26話:零式
「零式」。それは、「零の魔法」特有の仕掛け。それ自体は、なんていうことない魔法。「零の魔法」に、何かの外的要因が加わって生まれる「二重の零」が発生したときに、動くものだ。
二人以上「零の魔法」使いがいるならば、「零の魔法」の重ねがけも可能だろう。そして、重要なのは、外的要因が加わって、二重以上の「零の魔法」が生まれれば問題ないのである。つまりは、「零の魔法」使いに「無窮の魔法」によって、力を無限にすると、無限の「零の魔法」が生まれるのである。
「零の魔法」と「無窮の魔法」がぶつかると、矛盾理論から、因果律の崩壊、もしくは崩壊の促進を促すことに繋がる。しかし、ここで発生する疑問は、「だとしたら、『零の魔法』本体ではなく、魔法使いの方に魔法を掛けた場合、魔法使い自体は、『零』ではないから矛盾理論は、生まれないのではないだろうか」と言うことだ。無論、その逆も然り、「『無窮の魔法』本体ではなく、魔法使いの方に魔法を掛ければ……」となるはずだが、これには、少し違う点がある。
・零の魔法使いは「零」ではないが、無窮の魔法使いは「無窮」である。
・魔法と言うのは、どこまでが魔法と言う範囲に含まれるかで、変わってくる。
この二つが、主な論点になる点である。
まず、零の魔法使いは「零」ではないが、無窮の魔法使いは「無窮」である、と言うことだが、これは、前にも少し言っていたと思うが、「無窮の魔法」使いは、自身に、「永遠の命」と「永遠の美」と「永遠の力」を授けている。これは、常時働いているものであって、「逆行の魔法」を使わない限り、それが、消えることはない。つまりは、「無窮の魔法」使いに、魔法を掛けることと、「無窮の魔法」に魔法をかけることは同義であるのだ。故に、「無窮の魔法」使いが、「零の魔法」使いに対して、魔法をかけたときのみに限定しているのだ。
次に、魔法と言うのは、どこまでが魔法と言う範囲に含まれるかで、変わってくる、と言うことだが、これは、最初に、俺と天螺がであったときに放ったように、「相手の魔法則」までもが、魔法の範囲に含まれる事だ。だから、魔法に魔法がぶつかるという点では、「魔法則」に魔法をぶつけても、矛盾理論が発生することになるのだ。では、どこまでが、範囲に含まれるのかと言うことだが、先ほども言ったように、「無窮の魔法」は、本人も範囲に含まれている。一方、「零の魔法」は、本人は、範囲に含まず、魔法本体と魔法則、それと、それによって生まれた現象、事象も魔法の範囲に含まれる。と、言った具合に魔法によってことごとく範囲が分かれる。
で、本題に戻るわけだが、「『零の魔法』本体ではなく、魔法使いの方に魔法を掛けた場合、魔法使い自体は、『零』ではないから矛盾理論は、生まれないのではないだろうか」と言うことに対する答えは、無論、生まれないだ。覚えているだろうか。初めて妖に、月世の関係について言われ日の夜に、俺が二十六人ほど「魔真衆」を捕まえたときのことを。あの時、天螺は確かに、俺に「恒久」を使っているのだ。このことからも分かるように、「無窮の魔法」使いが、「零の魔法」使いに対して、魔法をかけた場合は、きちんと発動するのだ。
さて、では、どう言った時に「二重の零」が発生するのかと言うことだが、これ関しては、簡単である。魔法使い本人に、一定の操れるだけの「無窮の魔法」を使うことによって、その力を応用し、二度以上「無窮の速度」で「無窮の力」を元に、二度以上「零の魔法」を即時詠めばいい。それによって、「二重の零」の完成だ。
さて、そうして出来た「二重の零」だが、これが発生すると、「零式」が作動してしまう。これは、「零の魔法」自体に組み込まれたプロセスであり、俺には、変えることの出来ないものだ。さて、その「零式」の概要についてだが、
まず、「零の魔法」の重ねがけで生まれる効果について、触れておこう。「二重の零」は、「零の魔法」を「零の魔法」で「零」にするのではなく、対象を「零の魔法」で「零」にしたことを「零」にする、ことになるのだ。要するに、その空間の空気(対象)を「零の魔法」で「零」にしたことを「なかったことに」するので、その空間には、もともと空気が存在しなかったことになる。つまり、その空間に空気が戻ることがなくなる。と、言うわけだ。これにどんな使い道があるかと言うと、これに関しては、「矛盾理論」が生じないのだ。
つまり、「二重の零」を「無窮の魔法」にかけると、「無限にあるものを零にする」ことを「零」にするために、無限に存在していたものが、この世に物理的にも論理的にも、まるでなかったことになるのだ。さて、すると、因果律に穴が開くかと思いきや、因果律への変動はないのだ。だって、それは「元から無かった」ことになるのだから。
これを基に考えると、二人の「零の魔法」使いがいる今なら、《終焉》と言う不滅の存在も消し去れるのではないだろうか。
まあ、そして、「零式」だが、これは、それを補助するシステムだ。「二重の零」が生まれたときに、「零式」は発動し、「二重の零」によってできる「無かったことに」なったものに関する、記憶の処理なんかもできるようになっているのだ。何せ、「無かったこと」を知っている人間なんていうのはありえないことだからな。だから、まあ、後始末みたいなものだよ。そして、俺や麗華には、「零式」は発動しない。「無かったこと」を知っている人間なのだ。それはそれで、なんだか、少し思うところもあるのだが、まあ、なんにせよ、「二重の零」を使うことが無ければいいのだが……。




