‐‐ナモン(2)‐‐
ある日、少年の両親は少年を外の世界へ連れ出した。少年はその日初めて影から脱し、初めて光を目にした。それは目と脳を強烈に刺激し、心をふわりと和ませ、そして身体を芯から温めた。両親が少年をその光の中へ連れ出してくれたことで、少年の中に光が染み込み、今まで触れたことのなかった夢というものが生じた。
しかし少年は、自分たちがまだこの光の中で暮らすことができないということは、ぼんやりとだが察していた。
「よく見ておきなさい、ナモン。これが光の世界だ」
父親の口調は厳しくも温もりがあった。自分のことを思ってくれているのが、言葉からひしひしと感じ取れる。
「お前をこの世界で生きられるようにしてやる。それが私たちの共通の考えだ」
母親はたいそう無口だったが、父親の言葉に同意を示すようにナモンに笑顔を向けた。
――僕にとって大切なのは、お父さんとお母さんだよ。二人が僕をこの世界で暮らせるようにしてくれるなら、僕も二人をこの世界で暮らせるようにしてあげたい。三人で一緒に、この世界で生きたいよ。
父親は誇らしげに続けた。
「この世界には、影の世界にはないものが全てある。逆に言えば、影の世界にはない全てのもので構成されている。私たちは影から脱し、光の中へ入るために、影に生まれた。私たち影の住人が本当の意味で影から脱するには、光を自分の身体の内に取り込み、代わりに、光の住人の誰かに自分の影を取り込んでもらうしかない。本来一つ所に存在しなければならない光と影が、今のこの国では、乖離してしまっている」
父親はナモンの頭の上に手をポン、と置いた。そして語りかけるように言う。
「今から、私たちはお前がそれを成し遂げる助力になるものを盗んでくる。それがあれば、お前は今よりずっと、光の世界に生きられる可能性――ひいては時間が増えるはずだ。私たちが帰ってくるまで、少し向こうで隠れているんだ。いいな?」
当時のナモンは、まだたいして口を利けないほどに幼かった。だからなのか、両親は一方的に語り聞かせてナモンの意思を確認しないまま、光の世界へと消えていった。
――どうして行っちゃったの? どうして僕を一人にするの?
ナモンは暗がりで怯えながら、二人が帰ってくるのをじっと待った。光の世界は確かに夢で、目の前にあった。だが、それはまだ遠くもあった。だから、ナモンは両親が非常に遠くへ行ってしまったように感じた。もう、戻ってこられないのではないかと、ずっとそればかりを気にしていた。
だから光の中から母親が戻ってきたのが見えた時は、言葉にできないくらい嬉しく思った。
――でも、お父さんは?
無口な母親が血相を変え、脅えたような早口で言った。
「ナモン! 早く逃げなさい! 影の中に戻るの! あなたまで見つかったらどうなるかわからない!」
ナモンは首を振って半狂乱状態の母親の言うことに応じなかった。父親が来るまで待っているつもりだったのだ。
「お父さんははめられたの! 影の住人だってばれて、まだ何もする前から通報されたわ。私たちも同罪ってことになってる。だから早く逃げて! いずれ魔法で操られたお父さんが、私たちのもとに化け物を連れてきちゃう」
不意に、父親が母親の背後に現れた。二人の姿を見て、絶望に顔を歪ませた。
そして、それらは突如として父の背後に出現した。光の世界に、大きな黒い二つの影が映る。一方は、人間よりも一回り大きな身体を黒い布と黒い三角帽子で包み、ほうきにまたがって大人の頭と同じ高さまで浮いている。手に長い魔法の杖をもち、二人の影の住人を女性の骸骨の頭部で見下ろしている。もう一方は、二メートルを優に超える巨体を頭から足先まで金色に輝く鎧に覆い、目も耳も見分けのつかないほど黒い巨大な馬に乗っている。手には身体の大きさを超えるサイズの漆黒の大斧を掴んでいる。鎧の隙間から見える限り、鎧の中身は闇が蔓延しているだけで、虚無だった。
時を待たずして、魔女が杖の先から炎の玉を出現させ、騎士は漆黒の大斧を軽々と振り上げた。罪なき罪人は、二体の死刑執行人に向き合って相対したまま、嘆かわしい運命から逃れることもできずにただそこに硬直していた。
ナモンの眼前で、斧は母親に振り下ろされ、父親は炎に包まれた。
どちらの光景も一瞬だった。母親の肉体は立体を保つことができず、血と肉塊になって潰れた。その時、硬く鋭いものが飛び散り、ナモンの左頬を裂いた。父親の身体は倒れる前に炎が消え、全身骨だけの骸骨になっていた。倒れた時に、コツコツと骨らしい乾いた音を立てた。
魔女と騎士はナモンに顔を向けた。今さら逃げ出しても、後の祭りだった。
しかし、ナモンには逃げ出す意思など毛頭なかった。そもそも、今起きた光景にただ呆然とし、理性的な思考は停止していた。
後で覚えていたのは、その時ナモンが、ただ自分の本能に忠実に従って行動したことだけだった。
思考が回復してきた時には、ナモンは自由街の塔の一つに寄りかかって座っていた。左頬の生温かい血に手を触れ、ようやく、もう両親が帰ってはこないのだと悟った。この世界において、唯一自分を愛してくれる人物だった二人は、もういない。他の全ての人間は、ナモンを「貧民街のもの」として忌み嫌うか、「殺して食らうための食べ物」と認識するかに分類される。
生まれた時から闇と死に接してきたナモンは、記憶に鮮烈に刻まれた二つの化け物に対して、恐怖心を抱くことはなかった。抱く感情があるとすれば、それは憎しみに他ならなかった。
――お父さんも、お母さんも、もういない。誰からも愛されず、誰も愛せない僕がこの世界に生きていても仕方がない。でもせめて、天国の二人に会いに行く前に、二人を殺したあいつらを――死の騎士と黒い魔女を一つ残らず殺してやる。そしてこの王国を創造した王も、絶対に殺してやる。お前らを全部殺すまで、お前らのことは一瞬たりとも忘れたりはしない。




