ミルフィの両親は娘の明日を憂う
ちょっと笑って、楽しんでいただけたら幸いです。
始まりは単なる好奇心だった。
パークを一人散策している時に、いけ好かない第二王子が一人で黄昏ているのを偶然見つけた十五歳のミルフィは、その理由が知りたくなってついつい傍に近付いてしまったのだ。
勿論、その王子に関わる気なんてこれっぽっちもなかった。
何と言ってもミルフィはどんくさい。その上、両親達と違って非力である。
それを知る両親は、猫姿でいる時は決して他の獣人に近付かないよう、口が酸っぱくなるほどミルフィに言い聞かせていて、ミルフィだってきちんとそれを守るつもりでいた。
けれど、何と言えばいいのだろう。
その日のパークは、両親からのそうした注意を忘れさせてしまうほど空気が気持ち良かった。
吹き抜ける風は深緑の息吹を感じさせ、風で揺れる池の水面は陽を受けてキラキラと輝いている。
広々とした芝生や美しく手入れされた沈床花壇、そしてその向こう側に見える瀟洒な東屋を見てしまうともう足が止まらなかった。
ミルフィは初夏の風に誘われるようにパークの奥へ奥へと足を踏み入れていき、そうして思いもかけない出会い……あるいは不運を引き寄せる事になってしまったのである。
後で思えば、ミルフィはすぐにその場で引き返すべきだった。
けれど当時は猫の好奇心の方が勝っていて、ミルフィは足を忍ばせて王子の方へ近付いていった。
挙句に、落ち葉だまりをうっかり踏み抜いて音を立てしまい、「誰だ!」と鋭い眼光で睨んできた王子とばっちり目が合ってしまった。
王子がミルフィの事を本物の猫だと勘違いしちゃったのは、まあ、仕方がない。
猫に変態する獣人がいるなんて、考えつけという方が無理な話であるからだ。
つまるところ、へまをしちゃったのはミルフィで、王子には何の責任もなかった。少なくともこの時点では。
一方、そこにいるのが猫だと信じきった王子は、「猫はいいよなあ。何にも考えてなさそうで」などと失礼な事を抜かし、そのまま猫を相手に他愛もない愚痴を言い始めた。
で、逃げるタイミングを失ったミルフィは、そのボヤキを延々と聞く羽目になってしまった。
でも、よくよく話を聞いてみると、それはお気の毒に……と思える事は多々あった。
なので適当に、「みゅ!」とか「みゃおおおお!?」と合いの手を入れながら王子の話を聞いていたのだが、どうやらそれがまずかったらしい。
王子はすっかり猫に心を許してしまい、気付いた時はミルフィを王宮に連れ帰る気満々になっていた。
「これからはずっと一緒にいようね。宝物のように大切にするよ」
王子のこの言葉を聞いたミルフィは冗談ではない! と目を剥いた。
ミルフィには帰る家があるし、愛玩動物として一生暮らす気なんてこれっぽっちもない。
瞬時に心を決めたミルフィは、王子の手を引っ掻いて相手を怯ませ、その隙にさっさと腕から逃げ出した。
私って何て罪作りな猫なの? などと、その時に余裕をかましていた事は認めよう。
そんな事をする前に、ミルフィはこの時、本気の本気で王子から逃げなければならなかったのだ。
ミルフィに逃げられた王子は、咄嗟に傍に置いていたジャケットをミルフィの方に投げてきて、上から降ってきた布に足を取られたミルフィは、もんどり打って倒れ込んだ。
そして引っ掛かった爪を外そうと格闘している間に、ジャケットごと王子にひょいと抱き上げられてしまったのである。
あっという間の捕獲劇だった。
「みやおおおおおおおおん!」
事ここに至って、ミルフィはパークのどこかにいる家族に向かって必死の助けを求めた。
けれど、ミルフィの渾身の叫びに呼応する声はなかった。
あまりにもミルフィが遠出をしてしまったため、ミルフィを案じる家族の許に声が届かなかったのだ。
「そんなに暴れたら、毛が抜けるよ。大人しくしてごらん」
いかにも優しそうな声がジャケット越しに掛けられたが、毛が抜ける心配をする前に私を放せ~! とミルフィはじたばたと暴れ回った。
あれほど危険な事をしてはいけないと言われていたのに、どうして好奇心を優先させちゃったんだろう。
ミルフィは心の底から反省した。反省はしたが、今更後悔したところですでに後の祭りである。
「うにゃおおおおおおおおおおおん!」
ミルフィの最後の雄叫びは、風が吹き抜ける木立の中に吸い込まれていく。
そして柔らかな静寂だけがそこに残された。
さて、ミルフィ達が暮らすここモルド国は、トラの獣人が統べる国として周囲の国々に知られている。
とはいっても、モルド国すべての国民がトラ獣人であるという訳ではなかった。
割合的に言えば、せいぜい数百から千人に一人いるかいないかといったところで、そのほとんどが王族か貴族だった。
ただ、王族や貴族に生まれついた子どもがすべて獣人であるのかと言われるとそんな事はない。
少ない確率で人族も生まれていて、反対に、人族の両親を持った平民の中にひょっこり獣人が生まれてくる事もあった。
獣人に生まれついた子どもの血筋を遡れば、必ずどこぞのご落胤に辿り着く。
貴族のお手付きとなった女性が市井で子を産み落とし、何世代か経った頃にいきなり先祖返りをして獣人が生まれるといった具合だ。
獣耳に小さな尻尾を持つ赤子が生まれた親は勿論びっくりするが、そういう例がある事はよく知られているため、不貞だなんだと騒がれる事はない。
獣人は運動能力に優れ、尊い血筋を引く証でもあるため、平民の間ではむしろ、儲けものといったスタンスで受け入れられた。
一方の貴族は、獣人であるという事が恩恵を受けて生きるための必須条件だった。
幸いにも兄とミルフィは獣耳と尻尾を持って生まれつき、タウジ伯爵夫妻はこれでこの子達の未来は安泰だとほっと胸を撫で下ろした。
が、生憎それでめでたしめでたしとはならなかった。
その後にとんでもない事実が発覚し、夫妻は人には言えぬ深刻な悩みを抱えるようになってしまったのである。
二人の子どもは確かに獣化できた。
兄のイザークの毛並みは黄色に黒い縞模様の入った一般的なトラのそれで、妹のミルフィの毛は雪のように真っ白い。
ホワイトタイガーならそれはそれで良かったのだが、生憎ミルフィはホワイトタイガーではなく、真っ白な猫ちゃんだった。
もう一度言う。トラではなく猫である。
獣人は五歳くらいまでは変態ができない。
それまでは人型の子どもに耳と尻尾がついたような状態で過ごし、ある日突然、本能に導かれるように変態を覚え、完全な人型や獣の形をとれるようになるのだ。
生まれたばかりのミルフィにも真っ白な耳と白い尾っぽがついていて、ああ、この子は母親と同じホワイトタイガーなんだなと、親族らは何の疑いもなくそう思っていた。
が、ミルフィは六歳を過ぎても変態できず、七つの誕生日を迎える頃にはのんびり屋の両親も少々焦り始めた。
「獣化に成功したら王宮に獣人だと申請できるけど、このままだと困った事になってしまうわね」
眠ったまま、時々耳をぴくぴく動かしている娘を愛おしそうに見つめながら、母のメリージェン夫人は小さく呟く。
獣人は変態できて初めて貴族と認められる。
獣化できなければ、人本来の姿になる事もできず、一生獣耳と尻尾をつけた中途半端な形で過ごさなければならなくなるのだ。
こういった獣人はモルド国で半端者と呼ばれていて、社交デビューなどは夢のまた夢、下手をすれば一生人目のある場所には出かけられなくなる事を意味していた。
「思いっきり驚かしたら、生存本能が高まって獣化すると聞いた事があるな」
顎に手を当ててううむと考え込むタウジ伯爵に、
「驚かせるのはいいけど、危ない事は嫌よ」と夫人が言う。
「耳と尻尾が生えたままだって、この子は私達の大切な娘だもの。怪我なんてさせたくないわ」
「勿論だとも。ただ驚かすだけだ。
イザークは獣化できるから、二階の窓から落っことしても上手に着地するが、この子は大怪我をしてしまうからな」
因みに獣化に成功した子どもは、二階の窓から飛び降りるという遊びをよくするようになる。
そこそこデンジャラスで、スリル満点なお遊びであるからだ。
親の前でわざと飛び降り、シュタッと着地を決めて自慢げに振り返る。
ある時、七つになったばかりの息子から、どや! という顔で振り向かれたタウジ伯爵は本能的な闘争心を刺激され、いきなりその場で素っ裸になると、イザークよりも優雅に音もなく地上に飛び降りてやった。
たまたまお茶を運んできた侍女はすっぽんぽんの主を見て悲鳴を上げ、伯爵は後に妻から散々叱られた。
高価なジャケットやズボンを脱いでから変態したのは正しい行為だが、所構わずすっぽんぽんになるのは是非とも止めてもらいたい。
まあ、それはともかくとして問題はミルフィだった。
「扉の裏に隠れていて、わっと驚かすのはどうかしら」
妻の言葉に、伯爵はちょっと考え込んだ。
「どうせやるならトラ姿の方が迫力あるんじゃないか?」
「それもそうね。
あと、幽霊を怖がっていたから、暗い部屋で変な泣き声を聞かせるのもいいかもしれないわ」
変態できない娘を何とか獣化させてやろうという深い親心だったが、やられたミルフィは堪ったものではない。
ある日、いつものように部屋に入った途端、トラ姿の父親に大きく吠えられて、七つのミルフィはおしっこをちびらせた。
黒歴史である。
その後、屋敷中に響き渡るような声でギャン泣きしたミルフィは、しばらくはお父様と口をきいてやらなかった。
お父様は地面にめり込むほど落ち込んだが、自業自得だと言えるだろう。
いつも優しい父親が何故あんないたずらを自分に仕掛けてきたのか、ミルフィはその理由について深く考えなかった。
そしてその間にも、我が子を獣化させるための二番目の計画は着々と進んでいた。
母親主導による幽霊騒動である。
その夜、真夜中にぐっすりと眠っていたミルフィは、いかにもおどろおどろしい泣き声にふと目を覚まし、全身の毛を逆立てた。
その途端、体の奥底から今まで感じた事のないような強い力が湧き上がってきて、気付けば「なおおおおおおおおおん」と大きな雄叫びを上げていたのだ。
「やったか!」
その瞬間を待ち望んでいた両親と兄の三人は、狂喜乱舞してミルフィの部屋に飛び込んだ。
明々と照らされた灯りの下、小さな白い獣が部屋の角で蹲って震えていた。
「あれ?」
三人は思わず目を疑った。
そこにいたのは、思っていたようなホワイトタイガーではなく、雪のように真っ白い毛をした一匹の子猫であったからだ。
「みゃああああああああああああん!」
母の姿を見つけたミルフィは、まろぶようにしてその胸の中に飛び込んだ。
母の本能で咄嗟に抱き止めたメリージェン夫人だったが、ホワイトタイガーと対面する予定だったため、咄嗟に気持ちの切り替えができない。
子猫を胸に抱き締めたまま、しばし呆然としていた。
「えっと、猫……?」
一方の父親も、何をどう考えていいのかわからない状態だった。
「猫に見えるが、私の目がおかしいんだろうか」
「猫ですね」と長男のイザーク。
「まあ、よくよく考えれば、トラはネコ科です」
「ふむ。見ようによっては、ちょっとトラっぽいかもしれん」
現実逃避をする父親に、イザークは冷静に突っ込んだ。
「いや、どう見ても猫ですけど」
非常に頼りになる長男であった。
一方の子猫はみゅうみゅうと母の胸に頭を擦り付け、呆然と固まっていたメリージェン夫人はようやく腕の中の子猫を見下ろした。
「ちょっとびっくりしたけど……、取り敢えず変態はできたわ」
喉の辺りをくすぐってやると、気持ち良かったのか子猫はゴロゴロと喉を鳴らした。
「これって世の中が平和だからですかね」
どこか遠い目でそう呟くのはイザークだ。
「獣人がトラに変態するのは、闘争本能によるものだという説を聞いた事があります。
ここ百年は近隣で戦も起こっていませんし、本能がトラになる必要はないって思ったのかも」
「まあ、今の時代、トラに変態しても大した役には立たないものね」
メリージェン夫人はすっかり気持ちを切り替えたようで、ミルフィの両脇に手を差し入れてぶらんと体を持ち上げてみた。
「愛くるしいおチビちゃんね」
「みゅ?」
イザークはやんちゃな子トラ姿でそれはそれで可愛かったが、子猫の愛くるしさはその上を行く。
鼻先にチュッとキスをしてやると、ミルフィは嬉しそうに「にゃおん」と鳴いた。
その後ミルフィは代わる代わる父と兄に抱かれ、思いっきりすりすりすりすりされた。
その後、人間に変態できる事もきちんと確かめられ、ようやく獣人としての第一歩を踏み出した。
その後、初めての変態に疲れ切った末娘が深い眠りに落ちた後、タウジ伯爵家では家族会議が開かれた。
猫に獣化した末っ子をどうするかという議題である。
「獣化できた者は王家に申告しないといけないが、猫であると真正直に言えば、この子の将来はどうなるんだろうか」
未だかつて、猫の獣人が生まれたという例は聞いた事がない。
可愛い娘が王立研究所の研究対象にされるなど真っ平だし、この事実を他の貴族達がどう受け止めるかも心配だった。
獣化ができない半端者として虐げられる。
では、トラではなく猫に変態したこの子は、周囲からどんな目で見られるようになってしまうのだろう。
「猫に変態した事は隠しましょう」とメリージェン夫人がきっぱりと宣言した。
「獣化できた事だけを王家に伝えればよろしいですわ。
実際、人型を取れるようになったのですから嘘ではありません。
貴族の娘に向かって、その場で獣化しろなんて言う失礼な貴族はいない訳ですし、隠し通そうと思えば十分それができる筈です」
お読み下さってありがとうございました。第二話は、夜にアップします。以降は、一日一回投稿していく予定ですので、よろしくお願い致します。




