第41話 カイロ
チィコは、牙の国出身の獣人族の王、牙の王の娘だった。
そして、勇者パーティの中でも前線に立つことの多い存在でもある。
その事実は今も変わらない。
けれど、今のチィコは日本で小学生生活を満喫していた。
学校という場所も、なかなか楽しい。
最初は必要ないと思っていた算数の授業も、難しい漢字の多い国語も、発音のややこしい英語の授業も、少しずつだがわかるようになってきた。
それに、毎日違う料理が出る給食も美味しい。
そして今日も、その給食の時間がやってきた。
教室の中には、すでにいい匂いが漂ってきている。
(この優しくて甘い匂いは……間違いなく、さつまいもご飯!)
もう一方は、複雑で食欲をそそる香りだった。
肉の脂、香味野菜、根菜の土っぽい匂い。
(うん、豚汁だね!)
チィコが周囲に漂う香りに心を奪われていると、以前よりもすっかりリーダー役が板についてきた穂乃花が、教室内の時計を確認してクラスメイトに号令をかけた。
「前のクラスの当番が戻ってきたので、早く着替えてください。私たちも給食を取りに行きますよ」
「「「はーい」」」
クラスのみんなも、穂乃花の頑張り屋なところを認めているのだろう。
二つ返事でその指示に従う。
とはいえ、一部の男の子たちからは相変わらず「面倒くさいやつ」と言われていたりもする。
(それはまあ、わからなくもないかな)
実際、前と変わらず反論すると、穂乃花はうるさい。
けれど、前と違うところもある。
それは、穂乃花自身がそう言われることを承知の上で、口酸っぱく言い続けていることだった。
確か「嫉妬は上に立つ者の宿命」とかなんとか言っていた気がする。
外野に何を言われてもへこたれないその感じは、まるで自信満々の小さなカルファだ。
そんな穂乃花を横目に見ながら、チィコも自分が給食当番であることを思い出し、教室で白衣に着替えを済ませた。
そして他の当番の子どもたちと一緒に、一階の校内から給食受け取り所へ続く、吹きさらしの渡り廊下へ歩いていく。
「――うぅ、さっぶ!」
先頭を歩いていた人族の男の子が身震いしながら言った。
この渡り廊下は外にむき出しになっているため、校門側から吹き込んできた風が勢いを保ったまま通り抜けていくのだ。
季節の変わり目、特に秋から冬にかけては、ここを通りたくないという声が多くなるらしい。
確かに、寒さに強い獣人族なら平気だ。
けれど、チィコたちほど寒さに強くない人族にとっては、服装次第ではかなり堪えるかもしれない。
実際、これくらいの涼しさの日から冬にかけてのある日、あの勇者トールですら「寒いのは無理やわ」と言いながら、自分で考えた寒さ除けの魔法を使っていたことがあった。
あれは、トワルフの森から魔族の棲み処である常闇の国へ向かう道中でのことだった。
常闇の国までの道のりは、森を抜け、さらに山を越えなければならなかった。
そのため、一行はトワルフの森で全員分の登山用装備を用意し、それをトールの次元収納にしまうことで、軽装のまま山越えに挑んでいた。
だが、山の中腹あたりまで来たところで、天気が急変した。
同時に気温も一気に下がったのである。
その時、軽快に歩いていたトールが足を止めた。
『――さっぶ! 取り敢えず、体温めんと! 冷えは万病の元やからな』
そう言いながら、トールは体を震わせつつ、水魔法で掌サイズの水球を生み出し、それを火魔法で温めた。
『ごめんやけど、僕、風魔法はあんま得意ちゃうから、カルファも協力してくれる?』
勇者であるトールは、一応すべての属性魔法を扱うことができる。
けれど相性はあるらしく、風と土、それに闇属性は本人曰くあまり得意ではないらしい。
とはいえ、全属性を使えて、そのうえオリジナル魔法まで作れるのだから、得意不得意の問題ではない気もするのだが。
『あ、はい!』
トールに言われて、カルファが温められた水球を風魔法で包み、温度が逃げないようにした。
これが、面倒くさいわりに身体を温めることにしか使えない、変な温球という魔法だった。
旅の道中では、寒くなるとだいたいこの魔法を使っていた。
(この世界に来てからわかったけど、トールって、この日本にあるものを魔法で再現してるっぽいんだよね)
カイロなんて、コンビニはもちろん、スーパーやドラッグストアにも普通に置いてある。
魔王を倒したあとになって、トールのルーツみたいなものを知るのは、なんだか少し不思議な感じだった。
「カイロ貼ってないの?」
ぶるっと身体を震わせた人族の男の子に、隣を歩いていた獣人族の男の子が尋ねる。
「貼ってるって! でも、ヒロおじがさ、変なところに貼ったんだよー! 腰に貼ってもあんまりあったかくないのにさー!」
ヒロおじの適当さは何とも言えないが、カイロ自体はとても便利だ。
温球と違ってマナを必要としないから、魔法の苦手な獣人族でも簡単に使える。
もっとも、寒さに強い自分たちが一番使わないのも、なんだか不思議な話だった。
(案外、獣人族って日本に合ってるのかも)
この事実を知った時、チィコは本気でそう思っていた。
だが最近、その考えを揺るがす存在を見つけてしまった。
それが、街中に植えられているイチョウという木だ。
この時期、葉を黄金色に染めるきれいな木ではある。
木そのものが苦手なわけではない。
けれど、その実が熟して地面に落ち、潰れた時――。
(あれは、ほんと無理……)
とんでもない異臭を放つのだ。
納豆すら超える、信じられないくらいやばい臭いを。




