‐‐リーン(14)‐‐
目を覚ました時、リーンは自分がどこにいるのかわからなかった。あまり時間が経っていないことは何となく感じた。
正面には黄色っぽく汚れた白い天井。すぐ右手には、細かい切れ目のいくつも入った日差しよけの布が、窓からの強い日光を程度よく遮っている。
――俺はそう言えば、看板から落ちたんだった。
リーンが、今自分の家の自分の部屋のベッドに寝かされているのだと気付いた時、部屋にアリサが入ってきた。いつもの冷たい眼差し。時間は経っていないはずなのに、長い時が経過してしまったように感じた。
「テラが家にいなかったから、隣にいた兵士に家まで運ぶのを手伝ってもらった」
アリサは戸口に立ったまま愛想のない口調で言った。確かに、小柄なアリサが、体つきがよく背の高いリーンを運ぶのは多少無理があった。
「そうか……結局俺は、あの兵士のお世話になったのか。もう大人になったのに……情けねえな」
「まだ子供でしょ?」
アリサが声音を低くしたまま言った。
「そんなことない。おととい成人の儀式を終えたから、俺はもう大人の仲間入りを果たしたんだ。これからは弱いお酒なら飲めるし、いいなずけだって決められるようになった」
「強いお酒は飲めないし、まだ結婚もできないってことでしょ?」
アリサの決めつけるような口調に、リーンは反駁したかったが、事実であるが故に何も言い返せなかった。
アリサは事務的な態度のまま、リーンが気を失ってから今に至るまでの事の成り行きを告げた。
「あの後、観客がみんな体調を崩したから、ショーはいったん中止になった。今から一時間後くらいにはもう一度始まるみたい。広場はみんなの汚いもので汚れてるから、今、兵士とショーの準備の人が掃除をしてきれいにしてる」
「一体アリサは、どうしてあんなものを見て平気だったんだ?」
「……さあ」
アリサは何の感情も込めずにそう言うと、速やかに部屋から出ていった。
――そう言えばアリサは、自分のことに関する記憶を失っているんだったな……看病もしてもらっておきながら、少し無神経だっただろうか?
リーンはふと、看板から落ちる直前に見たものを思い出した。
異様な吐き気がぶり返したが、今度は抑えられた。もともとリーンは学校の中でも、グロテスクな光景には耐性がある方だった。しかし、それでもあの映像には、生理的にとても抗い難いものがあった。
「ミス・エリシアはあの後どうしたんだ?」
アリサと二人きりの食卓で、リーンは空っぽになった胃に比較的優しい食べ物を入れながら尋ねた。一度乗り越えれば、食事中にあの光景が脳裏をよぎっても吐き気を催さないようになっていた。
アリサは一度リーンの顔色を窺い、大丈夫そうだと判断してから説明した。
「あの女の人は、あの後心臓を一瞬で治療して、胸に戻してから身体も一瞬で元通りに治した」
「そうか。ミス・エリシアは、身体から離れて傷ついた内臓でも光魔法で治せちゃうのか……」
アリサはぼそっと言った。
「……身体を治した後、一瞬だけ口から血が出ていたように見えた。たぶん、最後のは命の危険がかなりあったんだと思う」
リーンはしばし考えるように黙ってから、再び口を開いた。
「それだけ医療施設で働く新人魔法使いが、ああいうのに慣れていなかったってことなんだろうな……まあ、度を超えたマゾヒストってだけかもしれないが」
「……どうしてそんなことするの?」
アリサは尋ねたとも疑問を口にしただけとも取れる、曖昧な口調で呟いた。
「どうしてって?」
リーンが訊き返すと、アリサは訊き返す理由がわからないというような冷めた目つきで見返してきた。
「あの女の人が働く場所の新人の魔法使いに慣れてもらうためだけに、どうして自分の命を懸けてあんなことをするの?」
リーンは躊躇わずに答えた。
「それはきっと、ミス・エリシアにとって、自分が所属する医療施設はとても大切で、より多くの魔法使いに光魔法の素晴らしさを知ってもらい、より多くの人を救いたいと思っていたからじゃないか?」
「……ふーん」
この時のアリサの「ふーん」は、あまり理解できない時のもののようだった。もしくは、愚かな行為だと見下しているのかもしれなかったが、リーンはこの考えは邪心で、アリサに対して失礼だと割り切り、振り払った。
――アリサはそんな見方をしない女の子のはずだ。
根拠もなしにそう思うことが偏見であることに、リーンはまだ気付くことができなかった。その思いは、そうであってほしいというリーンの妙に切実な願望でもあった。
「あのさ、アリサ、もう一度ショーの続きを観にいかないか?」
アリサと並んで食後の皿洗いをしながら、リーンは提案してみた。
しかし、アリサは言葉をのどの奥に閉じ込めようとするように、口を真一文字に結んで黙っていた。シンクの中の食器を見つめるその小さなひとみは、鋭く細められ、何か寡黙な憤りのようなものをリーンに想起させた。
「さっきは悪かった。俺、アリサの気分をすっかり悪くしちゃったよな。でも、もう同じようなことは絶対繰り返さないから、もう一度行こう。頼む」
気付いた時には、リーンはアリサに頭を下げていた。自分でも、どうしてこんなに必死になっているのかよくわからなかった。アリサがリーンと不和になることで――つまりリーンのせいで、アリサが家に居づらく感じることを恐れていたのかもしれない。
「どうしても行きたくないわけじゃなければ、一緒に来てくれ。まだジェパームント様の一番弟子の魔法を観れてないだろ? 絶対観ても後悔しないから」
リーンが執拗に誘って、ようやくアリサは「わかった」と了解してくれた。




