戦国大名の責務!いくさ終え、最期の対峙!虎千代の真意は…?
その日も空が、雲ひとつなく晴れ渡ってうららかな日だった。
作法通り、虎千代は武器を構えた護衛三人を背後に太刀を携え、床几に腰掛けて時を待った。これに立ち合うのは、直江景綱、柿崎景家、その背後に鬼小島と僕だ。
どん、と、合図の太鼓が打ち出される。
すると幔幕を押し上げ、ずらずらと後ろ手に縄を打たれた生虜たちが引き立てられてきた。総勢十五名、血震丸の姿はその中にはない。いずれもざんばら髪の武士たちは、いくさ場さながらのぎらついた目でこちらを見返してくる。
「では始めよう」
と、虎千代は言った。腰に挿した太刀の柄に手をかけたままだ。
虎千代と対面する捕虜たちの席には蓆がひかれ、目の前にはそれほどの大きさではないが、底が見えないほど深い穴が掘られていた。察するに首を打つとき、その穴に落ちるようにしてあるのだろう。処刑準備なのだ。それを見ると、さすがにぞっとした。
最初に虎千代と言葉を交わしたのは、薄い口髭を生やした、年配の体格のいい武士だった。年齢は四十前後と言ったところだろう。顔はいぜん泥と血で塗れていたが、ある意味では処刑の場でもあるこんなところに連れ出されても表情は平然としていて、背筋を伸ばし、しっかりと虎千代を対面に見据えていた。恐らくは血震丸の配下の中でも選り抜きの重臣だと思われる。
「長尾殿、これなるは」
顔と名前を突き合わせるために名簿係のところにいた松鴎丸が、虎千代にその武士を紹介しようとしたが、
「いや、顔見知りだ。この男は血震丸どもが古折家にいたときからの傅役よ。久しいな、古折常陸之介よ」
と、気安そうに声をかけた。
「こちらこそ、端武者に等しき我が名、胸に留めて頂き、恐縮の限りでござる。長尾景虎様」
口上は神妙だが態度には悪びれた様子もなく、常陸之介と呼ばれた男は頭を下げた。敗軍の将士のはずなのにそれは、実に堂々とした態度だった。
「端武者とは謙遜することよ。おのれの剛勇ぶりは追い討ちを指揮した我がよう知っておるわ。誰ぞこやつめの縄を解き、顔を洗うものを」
虎千代は即座に、申しつけた。
「どう言うおつもりか」
なぜか、常陸之介は目を剥いた。
「同じ武士同士じゃ。武門の習いとは申せ、このような形で顔を合わせるとは何とも心苦しいではないか」
「ははは、いくさ場の顔と違い、いかにも心優しき姫君かな。天下に弓引く罪人に、礼は無用でござる。このまま引っ立てて、さっさと首を御打ちなさればよいものを」
「そのようにはいかぬ。この場は、我が特段に設えさせた席よ。敗軍の武士に罪名を着せ、罰する席と思ってもらっては困る」
「それよ、姫君」
すると常陸之介は顔を歪めると、虎千代の厚意を露骨に嘲るように鼻を鳴らした。
「相変わらずお甘い方でござるな。裏切りの汚名は、戦国武士の名誉と表裏のものではありませぬか。戦国武士とは常に抜け目なく隙をうかがい、喰らえる獲物あらばたとえそれが主家筋にても、飢えた獣がごとく餌食となすことを厭わず。さればこそこと敗れたときその身の扱われ方が獣以下となるは、すでに覚悟の上と思わめ」
はじめからなんと言う男が現れたのだ。この常陸之介は血震丸のように呪いをこめて虎千代を非難するのでなく、かと言って虎千代への裏切りに後ろめたい想いを吐露するでなく、きっぱりと夢破れた野望の罪人としての刑死を求めたのだ。さすがに周囲の武士たちも僕も、その異様な強情さに鼻白んだ。
一体何を考えているんだ、この男は?
しかしさすがに虎千代は逆に嘲られたのを、顔には出さなかった。
「縄目のことは分かった。なれば、せめて顔を拭かせよ」
「ご厚意痛みいる。では、それだけはお受けいたす」
常陸之介の前に水桶と手拭いを持って小姓たちが現れた。虎千代は彼らに命じて戦塵に黒ずんだ顔を洗わせ、髪を整えさせてやったのだ。
「ああ、心地ようござる。かくて見苦しき戦場首にはならじ」
手拭いで顔を拭いてもらうと、常陸之介は独白した。
「そもそも拙者が古折の旧家にて血震丸様が主家を滅ぼすに手を貸し、その後は黒田家の瓦解に与した上、長尾家ひいては将軍家に仇名す所業に加担したこと、いずれもおのが欲望の果てにしてのけたことでござる。後悔の段、露ほどもなく候。願わくば、あとは戦場の刃にかかり、さっぱりと果てとうござる」
「思い遺すことはない、そう言うのだな?」
「ええ、ありませぬ。…我は血震丸様が野望に賭け、もはやそれも終わりが見えましたゆえ」
男の目は、僕にも輝いて澄んでみえた。虎千代はしばらくそれを見ていたが、
「その方の申し条、あい分かった」
と、やがてゆっくり立ち上がり、常陸之介の背後へ歩み寄った。介添え役の下人がそれと察して、常陸之介の肩を後ろから押し、首を打ちやすい位置へ押し出す。
「誰ぞ、申し伝えることやはある」
刀身に打ち水をしながら、虎千代は尋ねた。
「それも一切の御心配無用」
常陸之介はそれも、きっぱりと答えた。
「妻子は古折家滅亡の折、離縁致しました。今ではどこで暮らしておるのかも判りませぬ。それゆえ、首はいくさ場の野辺にでも葬って頂ければ果報でござる」
「常陸之介よ、この期に及んで世話をかけるな」
虎千代がそう、声をかけたときだ。
「なんの、姫君に礼を述べて頂く筋のことではありますまい」
からからと笑った常陸之介の目に、光るものがあるのを僕は見てしまった。
「傅役の我こそは、全身全霊を以て主君を見守り、支えるが侍の務め。姫君が家の金津新兵衛殿とて同じでありましょう。傅役が逃げて、などて主君を立てざらん」
その言葉は虎千代に衝撃を与えたようだ。彼女は応えず、剣を携えたまま、切なげに顔を歪めた。
(そうなのだ)
これで僕にもやっと、この一連のやり取りの意味が判った。常陸之介が虎千代の気づかいを突っぱねて強情な態度を取ったのは、自分が血震丸の傅役として最後まで責任を取ろうと言う考えからだったのだ。これでもし虎千代が血震丸にもっとも近い重臣を罪人として斬ることが出来たなら、後に続く十四名も心置きなく、処断することが出来るだろう。
(なんて人なんだ)
僕ですら背筋が震えた。たとえ五百年前の戦国武士とは言え、自分の死を前にしてきっぱりとそのように振る舞える人など、そういないに違いない。こうして驚くことに常陸之介は自分の首に刃を振るう虎千代ですら、気遣っているのだ。
そして、そんな人と知っていながら死を与えなければいけない、今の虎千代の心境は、どんなものなのだろう。
「さあ、姫君、頃はよし。見苦しからぬよう、せめて一刀にて」
常陸之介は柔らかく微笑むと、かすかに上体を傾けた。
「さても得難き忠義者かな」
ぽつりとつぶやいた虎千代は胸に残るやりきれなさを振り切るように大きく首を振り、午後の陽を受けてきらめく剣を上段の位置に構えた。
「おさらば」
なぜそんな明るい声が出せるのだ。常陸之介がさらりと別れの言葉を述べた瞬間、虎千代はその一刀を振り下ろした。
常陸之介の赤心を知って、虎千代の心も大きく揺らいだはずだ。強く後ろ髪をひかれる思いもあっただろう。しかしその瞬間は驚くほどあっけなく済んだ。常陸之介はすでに自らを裁いていた。せめてもの礼儀として虎千代は苦しまず、一刀で決めることが一番と考えたのだろう。あの場からよく精神状態を立て直したものだ。
よく手入れされた光忠は刃筋もぶれることなく、常陸之介の盆の窪に入り、苦もなく首を斬り落とす。虎千代が刃筋を立てた位置は脊髄が走り、呼吸中枢のニューロンがある。刃が入った衝撃でことは苦痛なく済んだに違いない。
首斬りは一見残虐に見えるが、達人が行えば意外に苦痛の少ない処刑法なのだ。
極意は俗に皮一枚、と言う。水際立った虎千代の剣の冴えは、まさにそれを現実のものとした。気がつくとそこについ先ほどまで言葉を交わしていた常陸之介の姿はなく、遺された胴が斬り落とされた頭を抱え込むようにしてうずくまっているだけだった。
前に掘られた穴に傾いた傷口からは、バケツの水をこぼしたような出血があった。傍らにいた鬼小島の話によると、首からの出血ははじめ夥しいのだが、斬られた筋がすぐに収縮し出すために意外とすぐに収まるものだと言う。
外科手術を終えた執刀医のように、虎千代は剣を水で洗うと丹念にそこから血と脂の曇りを拭き取った。それから剣を収めると元の座に戻り、下人が整えた常陸之介の首を作法通り実検した。そしてそれが終わると両手を合わせ、供養の偈を唱えた。
最初からとても重苦しい行になった。ただ反逆者を憎んで処刑すればいいという話などでは決してない。
次に引き立てられた男はまた、全く違った態度をとった。
「我を断罪するとは、片腹痛し」
キツネ目の武士は三十代ほどに見える、色の白い男だ。その男は虎千代の前に引き出されるが早いか、口を極めて彼女を批難した。
「そもそも、我が仕える黒田家は長尾家の家列にあらず。あくまで関東管領家、上杉家が臣である。それが序列を無視し、越後の支配者たらんとする長尾家を滅ぼさんとするは、逆意にあらず、大義であろうがっ」
死を前にすれば、怖いものなどないのだろう。男の目は怒りに血走り、顔はどす黒く紅潮していた。
「そもそもおのれの父、為景は上杉家を追い出し守護領を横領せし国盗人なり。それが主筋面して居座らんとするを快く思わず、守護家の臣たる我らが多年忍従せしを年若い姫はなどてか知らんっ。長尾景虎、おのれこそ、天下の大罪人の娘と言わめ」
「はは、これはまた無礼口をきく者が出たものよ」
のっそりと、柿崎景家が槍を手に立ち上がろうとしたが、虎千代の手はそれを制している。
「よい。それより言い分があれば、すべて訊こうか」
と言う虎千代の方がむしろ、凄味がある。悪罵で声を嗄らした男は、一瞬たじろいだ目を見せたが、みるみる逆上して、
「なっ、一時の勝者となれるを嵩に着て、我が義憤、押しこめようとて無駄なことぞっ」
男はそう、虎千代を批難するが、彼女はまったく威圧してはいない。むしろ鎮まった森の古沼のように怒りも悲しみも露わにせず、ただ男の気が済むがままに悪罵を吐き出させてやろうと言う姿勢だった。ちょうどそれはさっきの血震丸の牢での対面と同じだ。
虎千代こそ、彼らにとっては死なのだ。彼女は彼らの前に静かに立ちはだかることにより、彼らがその運命を受け入れるときが来るまで、思う存分気持ちを吐き出させ待とうと言う考え方なのだ。
虎千代が僕に、すべて受け入れるつもりだと言ったこと。そのすべてとはこれほど、過酷なことなのか。それを為すためには一体、どれほどの精神力の強靭さを要するのだろう。
「おのれらっ、何とか言わぬか!上杉家を、上下の列を掻き乱し国土を恣にし、恥じるところはないのかっ!答えよっ、この国盗人めが」
男がそれこそ全身から余り余った精力を吐き尽くして怒りを出し切るのを、虎千代は、じっと待っていた。虎千代をはじめ、長尾家の誰もが反論する言葉のあったろうが、見事にしわぶき一つ洩れない。静寂こそが何よりの答えだと言うように、彼らは男の悪罵をなすがままにさせている。
やがて男は虚脱したように、うなだれた。この男も正気の上では分かっているのだ。こうして声高に自論をぶちまけたが、彼がさっき虎千代たちを非難したことはそのまま、自分たちがやろうとしていたことなのだ。話せば話すほどにこの武士は、我が身に引きかえて、一国を横領しようと謀略を巡らした血震丸の話に乗ってしまった愚と、その結果を痛感したのだろう。
「もうよい、殺せ」
と言った男の顔はさっきとは打って変わって青銅が錆びたようにくすんで、額にはびっしりと脂汗が浮かんでいた。生命力を振り絞った悪態とともに魂も抜け切り、死人も同然のようだった。
剣を手にして、虎千代はゆっくりと立ち上がった。男は刃を携えたその姿をまぶしそうに見上げ、泣き笑いのような表情を浮かべた。どこかほっとしたような、ため息すら漏れた。男は上体を傾けやにわに首を突き出して、
「斬れ」
と、言った。男の言葉に従い、虎千代は剣を振るった。今度も見事だった。冷たく冴えた刃はほとんど手応えもみせずそのうなじに吸い込まれていき、男は声もなく旅立った。
まるで死出の道先案内だ。
虎千代は冷徹な斬人を独り、黙々と続けた。何度も言うがそれは、常人には堪えがたい、並大抵の苦行どころではなかったのだ。総勢十五名の人生がそこに丸ごと投げ出されている。その死出に直面するときの心の重みは、背負い難いものだ。一つ一つが他に比しがたく、そして重苦しい。
先の二人のようにまだ、自分が極刑を受けることを自覚している場合ならまだいい。
「おっ、御許しをっ、私はやむにやまれぬ事情にてことを起こしたのみにて!反逆の気持ちなど露ほどもっ」
と言うような哀願にも、虎千代は死を与える意志を曲げない。それはひいては先に旅立ったものたちへの礼儀でもあった。
それでも斬り損なってしまうことほど無惨なことはない。刀は脂が巻くために、慎重を期して三度の取り替えを行った。犠牲者になるべく苦痛を与えないための、これも虎千代の気遣いだった。
しかしことは、十五人の斬刑だ。それを一手に行う虎千代自身の負担は替えの利かない彼女の心身に溜まり込む。
「少し休む」
八人を斬ったとき、ついに虎千代は小休止を命じた。すでに八人の血を吸った座が穢れ、そこは見るに堪えないような惨状を呈していたからだ。下人があわてて血を洗い流し、白砂を撒き始める。
「まったく姫さま、無茶をしおる」
と、さすがの景家もひとりごちていたが、その虎千代も額に脂汗を掻いている。肉体的な疲労よりも、精神的な疲労が色濃い。いつもは血の気を帯びて健康的な乳白色の肌が、紙のように白かった。
僕は洗いざらしの手拭いを黙って、虎千代に差し出した。彼女はそれを受け取りかけて、はっ、と躊躇した。めまぐるしく死が通りすがる、戦場のときとは違う。まざまざと八人の死を見送った手で、虎千代は僕に触ることを忌んだのだろう。
「大丈夫、虎千代?」
僕は、そんな彼女の額の汗を拭ってやった。
「平気だ。…それより、お前が心配だ。こんな場面に立ち合わせてすまない」
虎千代は目を伏せると、本当にすまなそうに頭を下げた。
「僕のことは…気にしなくていいよ」
「小僧、お前こそ大丈夫かよ。つーか青白い顔してるじゃねえか」
すぐに鬼小島には見抜かれてしまった。でも、仕方がない。僕は百戦錬磨の長尾家の武士たちとは違うのだ。虎千代はそんな僕を見て切なげに眉を歪めた。
「すまない。わたしの我がままに、付き合わせてしまって。わたしの言うことなど、忘れてくれて構わないのだ。今からでも遅くなし。お前は終わるまで別の場所で待っていてくれ」
「そうだぜ小僧っ、お前、無理に付き合う必要なんてないんだからな」
鬼小島も心配してくれる。でも、僕だけここで逃げるわけにいかない。
「うぷっ…大丈夫だって」
「大丈夫じゃねえだろ、どう見ても」
「大丈夫じゃなくても、目を背けるわけにはいかないだろ。…だってこれは、僕の戦場でもあるんだから」
僕はえづきを堪えながら、何とか想いを口にした。
「だってそうじゃないか。僕たちだって、殺されそうだった。何倍もの敵に押し潰されそうになって、それでも生き残ろうとして武器をとって戦った。その結果、破れる人たちの運命だってある。僕だけがそれに目を背けてていいとは、どうしても思えないんだ」
「真人…」
虎千代は、はっとして僕を見た。
「僕にも、見届ける義務があるんだ。虎千代がそこまで責任を負うなら、虎千代を助けた僕にだって見届ける義務がある。どこまでも虎千代を信じたいって思って僕はこのいくさに参加した。だから、最後まで虎千代に添わなきゃ。じゃないか、虎千代」
僕にもやっと判ったのだ。いくさを生業う戦国大名と言うものが、いかに強固な忍耐の末に成立し得るものかを。そしてそれを、目の前にいる僕と同い年の十七歳の少女がこれほど過酷でも背負い、そこからどれほど強力な精神力で極めようとしているのかを。
勝てば終わりのいくさじゃない。
虎千代はそれを僕に身をもって教えてくれようとしている。
僕だってそれに全力で応えなきゃ。
「月並みだけどさ。ちゃんと僕もいるから。虎千代、きちんといくさをしめて来なよ。ここで僕は、虎千代の帰りを待っているから」
「ありがとう」
虎千代は瞳を潤ませていたが、ここで泣いたりはしなかった。
小休止のあと、さらに七人が一人ずつ召しだされ、虎千代の刃の元に首を捧げた。
確かにこのいくさの勝者である長尾家。その代表者である自分が、敗者からの怨嗟と呪詛の声を受け、いくさを終結させていく。上杉謙信ばかりじゃない。武田信玄も毛利元就も、織田信長や徳川家康も、勝者はこうして、敗者を受け入れていったのだ。
そうこうするうちに式台に十五の首が並んだ。ついに、あの男と相対するときがやってきたのだ。虎千代はここで小豆長光の剣を佩く。撃ち響く太鼓の中を。希代の謀略家が、衣装をととのえて現れた。
血震丸は一点も汚れのない白装束だった。すでに戦塵の垢を洗い清め、顔の髭もあたり、髪もくしけずっている。この男は平然とした表情で幕内に入ってきたが、式台に並べられたさっきまで生きていたはずの十五の首を見ても顔色ひとつ変えなかった。
「これは見事だな」
血震丸は唇を歪め苦笑すると、鼻を鳴らして肩をすくめた。
「さすがは鬼姫よ。これほど無慈悲に我が配下を斬れるとは、むしろ清々し」
虎千代は何も答えない。僕から見ても不審だった。さっきまでの血の出るような呪詛を吐き出した血震丸はいない。白皙の頬には、さっきまでの血の出るような憎しみの一片も浮かんでいなかったからだ。
「我が負けよ。…これまで姫君の肝のほどを図っていたが、これを見るだにほとほと、我を超える器と悟った。乱世に相応しき苛烈、情をかなぐり棄て一顧だにせぬ、これぞまさに戦国の覇者たる大器。この血震丸、心底より感服仕った」
皮肉を言っているのか、それとも心からそう思っているのか。いずれにしてもさっきとは打って変わってやけに晴れがましい、その態度に僕も鼻白んだ。
「何が言いたい?」
やがてその真意を問うように、虎千代は訊ねてみた。
「我が謀略の腕を買わぬか」
と、血震丸は言う。ぬけぬけとよく言ったものだ。虎千代は眉をひそめた、その表情を一瞬で消した。
「我が謀略の才と姫君の将器を持てば、関東管領上杉家に代わり、東国一円を切り取ることも夢ではないぞ。姫よ、お前を覇者となすにこの血震丸、生涯を傾ける気概がある。どうじゃ、考えてみぬか。まずは三年、時を与えてくれれば甲斐の武田晴信(信玄)めを退け、信濃一国を進呈しよう。そこから信濃の軍勢を駆って、関東に出兵するのだ」
「なるほど、実にお前らしき申し出よ」
虎千代は黙って血震丸の長広舌を聞いていたがやがて苦笑を唇の端に上らせると、小さく頷いた。
「だがその前に、なんの言い分もなきか。おのれに付き従い死んだ、この十五名の首を前にして、御大将としておのれには感ずるところが何もないか」
「もの言わぬ骸を前に、何か言うことがあるかだと?異なことを言う」
十五の首に顔をめぐらし、哄笑すると血震丸は首を傾げた。
「こやつらの死は、すでに納得済みのことよ。我が才に乗って夢に散ったれば、あとは野辺の土くれ同然。何の心残りがあろうか」
なんと、どこまでも呆れた男だ。
部下を見殺しにし、自分ばかり助かろうとするだけでなく、この血震丸はまったく良心の呵責を感じないと言うのだから。この男は本当に人の血が通っているのか。
「乱世とはかくのごときものではないか。才を恃み、不屈の心で他を虐げえるもののみが生き残ればいい。それが戦国なのだ。こやつらにはそこまでの才はない。ゆえに我が才を恃んだ。ただそれだけのことよ。野望成就せば、それなりの褒章は約束するがそれ以外のことに責は持てぬわ。おのれの命はおのれで守るべし。我になんの責あろうか」
この厚顔無恥な物言いに、虎千代ですら言葉を喪った。
「どうじゃ。考えぬか。虎姫、おのれを関東の覇者にしてやろうぞ」
虎千代は冷たい目で、瞳を輝かせて迫る血震丸を眺めていた。やがて、
「黒姫」
と、突然、控えにいるはずの黒姫を呼んだ。
「例のものをこやつに」
虎千代から、血震丸に何か渡すものがある、と言うのだ。なんだろう。僕たちが見守る中、黒姫ともう一人の従者が捧げ持ってきたものを見て、僕は、息を呑んだ。
式台に乗っているのは、まさか。
「なんだこれは」
血震丸は目の前に置かれたものと虎千代の顔を、不思議そうに眺めた。
「お前に、渡しておかねばならなかったな。それは贄姫の遺品よ。黒姫に命じ、いくさ場より回収させておいた」
やはり。式台に置かれたのは、あの贄姫の遺髪のようだった。白い油紙で束ねられたそれは生きた馬の毛のように艶めいていた。
「古来、女首を獲るは、戦場の災いとなると謂う。贄姫の遺骸はいくさ場の野辺に葬っておいた。やがては我が家で菩提を弔うつもりだ」
「これを、我に…?」
血震丸はその遺髪を取り上げると、しばし眺めたがすぐに式台に戻した。
虎千代の真意が判らなかったからだ。
「今一つは、これだ」
と言う虎千代の手には、朱鞘に緑色の下げ緒の見事な一刀がある。すらり、と抜き放つとそこに、見事な大乱れの刃紋の刀身が現れた。
「無銘だが勢州村正、大業物と見た。これほどの逸品、求めても手に入れがたし。さすがは贄姫よ」
そのまま刀を収めると、虎千代はそれを血震丸の前にぽんと投げた。
「…どう言うつもりか?」
血震丸はその村正を手にしかけたが、まだ怪訝そうだ。
「さて、困ったことになった。わたしはお前を斬りたく、お前は死にたくないと言う」
虎千代も首を傾げて見せると、しずしずと血震丸に歩み寄った。腰の小豆長光に手をかけたままだ。
「そこで提案だ。その剣を抜き、我と斬り合え。一対一だ。誰にも手出しはさせぬ」
「なっ…」
その思いがけない提案にさすがの血震丸も絶句した。
「ひっ、姫さま血迷うたかっ」
ざわっ、と満座がどよめく。僕からしてもありえないことなのは分かる。まさか敗軍の将の血震丸と、勝者の虎千代が五分の条件で斬り合うと言うのだ。こんな趣向、聞いたことがない。
「お嬢、やめてくだせえ!何かあったらどうするんですかっ」
「黙れ。手出し無用。邪魔すれば、我が家のものとて容赦はせぬぞ」
と、虎千代は厳命して血震丸に向き直った。
「長尾平三景虎、我が名を賭けて、ここで保障しよう。無事我を斬れたれば、他のものに手出しはさせぬ。贄姫の遺品をもってここを出て、存分にその菩提を弔うがいい。我が剣にかかれば、贄姫と同様、我がしかるべく葬ってやる。さあ」
虎千代はすでに、血震丸の間合いの中だ。さっきの水のような気配は掻き消え、冷たく冴えた殺気を放っている。その気をもろに浴びて臆したか、血震丸は座ったまま、鞘に手を伸ばしかけた姿勢で硬直している。
「お前とは一度、小細工を弄せず、こうして一剣もって立ち合いたかったのだ」
虎千代は血震丸を見下したまま、あごをしゃくった。
「立て。我らが互いに望むことは到底、並び立たない。さればどちらかが消えるしかない。分かりやすかろう?これもお前の言う、戦国乱世の理に相違なし」
「な、何をたわけた」
血震丸は金切り声を立てたが、虎千代は揺るがない。
「立たぬか。さればよい、別にこのままでも、我はお前を殺せる。それでも一向に構わぬ。対等にするはお前に贈れる最期の慈悲よ」
「くっ」
血震丸はぶるぶると、目を剥いていたが、虎千代の提案を回避するための言葉が続かない。だがこのまま座していてはなすすべなく斬られると思ったか、渾身の力で村正の鞘を握りしめて立った。
ここにはもう、なんの企みも通用しない。
二人の距離はもはや、吐息が感じられるほどだ。命を奪う刃を持つ、二人の差は歴然だった。肩を上下させ脂汗を掻き、ぎょろりと目を見開いている血震丸に対し、虎千代の表情や身体は毛ほども揺るぎを見せない。
血震丸はついに、彼が本当に懼れていた事態に追い込まれたのだ。自分の身を救えるのは、優れた弁舌でも策略でもなく、ただ一本の剣のみ。しかも相手は、虎千代だ。すでに軍神の名に相応しい彼女は煉介さんに克ち、贄姫を斬っている。血震丸の及ぶところではない。
「や、やめよう」
ごくり、と咽喉を鳴らしてから、血震丸は負けを認めた。
「抜かずとも我の、負けよ。贄姫を仕留めた達人の姫にかなうわけもなし」
「では、やめるか?」
「あっああ、ひと思いに死ぬ。いいから…殺してくれ」
ふっ、と力を抜いたかにみえた血震丸が、軽く肩をすくめた瞬間だ。
その一瞬をつき、血震丸が抜き打ちを放った。諦めるふりをすることで完全に相手の油断を誘った、不意討ちの一撃だった。
しかしだ。
ドン、と分厚いタイヤを叩いたような斬撃音とともに、解けたのは血震丸の白装束だ。
「あっ」
虎千代の剣が、数段速い。
抜く手が見えず、しかも血震丸より後に抜いて斬った。
気づけば、血震丸が斬られていたように僕には見えた。それほどに速く、どこまでも際どい一撃だ。虎千代は血震丸の身体に容赦なく、深く鋭い刀痕を刻んだ。刃は右の肩口から入り、瞬く間に胴体を両断している。
文字通り真っ二つだ。
剣は胴体とともに、抜刀しかけた血震丸の右腕も寸断していた。
ぼたり。
声もなく斃れた血震丸の遺骸から鞘走りしかけた剣とともに、血震丸の右手が落ちた。
信じられない。
驚きを口にするように血震丸の唇はわなないたがもう、声を立てることも出来ない。
白装束が血に染まり、傷口からみるみるうちに臓物がほとばしる。ばたりと倒れた身体は糸の切れた操り人形のようだ。最期の驚愕をそのままに、仰向けに倒れた死相は天に向かって、かっと目を剥いたままだった。
「首を」
虎千代はぽつりと言うと、後は小豆長光の刀身を拭った。この上、首を打つつもりには到底なれなかったのだろう。彼女は二度とそこを振りかえらず、汚わいを被ったように苦々しげに眉をひそめていた。
式台に、血震丸入れて十六名の首が立ち並んだ。
虎千代にとっては長く苦しい戦いの終結だった。黒田家との、いや血震丸との三年越しに渡る長尾家との因縁が、こうして一つの決着を見たのだ。
敗者を滅して、生きていく。それが戦国大名だ。生前の経緯はともあれ死者に敬意を払えばこそ、重苦しくとも終わらせたその生を背負って行く責務がある。無数の屍の頂点に立つ、上杉謙信としての彼女の生き方はまさにそこにあるのだ。
それから首注文による戦場首の実検があったが、虎千代は疲労が甚だしく、知切狠禎の大首など主要な首の検分を除いては、後は直江景綱と柿崎景家に任せることにした。人に任せず自らが刑吏となり、手ずから十六名の首を打ったのだ。さすがの虎千代も限界だっただろう。
夕暮れがやってきた。その頃までかかった首実検はようやく済み、かつて血震丸が根城としたこの砦では、跡片づけと夕餉の準備が進められていた。僕ももはや、兵営の食事にも慣れた。大鍋で米が炊かれ、一斉に栄養たっぷりの汁椀が作られる。今夜は付近で獲れた鯉や泥鰌、田螺なども俎上になる。
炊ぎの煙が上がり、ふんわりと出汁の匂いが立ってくる。さすがに昼間は食欲を失くしたが、今はほっとする匂いだった。食べ物って確かに、生きている実感につながるようだ。今なら何となく、太平洋戦争に出た人の話などが分かる気がする。戦場に参加し、首実験にまで出て、この期に及んで食い意地が出るなんて僕もいい加減、神経が図太くなったようだが、それくらいじゃないとこの世界では生きていけない。
虎千代は部屋に籠もったまま、あれからずっと姿を現さなかった。ずっと青白い顔をしていたので僕は、それが一番心配だった。夕餉の膳が整うと僕は、それを持って虎千代のところへ行ってみようと思った。何も咽喉を通らないかも知れない。でも無理してでも何か食べさせてやらないと、いくらあいつだって身体がもたないに違いないと思ったのだ。
今夜はあつあつの鯉汁に、泥鰌の卵とじ、田螺の味噌煮だ。これに虎千代の好物の梅干しと古漬けの沢庵を添えてもらい、ご飯はお粥にしてもらった。膳部を持って僕は階上の虎千代の部屋を訪れようとしていた。
ばたばたと人が立ち騒ぐ気配がしたのは、そのときだ。見るとさっき、首洗い場で黒姫と働いていた軒猿衆の女の子たちがあわてて右往左往している。
「何かあったの?」
と、僕が訊くと、一人の女の子が事情を説明してくれた。
なんとあの知切狠禎の首がない、と言うのだ。
実検では確かに僕もあの大首を見た。実検が終わり、洗い場だった置き場に戻して、それからが行方不明だと言う。
「まさかに首が、ひとりでに動くわけがありますまい」
と、その子は言ったが、僕の胸に不吉な予感が兆したのはそのときだ。
「このこと、黒姫には?」
いえ、まだです、と女の子は首を振った。
「すぐに黒姫に報せるんだ。弥太郎さんにも伝えて!至急、虎千代の部屋に来るように」
生首が生きている。
まさかのまさかだ。しかし僕は戦場で、ありえないことが実際に起こったのを目の当たりにしていた。何しろ絶息丸は、未知の生命力を呼び覚ます恐ろしい薬なのだ。あれで狠禎は一晩にして蘇り、まるで何事もなかったかのように僕たちの前に姿を現したではないか。僕は奔った。もちろん、狠禎が執念で狙うのは虎千代だろう。狠禎は自分たちにあだなす邪教徒として虎千代を憎んでいた。
「虎千代っ」
「なっ、なな何用じゃっ?!」
膳部を片手に僕はあわてて木戸を引き開けた。すると、中から不意を突かれた虎千代の声。湯を部屋に運ばせて、虎千代は髪をすすいでいたのだ。長い髪を下ろし、着物は腰巻が一枚。濡れた髪の張りついた桃色の肌が湯気で上気して。って断じてこれ以上は見てません。ごめんなさいっ。
「ううっ入るなら声をかけてからにせぬかっ」
「ご、ごめんっまさかその、部屋でお風呂に入ってると思わなかったから!」
僕は御膳を床に置くとあわてて、謝った。
「謝らずともよい!とっとととにかく、戸を閉めよ!」
僕は引き戸を閉めてから、気がついた。あれっ、そうだ、僕が外に出てから閉めるべきだったんじゃないか?
「出ずともよい。すぐ着るものを羽織るゆえ」
出る間もなく虎千代の声が降り、しゅるしゅると衣ずれの音がした。ふわりと甘酸っぱい匂いが部屋中に漂って、自分で勝手に入っておいてなんだけど、とても居づらい。
「で?そこまで慌てるからには急用なのであろう?何かあったのか」
「いやそれがそのなんて言うか」
僕は彼女の方を振り向いたが中々直視できない。虎千代は一応服を着たみたいだが、素肌に薄い湯文字をかけただけなのだ。
「僕の気のせいかも知れないけど、もしかしたらって思ったんだ。要はその、いなくなるはずがないのに、なくなったやつがここに来てたらまずいかなと思ったって言うか」
「真人、お前何も言えておらぬぞ。一体何があったというのだ」
僕の説明がぐだぐだになったせいか、虎千代は不思議そうに眉をひそめた。
「とにかくこっ、このままじゃまずいよね。とりあえず僕は外に出てるから、ちょっと着替えてから」
「ゆっ、ゆくなっ」
僕があわてて去ろうとするとその手を、虎千代に掴まれた。湯を浴びて血行がよくなった虎千代の小さな手のほんのりした温かさに思わずどきっとした。
「しっかりと身体を清めてから、お前のところに行こうと思っていたのだ。これまで時間が掛かってしまうとは思わなくてな。言ってくれたであろう?今日のことが終わったら、ずっと、こうしてわたしの傍にいてくれると」
「え、ええっ?」
そそ、そんなこと言ったかな。記憶って言うか理性って言うかそう言うものが滅茶苦茶だ。しどろもどろになっている僕に追い討ちをかけるように、虎千代が湯で火照った素肌に近い身体を遠慮なく押しつけてくる。
「まずいって虎千代。今の格好、ほとんど裸って言うか…」
「わっ、わたしは構わぬ。わたしの婿となるべき男ゆえ。わたしで良ければあの、そのと言うか…」
僕を見上げる虎千代の目がうるうる潤んでいる。わっ、これって。
「今夜は…良いのだぞ」
まるで熱に浮かされたような声だ。ここで我慢できる男が、いるはずがない。僕は思わず身体を押しつけてくる虎千代の小さな身体を抱き寄せた。
「あっ…」
その瞬間、いつもはあれほどしっかりとした虎千代の足腰が、もろくも崩れる。しなやかな足を畳んで、僕の身体を曳きこむように虎千代は仰向けになり身体を伸ばした。
そのとき湯文字の裾からほの紅く色づいた太腿が露わになって投げ出される。淡い布に隠されてほの闇に沈んでいる太腿の根元。息が詰まりそうになりながら僕は視線を上げた。くたれた湯文字を伏せたお椀形に押し上げる、確かな感触を感じさせる胸元。そこに散りかかる黒髪からも。どこもかしこも、悩ましく蒸れた、僕の理性を喪わせる香りが立ち上ってくる。
ふうっと同じ匂いの熱い息が吹きかけられる。それで、僕は虎千代の顔をこんなに間近で初めて見たことに気がついた。
女の子ってつくづく不思議だと思う。いつも誰にも触れられないくらい凛としてる癖に、虎千代はまるで自分の子供を慈しむような目で僕を見ていた。熱っぽくて悩ましい、でも優しい眼差し。そこではすべてが許されているような。
こんな気持ちに包まれてしまったらもう、止まれない。
もどかしそうに詰まる息を整えながら、僕は彼女の乱れた裾をまさぐった。湯を弾くほど張りきっているのに、ぴたっと手に吸いつこうとするような女の子の柔肌の感触。鎖骨から胸の膨らみをのぼり、這うようにして一番上を探す。その先は。いや、これ以上は掲載出来ない。でも止まれない。強すぎる欲望が僕を突き動かそうとするときだった。
「お嬢ッ!開けてくだせえっ!大変ですッ!知切狠禎の野郎がッ!」
鬼小島の大声のインパクトで、僕たちは一気に正気に戻った。
「がっ、狠禎だとっ」
そうだよ僕はその話をしに来たんだった。あと、元気のない虎千代に夕ご飯をっ。
まずいことについで黒姫の声もする。
「虎さまあっ、ご無事ですかっ!ここをお開け下さいですよ!真人さんに聞いて、黒姫参りましたよ!こうしているうちに今にも狠禎めの毒牙がっ」
「真人が?これはど、どう言うことだ」
「あ、後で説明する」
やばいっ。僕たちはばね仕掛けのおもちゃみたいに身体を離すと、いそいそと服の乱れを整え始めた。今、踏みこまれるのはまずい。って言うか、ここまで真面目に描いてきたのに、すでにかなりまずかった。
虎千代が帷子を着たのを見てから、僕は戸を開けた。
「おっ…小僧っ」
「真人さんっ、先に着いていたですか!」
「う、うん…」
狠禎のことで僕が急を告げたので、木戸の向こうは大変だ。鬼小島も黒姫も武器を恃んで目を血走らせている。自業自得とは言え、あああ心が痛い。
「お嬢ッご無事でしたかっ」
「あっ、ああ…そのー、狠禎めはここには来なかったと見えるなー」
虎千代も急いでいたので帷子の帯を結びきれなかったらしい。目を泳がせながら手元はせわしくなく、腰帯を結んでいる。
「虎さま、わたくしの落ち度ですよっ!絶息丸のことを知りながら、生首が生きているかも知れないという可能性を放置してしまいましたですっ!この上はこのでかぶつと二人、草の根を分けても狠禎めの首を探し出して黒焼きにしてやるですよ!」
「う、うむ。黒姫、お前も疲れているゆえ、ほどほどにな」
白々しいと思ったが、僕は言った。
「あっ、そうだー、何かあっちがちょっと、騒がしかったかな」
「なにッ小僧、なんでそれを早く言わねえ!」
「もたもたしてんじゃねーですよっ!みっけたら炸裂弾で粉々にしてやるですよっ!行きますですよっ、でかぶつ!」
危なかった。こんな晩にもし、なるようになってしまったら、この二人に僕はそれこそ粉々にされたに違いなかった。
にしてもこの夜、紛失した狠禎の首は、どうしても見つからなかったのだ。それだけは晴れないわだかまりとして僕たちの中に居残った。
まさか生首がひとりでに歩き出すなど、荒唐無稽な話には違いなく、翌日直江景綱と柿崎景家には一笑に付されたのだが、僕の嫌な予感は後に思いがけないところで、当たることになる。




