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投稿遅れてすみません!
そして新年あけましておめでとうございます!
書類を眺める時、人は険しい顔をする。異世界でもそれは同じことだ。
異世界の帝国貴族ズリエルは今日も自分のデスクで山のように積まれた書類に険しい表情をぶつけている。その内容は税収報告から領内の陳情、王国の調査報告書など様々である。さらにはそこに繋がりのある貴族達からの知らせが届くこともあり、気が休まる暇がない。
流石に疲れたなと目元を押さえ首を鳴らしていると、コンコンというノック音が部屋に響く。
「ん、入れ」
丁度よく気晴らしにもなるなと、すぐに返事をし立ち上がる。
扉を開き入室したのは少し大きな鞄を携えたグリフィスだ。仕事を頼んだ時と変わらぬ装備を見る限り、今回の仕事はそこまで厄介なものではなかったようだ。
「思ったよりも早かったな、グリフィス」
「あぁ、頼まれていた仕事は片付いたよ」
「それでどうだった、例の城は。その様子から見るに大したことはなかったようだが……。ふむ、やはり王国の仕業だったか。どうせ奴らからはした金を掴まされて偽の情報を……」
「……直接話してみればいいさ」
「何?」
グリフィスは掴んでいた鞄を床に置き、開く。そこから零れだすのは何百種類もの生きた虫達。蟻に蜂に蠅……。それに混じって深緑色のローブも。
ズリエルはいったい何をと思ったが、その疑問はすぐに消し飛ぶ。
虫達は互いを食い散らかすことなく、集まる。偶然そう見えたとか、そういう話ではない。その様子はさながら磁気を帯びた砂鉄だ。
その蠢く黒の塊は深緑のローブと共にせり上がり、人型へと変化する。もちろん人型に変わったと言っても、その構成物は何も変わってはいない。
ズリエルの目に映るのは深緑のローブを纏った虫の化け物。ズブズブと体表で流動する無数の虫達がその異常性を極限まで主張している。
「き、貴様! 化け物と手を組みワシを……!」
「待て、落ち着け! 誤解だ、そんなことして何になる!」
ズリエルは彼の言い分も聞かず、明確な敵意を向ける。
「黙れ! タダでやられると思うな!」
立ち上がり、懐から菜箸ほどの長さの杖を取り出し構える。
ズリエルは優秀な文官ではあるが、武人ではない。ましてやウィザードとしての実力も半端なものであり、幾度も怪物や盗賊を退治してきたグリフィスに闘いで勝てるわけがない。
自身でも無駄な抵抗とはわかっているが、彼にはこれくらいしか対抗する術がなかった。
「まったく……! お、おい、早く挨拶してやってくれ!」
グリフィスがそう言うと、黒の化け物が彼との距離を詰める。ブンという羽音とカサカサという音が何重にも重なり、聞く者を震え上がらせる。
「ひっ……!」
自分の一メートル先に、化け物がいる。
目もなく口もなく鼻もなく。怒っているのか笑っているのか、悲しんでいるのかもわからない。
盗賊やドラゴンと相対した時とは明らかに違う恐怖の味。未知の相手でありながら本能が懸命に訴えるその恐怖が彼の体を硬直させた。
杖を振り呪文を唱えなければ殺される。いや、唱えたところで無理だ。最早体が諦めてしまっているのだろう、力の抜けた手からポトリと杖が落ちる。
それにより生じたカンという音を合図に、落ち着いた男の声が部屋に響いた。
「ズリエル様、初めまして。まおう軍総務部のバアドンと申します」
「……は?」
自分の目の前で腰を四十五度折り曲げて深々と頭を下げる化け物。その姿にズリエルはおよそ十数年ぶりの、あまりにも間の抜けた表情を見せた。
「手ぶらでは失礼かと思いまして、こちら焼き菓子をお持ちしました。よろしければお城の皆様でお召し上がりください」
そう言うとバアドンは箱を差し出した。綺麗に包装されており、上面にはデフォルメ化された(同時にかなり若作りにされた)可愛げのあるまおうのイラストと共に『まおう印クッキー』と書かれている。
このクッキー、本来はゲーム内でイベント用に出すアイテムであったのだが、今回は贈答用として生産し持ち出してきた。
実際ズリエルほどの貴族であればクッキー等の焼き菓子は食べ慣れたものであり、貰って困るものではない。豪華に過ぎず、かと言って好みが分かれるものでなく初対面の相手に渡す菓子折りとしては最適解を引いたと言えるだろう。
ただその渡し方に問題があった。とは言っても社会人のマナーとか礼儀とかそういう話ではない。
バアドンと菓子箱はスペースの限られた鞄内で共に窮屈に詰められたせいもあり、自然と一体化してしまっていた。加えて中のクッキーが運ぶ途中で少しでも割れるのを防ぐため、彼はなるべく自分の体を箱の表面に纏わせて自信をクッション材として使っていた。
そしてそのまま彼は鞄の中から出てきた。
つまり彼は今『体の中』から菓子折りを出したのだ。幾多もの虫で構成された彼の体から、ズブズブと蠢く虫達が纏わりついた状態の菓子箱がズリエルの前に差し出されたのだ。
「ひぃ!」
それは思わず悲鳴を出すほどの嫌悪感であった。
「あっ! す、すみません、気持ち悪かったですよね! でも包装はしっかりしてありますので中身は大丈夫だと……」
「あ、いやこちらこそ失礼した……。あ、ありがたくいただこう……」
丁寧な言葉遣いを受け、困惑しながらも自然と言葉が柔らかくなる。彼が恐る恐る箱を受け取ると、絡んでいた虫達が引き潮のように引っ込み彼の体に納まる。
その様子を見て「なるほど、そういう動きをするのか」とグリフィスは感心するが、ズリエルにはそんな余裕はない。
どう見ても怪物以外の何者でもない者から、贈り物を受け取った事実。その贈り物も可愛らしい装飾が施されたお菓子であるという事実。
そして少し話しただけでわかるほどの、見た目からは想像がつかない謙虚さと誠実さ。彼は一体なんなのだ。
人語が話せるとかいう段階ではなく、明らかに人と話し慣れている。なのに、こういった『異常な人物』の話は今まで聞いたこともない。
「グリフィス」
「なんだ」
「彼はその、あの……。ええい! なんなんだ、彼は!」
「あ、あの私はまおう軍総務部の管理AIでして……」
「違う! いや、そこもわからないがもっと根本的な問題だ! 人なのか亜人なのか。その、怪物なのか……」
「……やはりそうなるか。少し長くなるぞ」
またもや始まる状況説明。
幸いにも今回はグリフィスの時よりも説明する時間は短かくすんだ。貴族として育ったせいもあるのだろう、複雑な話を理解する下地はできていた。
まぁ今回においては貴族としての経験よりも、幼き頃に読んだ物語達が理解の助けになったのだが。
「なるほど、つまり貴方方は本来存在しえない架空の存在でしたが、何故か自分達の城ごと実体化し何処ともわからぬ土地に飛ばされた。……そう言うんですな」
「はい、そうですね」
「そして現地住民と友好関係を築くためにグリフィスを通して私に会いに来た、と……」
状況は理解できた。できたが、これほどまでに前例がなく、かつ突飛な事態は初めてだ。
自然と右手が額に着き、溜息が押し出される。
「……グリフィス、ちなみになんだが他にも転移してきた人物がいたそうだが、何故彼を連れてきた。もっとこう、鞄に詰め込まずに城に入れる人をだな……」
「まぁ確かに鞄に入れずとも怪しまれない人物を連れてきたかったが……。外見こそ俺達とかなり違うが性格はあの中では一番お前との会話ができそうだったからな。それに一目でこの事態の異常性がわかるだろ」
「……そうか」
せめてもう少し親しみを感じる造形の四天王を連れてきた方が良かったのではないか。
そう考えるズリエルの気持ちはわかるのだが、あの場において外見だけで決めるのは悪手だった。明らかに三枚目役が過ぎるアゼルでは話がこじれる可能性が高く、エブリスにも不安が残る。
そうなればマエサルかバアドンの二択であるのだが、マエサルの容姿ではあまりに人に近すぎて今回の話の信憑性が薄まるのではないかとグリフィスは判断したのだ。
明らかに見たことのない容姿であるバアドンならば、彼らが異世界から転移してきたという信じがたい話にも現実味が増すのではないか。そう考えた。
事実、目の前のズリエルは今回の話を疑うことなく真剣に受け止め考えている。
バアドンを選んだのが正解だった、とは言えないが間違いではなかったと言えるだろう。
「……グリフィス」
「なんだ」
「この案件、正直このままではワシにも手を負えん」
半ば投げやりに、まるで溜まったストレスを預けるが如くグリフィスに言葉を放った。
「バアドンさん、すみませんが今回のお話は非常に難しい問題でして……。まずは互いに敵意がないことがわかりましたので、帝国側がそちらに何かするということはありません。まおう城に関してもそちらの財産。不動産としての所持を認めます」
「ありがとうございます。少し安心できました……」
「ただ今後の取り決めに関しては少し時間が必要でして、事が決まり次第こちらから使者を送ります。……とりあえず現状はこれくらいしかできませんが、それで一旦納得していただけないでしょうか?」
「あぁいえいえ、そんなお気になさらずに……。貴族のお仕事は大変お忙しいでしょうに、これだけお時間とってお話していただけて本当にありがとうございました」
「ははは……。そう言っていただけますと助かります」
ズリエルは思った。
このバアドンという人物、見かけは化け物だが下手な人間より圧倒的に優秀。普通は自分のような貴族と話す時、相手が過剰に緊張して話にならなかったりコネを繋げようと必死になる者が多く、話が無駄に長くなる場合が多い。
それらに比べると彼との会話はスムーズで嫌味もなく、馴染みの商人と話した時のような安定感がある。本来は初対面の貴族に対して距離を詰めすぎているようにも思えるが、それを感じさせないのも彼の人柄なのだろう。
総評すると決して人の上に立つような存在ではないものの、組織には欠かせない人物だ。
そんな人物が出向いてくれて良かった、と今更ながらズリエルは思う。
最初こそグリフィスの判断を疑ったが、なるほど、しっかり話していけば彼をどうして自分に会わせたかがよくわかる。彼に代わる人物はそういるものではないだろう。
そんな感心と安心が混ざる中、部屋の扉がギィと開き金髪の顔の良い男が入る。ズリエルの息子、アレックスだ。
「父上、今月受け入れる難民の件についてお話、が……」
部屋に入ったアレックスが一瞬固まる。表情もいつもの凛々しいが何処に行ったのか、目が見開きポカン口が開いたままだ。
その様子を見てズリエルもどうしたんだと思うが、すぐさま彼が次に起こすであろう行動が頭をよぎり顔が青ざめる。
「やめっ……!」
次の瞬間、アレックスがレイピアを抜き、その体が前に跳ねる。
それと同時にズリエルは口を開き、言葉を出そうとした。やめろ、ただそれだけの短い言葉を言おうとした。
「「なっ……!」」
だが、遅かった。彼のレイピアはバアドンの左胸に深々と突き刺さる。
本来なら鮮血が噴き出すであろう瞬間であるが、彼の体ではそんな事態は起こらない。代わりに彼の体を構成する虫達がボトボトと床に落ち、数秒後には全身が勢い良く崩れ落ち、ただの蠢く虫の塊になってしまった。
「ば、馬鹿者! きゃ、客人になんてことを!」
「えっ、怪物に襲われていたのではないのですか!」
普通ならば彼の判断は正しい。
ドアを開けて化け物がいたら刺していい。ましてや自分の家族がその場にいるならば間髪入れずに刺していいのだ、本来は。
けれども今回は特例中の特例である。その化け物は話ができ、そこらの人間よりも圧倒的に「人」ができていたのだ。
「あぁっ、クソっ! まだ彼らがどれほどの勢力かも確認できておらんというのに……! 無駄な争いになるやもしれん!」
「落ち着け! まだ死んだと決まったわけではない! おい、誰か治癒魔法を使えるヤツを……」
「心臓を一突きだぞ! 手当したところで……」
グリフィスとズリエルの心中にただならぬ冷や汗が溢れる。
異世界からやってきた彼らが、自分達より大きな戦力を有している可能性があるからだ。
特に彼らは自らを『まおう軍』と名乗っている。少数であろうとも『軍』を付けるからには並以上の戦力を有しているに違いなく、グリフィスが見たナイアトのように厄介な能力を持つ場合もあるだろう。
そんな彼らの代表者を、半ば事故とはいえ殺してしまった。この事態の重さは個人の問題を超え、組織的、国家的問題になりかねないのである。
そんな不安が焦燥感と後悔と緊張を生み、彼らの正常な判断を奪い場を混乱一色にする。のだが、以外にもその「色」はすぐなくなってしまう
「あ、あのすみません……。大丈夫です」
「「「……は?」」」
三人の間の抜けた声の後、床に広がっていた虫達がローブに集まり再び人の形を取り戻した。
「あの、この体は何というか見ての通りでして……。いきなり距離を詰めて刺されてしまったので驚いて腰抜けただけです」
「あ、あぁ言われてみればそう、か」
「スライムと似たようなものなのか……」
最早安心という気持ちを超え、唖然とする三名を置き去りに、バアドンは自分を刺した相手であるアレックスに向かって腰を折り深々と頭を下げる。
「あの、なんだかすみませんでした。自分の姿のせいで驚かせてしまったようで……。体は大丈夫ですのでお気になさらないでください」
「あ、い、いや……。その、私の方こそすまなかった。なんというか人を見かけだけで判断してしまって……」
まさかそっちが頭を下げるとは。その様に一瞬呆気にとられていたがズリエルだったが、すぐさま息子に続いて頭を下げる。
「バアドンさん、誠に倅が失礼しました。このお詫びは必ず……」
「あぁいえいえ、そんなお気になさらず。私は何処も怪我してないんですから謝る必要はないですよ」
「……まぁ、一つ借りができたと思えよお二人さん。今度こいつらのまおう城に来るときにその誠意を見せてやれ」
「グリフィスさん、そう仰らず……。あっ、すみませんズリエルさんそろそろこの辺りで。まおう城の皆さんにできるだけ早くに戻るように言われていますので……」
「あ、あぁ、そうですか。でしたらせめて馬車をお貸ししますのでそれで……」
「いやいやそんな……」
その様子はさながらただの企業間交流。しかもお互い対等で敬意を払った関係である。
異世界だとか貴族だとか、バアドンにとってはそんなものは通用しなかった。ただ普段の仕事と同じように、相手に敬意をもって真摯に接するだけなのだ。
結局バアドンはズリエルの好意を断れず、グリフィスと共に馬車に乗る。とりあえず一つ仕事が終わったことと、行きよりもかなり楽になったおかげか彼の気持ちは晴れやかであった。同乗しているグリフィスもまた、事が問題なく進んで安心していた。
ただ、どう見ても化け物にしか見えない人物を送る仕事を受けた御者の気持ちは休まることはなかった。
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