‐‐リーン(4)‐‐
儀式当日、リーンの心中は、新王との接見のことで抗い難い高揚感と緊張感に包まれていた。しかし、不思議なことにそわそわしてはいなかった。儀式の日を迎えるまでの長い間に、心の中に滞留していた感情が一部混ざり合って反発しなくなったらしい。
だが、十二歳の子供たち全員がリーンと同様の心もちというわけではなかった。国の中心の王宮へ向かう馬車の中で、リーンと同乗することになったショットと他の女子二人は、手を揉んでいたりせわしく窓から外を窺ったりと、見るからに落ち着きを欠いていた。
無数の馬車は長い列を形成して進んだ。普通学校のある丘への坂道を上り、街の中を走り、また坂道を上る。景色は段々とリーンたちの住む町場から、王宮に仕える官僚たちの、一軒一軒が広々とした私有地をもつ高級な住宅に変わり、その間を縫うように進んだ。数時間揺られたのち、ようやく王宮へ続く階段の前の広場へ到着した。肩に下官を示す金の花の紋様を施された兵士たちが、階段の両脇を固めていた。道中、いっときリーンの同乗者は腹を据えたように表情が引き締まったが、馬車を降りて目の前に君臨する王宮を見上げた途端、今度は馬車に乗り込んだ時以上に顔が引きつった。
王宮への階段を上りながら、リーンは彼らにそれらしい言葉をかけてやることしかできなかった。そしてそれらの言葉は、あまり慰めにはならなかったようだった。彼らのようなメンタルの乏しい者にとっては、むしろ老衰でベッドに横たわる先王の儀式の方が身体によかったのかもしれない。
王の間へ続く廊下の手前の豪奢な控室の一つで順番を待つ間、リーンは王への願い事に関して何日も考え続けたことを頭の中で反すうしていた。
順番が回るのは思っていたより遅かった。だがその分、王との接見が長いと考えれば気持ちはより高まり、同時にさらに待ち遠しくもなった。リーンに順番が回ってきたのは、控室に入室してから三時間ほど経って、すっかり室内の装飾を見飽きた頃だった。
兵士に案内された廊下は天井が高く、両側の壁に歴代の王の肖像画が展示されていた。この廊下を警備するだけで、その兵士は高貴な雰囲気を存分に堪能することができそうだった。
二人の兵士が見張りを務める王の間の扉が近付くと、リーンは扉のだいぶ手前で待たされた。案内が見張りの兵士と一言二言形式的な言葉を交わすと、見張りの一人が扉越しに王にリーンの入室の断りを入れた。案内の兵士が戻ってきて、「どうぞ」と丁寧に片手を上げてリーンに王の間に入るよう示した。
リーンは一度深呼吸をしてから、背丈の二倍以上はありそうな扉の取っ手を力強く握った。
扉をゆっくりと押し開ける。
正面奥の吹き抜けの屋外からの逆光で目がくらんだ。
やがて、リーンの目は長い真紅の絨毯が敷かれた先の玉座に、小さな王の黒い影を捉えた。さらに目が慣れてくると、その影は華やかな装身具を身に付けた王らしい風体であることが窺えた。
扉が大きな音を響かせて閉まる。
「僕の前まで来てくれ、リーン」
王の若々しく低い声に導かれ、リーンは延々と描かれた幾何学模様の床の上の絨毯を歩く。真紅の道は、大理石の床の硬質感を感じさせないほど厚く、しなやかで、心地よい踏み心地だった。
「そう硬くなる必要はない……と言っても、君はかなり落ち着いている方だが。まあ、楽にしていてくれ。儀式の方はすぐに終わる」
「……はい」
声に緊張が滲み出る。
王は細みで長身、顔のパーツはどれも整っていた。王冠の下の黒い髪は短く切り調えられている。羽織っている黒いマントの裏地は絨毯と同じ真紅で、マントの中の手には、宝石の取りつけられた腕輪や指輪がいくつもはめられている。
「それじゃあ、始めようか」
と言いながら、王は玉座から腰を上げた。
「リーンは目を閉じているだけでいい」
リーンは言われた通り、王の前に立ったまま目を閉じた。硬い床を叩く軽い足音が聞こえ、瞼越しに、目の前の逆光の中に影が入ってくるのがわかった。
衣擦れの音。
王の手の五本の指がリーンの頭に触れた。
と同時に、リーンの頭に激痛が走った。頭の奥の方をえぐられるような痛みに、意識が飛びそうになる。
ふらっとして倒れそうになったところを、すんでのところで片足を下げて何とか踏みとどまる。
「終わったよ」
王の言葉に目を開ける。強い光を浴びた後のように、大広間の景色が一段薄くなったように思えた。王は再び玉座に腰を下ろしていた。
――今のが……儀式?
「よく耐えたね。今のところリーンが一番頑張ったよ。これでリーンは大人になれる。さて、ご褒美に願い事を何でも聞くよ」
やっとこの時間が来た、とリーンは思った。何か月とこの時を待っていたかのような感覚だった。嬉しさで感情が沸き立ってくる。
「それでは、もしよろしければ……何か強力な魔法を拝見させていただけないでしょうか?」
「強力な魔法?」
王は言葉を繰り返してから、リーンの目をじっと見つめた。
「いいだろう。こんなものでいいかな」
言い終わった途端に王の姿が消え、リーンは誰かに肩を軽く叩かれた。
まさかと思って振り返るが、そこには誰もいない。奥の扉まで絨毯が続いているだけだ。
再び玉座に視線を戻すと、王はそしらぬふりでそこにくつろいでいた。
――何だ? 瞬間移動か? だが、そんな魔法は聞いたこともない。王が自ら生み出した魔法か?
王はリーンの心を読んだように言った。
「一つヒントをあげよう。これは瞬間移動なんかじゃない。リーンでもよく知っている魔法の一種類を応用しただけだ」
――俺でもよく知っている魔法? 一瞬で王の姿が消え、俺の肩を叩き、また一瞬で玉座に戻る。一連の動作が一つの魔法で行えるのか? 王の姿が消える……姿を消す……見えなくする……?
リーンは目を見開いた。
「そうか! 幻術、ですね」
「ほう?」
「まず、幻術で玉座に王が座っている姿を見せておき、私の背後に移動する。幻術を解くと同時に、肩を叩く。そして私が振り返る前にまた幻術をかけ、玉座に戻る」
王の口の端が上がった。
「見事だ!」
ゆっくりと手を叩いて褒めた。
「リーンには魔法の才能がある。特に闇魔法の。まさしく君の言う通りだよ。リーン、僕は君にぜひ魔法学校に進んでもらいたい」
「はい。初めからその所存です」
リーンは高まる感情を抑えるのに精いっぱいだった。
「そうか。それは喜ばしい限りだ。何か目標はあるのか?」
王はやや興奮気味に尋ねた。
「はい。いつか七賢人になるのが私の夢であります」
王は一切ばかにしたような態度を取らなかった。
「いい夢だ。君は自分の夢にふさわしい心意気を携えている。きっとその夢が叶う日が来るだろう。精進してくれ」
「は、はい! ありがたいお言葉です!」
抑えきれない感情が言葉となって飛び出した。まさか王の口からこんな言葉が聞けるとはつゆとも思わなかった。王の間を退出して、入ってきた時とは別の控室へ向かう間、これが夢じゃないことを真剣に願った。
十二歳の子供たち全員の儀式が終わった時、まだ正午を二時間ほどしか過ぎていなかった。いつもならまだ寝ているような時間に王宮行きの馬車に乗り込んだからだろう。王宮の正面は、新王の顔を拝みに来た民衆でごった返していたため、儀式を受けた子供たちは王宮の裏側から外に出た。
王が姿を現したのか、民衆の歓声が王宮の裏まで空気を轟かせた。
儀式を終えた子供たちは、外に出るとそれぞればらばらに散っていった。儀式で体調を悪くした者は家に帰って休み、王の姿をもう一度見ておきたいと思った者は民衆に混ざった。リーンは合流したホーキンスと共に民衆に加わった。どうやらレイとショットは儀式で体調を悪くした者たちに入っていたらしい。あれだけの頭痛にあいつらが耐えられるはずがない、とリーンは不憫に思った。
「偽太陽について、何かわかったか?」
リーンはホーキンスと民衆の脇の木陰に置かれたベンチに座った。
「はっきりとは教えてもらえなかった。でも、偽太陽はこの国の秩序が守られていることに少なからず貢献しているんだとさ」
「そうなのか? ただの偽物の太陽かと思っていた」
「そんなわけないだろう」
ホーキンスは呆れたように言った。
「お前は興味がないものに関しては、最低限の知識しか欲しないもんな。で、お前の方はどうだった?」
「俺は王に魔法を見せてもらった。その時、太陽の王は俺には魔法の才能があるって言ってくれたんだ」
ホーキンスは誇らしげなリーンに怪しい視線を送った。
「それって、王がみんなに言ってることなんじゃないのか?」
「なっ! そんなわけ……」
リーンは興奮して立ち上がっていたが、ホーキンスを説き伏せられるだけの根拠をもっていないことに気付き、言葉を失った。
「冗談だ。太陽の王はそんな軽い男じゃないさ。王がお前に魔法の才能があるって言ったなら、それは真実だろう。七賢人になるっていう夢のことは話したのか?」
「ああ。きっと叶うから精進しろ、だってさ」
ホーキンスは両手を頭の後ろで組み、どこか遠くを見るように目を細めた。
「そうか……お前は七賢人になるのか。小さい頃から俺たち四人で遊んでた頃が懐かしいな」
「ホーキンスは魔法学校を卒業したらどうするんだ? 学者になって偽太陽の研究でもするのか?」
「そうだなあ……俺は宗教には興味はないが、聖職省に入れば、学者になって個人で研究するより偽太陽について知ることができるらしいからな」
ホーキンスはほうけたような溜息をついた。
「まあ、あんまり遠すぎる未来のことを考えても仕方がない。まずは魔法学校に入って魔法について学ばなきゃな」
「ああ、そうだな」
リーンは民衆の頭上に咲いた一輪の巨大な氷のユリを仰いだ。