心配する家族と攫われたミルフィ
「何故帰って来ないんだ」
一方、ミルフィの両親と兄のイザークは、散歩からなかなか帰って来ないミルフィを案じて、コテージの周囲を落ち着きなくうろついていた。
久しぶりのパークだから少々羽目を外しているのかもしれないと、三人で軽食をつまみながらのんびりと待っていたのだが、十四時を回った辺りからだんだんと心配になってきた。
コテージにはミルフィが脱ぎ捨てた服がそのまま残っている。
「うっかり木に登って降りられなくなっているのかもしれない」
「それとも池に落ちたのかしら」
ミルフィが好奇心が旺盛で、かつ壊滅的に運動神経がない事を、家族三人はよく知っている。
「水辺には近付かないと思うけど、ヴェルなら何をしてもおかしくないな。
でもまあ、いざという時のために泳ぐ練習はさせている。
溺れてるのか泳いでいるのかわからないような泳ぎ方をするけど、一応泳げる訳だから落ちても大丈夫だ」
「もしかして、どっかの穴にハマっているんじゃないかな」
真剣な表情でそう言ったのは長男のイザークだ。
「穴……は考えた事がなかったな」
「でも確かにあり得るわ」
小さく首を振るタウジ伯爵に同意したのは、妻のメリージェン夫人である。
「あの子なら何があってもおかしくないもの。取り敢えず、皆で手分けして探しましょう」
という事で、タウジ夫妻と長男は広いパーク内を走り回る事になった。
ヴェルの名を呼びながら、というか、トラ姿で時々吠えながら、時々止まって耳を澄ませたが、「みゃおん」と答えてくれるミルフィはどこにもいない。
「警邏に報告すべきだろうか」
タウジ伯爵の言葉に夫人は重い吐息をついた。
「でも何て言うの? 猫が迷子になりましたって言っても、きっと相手にはされないわ」
「……」
トラのいるパークになんでわざわざ猫なんかを連れてきたんですか、と呆れられてそれでおしまいだ。
「いや、待って。多分、迷子や事故ではないと思う」
兄のイザークが顎に手を当てて呟いた。
「迷子や事故じゃないって……」
「ヴェルは攫われたんだと思う。ほら、あんなに真っ白でふわふわした可愛い猫だから、誰かが欲しいと思ってもおかしくない」
兄バカ丸出しの発言である。
けれどそれを聞いたメリージェン夫人は、それに輪をかけた親バカだった。
「……あり得るわ」
メリージェン夫人は拳を固く握りしめた。
「何て男なの! 可愛いからって誘拐するなんて貴族のする事じゃないでしょう!」
「いや、お前、男と決まった訳では……」
宥めるように言葉を挟む夫を、メリージェン夫人はきっと睨みつけた。
「いいえ、男に決まっているわ。女性ならミルフィのきれいな毛並みを見て、どこかで可愛がられている飼い猫だとすぐ気付くと思うもの」
それって男女差別じゃないの? と伯爵と長男は思ったが、口には出さなかった。
日頃温厚なメリージェン夫人だが、可愛い娘が行方不明になってかなり気が立っている。
ここで変に逆らったら、十倍返しをされそうだ。
「きっと女にもてない偏屈者よ。性根のねじ曲がった拗らせ男に違いないわ!」
何か喋っていないと、心配のあまり気が変になってしまいそうなのだろう。
メリージェン夫人は誘拐犯の事をぼろくそに言い、手を握り合わせてほろりと一滴の涙を零した。
「ああ……、ヴェル。可哀そうに。
きっと私達に助けを求めている筈よ!」
「へっくしょい」
その頃、王宮の絢爛たる一室で、レオーネ王子が盛大なくしゃみをしていた。
「ふっ。また誰かが私の噂をしているな」
端正な顔に憂いを刷いて、レオーネがそう呟く。
「全く、ここまでモテるのも困りものだ」
連日のように、貴族令嬢達から秋波を送られ続けているレオーネである。
舞踏会に出ればぎらぎらとした目で一挙一動を追われ、回廊を歩いているだけでキャーキャーと騒がれる。
そんな状況にレオーネは心底うんざりしていたが、それも仕方がないかと溜め息を吐いた。
何と言っても、自分は大層見目が良い。その上頭はよく、血筋はぴか一で金も持っていた。
欠点を探す方が難しい男だからな……などと独り言ちるレオーネは、まさか自分が、偏屈で性根のねじ曲がった拗男だと陰口を叩かれている事を幸いにも知らなかった。
猫を包んでいたジャケットを傍らの若い侍従に預け、レオーネは別の侍従が差しだしてきたお絞りで軽く手を拭いた。
余談ではあるが、そのレオーネの前の床には、両手両足を床に投げ出し、腹をべったりと絨毯につけているやさぐれた表情の白い猫がいた。
言わずとしれたミルフィである。
馬車の中で散々暴れたにも関わらず、ついにジャケットから抜け出す事ができず、そうこうする内に馬車は市街地を抜け、王宮の門を潜って、いつの間にか王子宮に運ばれていた。
「窓と扉を全部閉めてくれ」
ミルフィが逃げないよう、逃走経路をすべて閉じさせた後、レオーネはようやくミルフィをジャケットから解放してくれた。
腕の中から飛び降りたミルフィは、豪華な調度が並んでいる広々とした部屋を見て絶望した。どうやら自分が王宮に連れて来られたようだとわかったからだ。
部屋の中には三人の男がいた。
悪の根源のレオーネ王子の他に、侍従らしき男性が二人。一人は薄茶色の髪をした四、五十代の男性で、もう一人は銀縁眼鏡をかけた黒髪の若い男だった。
どちらも黒いお仕着せに身を包み、ぴしりと糊付けされた真っ白なシャツを身に着けている。
正面には広めにとられた窓があり、右手側には暖炉があった。
左側の壁に掛かっているのは帯剣してマントを羽織っている男性の肖像画だ。おそらくご先祖の誰かだろう。
調度類はすべて丁寧に使い込まれた年代物で、普段のミルフィなら、おおお! これはすごいと目を輝かせて探検を始めるところだが、今はそんな気力もない。
散々抵抗して疲れ切っていたため、とりあえず窓際まで歩いて行ってそこに座り込んだ。
足に触れる絨毯の触り心地が申し分ない。
希少だと言われる最高級のぺリル産のものではないだろうか。
「その猫は一体どうしたんです?」
そうレオーネに問いかけたのは若い方の侍従だ。
そしてふと、自分が渡されたジャケットに目を落とし、「うわあ、ジャケットが毛だらけだ」と嫌そうに呟いた。
私のせいじゃないし……と、ミルフィはぷいと顔を背けた。
ジャケットが毛塗れになったのは、そこにいる王子のせいだ。文句を言うならそっちに言ってよねと心の中で呟き、知らん顔で毛づくろいを始めてやった。
「服の中で散々暴れたからな」
そんなミルフィを、レオーネは可愛くて堪らないといった目で眺め下す。
そして手を拭き終わったお絞りを年配の侍従に返したのだが、その時に王子の手の甲に走るひっかき傷にその侍従が気付いたようだった。
「殿下。お手に傷が……」
慌てたような声に、ジャケットに着いた毛を払っていた若い侍従が弾かれたように顔を上げた。
「おい。お前、まさか殿下の肌に傷をつけたのか!」
怒気の混じる声で怒鳴られて、ミルフィはビクンと体を震わせ、脱兎の勢いでソファーの下に逃げ込んだ。
男の人の怒鳴り声は怖い。
箱入り娘のミルフィは、結構なビビりだった。
「ディール、その子を怒るな。私が無理やり抱いたからこの子も怖かったのだろう」
レオーネは絨毯に片膝をつき、ソファーの下を覗き込んできた。
伏せの姿勢で、みゅうぅと哀れっぽく鳴いているミルフィに、そっと手を差し出してくる。
「おいで。もう怖い事はさせないから」
「みゅ(本当)?」
ミルフィはしばらく躊躇っていたが、やがておそるおそる奥から這い出し、レオーネの人差し指にそっと前足を乗せてみた。
「うん。いい子だ」
渋々とミルフィが姿を現すと、レオーネはミルフィが怖がらないよう細心の注意を払いながら、両脇に手を入れて腕の中に抱きしめた。
「今日はバウアーパークに行かれていたと存じますが、その猫はどうしたのですか?」
改めて同じ問いをしてきたのは、年配の侍従だった。
ディールと呼ばれた男とお揃いのお仕着せだが、こちらの胸元には金色のバッジが光っている。
おそらく彼が王子宮の侍従長なのだろう。
「パークで拾ったんだ。どうやら野良猫らしい。いや、もしかすると捨てられたのかな」
聞き捨てならない言葉に、ミルフィはレオーネをぎっと睨んだ。
「みょおおん!(捨てられてないし!)」
が、ミルフィの抗議はスルーされた。
「こんな可愛い子なのに、よくも無情に捨てたものだ」
言われたミルフィは思わずそっぽを向いた。お前が言うなと心から言ってやりたかった。
王子の返答を聞いた侍従長が控えめに問いかける。
「バウアーパークに猫がいたのですか」
「ああ。私も見つけた時はびっくりした。
トラが闊歩するパーク内に迷い込むなんて、なんて間抜けな猫だろうと思った」
「みゅん(失礼な)!」
レオーネの胸の中でがりがりと服を引っ掻けば、「こら。暴れるんじゃない」とレオーネが笑いながら頭を撫でてきた。
「それにしても、真っ白で美しい猫ですね。毛並みも良いようですし、捨て猫ではなく、どこかの飼い猫なのではありませんか」
「みゃあ!(よくぞ言った)」
ミルフィは叫んだ。
自分は捨て猫じゃないぞ! とみゃあみゃあと鳴いてアピールしてみたのだが、「そんな訳がない」とレオーネが言下に否定する。
「本当に大事な猫なら首輪くらいしている筈だ。そう思うだろ?」
「……それもそうかもしれませんね」
納得するなとミルフィは心の中で呟いた。
首輪をしていない飼い猫だって、きっとどこかにいる筈だ。
その間にも、二人の会話は続いていく。
「パークの木陰で私が休んでいたらこの子が近付いてきたんだ。
どうやら私の事が気に入ったらしくてね。自分から膝の上に乗ってきたんだ」
その認識には間違いがあるぞ……とミルフィはレオーネの顔を見た。
膝に前足を乗せたのは事実だが、それを勝手に抱き上げて頬刷りしてきたのは王子である。
いろいろ話を聞くうちに可哀そうだなと思ったから黙って撫でられてやったけれど、まさかそのせいで攫われるようになるとは思わなかった。
「パークでこんな出会いがあるとは思ってもみなかった。もしかしたらこの子は運命の相手なのかもしれない」
うわ、ポエムだとミルフィは思った。
何だかものすごくロマンティックな言葉だが、それは完全に王子の勘違いである。
この男とミルフィの関係は、誘拐犯と被害者、その一言に尽きる。
断じて運命などではない。




