7
オルドヴァの王都。
重厚な石造りの邸宅に灯された燭台の炎が夜に浮かぶ。
その四階の一室——絹の寝巻をまとったレイモンドは、何かに気づいたように窓の方へと視線を向けた。
窓の外、カーテンがわずかに揺れる。
次の瞬間――
月光を背に、誰かが美しい身のこなしで、音もなく窓枠に立っていた。
金髪。漆黒の軍服。冷たい瞳。
「……シオン王子? まさか、この部屋は四階だぞ?」
信じられないものを見たように、レイモンドの表情が強ばる。
だがすぐに、不敵な笑みを浮かべた。
「ようこそ我が家へ。まさか、わざわざ魔獣にされたくて自ら来たとでも?」
その挑発に、シオンは答えない。ただ、まっすぐレイモンドの瞳を見つめた。
「ふふふ。目を合わせたな。お前はもう終わりだ」
レイモンドがゆっくりと近づき、シオンの前に立つ。
彼は目を見て心を操る力を持っていた。相手の本音や欲望を見抜き、即時にそれを増幅させて支配する、恐るべき能力。
誰も、それに抗うことはできなかった。今までは。
(この王子も……俺に逆らえなくなる。この美しい肉体が魔獣化するのか。考えただけで、ぞくぞくするな)
勝利を確信したように、レイモンドはシオンの瞳をのぞき込む。
そして、ほんの一瞬、視界が歪んだ。
「――っ……」
次の瞬間、膝が崩れた。
頭の中に、異物が入り込む感覚。
逆だ。
相手を操るはずが、自分が何かに取り込まれている。
「な……にを、した……?」
苦しげに顔を歪めるレイモンド。目が見開かれ、虚ろになっていく。
「お前は、王族をなめすぎだ」
シオンの声は冷たく、地の底から響くようだった。
「お前の能力など、僕には効かない。お前はもう僕に支配されている」
「や……め……」
「さあ、しゃべってもらおうか。今まで何をしてきたのか、誰に、どれだけの罪を重ねたのか。全部、口にしてみろ。まず、お前はどういう能力を持っているんだ? 魔力の量は少ないと聞いていたが」
するとレイモンドの口が勝手に開いた。
意思と関係なく、ぽつりぽつりと告白が始まる。
「僕は……人の心の奥にある……本音や欲望を……探り出し、増幅する能力を持っている。本音や欲望を……増幅する魔法だ……その魔法を受けると……その者の心の中は……巨大な本音や欲望に……乗っ取られる……」
「もう少し具体的に話せ」
「……相手の“欲望”を……その者が持つ魔力に干渉させて……僕の魔力で刺激すれば……相手の“欲望”を無限に増幅させることができるんだ……。そうなると……その人間は、増幅した“欲望”に……操られる。……相手の魔力を使うから……僕の魔力はあまりいらないんだ……」
「エリザベスはどういう欲望を持っていた?」
「……このまま……王子の婚約者として……真面目に生きていくのは……つまらない。……もっと自由になりたい……平民の男と……刺激的な恋を……してみたい、……という思いだ。
エリザベスは…魔力量が多かった……だから…“欲望”を……増幅させるための魔力を……ふんだんに使えた……恐ろしいほどの……“欲望”に育った……」
「なるほどな……貴様が貴族学園に入った理由は?」
「……貴族しか……魔力を持たないから……貴族学園は……実験体を…見つけやすい……俺に恋をさせれば……簡単にくっついてくる」
「なぜ他国から連れて行った? 自分の国の人間を使えばいいだろう」
「……自国の民は……足がつきやすい……外国から…連れて来た方が…簡単だった……それに……この国で探している血があるんだ」
「どうやって魔獣化させるのか?」
「……本能を……極限まで…増幅させて……獣のように…なった段階で……僕の開発した薬を……飲ませる」
「誰を魔獣に変えた?」
「……エリザベス……アイリーン……他にも……誰だったか……」
「魔獣になったエリザベスやアイリーンは、僕やカイルのところに来たぞ? どうしてだ」
「魔獣化したことで……肥大化した欲望が……収まって……別の“欲望”が……育ったようだ……それで……帰りたがって……暴れるから……手に負えなくなって……国境沿いの森に…捨ててきた……」
「後ろ盾はいるのか? 平民が一人でできるとは思えない」
「……第3王子……が資金源だ。彼は……魔獣を…家で飼うのが……好きなんだ」
すべてが吐き出されたあと、沈黙が落ちた。
「人の持つ欲望を増幅させて、操る方法は理解した。お前の欲望は“人間を魔獣にしたい”というものだな。僕がその欲望を増幅させてやろう。少し捻りを加えてな」
シオンの瞳孔が開いた。レイモンドに顔を寄せ、その瞳を更に強く捕らえた。レイモンドの身体がビクリと震えた。
「――お前はオルドヴァ第3王子を魔獣にしたくなる。第3王子が魔獣になった姿を見たくてたまらなくなるんだ。その欲望は耐え難いほどに増大していく。
第3王子を魔獣にできたら、お前は第3王子をミルヴァーンとの国境で捨てろ。ここまでわかったか?」
「……はい……」
レイモンドが感情なくこくりと頷いた。
「よし。それが完了したら、お前もその薬を飲むんだ。お前は自分が魔獣になった姿を見たくてたまらなくなるからだ。わかったな?」
「はい……」
シオンが身体を離すと、レイモンドの体が、その場に崩れ落ちた。
その様子を見届けたあと、シオンは窓へと戻る。
「さようなら、レイモンド。今度は我が国で会おう。その時は魔獣の姿をしたお前と再会だな」
そして、月明かりの下へ――
白い影が、音もなく、夜の街へと消えた。




