いつもの日常 前編
11月になった。時が経つのは早いもので、式を挙げて新居へ引越してから1月少々、甘味処ホワイトシュガーを始めてから3週間が過ぎようとしている。
午前6時を回った頃──。
俺、ランニングを兼ねて出勤。裏口から店に入って階段を上り、2階更衣室に。更衣室と言っても、個人ロッカーがあるわけでもない。シャワールームが併設された単なる野郎専用(場合によっては女子も使用)の着替え部屋だ。そう広くもない。
「そろそろホットミルクとホットココアあたり、メニューに加えたいところだな」
軽くシャワーで汗を流し、洗いたてのワイシャツとスラックス、黒地のエプロンを通し、袖をまくり上げ、毛髪が入らないようダークブルーのバンダナで頭部を覆う。しかる後、鏡にてバンダナから髪の毛のはみ出をチェックし、全身のゴミの付着も隅々までチェックする。
食品加工現場において、衣服に付着する毛髪と繊維ゴミは天敵だ。こういう時ばかりはスキンヘッドが羨ましく思う。羽虫?改めて言うまでもなく敵だ。特攻してくるあたりG並みにたちが悪い。
ちなみに2階には更衣室の他、土足厳禁の台所を併設した休憩室がある。そして従業員用のトイレも魔石を用いた水洗式を採用、衛生面も徹底している。
1階の厨房に降り、壁にかかった金属バインダーに挟まった在庫表に目を通す。それには業務用冷蔵庫めいた巨大保管庫に入ったた在庫が数分狂いなく記されている。
この保管庫は、巨大な容器を2つ重ねた二重構造をしており、中にものを入れて2つの扉を閉めることで内部の保管容器に時間停止がかかる仕組みだ。説明が長くなるので詳細は割愛。
ここに入れておけば傷むことはないが、だからといって無計画にあれもこれも作って在庫として置いておくことはできない。保管できる空間は有限だ。入りきらない分をフラワリングポーチに入れてしまうと、そこに保管された大量の海産物と混ざり、意識して引っ張り出すのに苦労する。それと、ポーチの存在そのものを秘匿したいという思惑もあるからな。
保管庫増設も考えたが、ようやっと冷蔵庫の目処が立った為、一旦現状維持。完成すれば誰でも冷やす工程ができるようになる為、選択肢が一気に広がる。それに、一般家庭に普及することが叶えば、ケーキ等の生菓子の持ち帰りも解禁できる。
……まあ、まずは試作品を仕上げてからだ。今のままでは皮算用に過ぎないし。
在庫確認後は客足の大まかな予測を立て、それに基づいて大雑把なプランを立てなければならない。
例えば、7日に一度の一般的な休日の場合は客足は増える。と、いうより意図的に集中させている。薄利多売を狙い、会計時に10%引きに定めたのだから必然と言えば必然だ。
平日は持ち帰りの焼き菓子に偏る傾向にある。日々積み重なっていく過去のデータから推測し、最適な行動をとらなければならない。
何せ、作るのは俺一人。客足が増える休日に向けて、少しずつ作り置きを過剰にならないように調整を繰り返しながらまんべんなく増やす。無論脳みそは勤務時間中7割がフル回転だ。
客足はその日の天候でも変化する。例えば雨の日の場合、雨足の程度にもよるが降っているというだけで外に出たくはなくなる。必然、客足も伸びなければ売上も伸びない。外食産業と天気は切って離せない関係にある。
雨は恵みの雨だ。いくら周りが異常収穫できるチート農地だからといって、土から水分がなくなってしまえば作物は育ちようがない。度が過ぎないならば歓迎すべき天候だ。表向きにはユーディの[天候操作]は雨を降らせるだけとなっているし……ね。
「さて、今日は……どう攻めるか」
ちなみに今日のユーディの予測では曇りのち晴れだそうだ。主戦場たる休日を明後日に控え、どう動くべきか。判断に苦しむ。
「急ぎ補充はシフォンだな……」
最近の傾向ではシフォンケーキが人気だ。最安価故に、とにかく回転率が高い。それと利益率も。
開店当初は季節的に栗を仕入れてモンブランをまず加えようかとも思っていたが、現状を鑑みる限り、それよりは茶葉の仕入れを増やし、紅茶シフォンや抹茶シフォン、生地にフルーツを混ぜたフルーツシフォンといった具合で幅を広げるのが合理的だと言える。
……その辺の開発は、ぼちぼちやっていこう。ベースは出来ているわけだし。場合によってはメニューの人気投票を行い、不人気のケーキと新商品のケーキの入れ替えも視野に入れなければならないだろう。
「シフォン増産確定として、後は焼き菓子を……倍焼くか。合間にキャンディーか」
どうも最近、行商人らの草の根宣伝が各地で行われているらしく、持ち帰りの焼き菓子と日持ちする飴が人気だ。焼き菓子も飴も、現状の生産量のまま明後日の休日を迎えるのは少々シビアだ。
「なるようになる、じゃあいけないんだよな。そういう状況にならないように、前もって最善を尽くさにゃならん」
在庫表を壁に掛け、左手薬指の指輪を外し、あらかじめ用意した細いオリハルコンチェーンに通してネックレスのように付け、留め具を時間停止して万が一にも外れないようにしておく。
本音は外したくはないが、お客さんに指輪入りケーキを出すような事態は起きてはならない。そこで超硬度のオリハルコンチェーンを用意するに至った。無論チェーンは毎日消毒している。これを表に出ないよう服の内側にしまい込み、しかる後、石鹸とブラシで指の間、爪の間まで念入りに手を洗い。
「やるか」
予定通り、シフォンケーキの仕込みを始めた。
午前8時──。
ユーディがバスケットに朝食を入れて裏口からやってくる。
「ナナにぃ、朝ごはん!」
「待ってました!!」
ほぼ時間通りにやってくるので、それに合わせて段取りを調整しておくのが常だ。
エプロンを脱いで、二人で休憩室に上がる。
テーブルの上にはグラスに注がれたキンキンに冷えた水と、バスケットに詰められたサンドイッチ。
「「いただきますっ」」
開店以後、俺は仕込みのため朝食を作る時間が取れなくなった。結果、朝食作りがユーディの分担となった。その腕前は日々上達している。ここで2人向かい合って朝食を取るのが定休日以外の日課だ。
俺とユーディは目覚めると、まずおはようのキスをして、ユーディのブラッシングをして、いってきますのキスをしてから先に向かう。その間ユーディは家の厨房で朝食の仕込みをし、俺達以外の分を食堂に用意。それから朝食を入れたバスケットを手に仕事場へ。
で、およそ今くらいの時間に、ジーク・グレン・リラ・フィエルザが目覚めるのだ。
「はい、あーん」
「あーん」
こう、2人で朝食も悪くはないが、家族揃って朝食を摂りたいとも思うわけで……。や、定休日は揃って食べてはいるんだけどね……。厨房の手が欲しいと思う次第。
午前9時──。
食後の小休止の後に準備を再開。
俺は厨房で焼いて混ぜて切って。
ユーディはリラお手製の空色エプロンドレスに着替え、ホールに明かりを浮かべて準備を整える。
と、このあたりでリレーラが裏口から出勤。
「おはよー」
「おう、おはようさん。いつもどおりちゃんと洗ったらユーディと掃除な」
「はーい」
リレーラは返事の後、裏口横の階段を登って更衣室へと向かった。
リレーラが泊まる宿には言うまでもなく風呂がない。食品に関わり、かつ接客もするならば、身だしなみを整えることも仕事のうちだ。故に着替え前のシャワーは強制だ。拒否権はない。
開店前、最大の問題は人員確保だった。いくらなんでも、俺とユーディだけで現場を回せるほど甘くはない。屋台の行列を見れば一目瞭然だった。致命的に戦力が足りない。能力云々よりも最低限、会計をネコババしない信頼できる人物が望ましかった。
こうなると、俺の得たくもなかった英雄の名声が本格的に邪魔になってくる。色んな奴が繋がりや財産を得ようと擦り寄ってくるからだ。なもんだからパチ屋の換金所勤めの求人のように表立って公募は出来なかった。
一夜戦争以前から個人的にも取引をし、良好な関係を築いているエルモッド商会に手が空いている信頼できる人物はいないかと聞いてみたが、そんな都合のいい人材はいなかった。「むしろウチに欲しいくらいだ」と零していた。要は何処も人材不足なのだ。
頭を悩ませているところで、ハンター廃業してそこそこ経つ日雇い仕事上がりのリレーラとバッタリ遭遇。雇用条件を提示したら二つ返事で承諾となり、今に至る。
日雇い外壁修復の工事はさすがに彼女には荷が重すぎだ。5ヵ年計画だしな、あれ……。
もしあの時拾わなければ、1年後には筋肉が恋人とガチで言いかねない労働筋に身を包んだガチムチマッチョレディに劇的ビフォーアフターだったのはほぼ間違いない。それだけあの現場は過酷だ。その分給金は多く、現状、頭を使わない単純な肉体労働では最も多く給金を得られる仕事だろう。。
午前11時──。
掃除後、軽いミーティングを行い開店。
まずご来店の第一波。持ち帰りでクッキーを買い求めるクッキー狂いのリピーター。屋台の頃からの常連の面々が大半で、昼食後につまんだり、仕事場で同僚や恋人、あるいは夫婦でつまむ為。そして、昼飯のために購入する少数派も。俺としては、昼食替わりはやめてほしく思う訳ですよ。そんな食生活続けてたら、メタボと糖尿病の黄金体験に至ってしまう……。
勿論、再三警告はしている。売上が伸びるのは歓迎すべき事だが、お客さんを早死させたいなどとは微塵も思っていない。何事もほどほどに、だ。固定客の消失=利益の減少だからな。
午前12時──。
ぽつぽつとイートインのお客さんが入ってくる。
この時間のお客さんはケーキと紅茶のセットで頼む方が多い。もちろん生クリームをふんだんに使ったショートケーキやミルクレープ、抹茶ショート等だ。やはり昼飯代わりに、という人が多い。客層的には商会勤めの男女とか……。
2階で賄いの用意をしつつ、3食まともな食事をとってくれと願うばかりだ。
午後1時──。
賄い目当てでジーク・グレンがやってくる。
彼らの食後、洗濯物を干し終えたリラが頭にフィエルザを載せて、さらに向かいの雑貨屋のクリナが頭にクマのぬいぐるみのサダルを載せてやってくる。
今日の場合、俺・ユーディ・リレーラが食事中に、リラ&フィエルザ・クリナ&サダルがホールに出る形になる。
店をまともに回しつつ、それでいて昼休憩を十分に取るには、手伝いに来るリラとフィエルザだけでは手が足らなかった。
フィエルザはミニサイズから俺らと同程度の大きさになることができるが、いかんせんコストパフォーマンスが悪い。長らく省エネモードの小人化状態と竜状態で生活していたため、不慣れな人型状態では体型維持の消費コスト……魔力とかカロリーとかが高くつく。
加えて、持続時間が短い。その短さなんと1日につき2時間。故に止むを得ない事態以外に昼間は人型状態にはならないと決めている。慣れれば持続時間は伸びるらしく、眠りにつく前に人型状態となりリラのベッドで一緒に寝ているという話だが……2時間以上安定して持つまでいつになることやら……。
で、そんなことを向かいに立つ雑貨屋の親父さんにボヤいたら、クリナとサダルを寄越してくれたわけだ。平日は昼時のみ、休日は昼時から夕方までだが、非常に大きな助けとなっている。
リラがクリナのために作製した制服は鮮やかなライムグリーンのエプロンドレス。可愛らしく仕上がっており、更衣室の鏡を前で上機嫌でくるくると回っていたとサダルが言っていた。
や、もちろんちゃんと皆に給料払っていますよ?ただ働きなんてさせませんよ?
午後2時──。
俺、頭の上にサダルを載せてひたすらクッキーをオーブンで焼く。
焼きあがるまでの間に生クリームをせっせと仕込む。時間を無駄にはしない。現在リラ・フィエルザ・クリナが2階で昼休憩中だ。
「サダルよう、お前、クリナはいいのか?」
「流石にガールズトークには入れないよ」
ああ、そりゃあ男には肩身が狭いな……。
「……まあ、いいけどさ」
なんのかんのでフィエルザが我が家に身を置くことになり、ごく自然に、あたり前であるかのようにクリナの友達になった。……彼女にとって、同じ長い時間を共有できる希少な友だ。
「しかし、最初見た時から思ってたんだが、お前ホントなんなんだ?」
「この前言ったとおりだよ。クリナに命を吹き込まれたただのぬいぐるみ。それじゃあ答えに足りない?」
「たりねーからこうしてまた問うているのだよワトソン君」
動力に魔石を組み込んでいるわけでもなく、神経が走っているわけでもなく、中身はただの綿のみ。ある意味最もファンタジーな存在なのだ、このクマーは。
「ワトソンじゃないよ……。っていうか、わかってる?君、現状を傍から見たら、君が最も嫌うハーレムのそれだよ?」
「そんなん言われなくてもわかっとるわ!俺だってな、できれば男の従業員が欲しいんだよ!男の友情的な、そういう語らいができる同僚が欲しいんだよ!だってのにどいつもこいつも下心しかありゃしない!……ジークとグレンに精鋭兵団やめてこっちこいとか勧めた俺が言えるわけもないしさ。リラ達に対して下心がなくても、俺相手にあるようなホモだったら困るしさ……」
「あー……なんか多いよね、ホモ。普通と違う特有の空気を纏っている男がなんか多い」
元魔王のアルガードスがホモビーストだったからなぁ……。はべらせてた鞘に釣られて太刀が寄って来て、そのまま居着いた感がある。
「彼らの存在自体を否定はしないが、ケツの穴掘られるのはゴメンだ」
「そりゃ僕も同じだよ」
「お前穴ないだろ?」
「……僕、布と綿だからね。最悪、荒っぽい方法で───」
「怖いこと言うなし」
あーくそ、腕疲れる。やっぱハンドミキサー作らんとダメだわ。肩にクる……。このままではどこぞの水ポケ○ンの進化系のように片腕ばっかりでっかくなっちまう。
「……リレーラに対しての下心ならいいんだけどな。リラはあかんやろ。ガチロリやん」
「ああ、それはだめだね……」
下手すりゃ相手が物理的に死ぬ。最強──いや、最凶幼女だしな。
「大体、下心ありきでこられても長続きしないだろう?クソ忙しい中教えるのも大変なんだ。技術を浅く身につけてドロンされちゃあ教える側としちゃかなわんわけ。迷惑にしかなってないからな。ってわけでサダル丸、でっかくなってうちに就職しねぇ?」
ちょっと真面目に本気で思っている俺が居る。あのウェディングケーキの影の立役者だってことは知っているし、実際話も合う。知識は十分、コミュ力も十分、優良物件だと思うわけよ。
「そんな無茶な。……まあ、この仕事に興味がないわけじゃないよ。この体じゃなかったら、一緒にここに立つのも吝かじゃない」
現状じゃ、取らぬ狸の何とやら、か。
お読み頂きありがとうございました。前後編につき、後半は火曜日0時に投下します。




