表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炎上  作者: 柊ゆるな
10/10

第10章 清洲会議の前に


天正十年六月十三日。

山崎の戦いが終わった。

結果は、秀吉の圧勝であった。

光秀の軍は、わずか数時間で崩壊した。光秀自身は、敗走の途中で落ち武者狩りに遭い、命を落とした。

その知らせを聞いた時、秀吉は何も言わなかった。

ただ、静かに頷いただけであった。

「光秀殿、安らかに」

秀吉の言葉には、哀悼があった。

だが、その目は冷たかった。

すべては、計画通りだ。

光秀を討ち、信長の仇を取った。

これで、秀吉は織田家中で、最大の功労者となった。

だが、秀吉の戦いは、まだ終わっていなかった。


山崎の戦いの翌日。

秀吉は、陣営で諸将を集めた。

織田信孝、丹羽長秀、池田恒興、そして他の武将たち。

「皆々、よくぞ戦ってくれた」

秀吉は、深く頭を下げた。

「これもひとえに、皆の協力があってのことだ」

諸将は、秀吉の言葉に頷いた。

だが、その心の中では、複雑な思いがあった。

確かに、光秀を討ったのは秀吉である。

だが、その功績があまりにも大きすぎる。

このまま行けば、秀吉が織田家の実権を握ることになるかもしれない。

織田信孝は、それを最も恐れていた。

「羽柴殿」

信孝が、口を開いた。

「光秀を討った功は、誠に大きい」

「ありがたき幸せ」

秀吉は、謙遜した。

「だが、これからが重要だ」

信孝の言葉に、秀吉は顔を上げた。

「と、申しますと」

「織田家の跡目を、どうするか」

その言葉に、一同が静まり返った。


織田信長には、多くの息子がいた。

長男・信忠は、本能寺の変の際、二条御所で討ち死にした。

次男・信雄は、伊勢にいる。

三男・信孝は、ここにいる。

他にも、幼い子供たちがいる。

誰が、織田家を継ぐのか。

それは、これからの天下の行方を決める、重要な問題であった。

「信忠様の御子、三法師様がおられます」

丹羽長秀が、言った。

「まだ、幼いですが」

「幼すぎる」

柴田勝家の使者が、反論した。

勝家は、北陸から戻る途中であったが、使者を送っていた。

「三歳の子が、織田家を継げるはずがない」

「では、誰が」

長秀が、問い返した。

「信孝様か、信雄様か」

その問いに、誰も答えなかった。

秀吉は、黙ってその様子を見ていた。


「この件は、後日改めて話し合おう」

秀吉が、口を開いた。

「まずは、光秀の残党を討ち、京を安定させることが先決だ」

秀吉の言葉に、一同は頷いた。

確かに、まだ光秀の家臣たちが各地に残っている。

それを鎮圧しなければ、織田家の支配は安定しない。

「それに、柴田殿もまだ戻っておられない。柴田殿を交えて、改めて話し合うべきだろう」

秀吉の提案は、もっともであった。

柴田勝家は、織田家の筆頭家老である。彼を抜きにして、跡目を決めることはできない。

「では、柴田殿が戻られてから、清洲城で会議を開こう」

丹羽長秀が、提案した。

「清洲会議、か」

秀吉は、その名を呟いた。

そこで、すべてが決まる。

織田家の跡目。

そして、天下の行方。

秀吉の目には、決意があった。


会議が終わった後、秀吉は一人、陣幕に残った。

そこへ、黒田官兵衛が入ってきた。

「羽柴様」

「官兵衛か」

秀吉は、官兵衛を見た。

「清洲会議、どう思う」

官兵衛は、しばらく黙っていた。

そして、答えた。

「難しい場になるでしょう」

「そうだな」

秀吉は、頷いた。

「柴田は、信孝様を推すだろう」

「おそらく」

「丹羽や池田は、どちらにつくか分からん」

「はい」

秀吉は、地図を広げた。

そこには、織田家の勢力図が描かれている。

「わしは、三法師様を推す」

秀吉の言葉に、官兵衛は驚いた。

「三歳の子を、ですか」

「そうだ」

秀吉は、官兵衛を見た。

「なぜなら、幼い子なら、誰かが後見人として支えねばならぬ」

「その後見人に、羽柴様が……」

「そういうことだ」

秀吉の目には、冷徹な計算があった。


「だが、柴田殿は認めないでしょう」

官兵衛が、言った。

「柴田殿は、織田家の筆頭家老だ。その発言力は、大きい」

「分かっている」

秀吉は、頷いた。

「だが、わしには策がある」

「策、ですか」

「そうだ」

秀吉は、立ち上がった。

「柴田殿は、北陸から戻る途中だ。清洲に着くのは、まだ先になる」

「はい」

「その間に、わしは京を掌握する」

秀吉の言葉に、官兵衛は理解した。

秀吉は、時間を味方につけようとしている。

柴田が戻る前に、既成事実を作る。

光秀の残党を討ち、京を安定させ、民衆の支持を得る。

そうすれば、清洲会議でも、秀吉の発言力は増す。

「さすがです」

官兵衛は、感心した。

だが、同時に、恐ろしくもあった。

秀吉は、常に一手先を読んでいる。

いや、二手、三手先を。


「官兵衛」

秀吉が、官兵衛を見た。

「お前は、わしをどう思う」

突然の質問に、官兵衛は戸惑った。

「それは……」

「正直に言ってくれ」

秀吉の目は、真剣であった。

官兵衛は、しばらく考えた。

そして、答えた。

「恐ろしい方だと思います」

秀吉は、笑った。

「恐ろしい、か」

「はい。羽柴様は、すべてを計算しておられる」

「すべて、か」

「本能寺の変も、中国大返しも、山崎の戦いも。そして、これから起きることも」

官兵衛の言葉に、秀吉は何も言わなかった。

ただ、笑みを浮かべているだけであった。

その笑みは、肯定とも否定ともつかないものであった。


「官兵衛、わしは天下を取る」

秀吉は、はっきりと言った。

「そのためには、何でもする」

「はい」

「お前は、それでもわしについてくるか」

官兵衛は、即座に答えた。

「お従いいたします」

「なぜだ」

「羽柴様なら、天下を治められると信じているからです」

秀吉は、官兵衛の目を見た。

その目には、嘘がなかった。

「そうか」

秀吉は、官兵衛の肩に手を置いた。

「ありがとう」

その言葉には、珍しく本心があった。

秀吉は、孤独であった。

すべてを計算し、すべてを操る。

だが、その孤独を、誰も理解してくれない。

官兵衛だけが、理解している。

だからこそ、秀吉は官兵衛を信頼していた。


数日後、柴田勝家が京に到着した。

勝家は、秀吉の陣営を訪れた。

「羽柴殿」

勝家の声は、低かった。

「柴田殿、よくぞ戻られました」

秀吉は、深く頭を下げた。

「光秀を討つことができたのは、柴田殿の日頃の威光があってのことです」

「いや、すべては羽柴殿の功だ」

勝家の言葉には、複雑な響きがあった。

賞賛と、嫉妬と、警戒が混じっていた。

「さて、清洲会議の件だが」

勝家が、本題に入った。

「織田家の跡目を、決めねばならぬ」

「はい」

「わしは、信孝様を推す」

勝家の言葉に、秀吉は頷いた。

「信孝様は、立派な方だ」

「だが、羽柴殿は違う考えか」

勝家の目が、鋭くなった。

秀吉は、笑みを浮かべた。

「わしは、三法師様を推したいと思います」


「三法師だと」

勝家は、驚いた。

「あれは、まだ三歳の子だぞ」

「だからこそ、です」

秀吉は、静かに言った。

「織田家には、多くの家臣がおります。その家臣たちが、幼い主君を支えて育てる。それが、織田家の団結を保つ道だと、わしは思います」

「詭弁だ」

勝家は、怒りを露わにした。

「お前は、三法師を傀儡にして、織田家を乗っ取るつもりだろう」

秀吉は、否定しなかった。

「柴田殿こそ、信孝様を傀儡にするおつもりでは」

「何だと」

二人の間に、緊張が走った。

だが、秀吉は平静を保った。

「この件は、清洲会議で決めましょう。他の皆の意見も聞いて」

「そうだな」

勝家は、渋々頷いた。

「清洲で、決着をつける」

秀吉は、心の中で笑った。

清洲会議。

そこで、すべてが決まる。

だが、秀吉には勝算があった。


勝家が去った後、秀吉は一人、考えていた。

清洲会議までに、やらねばならないことがある。

丹羽長秀と池田恒興を、自分の味方につける。

彼らが秀吉側につけば、勝家は孤立する。

そして、三法師を擁立する。

それが、秀吉の計画であった。

秀吉は、密使を送った。

丹羽と池田のもとへ。

そして、自分の考えを伝えた。

三法師を擁立すること。

そして、織田家の家臣たちが団結して、幼い主君を支えること。

その美名の下に、秀吉は自分の野望を隠した。

丹羽と池田は、秀吉の提案を受け入れた。

なぜなら、彼らも勝家の専横を恐れていたからだ。

秀吉は、着々と準備を進めた。

清洲会議は、もう秀吉の手の中にあった。


六月下旬。

清洲城に、諸将が集まった。

柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興、そして羽柴秀吉。

織田家の重臣たちが、一堂に会した。

会議は、緊張した雰囲気の中で始まった。

だが、結果は決まっていた。

秀吉が、すでに根回しを済ませていたからだ。

三法師が、織田家の跡目となった。

そして、秀吉が、その後見人の一人となった。

勝家は、怒りを露わにした。

だが、多数決には逆らえなかった。

清洲会議は、こうして終わった。

秀吉の勝利で。

会議が終わった後、秀吉は一人、城の櫓に立っていた。

眼下には、清洲の街が広がっている。

「信長公」

秀吉は、呟いた。

「わしは、お前を超える」

その言葉には、決意があった。

本能寺の変から、わずか一ヶ月。

秀吉は、織田家の実権を握った。

そして、天下への道を、確実に歩み始めた。

すべては、計画通りであった。

清洲会議の前から、秀吉は勝っていた。

なぜなら、秀吉は誰よりも早く動き、誰よりも深く考え、誰よりも冷徹に実行したからだ。

月が、空に昇っていた。

その月は、秀吉を照らしていた。

秀吉の野望を。

秀吉の孤独を。

そして、秀吉の罪を。

だが、秀吉は止まらない。

天下を取るまで、決して。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ