求愛
「会話をして失望させませんでしたか?」
少し心配しながらミルフィが問うと、「まさか」とレオーネは破顔した。
「とても楽しかったよ。時間も忘れて話し込んできた。
ただ、モルモットが食べられなくなったという件に関しては、ちょっと申し訳なく思ったけれど」
「殿下のせいではありませんわ」
ミルフィは笑いながら首を振った。
「猫は普通、ネズミを食すものですもの。ミリィが本当の猫であったなら、きっと大喜びしていたでしょう」
そんな風に二人が楽しくお喋りをしていると、横から小さな咳払いが聞こえた。
そう言えばこの場にいるのは自分達だけではなかった。
ギムナ侯爵夫人が同席していらしたのだと思い出したミルフィは、恥ずかしさのあまり頬を押さえて叫び出したくなった。
甘酸っぱい会話のすべてを聞かれていただなんて、何だかもう、身の置き所がないほど居たたまれない。
レオーネも同じような気分であったらしく、ひどくバツが悪そうな顔で侯爵夫人の方を見た。
「あー……、伯母上」
何と釈明すればいいのか言葉を探しているレオーネを生温かい目で見つめ、ギムナ侯爵夫人はこほんとわざとらしく咳払いする。
「このままソファーのままでいようかとは思ったのですが、あまり甘ったるい空気を出されますと、私もいたたまれませんので」
「申し訳ない」
「申し訳ございません」
二人は言葉を揃えるように頭を下げ、それを見たギムナ侯爵夫人は我慢できなくなったように笑い出した。
「冗談ですわ。
若い方々は楽しそうでよろしいわと微笑ましく見つめておりましたの。
それに、殿下がこんなに楽しそうにされているのを見るのは久しぶりです。
いい出会いを見つけられたようで私も嬉しゅうございますわ」
侯爵夫人の言葉にミルフィとレオーネは目と目を見交わし、どちらともなく微笑んだ。
「寛いでおられるのは結構ですが、殿下はそろそろ宮殿にお帰りになった方がよろしいでしょう。
こちらに長居をして、万が一にもご不在が明らかになるとよろしくありませんから」
「まだ少ししか話ができていません。もう少しくらい構わないでしょう」
レオーネが不満そうに言い返すのへ、ギムナ侯爵夫人は「いいえ」と強い語調で答えた。
「私がお茶会にタウジ伯爵令嬢を招いた事はいずれ人の口の端に上る筈です。
その時、殿下がどこにおられたか、探る者が出てきては困るのです。早く宮殿にお帰りになり、宮廷の人間に姿を見せておくべきでしょう」
「そこまで警戒せずとも……」
レオーネは苦笑したが、ギムナ侯爵夫人は引き下がらなかった。
真っ直ぐにレオーネを見上げ、真剣な顔で口を開いた。
「殿下。レミリア公妃はすでに、タウジ伯爵令嬢排除に動いておりますよ」
侯爵夫人の言葉にレオーネは顔色を変えた。
「排除に動いている? 一体どういう事です」
「デュガン子爵、オルドー・フライルからレディ・ミルルフィーヌに縁談の申し込みがあったそうです。
理由はデビュタントボールで令嬢に一目ぼれしたからだとか……。
ただ、どう考えても時期的に辻褄が合いません。どなたかの思惑が働いたと考えるべきでしょう」
「……私が桟敷席で彼女に言葉を与えたからか」
レオーネは苦い顔で呟いた。
デュガン子爵という名前で、どうやらすべての事情を察したようだ。
「縁談については、タウジ伯爵がすでにお断りになったそうです。
けれど今後、レミリア公妃が圧力をかけてくる可能性は多分にあります。
その時は私が伯爵家の力になるつもりでいますが、これ以上公妃を刺激する訳には参りません。
ですから、殿下はどうぞお帰りを」
ギムナ侯爵夫人の言葉にレオーネは小さく頷き、ミルフィの方に向き直った。
「レディ・ミルルフィーヌ」
名を呼ばれたミルフィは、真っ直ぐにレオーネを見上げた。
「今日は会えて楽しかった。君がミリィだと気付いている事をどうしても伝えたくて、今日はギムナ侯爵夫人に機会を作ってもらったんだ。
捨て猫だと勝手に決めつけて、パークから誘拐してしまった事を許して欲しい。
無理やり王宮に連れ帰り、君もさぞ不安だっただろう。君のご両親や兄君に心痛を掛けた事も、本当に済まないと思っている」
レオーネは真摯に頭を下げ、「どうぞ謝らないで下さいませ」とミルフィは慌てて顔を上げさせた。
「殿下は事情をご存じなかったのです。
大体、猫に変態する獣人がいるだなんて、思いつけという方が無理な話ですわ。
それに、王宮ではとても良くしていただきました。私が快適に過ごせるよう常に気を配って下さり、辛い思いをした事は一度もありません」
本音を言えば、体中を洗われた事を思い出すと、今でも羞恥に神経が焼き切れそうになる。
けれど殿下は、あくまでも猫の体を洗ってくれただけだ。
親切からしてくれた事もわかっているし、どんな時もミルフィに優しかった。
時間があれば自分の相手をしてくれて、食事はいつも一緒だった。
激しい雷鳴が響いた夜はわざわざミルフィの様子を見に来てくれたし、その晩は恐がるミルフィを腕に抱いて眠ってくれた。
どの昼も夜も殿下は猫のミリィに優しく、その温もりに包まれてミルフィは確かに幸せだった。
「王宮を去る日は、殿下とお別れするのが寂しいと思いました。
家に帰ってからも何度となく殿下の事を思い出し、次にお会いできるのはいつだろうかとその日を待ち詫びました。
ミリィとしてお会いできるだけで十分だと思っておりましたが、思いがけず仮面舞踏会でお声を掛けていただいて、どんなに嬉しかったか言葉では言い表せません。
もしパークで拐われなかったら、私はこの喜びを知りませんでした。
だから、どうぞ謝らないで下さいませ。私は殿下と知り合う事ができて本当に幸せだと思っています」
やがてレオーネが席を立ち、ミルフィとギムナ侯爵夫人はレオーネを見送るために戸口へと移動する。
扉の前まで来た時、レオーネが不意に立ち止まった。
「レディ・ミルルフィーヌ。今日は君に渡したいものがあったんだ」
レオーネはジャケットの隠しに手を入れ、細長い小ぶりの箱を取り出した。
箱には黒い天鵞絨が張られていて、金の留め金で留められていた。
「こちらは?」
「この前、差し入れのお菓子をもらっただろう? そのお礼だ」
「……お礼をいただけるほどの品ではございませんでしたが」
ミルフィはちょっと困ったように微笑んだ。
あのお菓子は兄を応援してくれる方々のために用意した簡素なものだ。
なのにここまで豪華なものをいただくのは……とミルフィが逡巡していると、横からギムナ侯爵夫人が口を挟んだ。
「受け取って差し上げなさい。堅苦しく考える必要などないわ。殿方は理由をつけて好きな女性にプレゼントをしたがるものだから」
「伯母上!」
レオーネが焦って声を上げ、それを聞いたミルフィは思わず顔を赤くした。
「あら、違っていましたかしら。それは失礼を致しました」
「いや。別に違っている訳ではないが……」
レオーネは困り切った声で呟き、黒い小箱を両手で持ったまま、あてどなく視線を彷徨わせた。
その様子をギムナ侯爵夫人は笑みを含んだ眼差しで見つめ、それからミルフィへ視線を向ける。
受け取るようにと目で促され、ミルフィは勇気を出して一歩前に進み出た。
「殿下。殿下さえよろしければ、そのお品を頂戴致しとうございます」
レオーネがほっとしたように頬を緩め、差し出された天鵞絨張りの小箱を、ミルフィは押し頂くようにして受け取った。
「この場で開けてもよろしいでしょうか」
そう尋ねると、レオーネは「ああ」と頷く。
「君の好みに合えばいいのだが」
ミルフィは金の留め金を外し、天鵞絨張りの蓋をそっと開けた。
中に入っていたのは花の形を模した髪飾りだった。
中央部分には大小三つのエメラルドが飾られ、それを取り巻くように金細工でできた葉が配されている。
その周囲にはメレダイヤがちりばめられていて、華やかな中にも上品な落ち着きが感じられる仕上がりとなっていた。
「とても素敵な髪飾りですわ。このように高価なものを私がいただいて、本当によろしいのでしょうか」
「君を想って選んだ。どうか受け取って欲しい」
中央のエメラルドをミルフィはじっと見つめた。
青みがかった鮮やかな緑色は、まさにレオーネ殿下の瞳の色だった。
「美しいエメラルドですね」
囁くような声でミルフィは言った。
自分の色を纏った宝玉を女性に贈るという事の意味を殿下がご存じない訳がない。
何と言葉を返してよいかわからずにミルフィは黙り込み、レオーネもまた口を閉ざしたままだった。
瞳を伏せた白皙の面に柔らかな金髪が乱れかかっている。
長い睫毛が頬に影を落とし、引き結ばれた唇からは仄かな緊張が感じられた。
重い静寂が場を押し包み、息をするのも苦しいほどだ。
これ以上この空気には耐えられないとミルフィが思った時、レオーネが不意に面を上げた。
「レディ・ミルルフィーヌ。
私はこの先の人生を君と共に歩みたいと願っている。どうか気持ちを受け入れてもらえないか。
私は心から君を望むが、無理強いするつもりはない。
王族妃となるには重い責任と覚悟を伴う。
それが辛いと思うのであれば、私の言葉は忘れてくれて構わない」
ミルフィは喘ぐように肩を揺らし、手元の小箱に目を落とした。
自分の気持ちはわかっている。
恋する心は正直だ。会えれば天に舞い上がるほどに嬉しく、会えなければどうしようもなく寂しくなる。
苦しいほどレオーネに惹かれていて、この想いをごまかす事など不可能だった。
けれど、王族妃になるという事がどれほどの重みを伴うものなのか、ミルフィにはまだよくわかっていなかった。
焦がれるような恋しさと、避けては通れない現実との狭間で、ミルフィの気持ちは千々に乱れる。
ミルフィは握り締めた小箱を胸に抱いたまま、ゆっくりとレオーネの顔を仰いだ。
どれほどのこの恋を望んでも、生半可な気持ちで気持ちをお受けしてはいけないという事だけはわかっていた。
「両親に……相談してもよろしいでしょうか」
声を絞り出すようにそう答えたミルフィに、「勿論だ」とレオーネは優しく頷く。
「十分に考え、そしてもし、私の気持ちを受け入れてくれるのであれば、今度の建国祭でこの髪飾りをつけて来て欲しい」
建国祭までには凡そ半月の猶予がある。
即答ではなく、時間をもらえた事にミルフィはほっと肩の力を抜いた。
王族妃への道を選ぶにせよ、レオーネへの想いを断ち切るにせよ、ミルフィには時間が必要だった。
「畏まりました」
深々と頭を下げるミルフィに軽く頷き、レオーネはギムナ侯爵夫人に向き直った。
「伯母上。今日はありがとうございました。
このような機会を設けてくれ、本当に感謝しています」
「お礼には及びませんわ」とギムナ公爵夫人は笑った。
「王妃様から猫に変態する貴族令嬢がいるという事は聞いておりましたの。
私も一度会ってみたいと思っておりましたら、ちょうどいいタイミングで殿下がこのお話を下さったのです。
殿下がお帰りになった後、モフモフを堪能する気でおりますのでどうぞご心配なく」
え。もふもふを堪能する予定でいらっしゃるの?
求婚の余韻に浸っていたミルフィはびっくりして顔を上げた。
口を半開きにしたままギムナ侯爵夫人を振り向くと、侯爵夫人はものすごくいい笑顔をミルフィに向けてきた。
そう言えば、この応接間には不似合いな衝立が置かれていると、入っていた時から気になっていたのだ。
今思えば、ミルフィに獣化してもらう気満々で準備していたに違いない。
これは思う存分撫でられまくるパターンだと、ミルフィも覚悟を決める事にした。




