第36話 聖地へ
梅雨というじめじめした嫌な時期もようやく明け、気温も上がりすぎない絶好のお出掛け日和。
そんな日に、カルファは念願だった有給休暇を取得し、舞香とともに遠出をしていた。
行き先は、東京の秋葉原。
カルファの住む場所からだと、新幹線というとんでもなく速い電車でおおよそ三時間。
飛行機という、鉄の塊に翼を生やした乗り物で空を飛べば、一時間半ほどで着く距離だ。
(本当なら泊まりで来て、新幹線の旅というものも堪能してみたかったのですけど……)
だが、今回は日帰り。
そのため、二人が移動手段に選んだのは飛行機だった。
服装も、現地でかなり歩くことを考えて選んでいる。
歩きやすいクリーム色のワイドパンツに、通勤用に買った履き慣れたスニーカー。
黒のTシャツにジャケットを羽織った、動きやすさ重視の格好だ。
荷物は、小さな痛バッグ一つ。
表には憧れの的である宇宙の帝王様、裏には【尊敬から愛へ 〜その形、千差万別〜】の推しカプが描かれた缶バッジがついている。
「まさか休んでも給料がもらえるなんて、夢のようです。それに初めての飛行機! 年甲斐もなく胸が躍ってしまいますね」
座席は、ちょうど機体の真ん中あたりにある窓側の二席だった。
カルファが初めて飛行機に乗るのだからと、舞香がわざわざ手配してくれたのだ。
「あははー! 大袈裟ですよー、カルファさん! この国ではそういうルールなんですから。でも、飛行機に胸が躍るのは完全に同意です」
「では、なかーまですね!」
「はい! なかーまです!」
カルファが、手を出すと、舞香も応じた。
「うふふ♪」
つい最近までは、見たこともない技術や文化にただ感動していただけだった。
それが今では、こうして友人と一緒に遠出をしている。
そんな日が来るとは思ってもみなかった。
「どうしたんですか? 急に笑って。あ、もしかしてこっちの席が良かったですか? すみません! 勝手に席を決めちゃって」
舞香が少し慌てた様子で言う。
だが、カルファが見ていたのは座席ではなかった。
ただ、この時間そのものが不思議で、嬉しかったのだ。
トワルフの森。
牙の国。
常闇の国
そして、ルーテルア王国。
冒険の果てに辿り着いた先が、この柔らかく優しい日常だったのだから。
「大丈夫です。幸せだなと、しみじみしていただけですので」
「そ、そうですか? それならいいんですけど。もし飛行中に気持ち悪くなったりしたら、遠慮なく言ってくださいね! CAさんに伝えますから」
(この子が友達で、本当に良かった)
純粋で優しい。
関われば関わるほどに、そう感じる。
それに――。
「で! どうします? ソッコーでサイン会に突撃しますか? まさか亀川影先生と設楽ミント先生が同じ日にサイン会を開くとは……しかも抽選で当たるんですよ? 一体どんな善行を積んだら、こんなダブルチャンスが舞い込んでくるんですかね? はっ! もしかして魔法ですか?」
舞香は、足元に置いた手作りの痛バッグからスマホを取り出して、興奮気味に言った。
そう。この様子でよくわかるように、舞香は最高のオタク友達なのだ。
「魔法なんてとんでもない! 今そんなことをしたら、トール様もヒロおじ様も飛んできますよ! それにですね、こういうイベントに不正をするなんて、魂が拒絶します」
「そうですよね! カルファさんがそんなことするわけないですもん」
「です! そんなことをしてしまっては、両先生に会わせる顔がありませんから!」
「グッジョブです! 私、そういう信念を持ってオタクをするカルファさんが大好きです!」
「ふふっ♪ オタクたるもの、作品に対して恥ずかしくない人でなければいけませんから」
亀川影は、宇宙の帝王様を生み出した偉大な作家だ。
少年誌でメガヒットを出し続けてきた大先生であり、特にメカニックの作画、ギャグの中に戦闘や友情、家族の絆といった異なるテーマを織り込む手腕は見事というほかない。
そして設楽ミント。
言うまでもなくカルファの最推し作家であり、もはや神といっていい。
トール似の主人公・佐久間祐希と、ヒロおじ似の想い人・垣倉正人が織りなすオフィス純愛ピュアBL【尊敬から愛へ 〜その形、千差万別〜】を手掛ける、尊い存在である。
「着く時間にもよりますよね……亀川先生が十三時で、設楽先生が十六時ですか……着く時間は――」
カルファはジャケットのポケットからスマホを取り出し、イベント時間を確認した。
「成田に着くのが十一時頃ですよ!」
「でしたね! そうなると、まずは亀川先生の方へ行ってから、設楽先生のサイン会へ向かいましょうか。亀川先生の会場の方が秋葉原駅から近いようですし」
亀川影のサイン会会場は、アニマイト秋葉原店。
アニマイトは、日本屈指の小説、漫画、アニメ、ゲームグッズを取り扱う有名店であり、秋葉原店は一階から七階まで丸ごとその店になっている。
サイン会は二階の特設ブースで開催予定だ。
舞香曰く、この国に住んでいて知らない者はいないらしい。
一方、設楽ミントの会場は、その少し先にあるトル河屋。
中古品も扱う、フィギュアやホビーに強いアニメ雑貨店で、こちらのサイン会は八階で開かれる予定だった。
「はい! それで問題なしです。それにしても良かったですよね。確かそのスマホ、トールさんにプレゼントしてもらったんですよね?」
舞香の言う通り、このスマホはトールから贈られたものだった。
舞香と遠出することを話してから、わずか三日ほどで用意してくれたのである。
「そうですね。ちょうど三日前に、“もう個人用を渡しても大丈夫やろう。というか、心配やし。女の子だけで大丈夫かいな?”とか言われて、手渡されました」
「あははー! トールさんらしいです、その言い方! でも、すぐ契約して渡すなんてできないだろうし、きっと三日前どころかもっと前から準備してたに違いないですよ! なんというか……そう、まるでお母さんみたいです!」
「なるほど、トール様がお母さんですか……うふふ! その通りかもしれませんね」
昔から、トールは特殊な出自のせいか面倒見が良かった。
カルファとドンテツが揉めれば、必ず仲介に入る。
チィコがお腹を空かせれば、持っている食材でさっと料理を作ってしまう。
頼み込めば、自身のオリジナル魔法であっても惜しまず教えてくれる。
……もっとも、なぜか自分にだけは少し厳しい気もするのだが。
(そういえば、今さらですが……)
ふと、カルファは思う。
(なぜ私たちの同行を、ああもあっさり許してくれたのでしょう?)
気まぐれか。
それとも、自分たちのことを考えてのことか。
そんなことを考えていると、機内アナウンスが流れ始めた。
皆さま、今日も脱兎スター航空七百七十便、成田行をご利用くださいましてありがとうございます――。
「い、いよいよですね……」
実のところ、かなり怖かった。
空港に着き、搭乗ゲートから飛行機を見た時からそうだ。
これほど大きな鉄の塊が、魔法も使わず空を飛ぶというのだから。
原理を頭で理解していても、身体が拒絶してしまう。
「い、一応、念のためなんですけれど……衝撃緩和の魔法を使っておきましょうか?」
「いや、カルファさん……それは――」
「あははー……ですよね」
舞香の言葉で、カルファはなんとか冷静さを取り戻した。
そして機内アナウンスの指示に従い、スマホを機内モードに切り替えると、祈るようにそっと目を閉じた。




