べてもらったあとの笑顔を。そうだ。店を作ろう」
「お店……ですか?」
「そうだ。多くの者へカレーライスを届ける! これが俺の次の生き方だったのだ」
「あ、あたちも手伝わせてください!」
そいつは願ってもない申し出だ。彼女はカレーライスが至高の者だと分かっている。それに飲み物も水を要求するといった徹底ぶりだ。まさにカレーライス連盟の同志と呼んでもいい。そんな彼女がいるのなら頼もしい。いや、誇らしい。
「もちろんだ。俺はレインハルト。共にカレーライス道を極めようではないか」
「はい! あたちはチルル。レインハルト様。よろしくおねがいしますです」
これがネズミ耳少女チルルと俺の出会いだった。
「では。さっそく野望の第一歩を始める」
「街へ行かれるのですか?」
「いや。最適な場所を探す」
「探す?」
きょとんとネズミ耳をペタリとさせるチルル。
多くの人へ届けたい。
となれば、多くの者がいるところがいいとなるだろ。
目を閉じ、念じる。
「レ、レインハルト様! まさか、魔法を?」
「そうだ。少し眩しかったか?」
「い、いえ。そのようなことは。魔法を使われる人を見たことがありますが、長い呪文を唱えていたので」
「呪文など唱えていては時間がかかる。素材集めにも効率が悪いぞ」
チルルと会話しつつも目は開けず、遠見の魔法で人が多い場所を探す。
ここがいいか。
彼らが歩いて来られる適距離で、静かな場所を――。
「よし。ここにしよう。チルル」
「は、はいい」
彼女の手を取り、体の中に魔力を走らせる。
次の瞬間、足元に魔法陣が浮かび上がり、俺たちの姿が消えた。
◇◇◇
「て、転移、ててんい」
「カレーの材料を集めるにも転移しないといけないだろ?」
「そ、そうではなく、転移魔法って実在していたんですか!?」
「ないと困る」
さて、目的の場所に到着したぞ。
目前には半ば崩れた砦の跡があり、周囲にはゴロゴロと瓦礫が転がっている。
瓦礫だけじゃなく、まださび付いていない折れた剣や、半ばで割れた盾、革鎧の切れ端などもそのまま放置されていた。
「あの砦跡を店にする」
「は、はい」
ドオオオアアア。
遠くから集団が叫ぶ声と共に僅かに地面が揺れる。
「きゃ」
「人がいっぱいいる証拠だ。さあ行こう」
ネズミ耳を抑えてしゃがんだ彼女の手を取り、砦跡へと向かう。
時折、聞こえてくる声や地響きが戦いによるものだとはこの時まだチルルは知らない。些細なことだから問題ない。ただカレーライスを食べる時の雑音にさえならなければな。
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