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一話 異世界ガルアース

エタらないことを目標に……。

 真っ赤な大地の上に、俺と男は立っていた。俺は、男の体に、剣を突き立てていた。


「この……死神がっ……」


 憎しみの篭った顔で、声で、男はそう言い捨てた。そしてそのまま力尽き、力なく崩れ落ちた。


 死神。そう呼ばれたのは、他でもない。俺だ。




 城に帰ってきた俺を待っていたのは、真っ赤なマントに身を包んだ、厳つい顔の老爺。この城の……この国の、主だ。


「帰ってきたか」


 その言葉に何も返さず、自室へと足を向けた。


「相変わらず、無愛想な男よ」

「部屋に戻る」


 皮肉だったのか、言ってきた老爺に返し、また足を進めた。



 俺は、この世界とは違う世界から来た異界人。この国の、奴隷だ。






 唐突に目の前を包んだ光がゆっくりと晴れていき、代わりに見たこともない光景が現れた。


 簡単に言い表すならば、城。よくテレビやゲームで見るあの城。見た目はそれに似ていた。


 一体、何が起きたんだろうか。俺は、いつも通り学校から帰って、家でゆっくりして……その後、コンビニに行ったんだ。コーヒーが飲みたくて。それで……どうなったんだっけ。そうだ、その帰り道で、いきなり目の前が真っ白になったんだ。光に包まれて。


 その光が晴れた途端にこれだ。どういうことなんだ、一体。


「これは……」


 呆然として呟いた。刹那、後頭部に強い衝撃を感じた。何かで強く殴られたような。

 痛い。激しい痛みだ。そのまま意識は朦朧としていき、俺はどうやら、気を失ってしまったようだった。




 数分後、数時間後、数日後。いつかは分からないが、目が覚めた。目が覚めた時、まず初めに感じたのは、その窮屈さであった。大の字ポーズで、両手足が何かで縛りつけられている。


「ここは……」


 辺りを見渡すと、前に見た豪華な城とは全くの別構造だった。灰色だけで出来た世界。とても狭い。牢屋の中のような印象を受ける。


 すると、どうしたことだろうか。目の前に椅子があり、そこには、年老いた男が座っていた。この色の無い世界には似つかわしくない、真っ赤なマントを羽織った。


「目が覚めたか」

「……誰だ?」


 そう問いかけると、男は立ち上がり、目の前まで歩いてきた。そして、俺の眼前まで迫り、答えた。


「ヌィアーザ。ヌィアーザ・リンドナースだ」

「外国か、ここは……」


 その名前や顔立ちが、明らかに日本人ではないことを示していた。俺は、外国人に拉致でもされたのだろうか。ここは、どこなんだ?


 だが、年老いた男——ヌィアーザが答えたのは、俺が想像していたのとは違う答えだった。いや、こんな答え、想像出来るわけがなかった。


「ガルアースだ、異界の者よ」

「どういう、意味だ……?」


 ガル、アース……? 聞いたことがない名前だ。地球には、そんな国は存在しない、と思う。それに、異界人。それの意味するところが理解出来ず、聞き返してしまった。ヌィアーザは、またもや予想外の答えを返してきた。


「私は貴様を、古代の魔法によってこの世界に呼び出した。異界の地より、な」

「……異世界」

「そうだ」


 その答えに、今度は思い当たる節があり、呟くと、ヌィアーザはそれを肯定した。


 異世界。俺が住んでいたのは地球の日本。読んで字のごとく、それとは異なる世界。この世界の名は、どうやらガルアースというらしい。

 そして、理解した。恐らく、このヌィアーザという男は王なのだろうと。先ほどの城。そして、この男の風貌。創作物の王そのものである。


 だが、何故。呼び出したというなら何故、俺はこんな扱いを受けている? 両手足を縛られ、こんなわけの分からないことに?


「じゃあ、この状況は何なんだ。俺は一体、何故縛られているっ……」

「私が貴様を呼び出した理由はただ一つ」


 ヌィアーザは俺から少し離れ、そして、俺に背を向けて言った。


「貴様には、戦いの道具になってもらう」

「なにっ……?」


 戦いの……道具?

 それは、どういう意味だ? そのままの意味だとすると、俺は道具扱いされるためだけにここにいるということになる。だが、そんな、まさか。俺は一般人だ。俺みたいなやつが、異世界で戦えるとも思えない。即死だ。剣で斬られれば、痛みでショック死でもしてしまうかもしれない。

 そんな俺に、戦いだ。無理に、決まっている。


「異界の地より呼び出された者は、強力な力を持つ場合が多い。貴様には、この世界を乱すための道具となってもらうのだ」


 そこに付け加えるように。この男は、一体何を言っている。意味が分からない。突然ここに呼び出して、そして、強力な力があるかもしれないから戦え、だと……?

 そんなの、お断りだった。そもそも、それならばこの世界の人間を使えばいい。この世界にも強者はいるだろう。何故、わざわざ俺を使って……!


「そんなの、嫌に決まって……!」


 縛られた手足でもがき、必死に拒否しようとした。


 その抵抗への返答は、いつの間にやら首に添えられていた、巨大な剣だった。


「歯向かえば、ここで殺そう」


 ヌィアーザの言葉に、ただ恐怖することしか出来なかった。





 それから少し後。俺はその部屋から解放された。手足を拘束していた縄も解かれ、城の庭を走らされていた。動きやすい服に着替えさせられて。


 傍には、大剣を肩に担いだ男が立っていた。名前は、確か、ゾンゼル。さっき名乗っていた。ゾンゼルは庭を走る俺のことを睨みながら、時々剣を振り、威嚇してきているようだった。


 しかし……疲れる。さっきからずっと走りっぱなしだ。体感で五分と少しくらいは走ってる。それも、そこそこの速度でだ。このまま行けば、体力のない俺なんて直ぐに倒れてしまう。若干速度を落とすが、そこに、ゾンゼルの叱咤が飛んできた。


「さっさと走れ」

「うぐっ……」


 叱咤とともに、蹴りを打ち込まれる。モロに食らってしまって、そのまま数メートル先まで吹き飛んだ。


 痛い、痛い。何なんだ、これは。俺が何をした。一体何をしたって言うんだ。俺はただ、毎日を生きていただけだ。あいつと遊んで、親と飯食って、あすかと喧嘩して。


 それだけだ。それだけなのに、何でこんな目に遭わなくちゃならない? 何で、わけの分からない世界に放り込まれて、一人、苦痛に身を穢されなくてはならない?


 ゾンゼルの蹴りは、痛かった。内臓の奥の奥までダメージが届いているような気がして、そのまま胃の中のものをぶちまけた。


 そこへ、ヌィアーザがやって来た。ゾンゼルと何かを話している。


「成果はどうだ」

「駄目です。力の発現も見られません」

「今日中に其奴の能力を見極めろ」

「はっ!」


 力の発現、能力……きっと、あれだ。さっき話してた、この世界に呼ばれた人間は強くなるとかいう、あれだ。今日中に、俺がその力を見せなきゃならないってか。そんなの、おかしいだろ。



 それから夕方過ぎまで、ゾンゼルによる地獄の訓練は続いた。最初はランニングや基礎体力作りだけだからまだよかった。途中、剣も何も知らない俺に木刀を投げ渡して、自身も木刀に持ち替え、剣の練習までさせられた。ゾンゼルの木刀で思う存分殴られ、痛めつけられ、全身傷だらけになった。痣の数も数え切れない。


 痛い、痛い痛い。もう、嫌だ。こいつは、何なんだ。どうしてこんなに酷いことをする。どうして俺でなくちゃならない。他の誰でもよかったなら、頼むから、誰か助けてくれ。


 ボロボロになってよろめいた俺に苛立ったのか、ゾンゼルは舌打ちをした。そして、木刀を振り上げた。


「このくらいでへこたれるな。いい加減強くなれ」


 そのまま、振り下ろすモーションを取った。


 次あれを喰らえば、今度こそ死ぬかもしれない。嫌だ。こんなところで、死にたくない。


 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。まだ何もしてない。人生十五年しか生きてないのに。それなのに、こんなところで死ぬのか、俺は。日本ではない、地球ですらない、意味の分からない異世界で。

 そんなの、嫌だ。死にたくない。まだ、死にたくないんだ。やり残したことだって、沢山あるのに……!


 その瞬間、自らの内で何かが弾けるのを感じた。枷、鍵、そんなものが。

 そして気付けば、世界が二つに見えた。いや、実際に目の前に広がっているのは一つだ。現実、それだけ。

 ただ、違う。感覚が、これとは違う世界を見せていた。その二つ目の世界では、真っ直ぐに振り下ろされた木刀が、俺の頭のど真ん中を打ち抜いていた。そのまま俺は倒れ、気を失う。


 何だ、これは……。急に世界がスローモーションになったような感覚に陥る。世界の、ズレ? この俺の感覚が伝えるものは一体何だ?


 ゆっくりと、ゾンゼルの剣が振り下ろされていくのが分かった。まるで、さっき見えた二つ目の世界をなぞっているかのように。


 感覚的に体を横に逸らし、その一撃を回避する。それはゾンゼルにとっても想定外だったのか、その目が僅かに歪んだのが確認出来た。


「なに……?」

「今、のは……」


 今はもう、何も見えない。何だ。これじゃまるで、『未来が見えた』みたいな……。


「……は、はははっ。それが貴様の力か、異界人」


 ゾンゼルが笑う。頭を抱えながら。何がおかしいのか、その笑いが止まらない。


 ああ。聞きたいよ、神様に。俺は一体、どうなったって言うんだ?




 俺は再び、ヌィアーザと相対していた。俺の隣には大剣を背に収めたゾンゼル。周りには多数の騎士。


「能力が分かったと聞いたが」

「はい、陛下」


 ゾンゼルがこうべを垂れ、そして、立ち上がって剣を抜く。

 そのままこちらを向き、剣を構えた。


「ちょ、冗談だろ、冗談、だよなっ……!?」

「——ゼァアッ!」


 疾風の一撃が、襲い掛かってきた。


……もう一つの世界で。


 今回もまた、その世界で見えた斬撃を躱すようにして、二歩ほど下がった。今まで俺の頭があったところを雷光のごとき大剣が過ぎ去り、そして、二撃目が来た。その二撃目も右側へと転がることで避ける。髪の毛が数本、逝った気がするが、それだけだ。


「……まただ、何なんだ、何なんだよ……!?」


 満足気な表情のゾンゼルと、変わらないヌィアーザ。当の俺には、困惑しかなかった。

 俺には、ゾンゼルの剣閃を躱すだけの技術なんてない。ないに決まってる。元々争いごとの少ない日本に住んでいたんだ。あるはずがないんだ。


 だけど、あの『未来を透視する』かのような世界が、俺にそのチャンスをくれる。


「……ほう。興味深い」


 ヌィアーザが玉座から立ち上がり、俺のそばまで来て、俺の眼球を掴むようにして覗き込んだ。


「未来を見る能力か。道具としては、十二分」


 直ぐにその手を離し、玉座ではなく、謁見の間から出て行こうとした。その際、言い捨てた。


「三日で使えるように。その後、投下する」


 ここからが、本当の『闇』の始まりだった。





 目の前に、命乞いする兵士がいる。懇願してくる男がいる。その左手の薬指には、血で赤く染まった指輪があった。


「やめろ、やめてくれ、街に、妻と子供がいるんだ……!」


 剣を持つが震える。もちろん、俺のだ。俺は今、この男に剣を向けている。あれから三日後、初めての戦場。この男は、敵軍の生き残った最後の一人だった。


 殺せ、殺せと騎士達がざわつく。隣にいるゾンゼルも、そう囁いてくる。


 無理だ、殺せない。俺には、殺せない。人を殺すなんてこと、俺には出来ない。そんなことすれば、それじゃ、人殺しじゃないか……!


 そんな俺の感情を嘲笑うかのように、ゾンゼルが一言、発した。それだけで充分だった。


「やれ。やらなければ、貴様を殺す」


 その一言の重さを知っていた俺は、震える手で強く柄を握り締めた。汗でビショビショだ。

 殺さなければ、殺される。それは、三日間かけて、頭にも、そして肉体にも叩き込まれた知識だった。この世界は、ガルアースは、日本ほど優しくはない。ぬるくはないんだ。ここでこいつを殺さなきゃ、こいつに復讐されるかもしれないし、何より、ゾンゼルのその剣が俺の首を刈り取るだろう。


 それは、嫌だ。人を殺すのは嫌だ。でも、自分が死ぬのはもっと嫌だ。自分勝手なのは分かってる。でも、仕方ないじゃないか。俺は気弱な学生なんだ。ただの弱い人間なんだよ。


 這い蹲る男の背に、剣を垂直に添える。そしてそのまま、心臓を一突きにした。





「初日にしては、上々の戦績だ」

「使い物にはなるかと。まだ伸び代があるように感じます」


 血でドロドロになった手。俺は人を殺した。殺してしまった。仕方なかったとは言え、これじゃただの人殺しだ。


「これからもお主に頼もう。良いな?」

「ありがたき幸せ」


 少し上機嫌なゾンゼルに連れられ、そのまま牢屋のような自室に戻った。


「飯はここに置いておく。食ったら明日に備えて寝ろ。いいな」


 汚いトレーに乗った不味そうな晩飯を置いて、ゾンゼルは去っていった。それを確認して、トレーの上の食事に手を付ける。


「硬……」


 パンに齧りついたが、それは冷たく硬かった。だけど、昨日まではパンなんてなかった。あるだけ贅沢だと思うしかない。

 

 血で汚れた手は、隅にある泥水で洗った。血は落ちたはずだ。でも、手が赤く見える。洗っても洗っても、取れない気がした。人を殺したというその証が、手にこびりついて取れないんだ。


「硬いパンに、冷たいスープ……おかしいよな、こんなの」


 一口ずつ食べて、扉の前に戻す。食べる気にはなれなかった。


 あの人にも、家族がいた。奥さんと子供がいた。きっと家族は、あの兵士の帰りを待っていることだろう。

 けど、その家族に届くのは、あの兵士の死体だ。心臓を貫かれ、このスープのように冷たく、動かなくなってしまった死体だ。他でもない……この俺が殺した。


「何で、こんなことになったんだっけ……俺って、何してたんだっけ……」


 ここに来てから三日しか経っていない。もう、ここに来る前のことも、思い出さなくなった。それでも、家族や親友のことは思い出す。


「父さん、母さん、あすか、(あかり)……」


 四人の声が脳裏をよぎる。俺を『人殺し』だと蔑む声が。


 ああ、痛い。痛い痛い痛い痛い。肉体が、ではなく、心が痛い。兵士を殺してしまった自分と、何より、兵士の犠牲で生き残ったことに対して安堵している自分が憎い。


「誰でもいいから、助けてくれよっ……」


 悲痛の叫びは、誰にも届くことはなかった。




 男の体に剣を突き立て、その命を奪う。もう何度繰り返したかも分からない作業。生き残るために人を殺す。一ヶ月前には感じていたあの痛みも、もう、感じなくなっていた。それは、俺の感情が薄れてしまったのか、それとも、絶望してしまったのか。


「この……死神がっ……」


……死神という名。俺にぴったりではないか。




 部屋に戻ると、扉の前にゾンゼルが立っていた。


「よくやった。陛下も褒めておられた」


 何も話さずに部屋に入ろうとすると、ゾンゼルが問いかけてきた。


「どうした。悩みでもあるのか?」

「悩み、だと……?」


 ゾンゼルの何でもないその一言が、僅かに保っていた、保てていた理性をぶち壊した。


「こんなところに放り込んで、よくもまあそんな口が聞けるな、お前ら……!」


 悩み、だと。ああ、そんなものはない。あるのはただ、怒りだ。お前達に対する怒り。こんな世界にした神に対する怒り。

 そう逆上すると、ゾンゼルは何が不思議だったのか、首を傾げて言った。


「何だ、部屋が狭いのが不満か。ならば、俺から進言してもいい。貴様の活躍は、我々が一番よく知っている」

「ふざけるなっ!」


 部屋が狭いから不満に感じている? そんなわけ、ないだろ。そんな悩みを感じていられるなら、どんなに幸せだったか。

 ここに来て、こいつら全員に対する怒りが爆発しそうになった。いや、もう一割ほどは爆発してしまっている。


 ああ、そうさ。憎い、憎い憎い憎い憎い憎い。こいつも、ヌィアーザも、城の連中も。全てが憎い。だから……。


「……お前ら全員、いつか必ず、殺すっ……俺の、この手でっ……!」

「ふん。言うようになったな、ハクハ・ミナヅキ」


 殺意を込めて放った言葉は、軽くあしらわれた。鼻で笑うようにしてその場を立ち去ろうとしたゾンゼルに、さらに憎しみが募る。恨み、憎しみ、怒り。負の感情全てが、今、俺の中で蠢いているような気がする。


「明日も、貴様の活躍を期待している」


 灰色で出来た通路を歩いて去るゾンゼル。その後ろ姿を見届けて、遂に決意が固まった。ああ、もっと早く、こうしていれば良かったのに。そうすれば、もっと死ぬ人間が少なくて済んだかもしれないのに。


「……ああ、そうか。お前らがそのつもりなら、俺も遠慮しない……」



……ここから、逃げ出す。





 通路前方を埋め尽くす魔法使い達。そこから、防衛隊長の合図と共に、一斉に魔法が放たれる。


「てっー!」


 迫り来る魔法群。一ヶ月ですっかり把握してしまった俺自身の能力……緋色の眼(エカルラート)でそれを全て躱す。左、右、また左……この程度では、俺を止めることは出来ない。


「未来を読まれて避けられる! 弾幕を張れ!」


 こいつらは全員、俺の能力のことを知っている。未来を見る能力、緋色の眼(エカルラート)のことを。そして、その危険性も。


 防衛隊長は即座に、効率を無視した弾幕戦法へと移行した。いくら未来を見ることが出来ると言っても、狭い通路で、隙間なく魔法を撃たれれば、避ける隙間などないと考えたのだろう。


 けど、甘い。俺は、この国最強の騎士であるゾンゼルに鍛えられたんだ。それが、お前達の唯一の失敗だ。


 迫り来る炎の魔法の壁を、魔力を剣に纏わせて……斬る。相手が魔法を使うなら、こちらは魔力でそれを断ち切るまでだ。


「隊長、駄目です! 突破されます!」

「ええい、使えるものを全て使い切れ! ここで止めろ!」

「無駄だ」


 防衛隊長である男の胸部を斬り裂く。鮮血が噴き出し、天井までも赤に染めていく。


「きさ、まっ……」

「報いだと思え」


 そのまま立ちはだかる一般兵も斬り殺し、出口へと急いだ。


 罪の意識は、感じなかった。





 途中、何人か殺した。まだこちらは無傷だ。このままなら行ける。ここから、この牢獄から抜け出せる。

 そんな俺の前に現れたのは、最強の敵。ここまで俺を鍛え上げ、そして、殺戮者へと仕立て上げた張本人。


「何をしている、ハクハ」


……ゾンゼル。こいつがいた。最大の障壁。俺がここから抜け出すためには、こいつの突破は最低条件だった。


「そこを退け」

「何をしていると聞いている」

「退けと……言ってるだろ!」


 意味もない問答を繰り返すゾンゼルに向かって駆け出し、剣での一撃を与えようとする。だが、それはいとも容易く防がれた。その、俺の体ほどもある大剣で。


「貴様、裏切るか」

「こんな扱いをしておいて、裏切るもクソもあるかっ! 俺は……お前らの奴隷じゃない!」


 お互いに剣で剣を弾きあって、距離を取る。構え、いつでも打ち合えるように。


「……ふん。一ヶ月で随分と逞しくなったものだな」

「お前に死ぬ寸前まで鍛えられた。今じゃ感謝してるよ。だからこうして、抜け出す機会が出来た」


 ゾンゼルは動かない。緋色の眼(エカルラート)は発動しない。こいつからは攻撃して来ないのか?


「く、くくく……ここを抜け出して何になると言う? この世界は、甘くはないぞ?」


 そんなの、分かってる。一ヶ月で何人殺したと思ってる。この世界が残酷で無慈悲で非情な世界だなんてこと、とっくに分かってるさ。

 だけどな。それが分かっていても……!


「お前らの奴隷として生きるより、数百倍マシだ……!」


 思い切り走り、距離を詰める。初撃として右下からの振り上げを放つが、躱される。その瞬間、緋色の眼(エカルラート)がゾンゼルの攻撃を知らせる。体を捻っての回し蹴り。それを避け、ゾンゼルの体勢が戻らないうちに剣で突きを繰り出す。

 間一髪のところでバックステップをしたゾンゼル。ダメージを最小限に減らすことは出来たようだが、肩口にダメージを受けている。それも、利き腕の右肩に。


「……分が悪いか。やはり、その力、敵に回せば危険すぎる」

「殺してやる。お前ら、全員っ!」


 もはや、憎悪以外の感情などなかった。脱出のこともあったが、何より、こいつらへの復讐がしたかった。俺をこんなにしたこと。俺自身の責任もあるが、それでも、こいつらのせいにしたかった。


 三連続の斬り払いが見え、それを剣による防御も織り込んで防ぎ切る。


 剣戟の音。散る火花。剣の腕は完全にゾンゼルの方が上だが、緋色の眼(エカルラート)によってそれをカバーする。動体視力と経験だけで次の動きを予測するゾンゼルと、能力によって未来を読む俺。

 だが、やはり緋色の眼(エカルラート)が数歩上を行った。ゾンゼルが次の攻撃を予測している間に、俺はその次の攻撃までも読むことが出来るからだ。


「ぐっ……!」


 右下から左の肩にかけて、斜めに斬り裂く。だが、少し浅かった。ゾンゼルが退こうとする……が。


「ぁぁぁああああ!!」


 それすらも、分かっていた。退こうとするゾンゼルに合わせ、片手用の剣を両手で持ち、その腹目掛け、突き刺す……!



……ズブリ。



 鈍い音を立て、何かを貫いたという感触が手に伝わる。確かに、その腹を貫いた。ゾンゼルが血を吐く。真っ赤な血だ。少しかかってしまったが、今は気にしない。


  剣で腹を貫かれているゾンゼルは、あろうことかその剣に手を添え、引き抜いた。そのまま壁にもたれかかり、崩れ落ちる。息が荒い。どうやら、致命傷のようだった。


 放っておいても、こいつは死ぬ。ならば、もう、良い。こいつは、ここで終わりだ。


 そうして立ち去ろうとした時だった。


「貴様、は……ただ、の、人殺しだっ……」

「……うるさい」


 荒い息で、血を吐きながら、ゾンゼルがそう蔑んだ。どの口がそれを言う。自分自身も人殺しだろ。それも、俺なんかよりずっと殺してる。俺は、人殺しなんかじゃない。あれは仕方なかった。仕方なかったんだ。俺が生き残るには、殺すしかなかった。そう教えたのは、他でもない、お前だっ……!


「トドメを、刺せ……俺を殺、せ……!」

「うるさい……」


 やめろ。やめてくれ。もう、何も言わないでくれ。

 そう思っていたが、俺自身の手は、剣を強く握りしめていた。


「決して、忘れ、るな……貴様が殺し、た、俺の、顔を……!」

「うるさいっ……!」


 最後の一言で、ゾンゼルの首をはねた。首から噴き出した血が俺の体に降り注ぎ、飛ばされた頭はクルクルと宙を舞い、そう遠くないところに落下した。いらぬ奇蹟か、切断面が下を向くように。その目は真っ直ぐと俺を見据えていて、その奥に黒い何かを見たような気がして、急いでその場を離れた。


 俺が殺したいと願っていた男は、容易く、あっさりと、死んでしまった。




 城の出口。大きな扉の前に、特徴的な赤マントの男が立っていた。ヌィアーザだ。


 気配を感じたのか、ゆっくりとこちらへと振り返り、そして呟く。


「……そろそろだと、思ったが」

「ヌィアーザ……お前……!」


 ここで待っているということは、こいつ自身も俺を止めようと言うのか。だが、こいつは戦えるのか……? 戦っているところは見たことがない。直ぐにでも、殺せそうな相手だ。


「ここから出るつもりか」

「ああ、そうだ……俺は、もう、ここにはいられない!」


 ヌィアーザの問いに、そう答えた。


「ここから出て、どこへ行くつもりだ」

「そんなのっ……」


 しかし、次の問いには答えられなかった。

 ここから出て……どこへ行く? 俺は、この世界のことを全然知らない。どこにどんな国があるかとか、どんな奴らが住んでるかとか。何があるのかも知らないし、そうだ、何も知らないんだ。


 ずっと……ここを出て、言われるがままに戦地へと赴き、誰かを殺して、帰ってくる。それだけの一ヶ月だった。よくよく考えれば、この世界のこと、何も知らないんだ、俺。


「まあ、よい」


 が、ヌィアーザは簡単にそう言った。よい、とは、まさか、ここから抜け出すのを許可するということか? そんな馬鹿な。あの冷酷無比なヌィアーザが?


「基盤は完成した。もう、貴様の役目は終わりだ」

「なに……?」


 基盤……? 何のだ? 何の基盤だって言う?

 そもそも、それが完成したから、俺の役目は終わり……俺でなければならなかった? それとも、緋色の眼(エカルラート)が必要だったのか?


「どこへなりとも行くがよい。私は止めはしない」

「なにを、考えてるっ!」

「……なにも」


 とは言うが、こいつのことだ。きっと、裏で何かを企んでいるに違いなかった。それが何なのかは分からなかったが、ヌィアーザの去り際に、一つだけ分かったことがある。


「死神の最期は、死神に任せるとしよう」


 すれ違った時に囁かれたその言葉。何を意味するのかは、まだ分からない。でも、分かったんだ。


 こいつは、危険だ。他の誰よりも。あの、ゾンゼルよりも。


 ヌィアーザが去り際に放った、あの殺意は何だ。いや、殺意ではない、違うのだ。あれは、もっとこう……純粋な『恐怖』そのものだ。恐怖を擬人化したような、そんな感じだった。混じりっ気のない恐怖。


 振り返ると、そこにはもう、ヌィアーザの姿はなかった。今の一瞬で消えた。あいつは……本当に、何者なんだ?


 もう一度、扉の方へと振り返る。この先に進めば、もう俺は自由だ。こいつらに支配されることもない。今までみたいに……誰も、殺さなくていいんだ。そうだ、誰も殺さなくていい。誰も悲しませなくていいんだ。


 一歩ずつ、ゆっくりと、確実に歩みを進める。出口へと向けて。そして、手をかける。押し開けて、その隙間から漏れてくる光に顔を逸らす。



 自由に、生きる……俺にその資格があるのかは分からない。でも、やるだけやってみようと思う。一度聞いたことがある。ヌィアーザ達は知らないと言ったが、元の世界に帰る方法とやらが、この世界には存在するらしい。それを探す。世界中を旅して、その方法を見つけ出す。そして、必ず……帰ってやるんだ、日本に。




 これが、俺。ハクハ・ミナヅキこと、水無月白羽(みなづきはくは)の、物語の始まりだったんだ。

 

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