第五章 お忍びデートから生まれた副産物 <2> -【了】-
「これなんですか?」
クレメーヌは見たことのない食べ物に身を乗り出す。コルドゥーラが男性を下がらせ、代わりにテーブルへ近づく。
「当商家がこのたび新たに売り出す菓子、メーヌ焼きでございます」
「メーヌ焼き? クレメーヌ様の名前に似ているな」
コルドゥーラからの説明に、リーンハルトが困惑気味に顔をしかめる。その表情に満足したのか、レオンが自慢げに頷いた。
「それはそうだろう。これはメーヌの名前が由来なのだからな」
「え? レオン様はご存じなんですか?」
クレメーヌは目を瞠る。レオンを見ると、彼は微笑みながら顔を横へ振った。
「いや、菓子自体は初めて見る。だが、作った奴なら知っているぞ。なにせ、ゴルディ商会へ持っていけと勧めたのは俺だからな」
クレメーヌの脳裏に、家族との想い出の菓子を再現しようと頑張っていた少年の顔が浮かぶ。
「え、もしかして?」
「ああ、クルトが作った菓子だ」
レオンが胸を張り、勧めてくる。クレメーヌは取り皿に置かれたメーヌ焼きをまじまじと見つめた。てっきりアンコを挟んだパンが出てくるのだとばかり思っていた。予想をはるかに上回った形状をしている菓子に、クレメーヌは驚愕する。
「これが……」
きつね色をした丸い菓子だ。パンケーキよりは一回りほど小さいだろうか。中にアンコを挟んでいるのだろう。二枚に重なっている中央部が微かに膨らんでいた。
「さあさあ、見ているだけではなく、お召し上がりくださいませ。当家一押しの菓子でございますよ」
一向に手を出そうとしない自分たちに痺れを切らしたのだろう。コルドゥーラが囃し立てるように勧めてきた。それに、レオンが同意する。
「そうだな。いただこう」
「はい」
レオンを真似て皿を取ろうと手を伸ばす。だが、コルドゥーラから待ったがかかった。
「ケーキとは違いますから、パンのように手に取ってお召し上がりください」
「そうなのか?」
レオンが小さく目を見開く。コルドゥーラがさらに言葉を重ねた。
「はい。そして、少々無作法になってしまいますが、ちぎらずにそのままかぶりついて召し上がって欲しいとのことです」
「ほう」
言われた通りにレオンがメーヌ焼きを手に取り、かぶりつく。クレメーヌも彼に倣い、両手でメーヌ焼きを持つ。ふんわりとした見た目とは違い、ずっしりとした重さだ。内心で驚きつつも、甘い香りに誘われるようにクレメーヌは大きく口を開け、かじりついた。
「……おいしい」
「ほう、これはシャオスィとはまったく違う食感だな」
レオンが感嘆の声をあげる。クレメーヌはそれにすぐさま同意した。
「はい。生地は柔らかいのに、しっとりとした甘さが口の中に広がります。これはパンというよりかはスポンジに近いかもしれませんね。これだけでも充分美味しいですが、中に挟まれている餡が一緒になるとまた違った味わいです! 粒が残っているからいいんですかね? この感じは餡を濾してしまうゴマ餡では味わえませんよね」
思いの丈を語っていると、熱い視線を感じ我に返る。柔らかく微笑んでいるレオンと目が合った。
「どうやらクルトはメーヌのお墨つきをもらえたようだな」
「あ、すみません。私ったら、あまりの美味しさに夢中になってしまいました」
羞恥で顔が熱くなる。食べかけのメーヌ焼きで、赤くなっているであろう顔を隠した。
「ハハハ。よいよい。好きなものに夢中になるメーヌを見ることができて俺も嬉しく思う」
張りのあるレオンの笑い声に安堵しつつも、クレメーヌはなかなか顔をあげられずにいた。するとコルドゥーラが気遣ってくれたのだろう。会話に入ってきてくれた。
「製作者には、大変満足されていたと報告させていただきます」
「よろしく頼む。コルドゥーラ、ご苦労だったな。もう、好きにしてよいぞ」
レオンが労いの言葉を贈ると、コルドゥーラの顔にパアッと笑みが広がった。恭しく礼をする彼女の顔は本当に嬉しそうで、見ている自分も気分がよくなる。
「ありがたき幸せ。では、さっそく失礼して……リーンハルト様! って、あら? いらっしゃらないわ」
いつの間いなくなっていたのだろう。まったく気づかなかった。コルドゥーラがキョロキョロとリーンハルトを探している。
「あちらへ行ったぞ」
「ありがとう存じます陛下。クレメーヌ様失礼いたしますわ。……リーンハルト様、お待ちになってー」
あっさりと乳兄弟の行方を晒すレオンに、クレメーヌは呆気にとられる。その間に、コルドゥーラがスカートの裾を持ち上げ走り去っていった。彼女の従者は変貌する主の行動に慣れているのかもしれない。慌てる様子もなく流れるような挨拶をすると、そのままコルドゥーラのあとを追いかけていった。
(さすが帝国屈指のゴルディ商会の人たちだわ)
リーンハルトもコルドゥーラもいなくなり中庭が、一気に閑散とする。するとレオンが後ろへ顔を向けた。
「アンニ、誰もいなくなったのだ。そなたも一緒にここで食べるがいい」
レオンの誘いに、アンニが申し訳なさそうに頭をさげる。
「ありがとうごじます、陛下。ですが、わたくしは後ほどいただかせていただきます。それよりもお茶のお変わりなどはいかがでしょうか?」
「ああ、もらおうか」
レオンが鷹揚に頷く。クレメーヌはホッとした。
(よかった。気分を害された様子はないみたいね)
レオンがこんなことで機嫌を損ねるほど了見の狭い男ではないことはわかっている。それでもせっかくのレオンの好意をアンニは断ってしまった。そのせいで彼の気持ちを傷つけてしまったのではないかと、心配になったのだ。クレメーヌは胸をなで下ろし、紅茶を淹れにそばを離れようとする侍女を呼び止めた。
「あ、アンニ。それならこの間コルドゥーラ様からいただいた黒茶をお願い」
「かしこまりました」
アンニが丁寧な礼をし、そばを離れる。クレメーヌはそれを横目で捉えながらレオンへ顔を向けた。
「レオン様、今度城下へ行ったときにクルト君の店に行きましょうね」
「ああ、そうだな」
レオンが優しげに笑う。クルトのことでも思い出しているのだろうか。
(レオン様が偉い人だって知ったらどんな顔をするかしら)
きっと腰が抜けるほど驚くに違いない。クレメーヌは真ん丸に見開くクルトの顔を想像しながら、少年の作ったメーヌ焼きを口の中に入れる。
「このメーヌ焼きも、きっとグスタフさんのシャオスィのように人気のお菓子になりますよね」
「いや、もしかしたらシャオスィを抜く帝国一の菓子になるかもしれないぞ」
レオンが自信満々に言い切る。愛しげに微笑む蒼灰色瞳に見つめられ、クレメーヌは顔を上気させながら頬を緩ませた。
(お父様たちへのお土産はこれにしよう)
メーヌ焼きは、クルトが母の味を追い求めたことがきっかけで生まれた菓子だ。だからだろうか、家族のぬくもりを思い出させるようなそんな味がする。クレメーヌは故国にいる家族を思い浮かべながら、口の中に広がるメーヌ焼きを味わった。
【了】
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




