バーウィット
「間に合うと思うか?」
「間に合わないなら奴とはそこで別れる事になる。それだけだ」
ガドー達が対抗訓練を開始して三日後の夜。
二人が訓練を受けているのを横目にディオンとレグスが言葉を交わす。
「まぁその通りなんだけどな。俺が聞きたいのは、お前の見立てではどうだって話だよ」
「加圧式の訓練を初めて受ける人間と違って、既に経験者であるガドーの精神面が術者の変更によって劇的に向上するとは考えづらい。ベルティーナほどの魔術師が訓練に当たるといっても、相応の時間を必要とすると考えるのが妥当だ」
「つまり無駄な足掻きだと」
「何事にも可能性は残るものだがな」
「可能性は残る、……ね」
彼らがそのように語っていると、夜空を舞う鷹が鳴く。
ライセンが何かに気づいたらしい。
「どうした?」
レグスの問いにカムが答える。
「南西からこちらに向かって近付いてくる亜人の集団があるらしい」
「距離は?」
「十キトルもないと」
「近いな」
「しかも狼に乗ってきているようだ」
「『ワーグ』か」
ワーグは人を背に乗せられるほどの大型の魔狼ではあるが、非常に残忍な気性で人間に懐くような事はまずない。
「乗り手は魔物じゃないんだな?」
「ライセンはそう判断している」
穢れた魔の血を引かずワーグを自在に操っている亜人の集団となると、考えられる対象は限られてくる。
「マルフス、この辺りでワーグを使う亜人というと『バーウィット』か」
「そうですご主人様。この辺でワーグ乗りといったらバーウィットに違いない。きっと奴らだ」
「俺の記憶が正しければ、奴らの耳と鼻は恐ろしく利くという」
「はい。夜目こそ使役するワーグに劣りますが、耳と鼻の方はワーグにも劣らない。いや耳のよさならワーグ以上だ」
「交渉は無駄か」
「無駄です。魔物にも劣らず血が好きな連中だ。マルフスなら奴らの言葉もわかるが、交渉なんてとても……」
そう言って小男は眉間にしわを寄せて首を横に振る。
それを見てディオンが問う。
「どうする? あいつら起こしてさっさと移動するか? ワーグ乗りを振り切れるとも思えんが……」
鼻の利くワーグ乗りにここまで接近されてしまったら、前哨地まで逃げ切る事など不可能だろう。
一戦は避けられそうにないと判断してレグスは鷹使いに尋ねる。
「カム、数はわかるか?」
「三十一」
人語を理解し意思疎通が可能な鷹のおかげで一行は遠方の敵の数を正確に把握する事ができた。
「その程度の数なら俺がいって片付けよう」
「一人でか?」
「ああ、俺一人で十分だ」
レグスは二人にファバ達の護衛をするよう命じると自らは空の案内人に従って馬を駆り、南西へと向かった。
「ライセン、獣人共が三キトル先まで近付いたら知らせろ」
男の命令に頭上の鳥は応ずるように一鳴きした。
それからほどなくして、ライセンが再び鳴く。
物見の鷹からの合図にレグスは近場に茂る草木の影へと馬を乗り入れると、その暗がりにて一策施しワーグ乗り達を待ち伏せる事にした。
――きたか。
やがて魔狼に跨り進む亜人達の姿をレグスは視界に捉える。
兎のような大きな耳を持つ犬面の獣人集団。
間違いない。バーウィットだ。
集団の先頭に立つバーウィットの男が合図すると、彼らはレグスの眼前で停止した。
――やはり気づくか。
今夜は月も星々も厚い雲に隠れてしまっている。
闇影に身を潜ませるには適した天候であったが、このままやり過ごそうというつもりなら生憎バーウィット相手では意味がない。
何故なら長耳の犬人達は目ではなく、卓越した嗅覚と聴力によってレグスの存在を察知していたからだ。
もとより陰から様子をうかがっていた男の方にもこのまま隠れやり過ごすつもりなどありはしない。
ワーグに騎乗するバーウィット達の前へとレグスは飛び出した。
「ミチノチモチ・クチ・ジラナトニカチ?」
目の前に現れた男に向かって獣人が何やら問うが、レグスにはその言葉を理解する事ができなかった。
それでも、それが友好的なものではない事ぐらいは彼にもわかった。
数多の言語を知る指輪の中の精霊も沈黙したままである。事前の予定に変更をきたす必要がないという事だろう。
つまりはマルフスの言っていた通り、獣人共との間に交渉の余地などありはしないということ。
「ラスイ・ミニ・モチノチトイスラ!!」
大声をあげてバーウィットの一人が集団の前へと出る。
どうやらまずは彼が相手するとの事らしいが、その者の手には辺境の蛮人には不相応に見える立派な剣が握られていた。
バーウィット達は優れた鍛冶技術など持っていない。手にするその剣は他の武器や防具と同じく、略奪品の一つなのだろう。
そして質の良い武器がまわってくるという事は、一族に相応の力量を認められているという証でもある。
「ニノナヅラ」
対峙するバーウィットが己のワーグをレグスの方へと走らせた。
それを受けてレグスも彼を真っ向から迎えうつ。
「ンチカカニモチイ・ハドゥ!!」
「トチトトチカラ・ゴナノノラスラトイ・ハドゥ!!」
「クラノチミラ・イモラミラ・ギチ・ミニギイカニモチナヅラ!!」
何度か斬り結ぶレグスとバーウィットに向かって観戦者達が喚き立つ。
彼らにとってこれは決闘ではなく狩りの余興だった。誰もが獲物と戦う同族が敗れるとは思っていない。
――なるほど、少しはやる。
自ら買って出てきただけあって剣を振るうバーウィットの腕は凡百の使い手よりは優れていた。
目だけに頼る事無く、鼻と耳の良さを活かした独特の剣術には初見で対応する多くの者が苦戦するに違いない。
それに彼らが騎乗するワーグは馬よりも敏捷性が高く小回りが利く。魔狼自身が持つ鋭い牙や爪も危険な武器といえよう。
ワーグに跨るバーウィット。
下手な騎兵よりかは、よほど厄介な相手には違いなかった。
だがそれでもレグスには及ばない。
「トニミイ!!」
――半歩踏み込みが甘い。
間合い深くに飛び込もうとした相手の動きを冷静に見切り、レグスは黒き剣の一閃にて騎乗するワーグもろとも斬り裂いた。
その一撃で勝負あり。
同族達の目の前で一対のバーウィットとワーグは骸と化す。
「ナトラジチスラ!?」
「ハドゥ・ギチ・モチノイスナ・ミチミミカイ……」
同族の敗北に場の空気が一瞬にして変わる。
標的の力量を完全に見誤っていた事を知ると、全てのバーウィット達が臨戦態勢をとった。
「ノチスニ・ノラスラトイ!!」
一団を率いる男の命令でいっせいにワーグを走らせるバーウィット達。
それを見てレグスが叫ぶ。
「皆殺しにしろ!! ロッデンハイム!!」
彼の命に呼応して、事前に巻物より召喚されていた魔造食人草の影の根が一帯へと伸び寄る。
そしてその黒き根はワーグに跨る獣人達へと襲い掛かった。
「ミチミミジチ!?」
「ミチミニ・ギチ・ラノラカカチ!?」
発達した耳と鼻に頼る戦いに慣れているせいで、バーウィット達は夜影に溶け音も臭いもなく攻撃してくるロッデンハイムの影根に反応できない。
対してワーグ達は夜目が利く。
背に跨る者の指示に従わず魔狼達は回避行動を取ろうとする。
「ノラスチ!! ニナノラカラ・テラ・ノニノイ!!」
騎乗するワーグとの意思の統一が図れず混乱するバーウィット達を嘲笑うように、レグスは馬を巧みに操って彼らを斬り殺していった。
同時にロッデンハイムの影根も次々と獣人、魔狼を突き殺す。
そうしてろくな抵抗もできず、三十一人もいたバーウィット達と彼らが騎乗していたワーグ共はあっという間に全滅してしまった。
魔狼に跨る兎耳の犬人達を斬り伏せると、レグスは使役するクチャウを巻物へ戻し仲間のもとへと引き返す。亜人の返り血を浴びて帰還したその男を、対抗訓練を終え疲労から眠ってしまったガドーとファバの二人を除く四人が迎えた。
「平然とご帰還とはさすがだな」
呆れ混じりに感心して言うディオン。
対照的に灰瞳の魔術師はさも当然と言わんばかりの口ぶりで黒剣の使い手の活躍を評する。
「百魂の剣の力があれば、蛮人の群れの一つや二つなんてどうってことないわ。でしょ?」
「あの程度の脅威なら魔剣の力を引き出すまでもない。一策講じれば、それで片がつく」
「それは頼もしいこと。壁の民を決闘で負かすだけのことはあるわね」
「それで、新しい追っ手がかかる心配はしなくていいのか?」
ディオンの問いにレグスは淡々とした様子で彼の戦果を告げる。
「ワーグ一頭残すことなく始末した」
「おお徹底してるねぇ。だがそれはそれで連中の恨みを買いそうだが……」
「買ったところで追うだけの戦力がなければ何の問題もない」
そう言ってレグスはマルフスの方を見た。
主からの視線を受けて、この一帯の情勢を知る小男はおもむろにその口を開く。
「バーウィットの集落は大きいものでも二百人に満たない規模だ」
それは壁の地の資料にも記載されている事柄。
レグスはこれをしっかりと記憶しており、先ほどの余裕ある返答の根拠にもなっていた。
「男手を三十一人も殺されたらその村はもうおしまいだ」
資料の情報どおりの言を並べるマルフスにディオンが問う。
「だけど同族の仇ってことで他の集落の奴らも動いたりはしないのか?」
彼はレグスと違い事前の資料に目を通せていない。
この一帯に暮らすバーウィットについての知識をろくに持たぬ男からすれば、それは無理からぬ懸念であった。
だがその懸念もマルフスは否定する。
「ありえない。この辺りのバーウィット共は集落間で激しく対立している。何の益にもならない敵討ちに手を貸す事はない。むしろ痛手を受けた集落をここぞとばかりに競って食い物にするはず」
過酷な環境下においては同族のよしみなどあってないようなもの。
弱みを見せれば同異問わずたちまち周囲から食い物される。それがこの一帯に暮らす獣人達の現実である。
「なるほど、そりゃ安心だ」
こうしてバーウィットの襲撃を切り抜けたレグス達はそのままこの場で一夜を明かすと、翌朝には予定通りの経路で壁の民が築いた前哨地へと向かった。
されど何事も完璧にとはいかないもので、彼らが目指すその場所に到着したのはさらに三日経った後、予定よりも一日遅れての事となった。




