勝手な行動
翌日の事、小さな壁の民の預言者は件の娘と共にレグスの前へと再び姿を現した。
光焔の女王、古き神々の召喚者ベルティーナ。
彼が彼女を連れ現れた理由、それが昨日の論争と無関係ではないことは明らかだった。
「いったい何のつもりだ」
目の前に立つ傲慢で利己的な魔術師の娘に一瞥をくれながらレグスはマルフスへと問う。その冷ややかな口調には彼が感じている不愉快さというものが滲み出ていた。
「彼女には果たさねばならない使命がある。ご主人様の為に果たさねばならない使命が……、だからマルフスが説得した」
星の意に興味など持たないはずの娘をどう言葉巧みに説得したかは知らないが、これは明確な違反行為である。その勝手な振る舞いをレグスが歓迎するはずもない。
「俺は必要ないと言ったはずだ」
「ご主人様はまだわかっていないから。自分が、炎の娘が、どれだけ大切な使命を背負っているか。だからマルフスがこうして……!!」
「何度も同じことを言わせるな。星の使命など知ったことではないし、この女の力を頼るつもりもない」
「ご主人様……!!」
縋るように己を見る小男を無視して、レグスはベルティーナに言う。
「聞いての通りだ。どんな話をしたのかは知らないが、俺が許可してのことではない。この男から聞いた話は全てなかったことにしてくれ」
レグスの言葉に美しき魔術師の娘は意味深な笑みを浮かべてその口を開く。
「ずいぶんと嫌われたものね」
「慎重なだけだ。『得体の知れない実力者は厄介なもの』、お前の言葉だったはずだが?」
「根に持っているの? だけど結局は貴方は私達の開拓団に加わった、それだけの利用価値があると認められたから。今回も同じよ、お互いの目的の為に手を組みましょう」
「必要ない」
「いいえ、必要なことよ」
「この男に何を吹き込まれた。灰の地で何をするつもりかは知らないが、お前にとってロブエル・ローガは何ものにも代え難き存在だろう。いくら壁の王の恩赦を受けられるとはいえ、一度追放処分を受けた身だ。これからお前の力を必要とすることも多々あるはず」
「ええ、そうよ。だからあの方の為に私は壁を越えることにした。赤き狐の黄金を手に入れる為に、ね」
「赤き狐……。まさかシルボラのラスター家のことか?」
「そう、そのラスターよ」
シルボラ伯国はユロア大連邦に属する一国であり、その地を治めるラスター家は赤き狐の意匠を紋章として使用していた。
ラスター家は連邦外でも名が知られるほどの大貴族で、この赤き狐の一族の繁栄を支えているのは本拠地であるシルボラの街ではなく、彼らが灰の地に築いた植民市『ゴルディア』の存在であった。
ゴルディアは巨大な金鉱を有しており、そこで産出される莫大な黄金が、もとは一地方の小貴族にすぎなかったラスターを今や連邦有数の大貴族までへと押し上げていたのだ。
そしてその黄金こそが、ベルティーナの言う『赤き狐の黄金』に他ならない。
「ゴルディアの黄金を私達が手にいれる」
「黄金などに俺は興味はない」
「でしょうね、そう言うと思ったわ。けれども安心して頂戴、貴方は頭数には入っていないから。黄金はロブエル様と私の物になる」
彼女のその言葉に、マルフスは慌てて異を唱える。
「馬鹿を言うな!! 黄金はご主人様の物だ!! 炎の娘よ、マルフスはお前に言ったはずだ、お前は番人にすぎないと!! 来る時の為に、お前は我らが王に代わって黄金を守り続けるのだ!!」
「少し黙っててくれないかしら?」
不快気な口調でベルティーナは憤る小男に言う。
「今は私と彼が話しているの。『光焔の女王』であるこの私と、お前の言う『星々の王』がよ。一介の星読みごときが口を挟まないでちょうだい」
「真の王はただ一人だ。星々が選んだご主人様だけが、真の王なのだ。そのことを弁えよ、炎の娘よ」
「うるさい男……」
ベルティーナは灰色の瞳を紫色に変えて虚空を見つめる。
すると次の瞬間、マルフスの目の前に大きな火柱が上がった。
「ひぃっ!!」
突如現れた炎に驚き尻をつくマルフス。
その無様な姿を冷然と見下しながらベルティーナは警告する。
「丸こげになりたくなかったら黙ってなさい」
そうして邪魔者を黙らすと彼女はレグスとの会話へと戻る。
「この男は面白い預言をしたわ。『赤き狐が奪った黄金を、星々の王は炎の娘と共に取り戻す』と。貴方は預言の内容までは聞いていなかったようだけど……、ねぇ素敵な預言だとは思わない?」
妖しく問いかける魔術師の娘にレグスは皮肉を以って返答する。
「お前が星の信仰者だったとは驚きだ。星読みの預言を頼りに危険を冒そうなど、およそ用心深い女のすることとは思えないな」
「この男の預言は危険を冒すだけの価値がある、そう判断しただけよ」
ベルティーナとてマルフスの預言を一分の疑いもなく信じきっているわけではない。
ただ、預言の内容が内容だけに無視するのも惜しく、それが壁の王が耳を貸すようになったほどの男の預言だというのなら、なおさら切って捨てる事はできない。
彼女にとってこれはひとつの賭けだった。
「考えてもみなさいな、ラスター家の黄金よ。一介の田舎貴族をユロア有数の大貴族へと変えた黄金の山を手にする事ができるの」
「夢物語にしか聞こえんな。ゴルディアの金鉱はラスターの生命線だ。お前が何を企もうが奴らがそれを手放すことはない」
「だったら力ずくで奪い取ればいいだけのことでしょ」
「商隊を襲って積荷を奪うのとはわけが違う」
「そんなこと百も承知よ」
「灰の地に築かれた植民市の多くが十年と持たず消えていく中、ゴルディアは百五十年もの歴史を誇っている。その事実こそが、あの街が確たる戦力を有している証左に他ならない。名門オルジェア騎士団も今はゴルディアを拠点に活動していると聞く」
「『名高きオルジェアの騎士達も狐の黄金に目が眩み、牙の抜け落ちた犬と化した』なんて話も聞くわ」
「ラスターの駒はオルジェア騎士団だけではない」
「そうね。連邦にはラスターの援助を受けている騎士や魔術師達が数多く存在するのは確かだわ。でも、それがどうしたって言うの? どれほどの手練れを飼い馴らしていようと問題じゃないわ」
不遜な笑みを浮かべながらベルティーナは言う。
「私には古き炎の神々が付いている」
「ラスター家から黄金を奪う、お前はその意味をわかっているのか?」
「もちろん。ゴルディアの黄金はシルボラの街に運ばれて誰もが知る『ディナス金貨』と化す」
ディナス金貨はシルボラにて鋳造される金貨の名であり、この貨幣は非常に高純度を誇り、また安定した供給を可能としてきたことから、信頼性の高い金貨としてユロアのみならず大陸中の人間に好まれて使用されるようになっていた。
赤き狐の一族が生み出すこの金貨は、エジア大王国の『和同金』と共に『西のディナス、東の和同』と呼ばれ、大陸通貨としての地位を確立している。
だがそれもゴルディアの黄金があってこそだ。
ラスター家がこれを失えば、当然新たなディナス金貨の鋳造は不可能となる。
「その供給が途絶えるなんて、歴史的大事件だわ」
まるで他人事のようにベルティーナは平然と言ってのけた。
「一植民市といえどゴルディアの失陥はラスター家だけの問題では済まない大事だ。ともすれば大王をも動かすことになるぞ」
大王の動員となれば広大な連邦領全土より各諸侯が精鋭を引き連れ参陣することになる。
大貴族といえどシルボラ伯も所詮は一国を治める一貴族にすぎない。大王が起こす軍とは比べ物になるはずもない。
連邦の国力からすれば、アンヘイを滅ぼしたフリアの連合軍の規模を上回る動員すら可能だろう。
いくら古き神々を召喚する『光焔の女王』とて、超大国『ユロア大連邦』を相手にするとなれば勝てる保証などありはしない。
しかし、そんなレグスの警告をベルティーナは鼻で笑い、否定する。
「ありえないわ。『戦争はやるものじゃなくて、やらせるもの』、それがユロア人達の座右の銘。どうしてそんな者達が他人の植民市のために血を流したりするのかしら。大王が防衛の義務を持つのは本国の領土だけよ。本国より遠く離れた植民市については、あくまでそれを所有する貴族の問題なの」
「ディナス金貨の鋳造が止まれば、その混乱の影響は他国にも広まる。商いを生業とするユロア人にとってそれは好ましいことではない」
「確かに一時的な混乱はあるでしょうね。だけどそれもすぐ収まるわ。ユロアの金貨は別にディナスだけではないもの」
女魔術師は灰色の瞳をレグスに向けながら語り問う。
「マールとドルクはご存知?」
「フラーヌとドッシェの金貨か」
「百五十年前、シルボラの田舎貴族が灰の地の黄金を手にするまで、ユロアの金貨といえば『マール金貨』か『ドルク金貨』のどちらかだった。どっちも金貨の質だけでいえばディナスに及ばないわ。だけど連邦という大きな後ろ楯さえあれば、大陸通貨としての座を十分に維持できるだけの物ではある。おわかりかしら? 連邦にも市場からディナスが消えるのを喜ぶ人間だっているってことよ。ディナスが消えれば、マールとドルクが金貨世界の王座に返り咲く。彼らにとってゴルディアの失陥はこれ以上とないその好機でもあるの」
「だから連邦はラスター家を見捨てると?」
「マールはフラーヌの名門イレリング家が、ドルクはドッシェの名門ヴェルフデック家がその鋳造を担っている。ヴェルフデックと『四選侯』のハウツローレン家は長年来の盟友同士。そして今の大王はハウツローレン家の人間よ」
かつての大内乱によってユロア建国王家の血筋その本流は絶えて久しく、現在ユロアの大王は『四選侯』と呼ばれる四つの家から選出されることになっていた。
一代限り交代制の大王位、そしてその位に現在ついているのはハウツローレン家出身のハインヘルム七世である。
大王ハインヘルム七世が盟友ヴェルフデック家の好機を潰すような真似をするはずがない、というのが欲深き女魔術師の目算であった。
「たとえ大王が動かずともヴェルフデックにハウツローレンがついているように、ラスターにだって協力する家はあるはずだ。それこそ他の四選侯達はハウツローレン家が利するのを黙って見過ごしはしまい。とくにロマリアのエステネーゼ家やウェスパニアのアルブケス家などはな」
「フラーヌやドッシェの影響力が強まるのは、ロマリアやウェスパニアの人間達にとっては面白くないでしょうね。だけど彼らは動かないわ」
「何故そんなことが言い切れる」
「大伯様は嫌われ者だからよ」
シルボラ伯は伯爵位でありながら連邦に属する一国を治める者として『大伯』と呼ばれることがあった。
むろんベルティーナがわざわざそこに『様』までつけ足して呼ぶのは敬意からなどではない。
嘲笑的な笑みを浮かべる女にレグスは問う。
「どういう意味だ」
「簡単なことよ。連綿と続くユロアの貴族社会において、たかが百五十年ばかり調子のいい貴族なんてただの成り上がり者。それを面白く思ってない人間はごまんといる」
「そんな感情論でエステネーゼやアルブケスはラスターに手を貸さないと?」
「人間は合理性だけでは動かない。それにこれは感情論だけの問題でもないわ」
そう言ってベルティーナは四選侯とラスター家の少々複雑な関係性を説明する。
「ドッシェのハウツローレン、ロマリアのエステネーゼ、ウェスパ二アのアルブケス、そしてフラーヌのオルディーヌ。四選侯と呼ばれるユロアの四大貴族にとってシルボラのラスター家は言わば異端者よ」
「異端者?」
「長らくユロアの大王位は四家によって独占されてきた。それも百年、二百年どころの話じゃないわ。それはつまり、彼らは互いに大王位をめぐり争い合う仲でありながらも、ユロアにおける一つの聖域を築く事に成功している証でもある。連邦の主導権は自分達が握り続けるという聖域」
「ラスターはその聖域を脅かす存在だと?」
「四家を競合者と表現するなら、彼らにとってラスターは聖域を脅かす外敵よ。異端者、異教者、何だっていいけれど、そういった脅威を前にすれば日頃争う仲の者達も協力を始めるわ。かつてアンヘイの脅威にフリア諸国がまとまったようにね」
「いくらラスター家とて四選侯に取って代わるほどの力を有しているとは思えんが」
「そう、今はまだね。だけどこれから先はどうかしら」
元来シルボラの街はこれといった産業を持たない小さな田舎街にすぎなかった。
そしてゴルディアの黄金が発見されてからも街の産業的脆弱さは変わることなく、連邦でも有数の豊かさを誇るようになってなお彼らの経済は壁の先からもたらされる黄金に完全に依存してしまっていた。
このような状態が百年以上もの長きに続いたのは、ラスター家の歴代の当主達がもたらされる莫大な富の多くをひたすら消費するばかりで、街の産業の育成に投資してこなかった為である。『無能ゆえの失政』、短絡的に捉えてしまえばただそれだけの事に見える事象ではあったが、彼らは何もまったくの考え無しに富を浪費し続けたわけではなかった。
もしシルボラの街がその豊かさを維持したまま、黄金に依存しない経済を成り立たせるほどの産業をおこすとなると、それは連邦中に影響を与えるほど大規模なものとならざるをえない。そうなれば、その商売敵となる者達にとってシルボラの街は大きな脅威と映ることになる。
そしてその商売敵とは他ならぬ連邦諸国の貴族、商人達を意味する。
もともと彼の地の黄金によって割を食うことになったフラーヌやドッシェの有力貴族達からはいい目では見られていないのだ。そこでさらに他の諸侯からの覚えが悪くなるような動きをすれば、シルボラは連邦内で孤立しかねない。
そう考えたからこそ歴代の当主達は下手に産業をおこすことは避け、彼らの上客を演じ続けることで街の安寧を得る事にしたのだった。
だがベルティーナ曰く、そうして生きてきたシルボラの街に近年変化が起こっているという。
現ラスター家当主の命の下、街の郊外には巨大な工房が次々と建設され、そこにはユロア、フリアの各地より厚遇を以って評判高き薬師達が集められており、彼らは薬の生産と新薬の研究に日夜取り組んでいるとのこと。
そうしてシルボラの工房より生み出される薬は、自身の街で消費されるだけでなく連邦諸国に輸出されており、彼らの薬は連邦の薬市場において日に日にその存在感を増しているという。
ユロアにおける薬の一大産地であるロマリアの名だたる薬師ギルドが生み出す商品に割って入るなど簡単に出来ることではない。
実際この大事業を成功させる為に大伯は多くの財と時を要しており、工房の建設や薬師集めだけでなく、シルボラ産の薬を仕入れることによるロマリア貴族や商人の反感を恐れる者達に対する事前の根回しだけでも十年、二十年という歳月をかけたという。
だがその苦労の介あってかこの大事業は無事軌道に乗ったといえる。
依然市場における大勢はロマリアの薬師達にあるものの、着実に彼らの市場を削りとっており、さらに十年、二十年と経てばその勢力差はますます縮まっていることだろう。
ロマリアの薬師達や彼らの後援者である貴族達にとってシルボラの街は今や黄金を吐き出す上客などではなく、手強い商売敵となっていたのだ。
「赤き狐は道化の仮面を外して名実ともに四選侯と並ぶほどの大貴族になろうとしている。それを夢想と笑い飛ばせる者がいまや連邦諸侯の中にどれほど残っているでしょうね」
ラスター家の壮大な野心が確かなものであるなら、彼らの躍進は薬市場にとどまらないだろう。
将来的にはあらゆる市場に赤き狐の一族が進出する可能性があるといえる。
ロマリアの大貴族、大商人が持つ既得権益を打ち破った者達にそれが不可能だと言い切れる者はいるだろうか。
ユロア人達は感じ始めている。もしかすればラスター家は凝り固まったユロア社会に大きな変化をもたらす存在なのではないかと。
そして恐らくその変化を、既得権益の上に居座る者達は望みはしまい。
特に四選侯と呼ばれるほどの大貴族なら尚更のことだ。
「ずいぶんと連邦の事情に詳しいな」
「こんなもの詳しいうちに入らないわ」
ベルティーナの主であるロブエル・ローガは一国の大臣職まで務めた男であり、彼を支えた老魔術師トーリは彼女の師である。
青国の情勢については、彼女は自然と耳に入ってくる立場にいたのだ。
むろんロブエルが失脚してからは他国の情勢を細かに追っている余裕などありはしなかっただろうが、それでも今現在のユロアの情勢とそう大きくずれた見解ではないだろう。
「万事お前の見立てどおり事が運んだとして、ラスターが起こす奪還軍との衝突は避けられまい。一度ゴルディアを落とされたとなれば、当然それは駐留戦力をも大きく上まわる規模となるだろう」
「どれだけ引き連れてこようと結果は同じことよ。私が勝ち、ラスターは敗れる」
「魔術師の力は底知れぬ、たとえ炎の民の血をその身に流さぬ者だろうとな。あの広大なユロアの地に、古き神を脅かすだけの力を有する魔術師がいないとどうして言い切れる」
「神を脅かす魔術師ですって? そんなものが存在するのは御伽話の中だけよ」
「古き神も伝承の中の住人にすぎないはずだった」
「引導師オルバ、火然卿ラグナル、雷鳴のリュモス」
ユロアの高名な魔術師達、その一部の名をあげながらベルティーナは言う。
「誰であろうと同じことよ。どれほど優れた魔術師とて古き炎の神々の力には決して及ばない」
「その過信ゆえに炎の王国は滅びた」
「それも新しき神々の助力があったからこそ、遠い昔話よ。……ラスター家に微笑む神はいないわ」
ベルティーナは強気の姿勢を崩さない。
「貴方も聞いたことぐらいはあるでしょ、炎の民の怒りを買った大国クガニアの悲劇の伝説を。いにしえの軍事大国すらも滅ぼすこの力に、ラスターごときの軍勢が敵うはずがない」
「たいした自信だな」
呆れにも似た感情と共にレグスはこの場で彼女の野心を止める事ができないことを悟る。
「……どうやらお前には何を言っても無駄らしい。ただこれだけははっきりと言っておくベルティーナ、俺がお前のその馬鹿げた野望に手を貸すことはない。黄金欲しさにラスター家と戦争をするというのなら、勝手に一人でやるといい」
「そうはいかないわ。黄金の在り処は秘匿されている。壁の民達すらゴルディアの街の正確な位置を掴めてはいない。……だけど、彼は知っているそうよ」
女の視線の先にあるのは星読みのマルフスの姿である。
「これも星の導きってやつかしら」
「だったらその男を連れていくといい」
「そんな!!」
抗議の声をマルフスがあげるが、レグスは聞く耳を持たない。
その様子を見てベルティーナは冷笑を浮かべる。
「ひどい男」
「自分で蒔いた種だ」
警告を無視しベルティーナを焚き付けたのは他ならぬマルフスだ。
壁の王から頼まれている男だとはいえ、その勝手な行動の責任は彼自身にとってもらわねばならない。
「あぁ……」
気落ちする小男の哀愁漂う姿はベルティーナの目にはひどく滑稽に映った。
「まるでこの世の終わりって感じの顔ね」
そして意地の悪い笑みを浮かべながら彼女はレグスに言う。
「彼、ずいぶんと貴方にご執心みたいよ。慈悲深い私としてはそんな二人を引き離すなんて、とても気が引けるわね。……何より預言には貴方のことも謳われている」
ベルティーナがレグスにこだわるのは預言のことがあるからだけではない。
「それに私は貴方の腕も買っているわ。一流の魔術師と一流の剣士。お互い協力し合った方が、旅路も楽になるってものよ」
「ラスターと戦争しようという者がずいぶんと情けないことを言うな」
「大きな力を使うのは疲れるもの」
ベルティーナのそれは冗談めかした口調だったが存外、真実を語っているのかもしれない。
大きな力には大きな反動が伴うものだ。
実際初めてその力に目覚めた時、覚醒後の反動で彼女は気絶し眠ってしまっていた。
それが古き炎の神イファートの暴走にも繋がった。
その事を思えば、長い旅の中で常に全力を出し続けることはできないはず。となれば、隙が生まれることは十分にありえることだろう。
あるいは単純に己の力をまだ扱え切れていない不安が彼女にはあるのやもしれない。
どちらにしろ確かな事は、ベルティーナには一人でゴルディアに向かう気がないということだ。
「経路は既に決定済みだ。お前一人の為にそれに変更を加えることはない」
レグスはゴルディアの街の位置を知らない。
広大な灰の地である。街が予定経路から大きく外れた位置に存在していてもおかしくはない。
当然もしそうであったのなら、そんなところに寄っている余裕など彼にありはしなかった。
「その点なら安心して頂戴。ゴルディアがある場所は貴方達の組んだ経路からそうずれていないそうよ」
何故そんな事をベルティーナが言い切れるのか。それはマルフスから話を聞いたからに違いない。
詳細な経路まで話したわけでもないだろうが、それでも許可もなくその手の情報を漏らすなど言語道断な行いだった。
そもそも女の目的地が自分達の予定経路の近くにあるのは単なる偶然だといえるのだろうか。
経路の選定作業にはマルフスも関わっていた。彼の助言を受けて変更を加えた箇所もある。
ゴルディアの近くを通るように誘導されていたという可能性は十分に考えられる事だった。
レグスの表情は自然と険しさを増す。
「たいした偶然だ。だが答えは同じだ、俺達はゴルディアには向かわない」
「頑なね。……私が怖いの?」
女の挑発的な笑みにも男は動じず、毅然たる沈黙にてその意を示した。
「そう……。残念ね、あまりこういう手は使いたくなかったのだけれど……。取引しましょ、レグス・ロカ」
ベルティーナの瞳に宿る悪意がよりいっそうと強まる。
「驚きよね。いわく付きの王子様が生きていたなんて……。冷徹な蒼き花の女王も、親子の情には負けてしまったってことかしら」
壁の王はレグスが語った真実について、いたずらに口外する事はないと約束していた。
にも関わらず、彼の眼前に立つ女はどうしてその秘密を口にしているのか。
考えるられることは二つ。
お喋りな壁の民から聞き及んだか、あるいは単なる推論か。
後者であるなら、おいそれと彼女の言葉を肯定するわけにはいかない。
「何の事だ。俺はお前にロカなどという家名を名乗った覚えはないが」
「シラを切るつもり? 貴方のその猿芝居、いつまで続くものかしら」
悪意という棘を隠す気もない口調で女は言葉を続ける。
「協力を拒むと言うのなら残念だけど狐の黄金は諦めることにするわ。けれどもその代わり、私達はロレンシアに向かうことにする。そして素敵な知らせを届けてあげるの。……『レグス・ロカは生きている』」
それは明らかな脅迫だった。
どうやら悠長にとぼけ芝居を打ってる場合ではないらしい。
「死んだ人間は生き返らない。誰がそんな妄言を信じる」
「民衆とは常に愚かなものよ。彼らは信じがたき嘘にも真にも踊らされる。壁の王がわざわざ恩赦を与えるほどの一団が『狂王の堕とし仔』は生きていたと口にすれば、ロレンシアの人間はどう思うでしょうね。とくに女王の統治をよく思っていない人達なんかは」
「脅しをかける相手はよく選べ。こっちには力ずくでその口を封じる手もある」
「あら怖い。だけどそんな事を口にしている時点でそれは無理だと言っているようなものじゃない。それとも本気で試してみるつもりなのかしら? その左手に隠し持った短剣がこの私に届くかどうか」
いつの間にかレグスの手に握られていた凶器の存在をベルティーナは見抜いていた。
妖しく、美しく、瞳を紫に輝かせながら彼女は言う。
「ねぇこれでわかったでしょ。沈黙の代金として貴方はゴルディアの黄金を支払う。単純な取引だわ。……まさか断りはしないでしょうね、悲劇の王子様?」
レグスは無言でベルティーナを睨みつけた。
その無言は先ほどとは異なる苦渋の沈黙であった。
それがまさに彼の回答に他ならない。
「取引成立ね」
にやりと笑みを浮かべてベルティーナは相手の男に背を向ける。
「細かい話はまた今度にしましょ」
そう言って上機嫌で去っていく女魔術師とは対象的にレグスの表情は硬いままであった。
「あれがあの女の本質だ。……まったく余計なことをしてくれたものだ」
主である男の言葉に事態を招いた張本人、マルフスはただただ恐縮するしかなかった。




