ベルティーナの気質
レグスとの取引を強引に成立させるとベルティーナはロブエル達のもとに戻り、自身が壁を越えゴルディアへ向かうことになった事を告げた。
それを聞いた者達は一様に己の耳を疑い驚いた。
何故なら非常に重要な用件にも関わらず、彼女の一連の行動は独断で行われており、事後報告の形となっていたからだ。
ベルティーナが黙っていた理由は単純。彼らが彼女の行いに反対するのが目に見えていたからである。
実際、報告を受けて賛同する者は一人としていはしなかった。
もとから欲深くとも小心者のロブエルの野心は長い勾留生活も祟ってたかすっかり萎えてしまっており、もはや貴族として政争に明け暮れる気力はなく、恩赦を受けた後は静かに暮らすつもりであったという。
長らく仕えてきたシドやトーリも主の意思を尊重するつもりであったし、平穏主義者ともいうべきミルカに至ってはこれを歓迎している様子ですらあった。
グラスも権力や地位に固執する人間ではない。ロブエルを嫌っているギルなどは腹の内でこの没落劇を笑っていることだろう。
だがただ一人、ベルティーナだけはそれを良しとはできなかった。
ひときわ自尊心の高い彼女には我慢ならなかったのだ。
自分達に恥辱を味わわせたベルフェンの者達をこのままのうのうとのさばらせておくなど、そして主であるロブエルが落ちぶれたままなど、絶対に許せるはずがなかった。
だからこそ彼女はレグス達を利用しようとした。
血の目覚めによって得た古き神々をも従える力と、巨万の黄金。
この二つによって権力を取り戻し、復讐を果たすことをベルティーナは本気で企んでいたのだ。
周囲の者達の反対も意とせず、ほとんど一方的に宣言して高慢な女魔術師はゴルディア行きを決めてしまう。
引き止めようとするロブエルの言葉にも従う気はまるでなく、大切な主の傍にいるよりも壁越えを優先するその様は黄金の魅力に取り憑かれてしまった亡者の如きあり様だった。
そうして一人夜風に当たり過ごす彼女だったが、決して落ちぶれた主を見限り傍を離れる事にしたわけではない。
むしろその逆だ。
――ロブエル様も今は少しばかり弱気になっているだけ。黄金を手に入れさえすれば、きっと後々心から感謝してくださるに違いないわ。
彼女の目的はあくまでロブエルの権力と地位を取り戻すこと。
それが彼に狂信的なまでに依存するこの女自身の為にもなることだった。
――今に見てなさいよフェンに巣くう蛆虫共。必ずお前達には報いを受けてもらうわ。
権力を取り戻したあかつきには王都フェンの貴族共に復讐を果たす。
いやそれだけでは足りない。
巨万の黄金と光焔の女王たるこの力があれば、一国の王の座という権力にすら届きうるではないか。
むしろそうしなくてはならない。
――そうよ、ロブエル様が王になるのよ。私のこの力とゴルディアの黄金さえあればベルフェンなど目ではない王国が築ける。……私達の王国、嗚呼なんて素敵な響きなのかしら。
これまでに味わった恥辱と苦難の代価にはそれぐらいなければ心が静まらない。
隠れ住まうような静かな暮らしなどではない。大いなる栄光こそが幸福な未来を約束してくれるのだ。
――一時はどうなることかと思ったけど……、光焔の女王の力に、ゴルディアの黄金。悪くない、悪くない風向きよ。必ず全てが上手くいくわ。
どん底は過ぎ、運が向いてきている。
その予感にベルティーナがほくそ笑んでいると、一人の男が彼女のもとに現れる。
それは姉弟間で最も険悪な関係にあるはずのギルであった。
「珍しいわね。いったい何の用?」
意外な人物の訪問に怪訝な表情を浮かべながら彼女が問うと、ギルはおもむろにその口を開く。
「……本気か? 壁を越えてゴルディアへ向かうだなんて。……なにを考えてる」
「それはもう説明したでしょ」
「赤き狐の黄金を使ってロブエルの権力を取り戻す。君があの男ためにそんな無茶をすると?」
「そうよ。今こそ私達を育ててくれた恩返しをする時よ。あの人はこのまま終わっていい方ではないわ」
「恩だって? あいつが俺達フラーマ人に何をしたか知ってるだろ。あいつらは俺達の両親を殺した張本人なんだぞ」
ベルティーナ達がまだ這えもしない赤子であった頃、流浪の民フラーマはベルフェン王国に拠点を築いていた。
フラーマ人は長らく不干渉の存在としてフリア各地で無法の扱いを受けていたのだが、そんな彼らに対して先々代のベルフェン王は国内に滞在する限り正しくベルフェンの法を守り、税を納める事を要求した。
だがこれを彼らに拒絶されると王は激怒し討伐の兵を起こす。
その討伐軍に臣下としてロブエルも参加していたのだ。
「またそれ? いい加減にしてくれないかしら。人がせっかく良い気分に浸ってたっていうのに……、不愉快なのよ貴方の話は」
怒気を含んだ言葉を浴びせるベルティーナにギルも退かない。
「聞けベルティーナ、君のあの力はそんな馬鹿げたことの為にあるんじゃない。君は選ばれたんだよ、偉大なる民を率いる者に。君の血に宿るその力があればベルフェン人に復讐を、フラーマの栄光を取り戻し、一族の、父さんと母さんのかたきを討つ事ができるんだ!!」
ギルはフラーマを滅ぼさんとしたベルフェン人全てを憎んでいた。
実の親と血族達を殺された者としてはある種当然の感情。
だがベルティーナは違う。
「くだらない。どうして顔も知らないような人間の為に私がそんなことしなくちゃいけないのよ」
たとえロブエル・ローガが実の両親をその手にかけた男だったとしても、彼女にとっては彼こそが親であった。
自分達を生み、顔も覚えぬうちに死んでしまった人間などではない。
赤子の時から今まで養ってきたロブエルこそが己の主であり、家族であり、父親だった。
それがベルティーナの本心である。
だがギルは違う。彼は真実を知ってなお平然と家族ごっこに興じられるほど寛容に狂ってはいない。
「顔も知らないのは奴らが殺したからだろう。どうしてそう平然としていられる。奴らが俺達から父さんと母さん、一族みんなを奪ったんだ!!」
「だから何だって言うの。いい加減理解しなさいよ。あれは力もない癖に好き勝手やったあげく滅ぶべくして滅んだ愚かな連中。ただそれだけの事よ」
「滅んでなんかいない、俺達がいる。神聖なフラーマの血は絶えていない。俺達なら必ず!!」
「必ず? 必ずなんだって言うの? まさかたった四人で民族を再興させようって言うの? 馬鹿馬鹿しい。生き残りは私達だけ、どのみちもう終わりよ」
「終わらない」
「何言ってんのよ、純血のフラーマ人は私達で終わり。それはどうしようもないわ」
「終わらない」
真剣な面持ちで言い切るギルの様子にベルティーナの脳裏に恐ろしい可能性がよぎる。
「貴方まさか……」
「俺達がいるベルティーナ。俺達の間に子を成せば、血の純潔は失われない」
確かに歴史上、王家の血の神聖を維持する為に姉弟間で婚姻を行っていた国も存在しないわけではない。
学問としてその事はベルティーナも理解しているが、だが少なくとも彼女が生まれ育った環境においてそれは忌諱に触れる外道の所業。
嫌悪感をあらわにして女は言う。
「冗談にしても笑えないわね、おぞましい」
「おぞましい? 君がその言葉を口にするのかい? それこそ笑えない冗談だな」
含みのある笑みをギルは浮かべた。
「俺達が気づいていないと思っていたのかい? 君とミルカが『星台の間』で夜な夜な何をしていたのか、何をされていたか、……俺達が本当に何も気づいてなかったと」
「黙りなさい。……それ以上喋ったら殺すわよ」
「後ろめたいのかい? そりゃそうだよな。だけどそんな後ろめたくなるような事をさせたのはいったいどこの誰だい? 本当に娘のように大切に思っているなら、君にそんな事をさせるわけがないよな」
「黙れ」
「わかるだろ。君は都合良く利用されてるだけなのさ」
「黙れ」
静かであれど激しい怒りのこもったベルティーナからの警告。
だがギルは従わない。
「いい加減現実を知るのは君の方だ。あの男にとって大切なのは我が身だけさ。つまらない家族ごっこをどれだけ続けてみたところで、君もミルカも下劣な欲望の捌け口にされるだけ。ロブエル・ローガは君を娘だなんてこれっぽっちも思っちゃいない」
ベルティーナにとってそれは耐え難き悪言であった。
女の紫瞳が光焔を僅かに宿したその瞬間、炎が現れてギルの片腕に纏わりつく。
「手が、手があああああ!!」
己の腕を焼く炎を払おうとギルは暴れるが、それは纏わりついて離れない。
「やめろぉぉ!! ああああああぁぁぁ!!」
絶叫する男の姿を眉一つ動かさずベルティーナは見下ろしていた。
「何事だ!!」
ギルの叫び声を聞きつけた壁の民達が集まってくる。
大男達に混じりそこにはシドの姿もあった。
「ベルティーナ!! 何があった!! これは!!」
炎に焼かれ暴れまわるギルの姿にシドは直感する。
「ベルティーナ、すぐに消せ!! 自分の姉弟を殺す気か!!」
鬼気迫るその命令を鼻で笑いながらも、女は応じてようやくギルに纏う炎を消した。
部屋には異臭が漂い、腕を焼かれた男は苦痛に呻き続けている。
その姿を見やりながらシドは遅れてこの場にやってきたグラスへ指示を出した。
「グラス、トーリとミルカをすぐに呼べ。急げ!!」
そうしてグラスが急いでミルカ達を呼びにいくのを確認すると、彼は厳しい口調であらためてベルティーナを問い詰める。
「どういうつもりだ。何を揉めたかは知らんが、これはいくらなんでもやりすぎだ」
だが彼女は弁解も反省もしない。
高慢なその娘は一瞬くすくすと笑うと、それをぴたりと止めてギルの前へと移動した。
そして冷めた瞳で見据えながら言い放つのである。
「殺されなかっただけ、感謝して欲しいものね。……さっさと消えてちょうだい。そして二度とその顔を見せないで」
残酷な言葉を浴びせるベルティーナに対して、ギルの方も搾り出すような声で応ずる。
「……そうかい。よくわかったよ。これが君の答えだって言うんだな」
そう言うと彼はふらふらと立ち上がり、そのまま何処かへと立ち去ろうとした。
「待てギル。治療が先だ」
「薄汚い手で俺に触るな!!」
シドの助けを拒絶しギルはよろよろと歩き出す。
その歩みは頼りないものであったが、それとは裏腹に、彼の苦痛に満ちた表情には暗い決意の色がはっきりと浮かんでいた。
――ベルティーナ、お前がその気なら、俺は俺のやり方でやらせてもらうよ。俺にだってお前と同じフラーマの血が流れているんだ。俺にだって必ず……。




