~リーン、モールス、イルジー②~
――それから一週間のち。
リーンは学校がどのようにダミアンを探したのか一切知らされることなく、教頭から校長に扮していたダミアンの捕縛が完了したという報告を受けた。学校に潜り込んだのがダミアン一人なのか、目的は何なのか、学校で起きた数々の事件とどのような関わりをもっているのか、王宮の兵士が聞き出すまでははっきりしないという。しかし、イルジーが魔法に呑まれたことやストラス教官の事故には確かに関わっているらしく、王宮から二人への良心的な措置が望めるとのことだった。
とある休日、リーンはモールスに「イルジーの家へ行くから少し付き合ってくれ」と誘われた。久しぶりに魔法学校の敷地外へと足を踏み出し、馬車で向かった先は一〇四番地区だった。
馬車は今までで一番長く乗ったと思えるほどの時間をかけ、魔法学校のある地区から遠路はるばる一〇四番地区へと到達した。リーンが最初に思い起こしたことは、祝祭でこの地区へアリサと買い物に来たことだった。この地区の中央通りの衣料品店で、リーンはアリサと共にいるところをモールスとイルジーに目撃され、不本意ながらも逃げ出すことになった。あの出来事も今考えると、何か物悲しく感じられた。その頃は、イルジーがまさかこんな目に遭うとは想像だにしていなかったからだろう。
「イルジーの家は一〇四番地区にあったんだな」
リーンは馬車から降り、痺れた手足をモールス共々伸ばしながら言った。
「ああ。普通学校に通っていた頃は、俺たちはある意味敵対していたからな。知らなくても無理ない」
モールスはやや顔の白さこそ残っているが、もう以前の幽霊じみた顔ではなく、モールスらしいしたたかそうな顔へと戻りつつあった。
モールスはリーンを従者のように後ろに従え、下車した場所から馬車の通れない細い石畳の坂道を先導した。坂道の上にも、中央通りほど繁盛を謳歌してはいないが街が一つ広がっていた。坂の途中の家々の間から、下方に中央通りの末端を望めた。
イルジーの家は坂を上がって数分歩いた先の八百屋の隣にあった。近年主流の淡い色合いのレンガでできた三階建てで、すっかり街の清潔感のある景色に溶け込んでいた。もう少し先には広大な畑が見え始めており、どうやらここは一〇四番地区でも田舎の方のようだった。
「もしもーし」
モールスが慣れた口調で呼びかけながら玄関のドアをノックした。
薄暗い玄関を開けて出迎えたのは、小柄でほっそりとした中年の女性だった。顔の形がどことなくイルジーに似ていた。玄関の奥の廊下も明かりはなく、埃っぽくて陰湿で、いかにもマイナス思考に侵されていそうな家だった。
「あら、モールス。ありがとうね。聞いていたよりちょっと早かったわね」
イルジーの母親は高くかすれた、そして心なしか哀切に響く声で言った。
「そちらの方は……」
イルジーの母親がリーンを見て戸惑いの表情を浮かべた。
「今回、イルジーを救った立役者です」
モールスが説明した。
「このたびは、あの子を助けていただいて、本当に感謝しきれません。多大なご迷惑をおかけしてしまったのに、こうしてうちを訪問までしてくださって、何から何まで、本当にありがとうございます」
「頭を上げてください」
リーンは言った。
「今回のことで本当につらいのは、イルジー自身、そしてモールスやあなたです。今後の彼の生活は苦難の多い大変なものになると思いますが、こんな自分でよろしければ、いつでもお力になります」
「本当に……本当に……ありがとう……います」
消え入る声で母親は再び感謝の言葉を述べようとしたが、ほとんど涙の奥に消えてしまった。
イルジーの母親に涙を拭いながら案内されたのは、食堂と隣接したこの家の質素な居間だった。家具といったら白と黒のテーブルとソファくらいのもので、白い壁や天井にすすの目立つまるでモノクロの世界だった。ソファの片側にはイルジーが腰を落ち着けて待っていた。
「リーンまで来てくれるとはね」
三人が話し始めると、母親は忽然と影に沈むように姿を消した。
「イルジー。入院の日は決まったか?」
モールスが尋ねた。どうやら精神治癒は医療施設で受ける予定のようだった。
「うん。もうあさってだよ」
「そうか……リーン。今日お前をここに呼んだのには、ちゃんと理由があるんだ」
妙に改まった口調に、リーンは少し嫌な予感がした。そしてそれは、的中したともしていないとも取れるものだった。
「イルジーがお前を殺そうとしたことだが、どうやらイルジーを魔法に呑まれさせようとした第三者の関わりが明白になってきて、治療の期間に合わせてか、魔教省は本来退学にしなければいけないイルジーの処分を二年間の停学に留めることになりそうなんだ。俺はイルジーと一緒に、その二年間を休学しようかと思っている。いや、もうすでにその申請は学校に出してはあるんだが……」
「モールス……」
リーンは言葉の端々から感じられるモールスの決意に、悲しい気持ちと同時に尊敬の念を抱いた。
「モールス。それをするということはつまり……」
「ああ。俺はこれから一生イルジーのそばにいるつもりだ。まあ、俺の姿が見えない時でも脅えないようにはしっかり精神面での教育をするがな」
イルジーは申し訳なさそうに肩をすぼめて俯いていた。
「リーン。俺が学校に現れなくなっても、イルジーのことが感付かれないように注意していてほしいんだ。特に、俺たちと一緒の普通学校だったカレンやショット、ホーキンスなんかには」
ホーキンスは不可能だろうな、と思いつつもそのことはおくびにも出さず、リーンは力強く頷いて請け合った。
「わかった。常に気を配っておく」
「ごめんね、リーン」
イルジーの謝罪は心からのものであると、リーンはこれといった理由もないまま確信した。
魔法学校への道のりは途方もなく長いので、リーンとモールスはあまり長居せず早々に退散することになった。
二人の訪問者が辞去する頃には、再び母親も廊下に顔を見せて玄関の二人を見送りにきた。
立ち去り際、リーンはイルジーの耳元に顔を近付け、囁いた。
「魔法の声、聞いたことあるか?」
イルジーははっと目を見開いた。白目が飛び出さんばかりで、たいそう驚いたようだった。
「どうして……そのこと……」
「やっぱりか。俺も聞いたことがあるんだ。その声は人の心の弱さにつけ込む。お前の治療が済むまで、魔法には関わらない方がいいだろう」
「そうか……わかったよ。教えてくれてありがとう」
モールスと母親が二人を不審に思い始めたようなので、リーンは手短に別れを告げてイルジー宅をあとにした。
イルジーとモールスが家庭の事情という理由で二年間休学することになった折、リーンたち同じ普通学校に通っていた面々は、イルジーを除いて全員揃って食堂でパーティを開催した。
ホーキンスは休学の理由が事実でないことを知っており、リーンとイルジーの件を隠す側にいた。他のカレンなど勘の鋭い者は、二人の休学理由を訝しむことはあっても、リーンとホーキンスの言動から何かしら察したように深く踏み込むことはしなかった。正義感の強いリーンなら別だったかもしれない。他人への程度のいい無関心さは、時に人を救うこともあるのだった。
反面、ショットのようにパーティでムードメーカーのお気楽者を演じる者は、見えないところでそんな思考を抱いている者がいるとはつゆ知らず、「二人が学校に復帰しても僕はまだ同学年だろうから安心しろよ!」などと軽口を叩いてしんみりとしないようにうまく場を整えていた。
そんなパーティが催されて数週間後。
その日リーンは、寮でアリサから奇妙な手紙をもらった。
「どうかしたの、リーン?」
ウラシルが真剣な表情で手紙を読み始めたリーンに声をかけた。
「たいしたことかはまだわからないんだが、アリサに謎の少年が助けてほしいって言ったらしい」
「『助けてほしい』って、ただそれだけ?」
リーンは小さく首を横に振った。
「いや、貧民街まで助けに来てほしい、って言われたそうだ」
ウラシルの目が突如として怪しげな光を帯びた。その目はテラがするようなものと似ていて、リーンは少なからず不快になったが、ウラシルの考える通り、注意した方がいいのかもしれないと思った。
――一人で行かせるわけにはいかないな。
リーンは筆を取り、アリサの手紙に返事を書いた。




