罠に落ちた 猿と麒麟 蒲生氏郷 第三章
第三章:初陣の火花:信忠との番長盟約
1
永禄十一年。初陣、伊勢大河内城攻め。
霧の深い伊勢の山中に、二人の若き「番長」がいた。
一人は、織田信長の嫡男・奇妙丸(後の信忠)。
もう一人は、日野から人質として送られてきたばかりの麒麟・氏郷(鶴千代)。
信忠は、偉大すぎる父・信長の影に抗うように、常に己を厳しく律していた。周囲からの重圧を、内なる「炎」で焼き尽くそうとするかのように、その眼差しは常に鋭く前を見据えていた。
一方、氏郷は「人質」という目に見えぬ鎖を、日野の雪で鍛え上げた「凪」の心で平然と受け流していた。
織田軍の陣中において、二人は否応なく並び立つこととなる。
だが二人は、周囲の大人たちが無遠慮に注ぐ「次代の主君」と「その従者」という型に嵌めた視線が、反吐が出るほど嫌いだった。
彼らは、飼い慣らされることを拒む若き獣。
白く立ち込める戦場の霧の中で、性質の異なる二つの才能が、静かに、しかし確実に火花を散らし始めていたのである。
2
伊勢の山中、視界を奪うほどの濃霧のなかで、張り詰めた空気を切り裂く声が響いた。
「おい、日野。俺の背後に回るな。俺の背中を守れるのは、俺が認めた男だけだ」
信忠が、鞘から抜いたばかりの刀のような鋭い声で言い放つ。次代を担う者としての苛烈な自負が、その背中から立ち昇っていた。
対する氏郷は、不敵に口角を上げた。
「ならば、その背中。俺に預ける価値があるかどうか……この初陣で、とくと見極めさせていただきます」
直後、戦場は一瞬にして二人の言葉を「真実」へと変えた。
北畠の伏兵が、湿った霧の中から飢えた獣のように襲いかかる。怒号と悲鳴が入り混じり、信忠の陣が微かに乱れかけたその刹那。
氏郷の握る木突槍が、風を裂いて一閃した。迷いのないその刃は、信忠へ迫っていた敵の喉元を正確無比に貫いた。噴き出す鮮血が、伊勢の霧を一瞬だけ朱に染める。
「遅いですよ、信忠殿!」
「……抜かせ。ここからが本番だ!」
3
炎の信忠と、凪の氏郷。
二人は自然と背中を合わせ、押し寄せる敵兵を次々と斬り伏せていった。死地の只中で、互いの「現場の力」を確かめ合うように口元を歪める。
返り血で真っ赤に染まった二人の顔。
戦場に響き渡るのは、凄惨な怒号でも悲鳴でもなかった。極限の緊張、生と死の境界線で通じ合った、二人だけの「笑い声」であった。
「……お前の『凪』、嫌いじゃねえ」
「信忠殿の『炎』、悪くありませんな」
この日、二人の間には、身分や立場という壁を軽々と超えた「番長の盟約」が結ばれたのである。
織田の正統を継ぐ信忠と、それを現場で支える無二の友・氏郷。
だが、その眩しすぎる二人の輝きを、戦場の陰から濁った目で見つめる男がいた。
羽柴秀吉である。
「……あの二人が並び立てば、わしの入り込む隙間など無くなる。ニャ」
秀吉の胸に宿ったのは、恐怖に近い「嫉妬」であった。
この初陣で散った火花は、同時に、未来に牙を剥く「包囲網」への静かなる導火線でもあったのである。




