第五話 別の檻 ~最初の10人~
談話スペースの空気は、まだ重く淀んでいた。古い岩壁がむき出しになった部分が、冷たい湿気を帯びて4人を包む。オサムはソファの端で膝の上で指を絡め、さっきの体力測定の結果を思い出しては唇を噛んでいた。
「先生……ほかのみんなは、本当に大丈夫なんですか? 病院に運ばれたって……」
松野カズキが静かに切り出すと、安川クニヨシが腕を組んだまま低く唸った。添田ケイスケは無言で香澄博士の表情を観察している。
博士は眼鏡を軽く押し上げ、わずかに息を吐いた。
「正確には……一度、一般の病院に移されたんだ。でも組織はすぐに手を回して、ここへ連れてきた。今は、この施設の別のブロックに収容されているはずだ。」
「別のブロック……?」
クニヨシが思わず声を尖らせた。博士は穏やかに、しかし重い口調で続けた。
「Fクラスのプロトタイプとして、君たちは私のチームが保護している。そもそも君たちが、あの行方不明の4人とは誰も気づいていないはずだ。あるいは監視されていて、泳がされてるだけという可能性もなくはないが……。いずれ被検体である君たちのことは、施設のほかの研究員たちにも知られることになる。まあ君たちについては心配しないでほしい。ほかの10人は、急襲計画により連れて来られている。被検体としてどのチームで保護されているかも正直わからない……。我々は君たちのバスを襲撃したときの彼らの計画を全ては把握できていなかったのだ……。」
オサムは胸の奥がざわついた。
(みんな……無事なのかな?10人って誰だろう?)
──
施設の中層から、さらに奥へ続く別のブロック。時間は少し遡る。
天井が低く、戦時中の古い坑道をほとんどそのまま残した岩壁が、冷たく湿った匂いを放っていた。照明もやや暗く、遠くで機械の低い唸りが響いている。
部屋の中は、10人の少年たちが重い沈黙に包まれていた。誰もが土砂崩れの記憶を引きずり、体が重く、頭の奥に鈍い痛みが残っている。
しかし彼らは比較的早期に発見され、一度は病院での処置を受けている。そして当日中には全員が意識を取り戻していた。このためか、神格化させられたオサムたちほどではないにせよ、大分回復していた。
「くそ……なんで俺たちだけ、こんなとこに、何なんだよここ!……『ウイルス』って何ですか〜……」
佐久間ヒロシがベッドの上で体を起こし、苛立たしげに壁を軽く叩いた。まだ回復し切っていないためか、いつもの派手さは影を潜め、声も若干掠れている。隣の大田ヒロシは肩を落とし、無表情のまま天井を見つめていた。
「オサムちゃんや松野たちは……どうなったんだろうな……。」
圓崎リョウタは壁にもたれ、腕を組んだままほとんど動かない。屈強な彼も、大分疲弊していて、静かに息を整えながら周囲の出口と時折出入りするスタッフを観察している。
この施設に連れて来られる前、搬送先の病院でいち早く意識を回復した彼は、周囲の大人たちの会話から、自分たち10人が救出され、4人が行方不明、その4人がオサムたちであるということを知っていた。そしてこの情報は彼が話したことで、ここにいる全員に共有されている。
小前コウイチが小柄な体を縮こまらせ、お調子者らしい明るさを無理に探しながら呟いた。
「タケダ……シバケン……なんか、変じゃね? ここ本当に病院かよ?」
竹田シンスケと柴崎ケンイチは顔を見合わせ、黙って頷く。溝端タイジは大きな体をベッドに沈め、生真面目な顔をさらに硬くしていた。香野ケンイチは膝を抱え、かつての粗暴さを今は必死で抑え込んでいる様子だ。
「ウイルス感染の疑いありで特別施設に移送します」そんな大人たちのセリフだけが、移送時に目を覚ましていた者たちには聞こえていた。だが真っ黒な内装の車に乗せられ、その後全員何かの注射をされていた。恐らくは麻酔で眠らせ、施設に関する一切の情報を知らせないようにするためだったのだろう。その後、この部屋で皆がほぼ一斉に目を覚ました。そして4時間ほど経過して今に至る。
部屋の反対側では、吉村トオルが苛立ちを隠さず床を軽く蹴った。鹿島タカミチがその横で、顔を歪めている。
「マジでムカつく……何が特別な治療だよ?」
その時、ドアが開き、看護師風の男たちが入ってきた。白衣を着たそれは見た目こそ医療従事者のようであるが、動きがわずかにぎこちなく、目はどこか虚ろで、声に自然な抑揚が少ない。少年たちは、そもそもここが何かも知らないため、彼らが何者かは知る由もない。彼らもまた、ここに連れて来られた被検体なのである。Zタイプ——失敗作に近い不安定な被検体だ。
「皆さま、お薬のお時間です。」
トレイに載せたカップを差し出す。ウイルスを無効化するため、と言われて飲まされる液体が入っている。これで3回目だ。佐久間が顔をしかめて拒否しようとしたが、男は淡々とした口調で繰り返した。
「お飲みください。回復が遅れます。……飲まないと感染症で生命を落とすことになります。」
監視カメラの赤い光が、静かに点滅した。部屋の空気が、さらに重く沈む。
圓崎だけが、静かにそのスタッフの不自然な動きを目で追っていた。
スタッフは仕事を終えて、そそくさと10人の部屋を出て行った。
「なあ、ここってマジでヤバいとこなんじゃねえの?ゼッテーこれ治療じゃないっしょ?」
佐久間が皆に呼びかける。
「かなり変だよ。さっきの奴らも目がいっちゃってたもん。」
柴崎も同意して答える。
「これって、ひょっとして精神病院ってやつ?なんか雰囲気がさあ。」
香野も会話に入ってきた。
「雰囲気も変だけど、ここの便所、すげ〜流れ悪くなかった?水の出が悪くて俺2回流してたんだけど?」
溝端が突然思い出してどうでもいい話を始めた。だが重苦しい状態が続いていたからか、このトイレの話で中学生男子は盛り上がる。
「あ、それ俺も思った。水少ねえ! 勢いがねえ!って。」
竹田が嬉しそうに叫ぶ。
「あ、やっぱそう?なんか出ねえんだよなって思ってた。」
鹿島も自分だけじゃないのか、と少し緊張が解けたように話し出す。
「出ねえってクソの方か?」
吉村も自然と笑みがこぼれ、鹿島をからかう。
「ちげーよ。何言ってんだよ。」
「なあ、逃げ出さねえ?俺ら全員で! なっ! シム〜?」
佐久間が吉村に呼びかける。
「逃げ出すったって、どうやんだよ? 大体ここどこだよ?」
吉村はあまりの唐突さに半ば呆れて、半笑いで答えた。
佐久間は冗談めいて喋ってはいるが、彼は勘が冴えてるところがある。本能的にこのままでは何かマズイと感じているのだろう。
「どうよ? エンちゃん?」
佐久間は隣の組の圓崎とも同じ小学校で知ってる仲である。圓崎が強く、頼れる存在なのも知っている。佐久間ほどの人間でも圓崎には一目置いているのだ。
「そうだな。確かにおかしい……。強行突破してみっか?まあ佐久間もいるしな。いざってときはオータを盾にすれば平気だろ?」
「エンちゃん、勝手に俺を乱暴者みたいに扱わないでほしいな!」
みんなが笑い出す。棒読みのような独特の喋り方をする大田は、圓崎相手に話すときはいつもこんな感じである。無表情が長く続いていた彼も笑顔になっている。
先程までどんより沈んでいた10人は、中学生らしい目の輝きを取り戻していた。
(第五話 終わり)




