20日目 3人の旅人
2時12分
ぼくは、マスクヴァ市内のアイリッシュパブ(この世界においてそれをアイリッシュというのならだけれど)で、舞雪ちゃんと、お酒を奢ってくれた3人の男性とお酒を片手に会話を楽しむことになった。
旅を始める前のぼくなら、こんなに社交性抜群な自分を想像も出来なかった。
だが、旅を通じて様々な人との出会いと別れを繰り返してきた経験と、お酒が入っていて無敵状態になった今のぼくなら、見ず知らずの街で出会った見ず知らずの男性たちとの会話くらい、楽に越えられるハードルでしかなかった。
セウェードゥン出身のアンデシュさん、フロンジェリーヌ出身のイポリトさん、アテリア出身のフェデリコさん、この3人の男性もまた、旅行者であり、マスクヴァで年に1週間ほど行われるマスク祭りを目当てにこの街にやってきたらしい。
旅先で出会った女性とのロマンスというのも3人の目的の中にはあったけれど、それを敏感に察知したぼくと舞雪ちゃんは新婚旅行中のレズカップルということで3人の毒牙を避けることに成功した。
アンデシュさんは、イポリトさんの脇を肘で突いた。「言ったろ? 美人には誰かいるもんだ」
イポリトさんはワインを啜った。「私だってそう思ったさ。でも、まさかカップルだったなんて想像出来るもんか」
「2人はどこから来たんだい?」フェデリコさんはアンチョビとオリーブの入ったトマトソースパスタをくるくると巻き取りながら言った。
「ニホニアやで」と、舞雪ちゃん。
ぼくは、そばを通りかかったウェイトレスさんを呼び止め、フェデリコさんが食べているものと同じものを注文し、メニューも持ってきてもらうことにした。
背の高い立ち飲み用のテーブルにはパスタやおつまみに向いた軽食がたくさん乗っていた。
それらはどれもこれも美味しそうで、ぼくはせっかくなのでこのパブのメニューで気になったものを片っ端から食べてみたくなった。
「ニホニアか、行ったことあるよ」と、イポリトさん。「ニホニアにゃんが可愛かった。ああいうのはフロンジェリーヌにはないから、目新しくて、ついついファミリーセットを買ってしまったよ」
「フロンジェリーヌにはいないんですか?」ぼくは、オリーブの実を摘みながら聞いた。
イポリトさんは首を横に振った。「フロンジェリーヌにもアートはあるが、動く絵画だったり、宗教建築だったりが主だな」
「へー……」と、声を漏らしながらうなずく。その時ぼくはひらめいた。「ニホニアにゃんをテーマに、動く絵画を描いたらどうですか? それを何枚も。物語みたいにテーマを付けて」
イポリトさんは、驚いたように目を見開いた。「映画みたいにか?」
「そうですそうです。演者さんを絵画の登場人物に置き換える感じで」
「その発想はなかったな」イポリトさんは、舞雪ちゃんの胸を見ながらパスタを食べているフェデリコさんの顔の前で手を振った。
「なんだ、今忙しい」舞雪ちゃんの魅力抜群のスタイルを目に焼き付けるので忙しいフェデリコさんは、イポリトさんを見もせずにワインを啜った。嫁の前で嫁の胸をガン見するとは、彼は中々良い根性をしていた。舞雪ちゃんは舞雪ちゃんで、ニヤニヤしながらフェデリコさんを横目でチラチラ見て、時折彼を挑発するようなポーズを取ったりしている。嫁の前で不倫をするとは、こちらも中々良い根性をしている。
「聞いてなかったか? 絵画で映画を作るんだ」イポリトさんはぼくを見た。「映画を撮ってるんだ」
ぼくは頷いた。ものは試しと、ぼくも舞雪ちゃんのポーズを真似してみたけれど、フェデリコさんはぼくをちらっと見て、ふっ、とほくそ笑み、首を横に振りながらパスタを口にして、再び舞雪ちゃん(その一部)に視線を戻した。こいつの映画は絶対に観てやらない、と、密かに決意したぼくは、滲んだ視界の中で、カクテルを一息で空にした。ぼくは、パスタを運んできたウェイトレスさんにもっと強いカクテルをおまかせで注文した。この場は3人が奢ってくれる。フェデリコさんが遠慮しない姿勢を取るなら、ぼくもぼくで遠慮はなしだ。
「良いねぇ。おねえさん、俺にも同じカクテルをくれ」と、アンデシュさん。気さくな彼は、舞雪ちゃんと話しながらも、イポリトさんと話すぼくに「これ美味しいぞ」とか「これそのカクテルに合うんじゃないか?」とか言いながら、いつの間にか注文していた料理やおつまみの皿を寄せてくれたりする、気配り上手な紳士だった。どっかのフェデリコさんも少しは見習えば良いのにと思うものの、彼は食欲と性欲に忠実な姿勢を崩すつもりはないらしく、突然何事かを考えるように宙を見て、ふっ、とほくそ笑むと、ワインを啜った。舞雪ちゃんの胸部に付ける名前でも思いついたのかもしれない。右はフェデリコ、左はフェリーニといった具合に。
ぼくは、一口パスタを食べ、バッグからタバスコを取り出した。「イポリトさんは、いつもはどんな仕事をされているんですか?」ぼくはパスタにタバスコをかけながら言った。トマトソースのパスタとたらこパスタにはタバスコと相場が決まっている。一口食べて粉チーズも試したくなったけれど、それは二皿目で良いだろう。
「私は、インターポールの国際魔法犯罪課に勤めてる」
「え、かっこいい」
イポリトさんは微笑んだ。「ありがとう。この間、ちょっとした事件を解決してね、そのご褒美で3ヶ月の休暇を頂いたんだ」
「どんな事件ですか?」ぼくは、手に持ったフォークでパスタをくるくると巻いた。トマトとバジルとガーリック、そしてタバスコの香りが、ぼくのお腹を鳴らした。
「内緒」イポリトさんは、口の前で人差し指を立てた。
「けち」一口含めば、口の中にバジルの強い風味が広がり、ガーリックとタバスコ、オリーブオイル、そしてアンチョビがそれに続いた。トマトの酸味と甘味、タバスコの辛味が食欲を刺激する。これはいくらでもイケちゃうヤツだ。ぼくの脳裏に体重計が浮かんだけれど、ぼくは代わりに舞雪ちゃんの胸を見て、同時にルナさんのおへそを頭に思い浮かべ、体重計という罪悪感の象徴を打ち消した。こんなに美味いパスタを味わっているのだ。体重のことなんか後で考えれば良い。まてよ? そうか……、そういうことだったのか。ぼくは、天啓を受けたような気持ちでフェデリコさんを見た。
彼はぼくをちらりと見ると、頷いて、再び食事と舞雪ちゃんの胸へと戻った。
彼もまた体重計のことを頭から追い出すために、もっとインパクトの強いものを見ていたのかもしれない。そう考えれば、フェデリコさんの目がどこか夢見心地なことにも説明がつく。さすがアテリア(愛と情熱と美食の国イタリアの異世界版)からやってきた男だ。美味しい料理の楽しみ方を心得ている。ぼくは、彼に倣って舞雪ちゃんの胸部を眺めることにしたけれど、舞雪ちゃんがニヤリとこちらを見てきて、さっと目を伏せた。なんだか羞恥心と正気が一緒に戻ってきたような感じで、顔が熱い。見てみれば、イポリトさんもニヤついていた。ぼくは、テーブルに届いたカクテルを飲んだ。無敵モード(酔っぱらいタイム)を引き伸ばすためだ。喉が焼ける感覚が心地良い。
「美味しそうだ。一口分けてくれよ」と、イポリトさん。
ぼくはパスタを小皿によそって、彼に差し出した。「なんだか落ち着いてますね。ちゃんと飲んでますか?」
「徐々に上げていくタイプなんだ。ありがとう」
「俺たちの保護者のつもりなのさ、こいつは」アンデシュさんは、ぼくと同じカクテルを一口飲んだ。「大人ぶりやがって、気に入らねぇ。お前もこいつを食らいやがれ」と、アンデシュさんは、テーブルの上にあったジョッキ(それはエッフェル塔のように巨大で、3リットルサイズのものだった)を掴んで、イポリトさんの口に押し付けた。
イポリトさんは、「やめてくれよ」と、笑いながら言うと、凱旋門のように巨大なジョッキを受け取り、アンデシュさんを見て、ニヤリとした。「飲めば良いんだろ飲めば」と、彼は、ごく……、ごく……、ごくごく、ごくごく、ごくごくごくごくごくごく……っ! と、口を離すことなく、喉を波打たせた。いつの間にやら、周囲のテーブルにいたお客さんやウェイトレス、バーテンダーまでもが楽しげにその様子を見守る中、ジョッキの中のビールはモン・サン・ミッシェルを覆う湾の潮が引いていくかのように、急速な勢いでなくなっていった。「ぷはーっ! どっかーんっ!」と、イポリトさんは、巨大なジョッキをテーブルに叩きつけ、拍手と歓声と指笛、そして「もう一回っ!、もう一杯っ!」というコールの中、大声で笑った。テーブルの上を舞う料理を見たイポリトさんは、これはいけないと言った顔で、「おっと」っと、指を振るった。宙を舞う料理たちは、それぞれのお皿へ戻った。イポリトさんは、しゃっくりを一つしてから、声を上げて笑った。「いやーっ! エンジンかかっちまったぜーっ! おいアンデシュ、私を本気にさせたことを後悔するんじゃないぞっ? 紳士淑女の皆様! もっと面白いものを見せてやるぜっ! もう一杯持ってきてくーーっ!」
イポリトさんは、最後まで言い切ることが出来なかった。ちょうどその時、店の外から、どっかーんっ! と、爆音と何かが割れる音、何かが崩れる音が聴こえ、店内が振動に襲われたのだ。
もっと面白いものって花火だったのかな、と思いながら、ぼくはイポリトさんを見た。
舞雪ちゃんや、アンデシュさん、その他の店内の人々も、イポリトさんを興味深そうに見ている。
窓の外から、悲鳴が聴こえてきた。
見れば、そちらでは、仮面をつけた人々が、慌てた様子で同じ方向へ駆けていた。
イポリトさんは、周囲を見て、しゃっくりをしてから、自分に対して白い視線を向けている人々へ口を開いた。「いや? 私じゃないぞ? ひっく」
そんな中で、フェデリコさんだけが、のんきにマイペースに、むしゃむしゃとパスタを味わいながら、舞雪ちゃんの胸へと視線を向けていた。
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この物語はフィクションです。実在する如何なる人物、団体、出来事と本作品は関係ありません。物語内では未成年が飲酒喫煙をしてますが、彼らは人間ではなく魔法族です。本作品には未成年者の飲酒喫煙を推奨する意図はありません。自分の心と体を大事にしましょう:)




