11日目 系譜
ぼくは、焚き火の薪が弾ける音に耳を傾けていた。
薄暗い談話室。
ぼく以外、誰もいない。
ぼくは、旅行から持ち帰ったオレンジ色の手帳に万年筆を走らせようとして、再び止まった。
このまま、こうして、どれほどの時間を過ごしただろう。
ぼくは、万年筆を握る手に力を入れ、そして、筆を走らせた。
【これは、一人の子供が大人になる。
それだけの、平凡な物語】
ぼくは、眉をひそめた。
なんか違う気がする……。
ってゆーか、キャッチコピーを自分でつけるのって、ダサい。
ぼくは、書いたばかりの文章に横線を引いた。
ため息を吐き、背もたれに寄りかかり、暖炉の中でゆらめく火を見つめる。
年が明けて、数時間が経つ。
旅行から戻って、それよりも少しだけ長い時間が経っていた。
旅行の思い出を振り返っても、わからない。
一体、あの1年間の旅行がなんだったのか……。
多分、考えても、一生わからないのだろう。
ぼくには把握しきれないことが多すぎた。
ぼくにわかることは、それだけだ。
ぼくは、暖炉の中でゆらめく火を見つめた。
そうしていると、旅行の思い出が脳裏をよぎる。
今浮かんだのは、クラリッサと別れた時のことだった。
彼女は、ぼくにいろいろなことを教えてくれた。
先生だ。
友人であり、親友であり、戦友であり、そして、かけがえのない、大切な人。
出会った時は、あの人が、ぼくにとって、わたしにとって、それほどまでに大切な人になるなんて、思っても見なかった。
ぼくは目を瞑った。
ぼくは、ヴェルとともに、舞雪や、グロリアや、ゾーイさんやクラリッサやユアンさん達の元へ向かった。
そんなぼくを見て、みんな、笑顔を浮かべた。
それを見て、ぼくは、申し訳ない気持ちと、そして、ほっとした気持ちで胸がいっぱいになり、目に涙が浮かんだ。
恥ずかしい。
それでも、情けないとは思わなかった。
ふと、ヴェルはどんな顔をしているんだろうと思い、右側を見たが、そこにヴェルはいなかった。
振り返れば、ヴェルは、ドレスソードを抜いて、その切先を、大勢の人たちに向けていた。
ベトベトの油に汚れてしまったチョコレートブラウンの髪が、風にたなびいていた。
ぼくは、その彼女の背中を見て、なんだか楽しくなり、なんだか、彼女と肩を並べたくなった。
ぼくは、右手の指輪をドレスソードに変え、そして、ヴェルの左に立った。
ヴェルは、そんなぼくを見て、口元に微笑みを浮かべた。
『良いの?』彼女は言った。
ぼくは頷き、そして、ヴェルを見た。
彼女の目の下には、濃いクマが浮かんでいた。
不健康そうな顔。
眉間には深いシワのあと。
頬は弛んでいる。
それでも、彼女の目はリラックスしていながらも、力強い眼光を放っている。
今の彼女の目には、ぼくが嫌悪感を抱くものは、何一つ浮かんでいなかった。
ぼくは口を開いた。『見せてやるよ。ぼくのーー』
ヴェルの淡褐色の瞳の中で頼もしい笑顔を浮かべるぼくを見て、ぼくは思った。
何かを。
ぼくは目を開けた。
「思い出せねぇなぁ……」
ぼくは、自分に対して嘘を吐いた。
それは、今のぼくが直視するには、ちょこっと恥ずかしい、感情だ。
ぼくは、自分を騙した。
それは、ぼくが天才で、どこまでも理性的で、そして、ぼくがぼく自身を信頼しているからだ。
「なんだったかなー……」
ぼくは、ニヤニヤしながら言った。
何を思ったのか。
それは、なんだか、夢の中の出来事のようで、曖昧で、覚えていない。
ぼくは、瞳を閉じ、静かに息を吐いた。
ーーー
クラリッサさんと出会ってから、数時間が経った。
その間に、様々なことを教えてもらった。
彼女は、突然、弾かれたように顔を上げ、そして、小さくなにかを呟くと、ぼくを見た。「ソラ。じゃあ、ぼくはそろそろ行こうと思う」
「どうしたんですか?」
クラリッサさんは、気まずそうに笑った。「なんて言ったもんか……」彼女は、ぼくを見て、微笑んだ。「わからないな。ただ、君と過ごせて良かったよ」
「ぼくもです」
背の高いクラリッサさんは、しなだれかかるようにして、背の低いぼくをハグした。
ついでに、ぼくのお尻を握った。
「おい、この野郎」
クラリッサさんは、ハッハッハー、と、楽しそうに笑うと、ジェロームくんの顎の下を撫でた。
『もう行っちまうのか?』
「大人は色々忙しいのさ」クラリッサさんは、月を見上げた。彼女の周囲を、つむじ風が凪いだ。「きみの先生を名乗っても良いかな?」
ぼくは頷いた。「ありがとう。先生」
クラリッサさんは、暖かく微笑んだ。
つむじ風が、一瞬のうちに台風のような突風に変わった。
そして、次の瞬間、彼女の姿は、一瞬だけ吹き荒れた突風とともに消えていた。
ぼくは、肩で息を吐いた。「なんだか、賑やかな人だったね」思っていたような人とは違った。変態は変態だったけれど。でも、彼女は優しく、暖かく、そして、様々なことを教えてくれた。
ぼくは、ドレスソードを指輪に変え、手の平をグーパーした。
そして、クラリッサさんが残していったツリーハウスへの階段を上がる。
キッチンがあり、そこではシチューが煮えていた。
きのこ入りだ。
この世界は今、危ないらしい。
闇落ちのドラゴンが復活するとかなんとか。
クラリッサさんは、前代の闇落ちのドラゴンをヴェルと一緒に退治した。
今回も、同様らしい。
そのために、あちらこちらを旅して、前回の戦いの仲間を呼び集めているらしいが、その仲間とやらは、どいつもこいつも自分勝手な自由主義者ばかりで、前回の共闘は幸運によって起こった利害の一致という偶然によるものだと言っていた。
だから、彼女は、仲間を集めることを諦めた。
代わりに、彼女は別の方法を考えたらしい。
彼女は、何を思ったのか、ぼくに言った。
ぼくは、ヴェルに似ているらしい。
出会って数時間で、ぼくについての何がわかったのかはわからないけれど、彼女は、その直感を基にぼくを信頼し、そして、様々な技術や知識を教えてくれた。
時がくれば、それらを使う時がわかると、思わせぶりなことだけを言って、そして、彼女はひたすらにぼくに対して、話で、所作で、身振り手振り手取り足取り、様々なことを教えてくれた。
ぼくは、別に、ただ旅行をしたいだけだった。
だから、別に闇落ちのドラゴンと戦うつもりもない。
クラリッサからもらったこの技術とスキルは、ぼくが旅行を楽しむことのためだけに使おうと思う。
「闇落ちのドラゴンって、どんな奴だったの?」
ジェロームくんは、ぼくを見上げた。『そん時はモン・サン・ミッシェルにいたから細かいことは知らん。でも、聞いた話だと、そいつの名前はジェレミー・ヘミングスって名前で、子供の頃は優しい奴だったって話だ。正義感が人一倍だが、力も何も人並みの、平凡な、ただの魔法使いだったって。わからんが、俺に言えるのは、正義だの悪だのってのにこだわってる奴の送っている人生は、俺にとってはつまらないものなんだろうなってことだけだな。そういう奴ほど踏み外すんだ。つまらない人生を生きているから、色んなことを逆恨みして闇落ちのなんたらなんて呼ばれちまうんだろうさ。個猫的な意見だけどな』
ぼくは頷いた。「子供の頃は正義のヒーローになりたいって思ってたけど、正義とか悪って気にしなくても、ぼくは別に人を殺したりしないし、困ってる人がいたら出来る範囲で助けるし」
『だからクラリッサはお前を信じたんだろうな。ヒーローが超越者なんじゃない。正義や悪なんて考えずに、自己陶酔も自己嫌悪もなく、自然体で人を助ける奴が超越者なんだ』
「ぼくってそんなに凄いかな」
『別に特別じゃない。ただ、クレマンスは、宗教を信じている人こそ神を否定すると怒る、信仰心を持たない人の心にこそ神は宿る、神のような心を持っているからこそ信仰心を必要としない、それでもわたしは神を信じるって言ってた』
「ぼくの故郷の人は、みんな無宗教だよ。でも、年末年始は神に祈ってる。習慣っていうか恒例行事っていう感じ」
『それで何か困ったか?』
「別に」
『それがお前の故郷にあった在り方なんだろうな』
ぼくは頷いた。「平和が一番だよ」
『全くだな』
ぼくたちは、シチューを食べようと、スプーンを持った。
その時。
ふぉ……、と、風が吹いた。
ジェロームくんが、弾かれたように顔を上げる。
彼が見た先、湖のほとりで、白い靄が渦巻いていた。
『ソラ』ジェロームくんが言った。
「ジェロームくん?」
『じっとしてろ』ジェロームくんは、両足で立ち、その両手に爪を伸ばした。
可愛い。
白いもやは、人の形になった。
東アジア系だった。
日本人だ。
日系人ではない。
日本人だ。
だが、どこかしら、中東か中南米の香りがする。
だが、彼女の雰囲気は日本人だった。
日本人である空にはわかった。
端正な顔立ちをしている。
年の瀬は、なんとなく同い年くらいな気がする。
その憂いを帯びていながらも、どこか力強さと意志の強さを感じさせる瞳の色は灰色。
眉毛は太いが、綺麗に整えられていた。
まつ毛は長く、豊かで、綺麗な目をしていた。
その目が、どこか悲しげな色を帯びている。
髪の毛はボブカット。
デニムにTシャツ。
背は高いが、ほっそりとしていて、胸の前は豊かに膨らんでいた。
ぼくは舌打ちをした。
人影は、ぼくを見ると、ほっと、したような顔をして、こちらに駆け寄ってきた。
『待て』ジェロームくんは言った。
人影は、立ち止まった。
ジェロームくんの言葉がわかるのだ。
ぼくは眉をひそめた。
グレーの瞳は、そして、彼女が操る魔術は、間違い無く精神の魔術だった。
ジェロームくんの言葉がわかるはずがない。
ぼくは、指輪をドレスソードに変え、右手に握りしめた。
『名乗れ』
白いもやの女の子は、ジェロームくんを見据えて、唇を開いた。「舞雪・ペレス」
ジェロームくんは、頷いた。『マイユキ。お前は誰だ』
舞雪と名乗った女の子は、口を開いた。「クラリッサの弟子よ。弟子って言って良いのか……、そう名乗ることも気が進まないけれど」
ジェロームくんは、前足をついた。『説明しろ』
「どうしてわかったの? わたしがクラリッサのなんかだって」
『そんなことはどうでも良い。説明しろ。次は言わない』
「追われてる。と言うか、迎え撃つところ」
ジェロームくんは、口を開き、そして、ぼくを見た。『ソラ。クラリッサは、お前に匂いをつけたみたいだ』
「匂い?」
『この一帯にはクラリッサの魔力が満ちている。こいつはその魔力を追ってきたんだ。助けを求めてきたんだな。そして、お前は、クラリッサの魔力を浴びながらスキルを身につけてしまった』
「どう言うこと?」
『マイユキのところまで歩いてみろ』
「なんで?」
『そうすれば、マイユキにもわかる』
ぼくは、首を傾げながら、舞雪ちゃんのところまで歩いた。
舞雪ちゃんは、ぼくを見て、頷いた。「あなたもなのね」
「何が?」
「クラリッサから──」
舞雪ちゃんの言葉を最後まで聞くことは出来なかった。
その時。
ぼくの背後が爆発した。
ぼくはそちらを振り返った。
先ほどまでぼくがいた場所。
ジェロームくんがいる場所。
そこが、爆発した。




