第2話 ただいま
春風が吹き抜け、桜の花びらが舞い踊る時期。
日本のどこかにあるマンションの一室。
玄関からダイニング、リビングに至るまで、すべてモノクロで統一され、塵一つない。
そんな清潔感の漂う部屋の中に稲妻が走り、パリパリといった音が響く、その直後――。
バリッ! とひときわ大きな音が鳴り、同時に空間が歪んだ。
そして、亀裂が入ったかと思えば、そこから、勇者一行が姿を現した。
「ただいまー! って、当たり前やけど誰もおらへんね……でも、落ち着くわー……」
久しぶりに戻った我が家に、安堵の表情を浮かべるのは、白銀の胸当てにブーツ。
まるで絵に描いたような冒険者の格好をし、背中にはルーテルア王国の紋章が刻印され、ドンテツにより光の加護が与えられたバスターソードを背負った黒髪糸目の人物。
この家の主であり、たった一年で最強の存在となった勇者、トールこと田中徹である。
好きな物は、子供の笑顔と平穏。
嫌いな物は、魔王だ。
最強と呼ばれるだけあって、光魔法を纏った斬撃は瞬く間に魔族を一掃し、他にも転移魔法や、日本での暮らしを取り入れたオリジナル魔法、そして次元収納を使いこなす異端児でもある。
(って、そやった……こいつらもおったんやった)
気を抜いたのも束の間。
トールは、一人じゃないことを思い出した。
「へぇ……ここがトール様の住まいですかー。えーっと、ちょっとなんでしょうか、狭いですよね……ですが、清潔感があって好印象です」
トールの脇から、ひょこっと顔を出してキョロキョロ。
エメラルドグリーンの髪を揺らしながら、興味深そうに周囲を見渡すのは、ターコイズのような瞳を輝かせ、美しく清廉な雰囲気を漂わせるエルフ族の王女カルファだ。
(さすが、後衛って感じやな……)
勇者パーティでの役割は、後衛と回復。
弓矢の名手であり、風魔法を纏わせた一張は容易に岩を貫通し、風魔法を纏うことで自由自在に空を駆けるのが得意だったりする。
(本とか知識とか、ああいうのに目ぇ輝かせるタイプやし、こうなるんも普通か……にしても、ちょっと人ん家見すぎちゃうか……)
「いやいや、狭くはないだろう! 儂らドワーフ族の住まいより、天井も高いしの! 床なんてピカピカではないか……ほう、木に光沢のあるのう。さては何かが塗られておるな。これはニスか? いや違う……? いい腕だがもう少し光の反射を抑えた味のある感じが儂好みだな……」
(って、お前もかい!)
心の内でツッコミを入れる勇者トール。
その声の主は――。
床に腰を落とし、建て付けや使用されている素材を真剣な眼差しで見つめるのはゴワゴワとした赤髪、立派な髭が特徴のドワーフ族、ドンテツ。
勇者パーティでの役割は、頑丈さを活かした前衛、そして武器などのメンテナンスだ。
(ふふっ、相変わらず戦地でのイメージとは、全然ちゃうな。まぁ、それだけリラックスできてるってことか)
普段は温和で戦いを好まない性格。
けれど、戦となれば別人となり、その圧倒的膂力から繰り出される一撃は、まるで豆腐を切るように敵を両断し、得意としている土魔法は逃げようとした者を囲い逃げ場を無くす武人である。
好きな物は、鋼を鍛えた工芸品や建築物に酒。
嫌いな物は、拘りのない物全般だ。
トール、カルファ同様に、まんまドワーフである。
「出ましたね、ドワーフ基準……床に味とかどうでもいいんです。一番は清潔感と一緒に暮らす者達と適度な距離を保つことができるかどうかですからね」
「お前さん、こういう時はえらくつっかかってくるのう……毎回思うが、ドワーフ基準では不満か?」
「不満はありませんけど、貴方達ドワーフ族は元々、工房兼住居みたいなところに住んでいますからね。私達エルフとはあまりにも美的感覚が違うので申し上げた次第です」
「わざわざ……申し上げんでもよかろて。そもそも工房で油や鉄に塗れて鉄を打つ。これが儂らドワーフの生業だからの……森で風呂に入り本を読んでおればいいだけの、お主とは合わん」
「森で……? 本を読んでおればいい? はぁ?! 貴方それ本気で言っているのですか!? そんなことあるわけないでしょう? こんの髭モンジャラドワーフ!」
痛いところを突かれたカルファは、ドンテツの胸ぐらを掴み揺らす。
しかし、温和なドンテツは拳で語り合うことはせず、揺らされたまま、正論を口にする。
これがこのパーティでの日常である。
「ああ、本気だ! 普通に考えて世界の命運を賭けた戦いを前に本を読んで風呂なんてどうでもいいだろう? エルフ独自の美意識と世界。比べるまでもなかろうて」
ドンテツは顔がブレるくらい、揺らしているというのに怯む様子もない。
それほどまでにこのやり取りは繰り返されてきたものなのだ。
また始まった、とトールは内心でため息をつく。
一年間、何度も繰り返されてきたやり取りだ。
だが、そうなのだ。
冒険を始めた頃こそ、衝突は絶えなかったが、今はそうではない。
生活面での違いは、妥協点を見つけ踏み入らないこと。
ドンテツは、この部分を理解しているはず。
なので、感性の違う者がいても、そこまでとやかく言うことはない。
しかし、カルファは繰り返した。
「そっ……それだって、ドワーフ基準で判断しているだけでしょう?! いいですか!? エルフからすると、死活問題なんです! もしお風呂に入れなかったら、実力を発揮しきれないまま魔王に負けていたと思います!」
(要するに、こいつら相性最悪なんやろな……)
まぁ、一方的にプライドのあるカルファがツンケンしている感じなのだが――。
(……やっぱりアカンパターンか?)
どっちだろう。
放っておいて、鎮火するパターンなら、御の字。
ダメだった場合は、いつも通り仲裁に入らないといけない。
トールは異世界で幾度も迫られてきた二択を前に、頭を抱えていた。
「なんだ、そのよくわからん理由は! 勇者一行の一人が風呂入れんだけで負けるって、ありえんだろう。大袈裟に言い過ぎだな。エルフが博識なのは認めるが……一般常識からはかけ離れておるの。というか、そんなお主だって、エルフ基準ではないか? そこのところどうなんだ? 頭でっかち博識エルフさんよ?」
「は、はぁ!? 何ですって? この髭モンジャラデリカシーゼロドワーフ!」
論破に次ぐ論破を浴びて、更に強く速くドンテツを揺らす。
「ぐっ、や、やめん――」
ドンテツが口を開いても、次の言葉を発することすら叶わない。
その立派な髭は、周囲に風を起こしカルファの髪を揺らす。
ドンテツ本人の意識も揺れているようで、目は白黒、徐々に顔が青くなり、気を失う寸前に見えた。
(はぁ……やっぱこうなったか……)
さっきまでの知的なお姫様感は、どこかに吹き飛んでいた。
このままでは、さすがのドンテツも色んな意味で危うい状況になると考えたトールが、二人の間に割って入った。
「こらこら、そんなアホくさい理由で喧嘩せんとって。どこの世界に風呂事情で揉める大人がおるねん。それよりや、人んち来たら、することがあるやろ? 手を洗うとか――」
あくまでも冷静にどちらの状況を把握して、しっかり言わないといけないことを言う。
これがトールの役目であり、性である。
「んもう〜! そんなのどうでもいいじゃん! それより外、外に行こうよ! 色んな食べ物の匂いがするよ?」
揉める大人たちにうんざりといった態度で、鼻をヒクヒクと動かすのは獣人族の王の娘、チィコ。
勇者パーティでの役割は、気を失いかけているドンテツと同じ前衛だ。
魔法は一切使用せず、その手に付けた鉤爪を獣人族特有の俊敏性と柔軟性を生かした戦いをする。
好きな物は、歯応えのある食べ物。
嫌いな物は、臭いがキツい物だ。
「せやな。その方が絶対ええわ!」
(チィコは、どこでも僕の癒しやわ〜!)
このパーティの癒し枠、いや勇者トールの癒し枠だったりする。
転移して、いきなり言い合いから始まるといった行く末が心配になる幕開けだが、勇者トールを含めた一行の瞳は輝き表情も明るかった。




