ディープフェイク
翌朝、ホームルームが始まる前の教室では、生徒たちがホワイトボードの前に群がっていた。そこに書かれているのは、「相良の裏アカ(ツブヤイター):hoshigari_331」の文字だ。生徒たちは次々とスマートフォンを取り出し、操作し始める。
「うわっ……マジかよ」
「アイツ変態じゃねぇか」
「うわ、エッロ!」
少なくとも、そのアカウントが不適切な内容を含むものであることは間違いない。怪訝な顔で教室に入ってきたのは、相良だ。
「なんだ? なんの騒ぎだ?」
その瞬間、彼女は数多の視線を一身に浴びた。
「来たな、ヤリマン!」
「ビッチ!」
「なぁ、後でオレにもナマで見せてくれよ!」
何が起きているのか、見当もつかない――それが相良の心情だ。彼女は人混みを掻き分け、そしてホワイトボードを目にする。
「なんだよこれ……アタイは裏アカなんて……」
恐る恐る、彼女はスマートフォンを手にする。そして想像を絶する事態に直面した彼女は、顔面蒼白になった。
「何この画像……ディープフェイク?」
文明の利器をもってすれば、特定個人の写真を偽装することは実に容易い。彼女は生成AIの負の側面に利用された模様だ。無論、彼女が何を言っても、周りはそれを信じはしない。
「あんたでしょ? あんたがこういう趣味あるんでしょ?」
「ち、違う! アタイは断じて、変態なんかじゃない!」
「頼む! 信じてくれ! こんなことをして、アタイに一体どんなメリットがあるというんだ!」
相良の言い分は筋が通っている。さりとて、それが同級生を説き伏せられるかと言えば話は変わってくる。
その昔、ガイウス・ユリウス・カエサルという男が、著書「ガリア戦記」に綴った言葉がある。
「人は己の望むことを喜んで信じる」
これは人間の客観的な事実以上に好都合な事柄を妄信する側面を指摘した一文として広く知られている。
言うならば、生徒たちは「普段から素行の悪い相良」が異常者であることを信じたいのだ。そうした人間の病理は、容赦なく相良の風評を破壊している。
一方、教室の外では、宏太と潤也が囁き声で会話を交わしている。
「なぁ、潤也。未成年者を対象としたセンシティブなディープフェイクは、深刻な犯罪行為だぞ。一体、法的リスクについてはどう考えているんだ?」
「なぁに、俺は防弾サーバーを愛用しているんだ。そうそうバレはしないよ。騒ぎが済んだら、あのアカウントは削除する予定でもあるしな」
「防弾サーバー……か。残念だけど、ネットに完全な匿名性なんてものはない。警察が本気で動き出したら、君の身が危険に晒されるぞ」
そう――これは危険な綱渡りだ。して、潤也の凶行は紛れもない犯罪行為である。されど潤也は、平静を保っている。静かな笑みを浮かべる彼の口から紡がれるのは、反省の言葉などではない。
「名誉棄損罪は親告罪だ。これを刑事告訴するには、犯人を特定してから六ヶ月以内に訴訟しなければならない。つまり、俺には逃げ回る猶予が半年も残されているわけだ」
「その六ヶ月は、犯行が起きた時点からの換算ではない。犯人が確定してからの換算だろう」
「ああ、もちろん。要するにその六ヶ月の間、相良には別の問題を山ほど抱えさせれば良いんだよ。そしたら、アイツは俺を訴訟する好機を逃すことになるだろ?」
それが潤也の考えだった。宏太の顔が引きつる。やはり藤谷潤也という男は、歴とした危険人物だ。
「全部、想定済みなのか……」
「当然だよ。それに、俺はまだ十六歳だから、特定少年には該当しない。そう簡単に前科がつくこともないだろうよ」
「そうだけど……確かにそうだけど……」
これ以上、宏太は何も言えなかった。眼前の極悪人の狂気に圧倒され、彼は言葉を失ったようだ。
「ホームルーム、そろそろ始まるぞ」
そう呟いた潤也は、何食わぬ顔をしていた。




