第三章
「もはやこれまでか。」
膝が、土に沈む。
血と泥にまみれた手が、力なく地面を掴む。
「王国の近くにこれほどの魔物が...なぜ...勇者部隊の報告と違う...。」
一月前、騎士団長レイシア率いる調査兵団がヴァルディア王国を出発した。
勇者帰還の一月後、ヴァルディア王は王国騎士団12名を先頭に、兵士、補給部隊と3名の学者からなる調査団を結成。総勢200名からなる遠征部隊を竜王山脈の西側調査に送った。
部隊が出発し一月、バーク村を超え森林地帯に入って三週間目の夜ことである。
「報告!」
月明かりの中、斥候部隊の一人が急いでレイシアのテントに駆けつける。
「10km先に多数の魔物発見!ゴブリンの群れと思われます!その数50体以上であります!こちらに向かって来ております!あと数時間でこちらとぶつかるかと思われます!」
「なに!?ゴブリンだと!?」
「了解した!全部隊に伝令!各自戦闘体制!寝ている兵どもを叩き起こせ!」
ゴブリン50匹程度ならこちらに被害は出ないだろう。
しかしなぜこんな夜中に。あいつらは夜は行動しないはずでは...
何にせよ、十分に対処可能だ。私一人でも何とかなる数だ...
迂闊であった。夜に、ましてや群れで行動していることにもっと考えを巡らすべきであった。
ヴァルディアに限らず、人間と魔物の戦いの歴史は数千年に及ぶ。ゆえに培って来た知識は豊富だ。
ゴブリンは魔物の中でも最弱。他の魔物の捕食対象である。ゆえにで群れで生活し、他の魔物の出る夜を避け、日中に行動する。
勇者一行は遠征の際多くの魔物を討伐して進み、それゆえ帰りは僅か半年だったという報告を受けていた。強い魔物の減少をもってゴブリンが夜に活動できている理由だと、レイシアは考えた。
斥候部隊5名は一人を除き帰って来ることはなかった。
「ゴブリン接近!総員武器を持て!」
レイシアの号令に「おう!」と応える部隊。
「???」
突っ込んでくるゴブリンの群れ。
手には武器を持たないものが多い。
通常は棍棒、人から奪った短剣や弓を装備するものが多い。
人間を見れば襲ってくるはずであった。
が、違った。
ゴブリンたちはこちらに目もくれず、悲鳴のような叫び声をあげながら走り抜けていく。
——逃げている。
「なんだなんだ!?」
兵士たちは戸惑いながら、走り去ろうとするゴブリンの背に斬りかかる。
「やばい。」
レイシアは身を震わせる。
「聞け!ゴブリンのあとに何か来るぞ!」
「ゴブリンに構うな!前方に集中しろ!」
しかしゴブリンの悲鳴や兵士たちの怒号、足音にかき消され届かない。
「団長!」そばにいる副団長が叫ぶ。
「警笛ー!」レイシア。
高い笛の音が夜の森をつんざく。
一斉に振り返る兵士たち。
兵士や補給部隊には勇者一行の遠征部隊にいた者も多く、統率がとれている。
戸惑いの表情が一転し、只事ではないと悟った。
レイシアの目に飛び込んできた大きな影。
「オークだ!総員備えよ!」
一呼吸置く。
「槍と弓を持て!」
「オーク出現!オーク出現!槍と弓!槍と弓!」
今思えばあの警笛も不味かったのかも知れない。
夜の森に響き渡り、他の魔物まで呼び寄せてしまった可能性がある。
しかし他に選択肢はなかったはずだ。
多くの兵士が前方に背を向けていた。
オークに対処するには前を向かせる必要があった。
斧や棍棒を持ち、人間の倍はある身長、300kgを超える巨漢のオーク。一体を兵士三人でやっと倒せる相手だ。
それが何体いたのか。
ゴブリンから人間に標的を変え、部隊になだれ込んできた。
しかし乱戦の中、兵士たちはよくやった。戦い慣れた者が多く、連携も見事であった。
陽の光。
深い森の木々の間から光が差す。
どうやら戦いは終わったようだ。
「人数を確認しろ!重症者に優先順位をつけてポーションを使え!亡くなった兵たちは後回しだ!」
レイシアが号令を飛ばす。
ざっと見てオークは20体。
オークが集団でゴブリンを狩るなど聞いたことがない。異常だ。
「みな良くやった!見事だ!」
「おぉーっ」と歓声が湧く。
疲れ果てた兵士に僅かだが気力が戻る。
騎士団12名は全員無事だ。
「騎士団は怪我人の治癒に当たれ!」
王国騎士団入団の条件に治癒魔法ヒールの習得がある。
重症者には対応できないが、軽度の怪我や骨のヒビ程度なら治癒できる。
対オーク戦、総員200名の内、死亡者10名、重症者30名。軽傷者多数。
暗闇の中だったことを考えると素晴らしい戦果だ。
また森の中だったこともあり、巨体のオークに動きずらい環境だった。
「補給部隊の中から2名、伝令を出せ。昨夜のゴブリンとオークについて国へ伝えるのだ。そして軍に救援を申し出ろ。」
レイシアは指令を出し、自らも怪我人の治癒に当たる。
引くか進むか...
帰るにも三週間の距離だ。
重症者を抱えてならひと月といったところか...
ここで救援を待つとするなら...
食料はまだ十分にある。
しかしオークの死体をこのままにはしておけない。死臭は他の魔物を引き付ける。
特にオークを捕食するヴェアウルフに見つかるとやっかいだ。やつらは夜行性で俊敏。統率の取れた戦い方をする...
「動けるものは集まれ!」
わずかな昼食をすませ、レイシアが号令を出す。
「亡くなった兵たちを埋めて弔え!国へ帰してやりたいが今は無理だ。その後オークたちを埋めよ。」
「余った者たちは出来るだけ木を切り倒せ!視界を確保し夜に備えるぞ!」
夜に備える、そのはずだった。
「ゴブリンだー!ゴブリンがいるぞー!!」
木を切り倒しに行った一人が叫ぶ。
昨夜のゴブリンが戻ってきたのか!?
新たに遭遇したのか!?
レイシアは騎士団に命令を出し、兵士を連れ散開させた。
「深追いはするな!殺さずとも怪我をさせれば良い!」
100体はいただろうか。
ゴブリンによる投石や弓矢による攻撃ががまばらに続き、状況が落ち着く頃には陽が落ちようとしていた。
魔物の襲撃から二日目の夜。
レイシアの心配した通り、ヴェアウルフがやって来た...
二日目、三日目と襲撃は続いた。
そして五日目。月明かりが森をところどころ照らしている。
昨夜、部隊はとうとう散り散りになってしまった。
補給部隊は全滅。
学者先生たち三人も行方がわからない。
魔物との戦闘は熾烈を極めた。
「団長、自分が囮になります。お逃げください!」
副団長と倒木の間に身を潜めている。
「いや、王国騎士団として最後の最後まで戦い抜くのだ!」
魔物同士が争う声が聞こえる。獲物を巡って、或いはもうほとんどやられてしまい、今度は魔物同士の争いが始まっているのか。
凄まじい爆発音。二人は倒木と共に吹き飛ばされる。
「ぐうぅ...。」
激しい痛みが走る。
巨大な足二本が目の先にある。見上げる。オークだ。こんな巨大なオークは見たことがない。
「もはやこれまでか...」
声にならない声を発するレイシア。
副団長はすぐ横に倒れている。
胸に手をやりペンダントを探す。
父にもらったペンダント。
「これは我が家に代々伝わるお守りだ。魔力が込められているという。持っておきなさい。お前も守ってくれるだろう。」
そう言って騎士団試験に合格した日に渡してくれた。
ペンダントの先には真っ赤な色をした宝石が付いていた。
レイシアは辛いことや心配ごとがあるといつもそのペンダントを握って心を落ち着けた。
レイシアの一族は代々騎士団員を輩出する家系であった。祖父は騎士団長、父も騎士団に入り、今は教官を務める。
幼くして剣の才能に恵まれ、また努力家であるレイシア。入団後はどんどんと出世し、初の女性として、また23歳の最年少で騎士団長を任せられる栄誉を受けていた。
「ない!」
ペンダントがない。
「ない!」
「ない!」
涙が出る。
「お父さん...ごめんなさい。お母さん...会いたいよ...。」
一呼吸置いて立ちあがろうとする。
王国騎士団として、剣士として。
最期の戦いだ。
オークを睨みつける。
せめて相打ちにする。
覚悟は出来た。
深く息を吸い込む。
と、目の前。オークの足元に赤く光るものが。
あった。
吹き飛ばされ、千切れたペンダントが。
「あ...。」
オークがその視線に気づく。
ニヤリ。
笑いやがった...
ペンダントを拾い上げたオークは、宝石を覗き込んだ。
何やらレイシアにとって重要な物だと理解したらしい。
「ゔぉ!ぶぉっぶぉっ!ぶぅおお!」
笑いながら握りしめる。
「やめろ!返せ!」
レイシアは地面に剣を刺し、もたれかかりながら立ち上がろうとする。
パキッ。
無情な音が聞こえた。
パキッ。パキッ。
——光。
次の瞬間、世界が白に塗り潰された。
「グアアアァァァ!」
オークの叫び声。
思わず腕で目を隠すアリシア。
かなり長い間光っていたように思える。
次第に光は弱くなり、レイシアが視力を取り戻す。
オークが地に膝をつき目を両手で覆っている。
「うおおおぉぉぉ!」
ありったけの力で飛び出すレイシア。
剣を振り下ろす。
地面に転がるオークの頭。
「はぁ、はぁ、はぁ...」
...。
それはこの戦場に最も似つかわしくないトーンだった。
「え。」
横を向くレイシア。
「え。」
思わずレイシアも同じトーンの声が出る。
人がいる。
——いや、違う。
装備も、武器も、何もない。
月明かりの下に立っていたのは——
全裸の男だった。




