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アンバーの瞳  作者: 尹茅
story:3 色番外
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白磁

 

「先輩、少しお時間いいですか」


 後輩たちに囲まれていた輪の外から、不意にかけられた声に反応して振り返る。振り返った先に、少しだけ息を乱した奈津の姿があるのを認めて、直人は目を丸くした。

 まわりの生徒に断りを入れると、名残惜しそうにしながらもぱらぱらと人の輪はほどけていく。

 直人の胸元には、卒業生であることを示す桃色の造花が飾られている。ひっそりと主張する造花に眼をやりながら、直人は近づいてくる奈津の足音を聞いていた。


「桐生。どうしたの」


 いつもと同じ強い眼差しに、落ち着いた声音。卒業という行事に学生たちが浮足立っている中、奈津には浮かれた様子など全く見受けられなかった。

 それがまた奈津らしくて、直人はふっと息を吐く。


「卒業、おめでとうございます」


 これだけは言っておきたかったんです。それだけ言って口をつぐむ奈津を前に、直人は自分の胸に飾られた造花に手を伸ばした。


「ありがとう」


 接着が緩かったのか、桃色の花弁が一枚、ぱり、とちいさな音をたてて剥がれる。手のひらのなかで薄いそれを弄びながら、直人は言葉を探した。目の前に立つ奈津からは、以前感じていたような淡い好意の色は窺えない。

 それもそうだ。奈津は既に、柊という恋人を手に入れている。


「聞いてもいいですか」

「もちろん」


 直人の記憶にあるよりも長くなった奈津の髪が、それだけの期間をあの男と過ごしたのだという証明に見えて仕方がない。手のひらの中の花弁がちぎれてばらばらになるのを感じながら、直人は微笑んだ。


「……先輩は、」


 歯切れの悪い口調で話し始めた奈津の表情は、今まで直人には向けられていなかったたぐいのものだ。直人には見せたことのないそれは、奈津がきっと意識的に隠していた部分なのだろう。

 そう冷静に考えていても、奈津が何を言い出すのか見当もつかない。


「先輩は、夢穂さんが好きですか?」


 奈津はやはり、自分のことが好きなのではないか。咄嗟に頭を掠めた思考は、他ならぬ奈津によって否定される。眉をひそめ、疑わしそうに直人を見つめる奈津はただ、直人の正体に気が付いただけなのだ。


「参ったな。夢穂とは、別れるつもりはないんだけど」


 彼女は快活で朗らかで、少し抜けていて。そんな彼女は、人に親しみを抱かれることが抜群に上手かった。どちらかというと近づき難さを感じさせる直人の傍に夢穂がいるだけで、普段だったら話もしないような人々が親しげに声をかけてくる。

 夢穂の彼氏というだけで、『いい人』のレッテルが手に入れられるのだ。

 直人にとって、これを利用しない手はなかった。 


「先輩は、ぜんぶ知ってたんですよね」


 知っていた。直人はすべて知っていて、それを利用した。

 夢穂と共に居て、彼女に優しくするたびに、奈津は傷ついた顔をしていた。それはほんの一瞬だけ、ちらりと掠めるだけのものだったけど、奈津からの好意を察するには十分すぎるものだった。

 夢穂の喜ぶ顔を見るたびに、ひっそりと傷つく奈津の姿を幻視してそのたび、自分がそれだけ好かれているのだと優越感に浸ったこともある。


 夢穂が向けてくる純粋な好意はもちろん心地いいものだったけれど、奈津の行き場のない焦燥感のような焦りに似た好意は、奈津が自制しようとすればするほど、直人の暗い優越感が満たされていた。


「知ってたよ。ごめんね、言わなくて」


 微笑んで肯定すれば、奈津はゆるりと首を振った。

 きっとかつての奈津なら、涙のひとつでも滲ませただろうに。そうならなかったことが案外悔しくて、直人は自分が思っていたよりも奈津のことを気に入っていたのだと気がついた。


「わたしだって、先輩を利用していたみたいなものなので」


 すみませんでした。と落とされた言葉の中身は、直人にはよく分からない。奈津に対して、自分が利用されたと感じたことはなかったから。それでも謝罪を口にする奈津はきっと、それすらも直人は見通しているとでも思っているのだろうか。


「それでも、好きでした。先輩」


 きっちりと、頭を下げて。さらさらと零れる髪を片手で抑えて頭を下げる奈津は決然と、まるで別れの言葉を告げるように、直人への想いを口にした。

 いや、実際に別れの言葉なのだろう。頭を上げた奈津は真っ直ぐに直人を見つめていた。かつては仄かに染まった頬も、罪悪感に揺れる瞳も、縋るような呼び声も。直人にはもう、二度と与えられることはない。

 それが自分に思わぬ痛みを与えたことに、直人は僅かに動揺した。


「ありがとう。いまさらそう言ってもらえるとは、思ってなかったよ」


 それでも最後まで、奈津の信じた先輩の姿でいよう。柔らかな笑みを浮かべて礼を言えば、奈津はかすかに唇を噛む。


「あと、夢穗に。言わないでいてくれてありがとう」


 夢穂の傍は居心地が良い。暖かな太陽に照らされているように、傍にいるとふわりとあたたかい。直人はそれを手放すつもりはなかったし、こういった一面を夢穂に見せることもないようにと気を遣っていた。

 直人のその言葉に、奈津は今までで一番、きれいな笑みを浮かべてみせた。


お久しぶりです。

卒業シーズンになって、ふと直人がもやもやしたままだったことを思い出しました。

卒業おめでとう。

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