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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.9 ~生き別れ、我がまま姉妹、二人の決断
99/592

壮絶兄妹対決決着へ!?ラウラの目覚めとは…?

ビダル。

「お前を斃す」

気負うでも、嚇すでもなく、虎千代は、はっきりとその言葉を口にした。

「そうか、君は私を殺す、と言ったのか」

黒い宣教師は口元だけを綻ばせた。

「なるほど、そいつは魅力的だ」

すぐ傍らには、ラウラとミケルも相対している。

「呆れたな。忘れたか、お前が何度命拾いしたのかを。それでまたよくおれの前で、剣を手にする気になるもんだな」

ミケルは挑発するように言うと、大袈裟に辺りを見回す真似をした。

「沢山連れてきたみたいだが今度は、みんなに応援を頼む気か?」

「兄さん」

と、ラウラは、ミケルのことをはっきりとそう表現した。

「アナタをここで止める。誰も邪魔したりはしない。だってそれは、初めからワタシだけの役目ですから」

くっ、と露骨な嘲笑を投げかけると、ミケルは片頬を歪めた。

「もう中断はないぜ。これは殺し合いなんだ」

ラウラは口を開かず、無言で頷いた。その瞳を見て、ミケルの顔から貼り付けたような笑みが消えた。

すでに何度目の対峙だろうか。

二人の兄妹は、最期の決着をつけるべくついに刃を交えるのだ。二人はすでにこれ以上かわすべき言葉を持っていなかった。申し合わせたように表情を消し、凶器を手にただ無言で向かい合った。

虎千代とビダルも、無言のままだ。その距離は六メートルほどだろうか。刃を抜いて傷つけ合うにはまだ、遠すぎた。しかし、ある意味ではこの距離でまだ十分なくらいに、二人とも澄んだ目で相手を見つめながら、危険すぎる空気を孕んでたたずんでいた。

死を決した四人の顔を、日没に近づいた落陽が染める。秋の日は熟柿が溶け落ちるようにまばゆい熱を帯びた光線で、海からの照り返しに思わず瞳を細めるほどだ。

「残りの連中は中か」

綾御前はあごをしゃくった。

「もたもたしておる暇はない。黒姫は返してもらうぞ。お虎、後はお前たちに任せて良いな?」

虎千代は小さく頷くと、ビダルから視線を離さずに言った。

「黒姫を頼みます」

「任せておくがいい。ゆくぞ、二人とも」

綾御前が僕と鬼小島を促して、一歩進んだ時だった。

乾いた発砲音が響き、綾御前の足もとに砂煙が立った。不穏な風切り音は、その頬を掠めていったのだ。とっさに身を伏せた綾御前だったが、頬に小さく切り傷を負っている。僕たちもはっとして思わず身構えた。

狙撃手だ。

どこか遠くから、僕たちを狙っている誰かがいる?

「まだ、ルールを説明してなかったな。今のは警告だが、次に動けば不幸な事態を招くことになる」

ビダルはゆっくりと首を傾けると、小屋の方を見た。弾丸は斜めに突き刺さって来たから、相手は高いところにいるはずなのだが、その姿は見えなかった。

「捜しても無駄だ.イェスパは私の部隊でも、特に優秀な狙撃手だった。私より腕は上かも知れない。お姫さま、控えは下がらせろ。ここは私の場所だ。規則は守ってもらう。私とミケルを斃さない限り、あそこへは行けないんだ」

「おのれっ、安い脅しを。この綾を舐めるでないっ」

懲りずに踏み出そうとする綾御前を、今度は虎千代が止める。

「何をするか虎っ」

「ここはお任せを」

虎千代はきっぱりと言うと、ビダルを見据えた。

「すべての決着をつけてからか。我もその方が判り易し」

「ご協力感謝する」

ビダルが肩をそびやかすと、傍らのミケルが一歩踏み出した。

「まずは、おれたちからだな」

ミケルはラウラを挑発するように、腰の剣を叩いてみせる。

「いいのだぞ。我ら、一度に斬り合ったとて」

柄に手を当てて眼を射掛けた虎千代の殺気を、さっきまで凄まじい殺気を放っていたはずのビダルはこともなげに受け流す。

「やっとここまで追いついてきたんだ。そう死に急がなくてもいいだろう」

大袈裟に両手を広げて見せると、ビダルは小屋の陰におかれた腰掛けのような岩にどっかりと座りこんだ。これほど放胆に殺気を受け流されると、さすがの虎千代も、逆にうかつには斬りかかることが出来ない。

「慌てるな。私の命が欲しいんだろ。時間ならたっぷりあるさ」

虎千代の気負いを見透かしたように、ビダルはぬけぬけと言う。あれほど憎い敵ながら、この辺り、恐ろしいほどに勝負の呼吸を心得た駆け引きだ。

黒姫救出に逸る僕たち五人を、ビダルは見事に釘付けにしている。

ゲゼルは虎千代に手首を斬り落とされ、イェスパと王蝉は手負い、恐らくは、ここに残った二名こそが黒姫を確保したたまま逃げおおせる最後の砦のはずなのに。この期に及んでなお、ビダルは憎らしいほど絶妙な駆け引きを展開してくる。

「お虎、早く片をつけよ。迷っている時間はないぞ」

見よ、と綾御前はあごをしゃくる。ビダルの立っているすぐ傍に小舟を係留するためか打ちこまれた木杭が波に洗われているのだが、それに巻かれたロープにあわてて切り取られたような真新しい切り口が開いていたのだ。

「さっき綾がぶちのめした、倭寇の女がおったであろう。出て行ったはさしずめ、あの女じゃ」

「だから見え透いた時間稼ぎか」

虎千代はビダルの意図を察すると、小さく唇を噛んだ。

ビダルは目いっぱい時間稼ぎをして、救援を呼びにやった王蝉の到着を待っているのだ。黒姫のいるはずの小屋に注目させ、ビダルたちがスナイパーを使って足留めしたり、一対一を要求したりして来ている真意はそこにあったのだ。

「案ずるでない」

と、綾御前は小声で虎千代に囁いた。

「こちらはこちらで、何か手だてを考えてみる。お前たちは奴らをてっとり早く倒すことを考えよ。ともかくまずは南蛮娘、お前からじゃ。よもや、あやつに勝つ目算はついておろうな?」

さりげなくプレッシャーをかけてくる綾御前に、ラウラは決然として頷いた。

「ワタシ、大丈夫です…いつでも」

とは言え、ラウラの表情は硬いように僕には見えた。ラウラに勝つために、虎千代は何度となく助言を与えてきた。しかしつい最前の敗退からここまででどれだけ、それを自分のものに出来たかは、未知数だ。はたして本当に大丈夫なのだろうか。

「ラウラ」

腰に納めた剣を手に、一歩踏み出したラウラを虎千代は呼びとめる。

「もうわたしの剣で伝えるべきことはなきが、一つだけ言っておく。お前の剣理も、決して間違いではない。よく視えることが、欠点とは限らぬぞ」

「虎千代サン…でも」

ラウラはさすがに訝しげな顔をした。なぜならここへ来る前に、虎千代はラウラの剣をサヴァン症候群によって目がよく見え過ぎるためにそれに頼ることが弱点だと、評したはずではないか。

「さっきも言ったが、お前はお前の感覚を拓かねばならぬ。わたしが最後にあの四足を見せたは、ただのきっかけに過ぎぬ。お前だけの武器は、本来お前の中にしかない。そうではないか?」

「自分、だけの武器…」

ラウラは虎千代の言葉を胸に刻むかのように、反芻する。

「ああ、そうだ。ラウラ、お前にはわたしが持ちえないものを、すでに持っている。それこそが、何にも替え難きお前が命を任せ得る唯一の武器になるのだ」

ラウラは、思わずはっと息を呑んだ。やはり、あるのだ。

虎千代の見せた四足の奥儀に匹敵する、ラウラの武器。

「すまぬ、この期に及んで我にはここまでしか言えぬ」

虎千代はうつむき、言葉を紡ぐのも苦しげにラウラに最後の助言を与えた。

「だがお前には判るはずだ。だからこそ、あえて言う。今のおのれをこそ恃むべし」

言葉にして、存在しえないことなのだろうと、思った。

自分を信じろ。

この期に及んで、と言ったが、ある意味ではラウラを混乱させてしまう表現になってしまったかも知れない。

しかし、それが今、虎千代に表現できる最大限の形容だったのだ。

ラウラは眉をひそめ、戸惑うように虎千代の言葉を噛み砕いていたが、やがて決然と眉をひそめ、大きく頷いた。

「…虎千代サン。ワタシ、やってみます。虎千代サンの剣、ワタシにとっては奇蹟でした。でもそれ以上にワタシ、本当の自分の気持ち、伝えること学びました。虎千代サンだけでなく、真人サン、他の皆さんからも何度も、何度も」

ラウラは小さく頷くと、虎千代だけでなく僕たち一人一人と視線を交わした。

「ここまでワタシを連れて来て、本当にありがとう。ワタシの気持ち、この胸にあるだけ、ミケルにぶつけてきます。今はそれしか考えられない。他の気持ちはありません。それは本当に、虎千代サン、それに皆のお陰」

僕たちを見渡す、ラウラの目は今までになく澄んでいた。

「ワタシ、ここで命を喪っていい。それでもミケルに、気持ちを伝えたい」


虎千代の一言で、ラウラは心を決めたのだろう。

だが、僕は正直に言えば、不安ではあった。虎千代は確かに、ラウラに欠けている何かをその身を賭して何度も諭したが、それがいくら正鵠を得ていたものだとしても、その一言ばかりで容易に自分のものに出来るものではないのではないか、と。

例えば誰か他人の言葉に感銘を受けたとしても、自分の言葉としてそれを消化するのは、それなりの時間と経験が掛かるものだ。ただ誰かの助言一つで、物事が上手くいくと言うのであれば、多くの人間がこれだけの苦労はしたりはしない。例えばパソコンみたいに、アプリケーションのプログラムさえインストールされればその瞬間からその通りに出来ると言うものではないのだ。

それでも。

強い直感と感性は、一瞬で世界を変えることができるのかも知れない。虎千代と同じだ。どんな理屈をつけようと、僕にはもはやそこで、見守ることしか出来なかった。

「やっと諦める気になったか」

ミケルは嘲り笑いを隠さず、容赦ない悪罵を浴びせた。

「今さら何をしようと、お前はここで終わりだ」

ラウラはそれに対して何も応えなかった。

さすがに不安になり、僕は虎千代を見た。しかし虎千代は決然とした表情で動静を見守るばかりで、これ以上は何事も口にしようとはしない。

ついに、実の兄妹が雌雄を決する機会(とき)が迫っていた。


ラウラとミケルは。

剣を手に向かい合った。その間合いは、すでに日本の剣術で言う一足一刀の間合いに迫ろうとしている。

思えば、奇縁と言う他ない。

血のつながりのある二人が、これほど長きに殺し合うまでに至ったのは、現代から流離してきた、ただ一人の悪魔と偶然に接触してしまったことからなのだから。

レイピアとエスパーダ。

二人が携える武器がルーツを同じくしながら、その性質に従って道を違えたように、二人が選んだ道はここでくっきりと別たれた。

短剣を構え、たたずむ姿にもその違いは明確に表れている。

ラウラはきっちりと足を畳むと、半身に構え、身体の中心を相手に隠しつつ、細身の切っ先をミケルに向かって牽制するかのように向けている。

対するミケルは放胆にも足を開き、拳法家が使う柔軟な猫足立ちになり、エスパーダを片手に構えながらむしろ自分の急所に相手を誘い込む構えだ。

守るべきルールを旨とするラウラと、それを否定するミケル。騎士と海賊。遵法者と無法者。その立場の違いは、戦場での立ち姿ですらはっきりと色分けた。

「来いよ」

誘い込む姿勢のミケルはしきりに足を使い、ラウラの間合いに出入りすると、せわしなく挑発を繰り返す。

「どうした?殺す気なんだろ」

ラウラはそれに対して、小さくあごを動かした。頷いたかに見えたのだが、慎重に相手のリズムを図っている。その澄んだ目は、真っ直ぐに相手を見つめているだけだ。まるで虎千代が人を斬る時に近い。

ひと呼吸置いて、ラウラが剣を突き出した。挑発に乗ったのではなく、ミケルのリズムを冷静に見極めたのだ。

際どい一線を出入りしながら、ミケルも十分に間合いをとってこれを受け流す。

怒りに任せた前回と打って変わって、静かな立ち上がりだ。

二人は、無言でポジションを侵し合った。殺しあいと言うよりは、まるでゲームに興じているかのようだ。

さくさくと白砂を踏みしめる二人の足音ばかりがまばらに聞こえるばかりだ。

その二人の表情からは余計な感情は消えている。ラウラは刃を合わせる前からだが、ミケルも同じようにあの露骨な嘲り笑いを一瞬で消した。何度となく相手にならなかったラウラが、今までの様子とまた違うのを敏感に見て取ったのだろう。

やはりそうした心理的な駆け引きも含めて、そうした空間把握能力に長けているのはミケルの方なのかも知れない。

なるほど、ビダルは狡猾に僕たちをコントロールして今の一対一になる状況を造り上げたが、ルール無用の斬り合いを行うには、この砂地は狭すぎる。ここで乱戦ともなれば奔放なフットワークと跳躍力で相手を翻弄するのを得意とするミケルの動きは、かなり制限されてしまいかねないだろう。その意味ではもともと狭い室内にでも通用するように練り上げられたラウラの技の方が有利なはずだ。

しかしミケルの動きは、狭い砂地に合わせても変幻自在の持ち味を喪わずにいる。海面に向けてかすかな傾斜を見せる足場を見極めて、それとなく相手を不利な場所に追い詰めていく。手数も攻撃の抽斗も多いミケルに比べると、ラウラの剣はやはりどこか不器用なものに見えてしまいがちだ。

恐らくその差をもっとも痛感しているのは、ラウラ本人に違いない。それはやはり、幾度となく手合わせをしたイメージからも、確たる差として感じられるほどになっているのだろう。

「自分の武器を信じて戦え」

虎千代の最後の助言でラウラの心は決まり、確かに怒りや気負いと言った余計な感情は消えたかも知れない。だがそれは一歩退いてみれば逆に、相手との彼我の差をはっきりと認めてしまうことになり兼ねない。

これでは怒りに我を忘れていた時の方が、まだましだったかも知れない。

僕のような素人目から見ても、ラウラはどんどん委縮していくように見えた。

様子見に突き出した一撃に、二撃、三撃、四撃と矢継ぎ早のコンビネーションで応酬され、それを辛くもかわしたラウラだったが、反撃する気力を喪ったのかそれからは防戦一方になり、それからは有効な攻撃も出ない。

ミケルに翻弄されてジリ貧になる展開は、すぐそこまで迫っていた。

「なんじゃ。お虎、あれでは全然なっておらぬではないか」

綾御前は顔をしかめ、相変わらず容赦ないが、僕も危なっかしくて見ていられなかった。

「虎千代、なんとかならないの?」

と、僕も見かねて言ったが、虎千代はにべもなくかぶりを振るだけだ。

「なんともならぬ」

「あっ、阿呆!何ともならぬではないわ!あの南蛮娘に任せられぬとなれば、取り返しのつかなくならぬうちに早う引っ込めぬか!」

綾御前が色をなして怒鳴ったが、こと武術に関すると虎千代は一歩も退かない。

「そうは参りませぬ。これは誰でもなき、ラウラの戦い。あやつが自分で勝たねば、我らが加担する義もなくなりまする。ここはラウラを信じてやらねば。何があろうとも、御平らに」

それに、と言うと虎千代は組んだ腕から人差し指を突き出した。

「状況は最悪だとは、わたしには一向に思えませぬ」


しかし、此度ばかりはさすがに虎千代の見込み違いかも知れなかった。

まだほんの数分のはずだったが、いつの間にか傾いた落日とともに勝負の趨勢も一気にミケルの方へ傾いてきている。

一歩出れば数手も追撃を受けて後退するラウラの身体にはみるみる手傷が増えていき、その動きは手を合わせるごとに鈍った。ラウラがミケルの剣を受けて後退するたびに血の珠がまるで汗のように飛び、白く乾いた砂地を点々と黒く滲ませるようになってきた。いつラウラの手が止まり、ミケルにハチの巣にされるかと思うと、とても見ていられるような展開じゃない。

体力の消耗もさることながら、こうなると反撃する気力こそ消耗著しい。

ミケルに押し返されるたびにラウラは気持ちを立て直してそれでも前に出るのだが、苦痛に歪む表情には悲壮なものすら混じってきた。

「まだやるのか」

ミケルもその頃になると、最初に見られた懸命なラウラを弄ぶように嬲る残忍な表情を隠さない。

「いかれてるな。お前は、おれをそう言ったが、今のお前がまさにそうじゃないか」

「アナタには判らない」

ラウラも突き返すように言い返した。もう息も絶え絶えだ。

「自分も他人の命も、何とも思っていないアナタなんかに!ワタシが命を賭ける気持ちが判るはずがないっ」

大きくラウラが懐へ踏み込んだ。大胆にも超近距離でミケルを捉える気だ。しかしさすがに、ミケルは手慣れている。ラウラの切っ先を上体のスウェーだけでいなしたミケルはその反動を利用するとがら空きになったまま突っ込んでくるラウラの顔面に、強烈な肘を撃ち込んだ。握りしめた拳を反対側の手で押し込んで、まるで鉄槌で杭を叩きこむようなえげつないカウンターだ。

ミケルの身体のバネが十分効いた上に、たっぷりと体重の乗った一撃は、細身で女性のラウラには決定打に近い一撃になったに違いない。反射的にはねあげたかけたあごにもらった痛打は脳を揺るがし、大きく膝をつきかけた。

それでもどうにか、踏みとどまったが膝が笑っている。口の中を切ったのか、唇からみるみる血がこぼれ出し、咳きこんだラウラは白い歯の欠片を吐いた。

「みじめだな。お前、自分でそう思わないか」

「思わない…アナタ…なんかに、判る…はずがない」

「分かろうとも思わないな。お前こそ、これ以上無様な姿を晒す気か。そろそろ恥を知った方がいい」

「哀れな」

なおも挑発を続けるミケルに刺すように言い返したのは、虎千代だった。

「今のラウラの姿こそ、誰に想いを伝えるためにありしか、判らぬお前の方が愚か者よ。恥知らずで無様なのは、醜き心根をさらすお前自身ぞ」

「吠えてろ。どうせお前には、こいつを救うことなんか出来はしないんだ」

ゆっくりとミケルが踏み出し、刃を突き出したが、もはやラウラの剣線は上がらない。

「血を分けた(よしみ)だ。せめて最期の苦痛から、救ってやろう」

ミケルは腰を沈めると、ラウラの急所に狙いを定めた。その細身の剣には絶好な柔らかい咽喉を真っ直ぐに、突き貫くつもりだ。

「残念だったな。お前は、信仰に殺されるんだ」

その切っ先がまさに、ラウラの身を串刺しに射とめるその瞬間だった。

「ラウラ!」

弾かれたように、虎千代が何かを言い放ったのだ。

それがしかし、ラウラの耳に聞こえていたものかどうか、僕たちには果たして判らない。恐らく今、ラウラの目には一瞬で命を奪い去る銀色に煌めくミケルの毒牙しか、目に映っていなかったはずだからだ。

サヴァン症候群の直感記憶を持つラウラには、自分の末期の瞬間までがはっきりと脳裏に刻み込まれるに違いない。その死は、驚くほど確実で無惨なものになるはずだった。

ところが驚くべきことはその直後に起こった。


瞬間、僕の目にはラウラの襟首をエスパーダが突きぬけて咽喉を貫いたように見えた。甲斐なく抵抗した手をすり抜け、刃が深くラウラの命そのものに届いたものと。この場にいた虎千代以外の人間は誰もがそう視たに違いない。しかしそれは、とんでもない見込み違いだったのだ。

剣は。

ラウラの左手の人差し指と親指の間をすり抜けて、巧妙に軌道を逸らされていたのだ。信じられないことに、咽喉を突いたはずの刃はラウラの手によって止められて、無様な空振りをしていたのだった。

僕たちは唖然とするしかなかった。だって、と、言うことはだ。

ラウラは絶対不可避のはずのミケルの刃を空中で掴み取って、脇に退けた、と言うことになる。

鍛え抜かれた剣線を見切ってかわした、と言うようなレベルじゃない。

高速で飛んでくる切っ先がまるで停まって見えるとでも言うように、掴み取ったのだ。それをしたラウラ自身も今、自分がなしたことが信じられないのか、掴み取った剣を不思議そうに見つめている。

もっとも愕然としたのは、ミケルだろう。絶好の一撃を蠅が停まるとばかりに、受け止められたのだ。目の前で起こったことこそ、たちの悪い悪戯だと言うように、ミケルの顔には最前の嘲りの笑みがとってつけられたままだ。

「放せっ」

ミケルが叫んだ瞬間、ラウラは、弾かれたように身体を起こした。ショックからの立ち直りは仕掛けたミケルよりも、ラウラが一歩速かったのだ。立ち上がりざま、ミケルのあごにラウラが、突き上げるような掌底打を撃ち込んだ。さっきの肘打ちへの絶好のカウンター返しだ。

利き手のエスパーダが引っ張られる形になり、前につんのめりかけたミケルのあごを歪めるほどに掌底は深くめりこんだ。いわゆる梃子の原理だ。最近接射程で、ラウラが放ち得る最善の攻撃にミケルもついに膝を突いた。

「視えたな」

虎千代が言ったのは、その直後だった。それで僕もおぼろげながら、あの瞬間のことを思い出してきた。

虎千代は、こう言ったのだ。

よく視ろ、と。

「お虎、あれはいかな意味じゃ?」

綾御前も訝しげに眉をひそめて、虎千代をせっつく。突然のラウラの復調に、武術の達人の綾御前ですら説明がつかないのだ。そしてあれほど見切れなかったミケルの剣を空中で掴み取ると言う、あの信じがたい事態は。

「無理もありませぬ。姉上、わたしも真人から聞いていなければ同じように目を疑ったと思います。もともと、ラウラには我らにない異能があるのです」

「なんじゃと?それはあの素描の異能のことではないのか」

虎千代はそこで改めて、いつか僕から聞いたサヴァン症候群のことを綾御前に話した。サヴァン症候群は高次脳機能障害の一種で、感覚器から受け取った情報をすべて脳が受容してしまう症例だ。そのためラウラは一度目にしたものをまるで写真機のように、脳に焼き付けてしまうのだ。

「でも虎千代、前に言ってたじゃないか。ラウラのその目の良さこそが、一番の弱点だって」

サヴァンを虎千代に説明した当の僕ですらも、この事態はにわかには納得できない。

「物は言いようよ。際立った欠点とはすなわち、突出した特徴となる。裏返せば出色の武器であり、我はそれを知って逆ねじを喰わせたまでのこと。逆に活かせる方向へ本人が目覚めたなら、我とて一筋縄でいくものではない」

見よ、と、虎千代は言う。

距離をとったミケルとラウラが再び対峙しているのだ。

ミケルの構えは依然としてまったく変わっていないが、ラウラのそれがまったく様変わりしている。違いは一目瞭然だ。

ラウラは腕をぶらりと下げて棒立ちになり、真っ正面を向いている。身体の中心に分布する急所を半身になって隠す多くの闘技の常識を全く無視した構えだ。足元に落ちたままのレイピアも拾わずにふらふらとミケルに相対するその姿は、勝負を投げた自殺行為にしか見えない。

「なんのつもりだっ、舐めやがって」

さっきの事態が悪夢としか思えないミケルが剣を突き刺すが、ラウラの身体には傷一つつけられない。ラウラの動作はさっきのようにせわしなくもなく、風にたゆたうシーツのようにのらりくらりとした動きに見えるのだが、ミケルの剣は不思議とその実体を捉えられない。まるで幽霊だ。だがもちろん実体がある証拠に、無様な空振りを繰り返したミケルはさんざんラウラに打ちのめされている。

「視えている。今のラウラは、身体全体の感覚を使ってあの異能の力で視ているのだ」

と、虎千代は言う。それでも僕にはすぐには理解できなかったが、もしかしたらこう言うことなのかも知れない。ラウラはサヴァン症候群によって獲得した目の良さによって、目に頼りきるがゆえに、開発しきれていなかったのではないか、と。

それが虎千代が初めに言った、目に頼り過ぎるな、と言うことであり、四足を見せたときに言った、目以外の感覚で物を察する感覚を拓けと言う助言を経て、最後には自分の武器を信じろと言う言葉につながってきたのだ。

つまりはサヴァン症候群によって得た感覚器の鋭敏さを、虎千代はラウラの全身に行き渡らせるべく、開発したのだ。

「そうか、あの娘…よく視える目に、まだ身体のこなしがついておらなんだのか」

綾御前も怪訝そうにラウラと虎千代を見比べていたが、やがて納得したように声を洩らす。

「さすがは姉上、正鵠です。今のラウラはあらゆるものを全身で感じ取っている」

「くそおっ」

今や追い詰められて取り乱しているのは、ミケルだ。さんざんな空振りによって体力を消耗させられたばかりか、剣を持たない相手に嬲られ、さっきまでの優勢がまるで嘘のようだ。

「まぐれ当たりが調子に乗るなっ」

そのミケルの目前で二度目が起こった。

際どいところで放った一撃を、またしてもラウラが掴み取ったのだ。

その目はしっかりと、ミケルを見据えている。

「おっ、おれを見るなっ!」

再び同じシーンの繰り返しだ。痛烈な掌底打がミケルのあごを貫き、膝まずいたミケルの前でついにエスパーダはラウラの手に渡ってしまった。

「無様な恥知らずは一体どちらだ?」

まるでさっきのやり取りに追い討ちをかけるように、虎千代が痛罵する。

「ラウラが命の際で得た光明よ。自他の命をもてあそぶだけの今のお前に、決して見切れる代物ではない」

「ミケル!」

傍観していたビダルが横槍を入れたのは、そのときだ。

「もっと単純に考えるんだ。目を塞ぐなら、てっとり早い方法があるだろう?」

その言葉でミケルは、ひざまずいた自分が掴んだものに気づいた。

砂だ。

剣を奪われた手で白砂を握ったミケルは、立ち上がりざまラウラの顔にそれを投げつけた。砂が目に入り、それで確かにラウラの視界は塞がれた。その隙にミケルは剣を奪い返して反撃するつもりだったのだろう。

だがもはや、それもかなわない。

跳びついたミケルに合わせて、ラウラは垂直に跳んだ。なんと眼をつぶったままだ。それなのに的確に振り上げた爪先がミケルに向かって突きこまれたのだ。全身のバネを使って突き上げた渾身のハイキックが極まった。ラウラの蹴りはミケルの胸に深く突き刺さり、その身体を背後の海中へ叩きこんだ。

茜色の飛沫がここまで飛び散ってきた。

今の一撃で確実に肋骨の一、二本は折ったかも知れない。だがさすがにミケルもしぶとく、咳きこみながらもずぶ濡れで這い上がってくる。

「ふざ…ふざけやがって!…こっ…こんなことが…」

ほんの短時間の攻防で、ミケルも満身創痍だ。物理的なダメージを負ったばかりでなくそのプライドまでが粉々に打ち砕かれたが、殺気を帯びてぎらついた目だけはまだ死んでいない。

「こっ、殺してやる…絶対、殺してやる…」

ミケルは息も絶え絶えだったが、ラウラにしても序盤に負った消耗の色は隠せない。身体は血に濡れ、肩で息をしていた。

一気に逆転かと思ったが、それほど気楽なものではない。どころか、振り出しに戻ったのだ。いや、二人は今、初めて同じ位置にいると言ってもいい。命を賭けたやり取りの、もっとも際どい瀬戸際だ。

「兄さん」

ラウラも震える声で呼びかけると、重たい息をついた。

「まだ、ワタシの言っていることが判らない」

「殺すっ」

憎悪に満ちたミケルはまるで、理性を完全に失った人以外の獣に成り果てていた。

もはやその言葉はどこまでも通じそうにない。

「分かりました」

ラウラは一度、強く目を閉じて顔を歪めると、ミケルのエスパーダをとって投げ与えた。そして自分のレイピアを取ると、ミケルに突きつけて言い渡した。

「じゃあここで、本当の決着をつけましょう」


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