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黒い魔剣使い  作者: マクドフライおいもさん
グレイランド
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霧の平原

星読みのマルフス、光焔の女王ベルティーナ、ガドー、ディオン。

新たな四人の同行者と共にレグス達はついに『グレイランド』と呼ばれる魔境の地へと、その冒険の一歩を踏み出した。

 壁の地を発って二日後。

 レグス一行は壁の民が灰の地に築いたという前哨地を目指して、『霧の平原』と呼ばれる平原地を東へと進んでいた。

 その日の平原は名が表す通りひどい濃霧に包まれており、十フィートル先を見るのも困難な有り様だった。

 一帯がこれほど濃い霧に覆われてしまってはカムの相棒である鷹、ライセンの空からの物見も当てにはできない。

 彼らは一定の方角を示し続けるという魔法の方位具『レドニアの目』を頼りに、魔物や蛮族の急襲を警戒しながら霧の中を進んでいった。


 そんな中、なかなか晴れない濃霧に嫌気がさしたのか、いくらかうんざりしたような様子でファバが口を開く。


「セセリナ、この霧、お前の術でなんとかならないのかよ」


 古き精霊スティアは『始まりの大風』より生まれし者。

 壁の地での大戦では彼女の風の術はおおいに活躍した。

 あれだけの術が使えるのならば霧を払う事ぐらい簡単にできそうなものだと少年には思えたのだ。


 しかし、セセリナの返答は彼の希望通りにはいかない。


「馬鹿言わないでよ。これだけの濃霧を払うのにどれほどの力を使う事になると思ってるのよ。緊急時でもないのにそんな事できるわけないでしょ」

「ちっ、やっぱ駄目か……」


 二人がそのような会話を交わしていると、一行の先頭を行くレグスが馬を止める。


「どうしたよ」

「見ろ」


 言われるがまま少年がレグスの視線の先をのぞき見てみると、そこには人骨のようなものとボロボロになった防具や荷の残骸がいくつか転がっていた。


「これって……」


 残骸を目にして顔をしかめるファバを尻目に、ディオンが馬から降りて転がるそれへと近付く。


「まだ比較的新しいな。俺達より一足先に壁を越えた連中か」

「間違いないぜ」


 仲間の推察にガドーが頷いて言った。


「その鎧についてる胸の紋章、見覚えがある。『オルデンズフット』の奴らだ。門街で情報集める時に、ちっとばかし連中と話もしたぜ」

「オルデンズフット?」


 覚えのない単語を少年が問うと、男は端的に説明する。


「南フリアでそこそこ名を売ってた傭兵共さ。今はウォルドーとかいう商人の下で働いてるとか話してたな。連中、気性は荒いが腕は立つって話だったんだが」

「それがこの有り様ってわけだ」

「ああ。切った張ったで名を売った荒くれ共も、呆気ないもんだぜ」


 つわもの共の亡骸に世の無常を感じるファバとガドー。

 その横でディオンは事態を冷静に分析していく。


「十中八九、例の軍勢の巻き添えを食らったってとこだろうな。あれだけの数の魔物だ。そこそこ名の知れた程度の傭兵あがりじゃまともな戦いになりはしないだろうよ」


 腕利きの戦士を集める開拓団とて、その多くは魔物の大軍勢を相手にどうこうできるほどの規模にはない。こんな視界が利かない場所で魔物の大軍に捉まったら、ろくな抵抗もできないうちに食い殺されて仕舞いである。

 そして恐らく、そうなってしまった開拓団は一つや二つでは利かないだろう。

 目の前の亡骸達が示しているのは数多ある惨劇、そのほんの一部の結果にすぎないのだ。


 転がる人骨の一部を手に取ってデリシャ人の男は言う。


「しかしまぁ綺麗に骨だけ残して食われちまって」

「食い残しナシとは行儀のいい魔物じゃねぇか」


 そう言って笑ったガドーは何かに気がついたのか、突如霧の先を睨むようにして目を細めた。


「どうした」

「いや……、人の声がしたような」

「まさか、気のせいだろ」


 残骸の状態からして目の前の者達が壊滅したのは昨日今日の事ではない。

 生き残りがいたとしてもとっくに他へと移動していると考えるのが自然である。


「ああ、そうだと思うけどよ。いちおう、ちょっくら見てくるぜ」

「おいガドー、この霧だぞ。迂闊な行動は……」

「平気平気、ちょっと見てくるだけだ」


 濃霧の中といっても少し見てまわる分には、自身の足跡を辿れば迷う事なく元いた場所に戻れるだろう。

 その慢心が油断を生んだのか、ディオンの制止も聞かずにガドーはひとり霧の中をスタスタと歩いていく。


――たしかこっちの方から……。


 まもなくして、再び声らしきものが彼の耳に聞こえてきた。


――やっぱりだ。


 歩を進めれば進めるほどそれは次第にハッキリとしていく。


「誰か、誰か……」


 女の声だった。

 生存者の存在を確信した男は駆け気味に声がする方へと急ぐ。


「おい、大丈夫か!!」


 そこにいたのは金髪碧眼の美しい女。

 女は薄着一枚羽織っただけの裸同然の格好であったが、少しばかり憔悴しているように見えるだけで命に別状はなさそうだった。

 状況を思えば奇跡的な生存といえる。


――なんて運のいい女だ。


「助けてください。恐ろしい魔物に、みんな、みんな殺されてしまって……」


 霧の中から現れた見知らぬ男にすがるようにして女は訴えた。

 その美しく憂いを帯びた表情と薄着からのぞかせる柔らかな胸元に、ガドーは思わず息を呑んでしまう。


「あ、あの……」


 色香に固まる男を女は不安げな眼差しで見上げた。

 その表情に、ガドーは取り繕うようにして言う。


「あ、ああ、……で、生き残りはあんただけか?」

「わかりませんが、たぶん……」

「そうか……。とにかくだ。こんなとこ、いつ魔物が出るかわかったもんじゃない。俺の仲間がすぐ向こうで待ってるからそこまでさっさと移動するぞ。歩けるか?」

「はい」

「おし、それと、そんな格好じゃなんだ。こいつを羽織っておきな」


 そう言ってガドーは自分が身につけていた外套を女へと投げ渡す。


「……ありがとうございます」

「おう。いいってことよ」


 そうしてその女を連れて彼はレグス達がいる方へと霧の中を引き返しはじめた。

 その途中、男の思考は自然と女の事に向く。


――しかし、ずいぶんいい女だな。愛人かなんかの生き残りか?


 何日と水浴びもせず過ごし、全身土埃に汚れているというのに、それでも女は男の情欲を誘う色香を漂わせている。

 そうガドーが感じたのは、なにも彼の女ひでりがしばらく続いていたせいだけではないだろう。


――魔性の女ってやつだな。


 そしてその魅惑的な女にとって自分は命の恩人ということになる。


――もしかしたら、ちょっといい関係になっちまったりしてな。


 思いがけなく出会った美女に邪な期待を抱きつつ男が歩いていると、霧の先にレグス達の姿が見えた。

 彼は仲間達に向かって片手をあげて自身の成果を報告する。


「おい、やっぱりいたぜ。生存者」


 自身の後ろを親指で差しながらズンズンと歩くガドー。

 レグス達は彼の背後に目を凝らした。


「しかも、とびっきりの美女だ」


 少しニヤけた面で言う男の背後に広がる濃い霧。

 その先から姿を見せたものにファバやディオンは驚き固まった。


――おいおい、とびっきりの美女だからってそれはいくらなんでも驚きすぎだろ。


 呑気にそんな事を考える男に向かって馬上のカムが早業で弓矢をつがえる。


――へっ!?


 そして彼女が射った矢はガドーの横顔をかすめて飛んでいった。


「どけ!!」


 さらに黒き剣を構えてレグスが馬を走らせてくる。


「おいっ!! ちょっと待っ!!」


 とっさの事に何が何やらわからず焦るガドー。

 そんな彼を無視して馬は突っ込んでくる。


 そしてそのまま焦る男の頭上ギリギリを横切るように、レグスは黒剣を振り抜く。


――ギィィィィ!!


 怪音響くと同時にガドーが振り返ると、そこには何本もの触手を生やした巨大な芋虫のような魔物の姿があった。

 魔物は黒き剣の一撃を浴びて、毒々しい血を流しながら地面にのたうち回っている。


「うおっ!!」


 不意の光景に驚き尻餅をつく男。

 それに構うことなくレグスは手早く止めの一撃を魔物へ突き立てた。


――ギィィィィ!!


 おぞましい鳴き声をあげながらそれは絶命する。

 その亡骸を見つめるガドーは唖然とするばかりであった。


「なんだこいつ、いつのまに……」


 自身の背後に忍び寄る脅威にまったく気づけないでいた。

 あと少しカムやレグスの助けが遅れていたら、彼は間違いなく魔物の餌食になっていただろう。


 しばし呆然とした後、ハッと我に返りガドーは言う。


「そうだ、あの女!! まさかこいつに食われちまったのか!?」

「馬鹿じゃないの」


 霧の中で見つけた女の心配をして慌てる男に呆れ、ベルティーナは鼻で笑う。


「その女っていうのが目の前で転がってるそれでしょ」

「へっ?」


 魔術師の娘が言うことを理解できず間抜け面を浮かべる男。

 そんな彼に苦笑いしてディオンが話しかける。


「ガドー、お前はその魔物に化かされてたのさ」

「とんだ美女をつれてきたものだ」


 レグスの皮肉に男はようやく事態を理解し、バツの悪そうな顔を浮かべた。


「アヴァリータの眷属『ヌゥーグ』だ」


 ガドーを化かした魔物の名をマルフスが口にすると、その名にカムが反応する。


「資料にもあった名だ。男の淫欲に付け入る下級の淫魔。だが霧の平原よりずっと南の森に住まう魔物とも書かれていたはずだが……」

「ヌゥーグがこんなところまで出てくるなんてマルフスが知る限りでは初めての事だ」


 深刻な口調で呟く小男にセセリナが言う。


「これも灰の地で起きている異変の一つということでしょうね」


 グレイランドでは眷属の違いを越えて魔物達が手を組むなど、それまでの常識では考えられて事が起こり始めている。

 もとから危険と謎多き地ではあるが、今のこの地はまさに何が起こっても不思議ではない魔境となっているのだ。


「男のスケベ心に付け入る悪魔ねぇ」


 顔をしかめて醜怪な魔物の死骸を眺める少年。

 彼の心中に浮かんでるであろう疑問を察してディオンが言う。


「幻覚を見せられている男には、こいつがとびっきりの美女に見えちまうのさ。なぁ、ガドー?」

「ちっ、……ああそうだよ、とびっきりの金髪美人だったぜ」


 そのように自嘲して投げやり気味に答えるガドーに対して、レグスは激しさはなくとも厳しい口調で言い放った。


「笑い事で済む話ではない。こんな低俗な魔物の正体も見破れないようでは、この先が思いやられる。ガドー、お前は前哨地に着いたらそこで壁に引き返せ」

「なっ……、ちょっと待ってくれよ!? たしかにドジ踏んじまったのは認めるけどよ、ちっとばかし油断してただけだ。もう二度と同じようなヘタは打たねぇよ」

「断言するが、お前は次も同じ事を繰り返す」

「そんな事っ……」

「お前は油断してたわけじゃない、させられていた。このヌゥーグの誘引を受けてな」


 険しい口調のままレグスは指摘する。


「本来お前はこの霧の中、ひとり勝手に見ず知らずの人間を助けにいくほど馬鹿ではない。自身の行動の異常さに気づけずにいたのが、お前がヌゥーグの影響下にあった証だ」

「それは……」


 男は反論できなかった。自分でも己がとった行動の異常さがよくわかっていたからだ。

 いざ戦いとなれば、一行の中で下から数えた方が早い腕しか自身にない事は彼も重々承知している。

 にも関わらず、こんな危険な場所で不確かな声につられて腕の立つ仲間達から離れるなんて……、通常の自分では考えられない無茶、無謀。

 まともな精神状態にはなかった証だった。


「けどよ、そんな事言ったら気がつかなかったのは俺達も一緒だろ? 結局ガドーの暴走を止められなかったんだしよ」


 ファバの言う通りガドーの勝手な行動を制止しきれなかったのは彼らも同じ事。

 だがレグスは少年が思いもしなかった事を言い出す。


「俺は最初からヌゥーグの存在に気がついていた」

「はっ!? 何だよそれ!? 気がついててわざと放っておいたつうのかよ」

「そうだ」

「へたすりゃ死んでんぜ」

「ヌゥーグは誘い出した獲物をすぐには捕食しない。他に仲間がいないかを確かめるためにな。そして獲物自身に仲間のもとへと案内させる」

「けどガドーを誘い出したのがヌゥーグって魔物かはわからねぇだろ。他の魔物だったら……」


 その懸念にもレグスは表情を変える事なく言い切る。


「食らった人間の骨だけを綺麗に吐き出す。これもヌゥーグの特徴の一つだ」


 彼は全てを見通したうえでガドーの行動を放置していた。

 それは男に己の未熟さを自覚させる為であり、そしてこの旅を諦めさせる為だった。


「ガドー、お前には根本的にヌゥーグからの干渉を払うだけの力がない。それは心構え一つでどうにかなる問題でありはしない。どれだけ油断のないつもりであっても、力のない者がその手の攻撃を受ければ、自覚のないうちに気は緩み、たちまち心を奪われる。そして無自覚のうちに共に旅する者達までもを危険にさらすことになる」


 レグスの言に反論できずガドーは押し黙る。

 そんな彼にベルティーナが問う。


「ガドー、貴方最低限の訓練は受けてたはずでしょ」


 彼女の言う訓練とは魔術などによる精神干渉に対する対抗訓練である。

 ガドーはロブエル達に雇われる際、その手の訓練を終えてる事を伝えていた。


「いちおうは……」

「それでこの様ってわけ? どうせケチって、どこの馬の骨ともわからないへぼ魔術師で済ませてたんでしょ」


 ヌゥーグは下級の淫魔でありそれほど強い精神干渉力を持っているわけではない。

 腕の立つ魔術師に頼み、その訓練を終えていれば、ここまで簡単に誘い出されるような事は無かったはずだ。

 だが、そんなものを気軽に受けられるのならば誰も苦労はしない。

 魔術師自体数が限られているうえに対抗訓練そのものも非常に手間がかかるため、高度な訓練を受けるには相応の伝手と大金が必要となるのである。


 当時のガドーにそんな金も無ければ、伝手もあるはずがない。

 重苦しい空気の中で男はおもむろに口を開く。


「ベルティーナ嬢さん、俺の対抗訓練、あらためてお願いできませんか」

「なんで私がそんな事をしてやらなくちゃならないわけ? 私としても、足手まといにはさっさと脱落してもらった方が助かるのだけど」


 鼻で笑って冷たく言い切る娘に、男は険しい顔付きのまま頭を下げる。


「……頼みます」


 沈黙の間をおいてベルティーナはため息をつく。そして彼女は目の前で頭を下げる男に言った。


「へぼ魔術師と違って私のはヌルくないわよ。相応の覚悟は出来てるんでしょうね」

「はい」


 悲痛にすら見えるガドーの覚悟に内心なにを思うか、魔術師の娘は言葉を続ける。


「期限は前哨地に着くまでよ。それで無理なら素直に諦めなさい」


 すると、彼女の示した期限にガドーではなくディオンが苦言を呈す。


「待ってくれ。前哨地には予定じゃ六日後には着いちまう。いくらなんでも対抗訓練を六日でどうこうしようってのは無茶がすぎる」


 対抗訓練はかなりの精神的負荷がかかる為、通常初歩の訓練を行う場合すら最低一月はかけるものだった。

 ベルティーナがどの程度の強度で訓練を行うつもりかはわからないが、六日で済まそうなど命に関わってくるほどの無謀にしか思えない。


「初めて受けるわけじゃあるまいし、それぐらいどうにかできないようじゃ、もとから見込みがなかったってだけの話よ」

「だが……」

「無理だっていうのなら旅の方は諦める事ね。私もだらだらと雑魚のわがままに付き合ってあげるほどお人好しじゃないわ」

「ディオン、俺も半端な覚悟で壁を越えたわけじゃねぇ。いまさら無茶の一つや二つ増えたところでそれが何だっつうんだ。六日でやれってんなら、やるだけのことだぜ」


 本人がそうまで言うのならディオンもこれ以上は強く言えない。


「訓練は今夜から始めるわよ」

「はい」

「必要なら、そっちの小さいのもついでにやってあげるわよ」


 ファバを見て言うベルティーナ。

 彼女の言にディオンは再び顔をしかめる。


「同時に二人進めようってのか!?」


 対抗訓練は術者側にかかる負担も大きく、この手の訓練を施すのに慣れた魔術師でも日に三人が限度だった。

 それも一人ずつ休息を入れながら時間帯をずらして行うものだ。

 ベルティーナは日頃から他人に対抗訓練を施しているわけではない。

 そんな者が同時に二人の人間に対抗訓練を行うなど常識的には考えづらい事だった。


 けれども、当人は涼しげに言い切る。


「問題ないわ。私を誰だと思っているの?」


 古き神々をも従える『光焔の女王』の血。

 その力に目覚めた彼女を並の魔術師と比べる方が間違っているのだ。


「それで、どうするの?」

「いや、俺は……」


 問われた少年は判断を仰ぐようにレグスの方を見る。


「ファバには『見疑繰問(けんぎくもん)』の鍛練を積ませている」

「見疑繰問!? 時々二人で何をやっているのかと思ったら、そんな事をしてたわけ? 今時そんなカビ臭いやり方……」


 今現在、対抗訓練とただ言えばそれは『加圧式』の事を指す。

 見疑繰問は加圧式と異なり、瞑想と問答を繰り返す事によって心眼を鍛えようとする非常に古典的な精神鍛練方である。

 加圧式に比べ負担こそ少ないが、成果が出るまでに多くの時間を要するうえ、何より成果が出るかどうかは鍛練者の才に大きく左右されてしまう。

 鍛練者にかかる負担が大きくとも、加圧式の対抗訓練が世の主流となるのは自明の理であった。


「見疑繰問は魔術師の卵が最低でも十年はかけてやるものよ。そんな悠長にやってる暇が貴方達にあるのかしら」

「俺は一年で終えた」

「それはそれは優秀な事ですこと。だけどこの子に貴方ほどの才があるとは限らない」


 実際ファバの鍛練は今だ成果が出るような段階にはなかった。

 悪意ある精神攻撃に対してあまりに無力な少年のままにすぎない。


「事が先に起こってしまえば元も子もないでしょうに」

「加圧式の対抗訓練は、時に感情の希薄化や人格の欠落をまねく。本来、安易に手をだすべきものではない」

「馬鹿馬鹿しい。怪我する事を恐れては刃物一つ握れやしないわ。お子様をそんなに過保護に育てたいなら、こんな場所に連れてくるのがそもそもの間違いじゃなくて?」

「俺は俺が最善と思う方法をとっているだけだ」

「最善ねぇ。で、貴方もそれでいいと思っているわけ?」


 ベルティーナは視線をファバへと向ける。


「それは……、正直今のやり方にはしっくりきてねぇよ。レグスには感謝してるぜ。いろいろ考えたうえで今のやり方を選んだってのもわかってる。けどよ、焦りがないつったらやっぱ嘘になる」


 少年はためらいがちに己の思いを述べた。


 レグスとファバの間には厳格な師弟関係があるわけではない。

 強くなる為にどのような手段選ぼうとそれは本来ファバの自由である。

 だがレグスの旅に強引に付き従い、剣技や様々な教えを乞う手前、彼の意向に反するような行動を取らんとするのを少年が後ろめたく思うのもまた当然だった。


「物事には取るべき順序があり、お前が進む険しき道に近道などありはしない。そう教えたはずだ」

「わかってる!! それはわかってるけどよ。……けど、こんな場所にまで来て、いつまでも御守りつきってわけにはいかねぇよ。無茶だろうが危険があろうが、ガドーがやろうってんだ。俺だけチンタラ足踏みしてるわけにはいかねぇ」

「だそうよ?」

「なら勝手にしろ、お前自身のことだ」


 レグスの判断にカムが問う。


「いいのか?」

「人間性はともかく、ベルティーナの魔術師としての腕は買っている」

「それはどうも」

「二人同時の対抗訓練といえど仕損じる事もないだろう」



 ヌゥーグの脅威を経て急遽対抗訓練を行う事になったレグス達はその日の夜、露営の準備を終えるとさっそく事に取りかかった。

 二人同時に進めるといっても、全くの同時というわけにはいかない。

 ファバより先にまずは経験者である男から訓練を施される事になった。


 焚き火の傍らの地面をならし、仰向けに寝て空を見上げるガドー。

 昼間に平原を覆っていた濃霧は今はもう嘘のように晴れきっており、眼前には燦爛たる星空が広がっていたが、その美しさに見惚れる余裕など彼にありはしない。


「いい? 始めるわよ」


 男の隣にべルティーナが膝をついて問いかけると、彼は幾ばくか強張った声を返す。


「よろしくお願いします」


 それを聞いて術者たる娘は己の柔らかな指を男の額へと置いた。

 そうして彼女が呪文を唱えると、さほど時間もかからぬうちにガドーの意識は遠のき、そのまま眠るようにして彼は目ぶたを閉じていく。


「上手くいったのか?」


 二人の様子をじっと見守っていたファバが問うた。


「まだこれからよ。催眠状態の無防備な精神に干渉して、とっておきの悪夢を見せる」

「悪夢……」

「痛みも悪臭も、現実のそれと違わぬ極上の悪夢よ。巨大蜘蛛の巣に囚われ餌にされる。病魔に蝕まれ、己の肉体が腐り落ちていく様を眺め続ける。敵地に取り残され飢えを凌ぐ為、戦友の遺体を食らうなんてのもあるわ。そんな悪夢の中に落ちてなお、冷静に虚を見破り、快眠から目覚めるように意識を取り戻せたら対抗訓練は成功」

「失敗したら?」

「終わらぬ悪夢にうなされ続ける事になる」


 心胆を寒からしめるような女の物言いに少年は息をのんだ。


「まっ、そうならないうちに、私が意識を無理矢理にでも引き上げるから、貴方達は安心して悪夢を堪能するといいわ。……さて、無駄話はこれで終わり」


 再び指をガドーの額に添えて彼女は呪文を唱える。

 するとしばらくして、男の顔が苦痛に歪み始めた。


「うっ、ぐっ、うううっ……」


 その歪みは徐々に大きくなり、彼の全身からは脂汗が噴き出し、呼吸は荒くなる。

『極上の悪夢』。

 女の言に違わぬガドーのうなされっぷりである。


 そうして見るも痛々しいその様が続いてしばらく……。


「限界ね」


 ぼそりとそう呟き、ベルティーナは男の意識を引き上げた。


「がっはぁっ!!」


 うなされ続けていたガドーは意識が覚醒するなり、その場に立ち上がろうとする。

 だが……。


「うっ……、オエェェェ……」


 立ち上がりきる前によろめき、嘔吐を始める。


「おい、大丈夫かよ?」

「あぁ……」


 少年の問いに弱々しく返答する男の表情はまるで病人のようだった。

 眠るように訓練を受けていた時間はそれほど長時間だったわけではない。

 にも関わらず、ひどい憔悴のしようだった。


 その有様が加圧式の対抗訓練の過酷さを物語っている。


「さて、次は貴方の番よ」

「あ、ああ……」


 ためらいが窺える少年の返答にベルティーナは言う。


「怖気づいたのならやめとくがいいわ」

「いや……、上等だぜ。どんな悪夢だろうが、一発で耐え切ってやるよ」

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