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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.8 ~決死の迂回作戦、確かめ合った気持ち、車懸りの正体
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決戦最終局面へ!死線をくぐり抜けた虎千代に集まる意志…!

虎千代のその刃がついに、贄姫を捉えた。

地に落ちた贄姫の利き腕を見たとき、僕は息が詰まって自分も崩れ落ちそうになった。

「と、虎さまっ」

と、黒姫が悲鳴を上げて僕とともに虎千代に駆け寄る。

「大丈夫だ」

かすかな声で虎千代は応えた。息を整えていたのか、肩が上下するほどの激しい息遣いも収まっていて、僕たちが介抱する前に刀を杖にして自力で立ち上がった。

「まだ勝負はついておらぬ。贄姫はどうなったか」

無我夢中だったのだろう。自分が放った一撃の成果を確かめるように、虎千代は言った。

「大丈夫。もう、勝負はついたよ」

と、僕は答えた。

しかし、あの一瞬は際ど過ぎる死闘の極北だった。

あの局面から抜刀術と見せかけて鞘を投げつけた贄姫の機転もさることながら、窮地に追い込まれた虎千代が放ったかささぎの抜刀術の威力の凄まじさだ。引くことでもっとも威力を発揮する日本刀の斬撃には距離が不可欠なのに、贄姫によって虎千代は攻撃可能な間合いを潰された。はたしてそれを読んでいたのか、否か。虎千代はとっさに思い出し繰り出したその技が功を奏した。かささぎが得意とした密着した間合いからの射程距離ゼロの必殺の抜刀術だ。

その贄姫はまだ息がある。

「くっ」

贄姫の傷は、思っていたよりもずっと深かった。とっさに防御した右腕が肘の先から斬り落とされているのはすぐに確認出来たが、小豆長光は革製の胴丸を切り裂き、そこに大きな爪痕を残していた。しかし、何と言う威力だ。利き腕がなくなった時点で贄姫はすでに戦闘不能だが胴を引き裂いた一撃も強く、贄姫を損なっていた。両箇所の出血は甚だしく、よく膝を突いたまま、まだ意識を保っていられるものだ。

「これで満足か」

と、僕は虎千代に代わって言った。僕にこの死闘を見せたいと言っていた贄姫の、決定的な敗北だ。

「お前が言ってた決着がついた。もう、勝負は終わりだ」

「いいえ」

贄姫は痛みで引き攣った顔で僕を見つめると、小さくかぶりを振った。

「何を、申しているのですか…まだ、終わっては、いませんわ」

荒い息の中で贄姫は腰刀の紐を解くと、出血の大きい利き腕の上腕部を強く縛った。そして地に落ちた自分の腕から刀を取り上げると、左手一本で剣を構えなおした。まさか、まだ、こんな状態になっても戦う気なのか。

「これは勝負になく。殺し合い、と申した、はずです。決着は互い、死の際まで」

執念ではない。だがその凄まじさに僕は背筋に冷たいものを感じた。贄姫にとってそれはただの勝負ではなく、本当に命を削り合う殺し合いなのだ。そしてそれは他人の命を奪うことそのものと同じように、自分の命ですらそこに削り尽くすことすら止めえない衝動なのだ。

「真人、まだだ」

虎千代もあえぐように言った。無茶だ。虎千代にしたって身に、贄姫の刃を受けている。五体満足な虎千代にしても、剣を杖にして立っているのも、やっとの身体なのだ。黒姫などは泣き腫らした顔で虎千代にすがりつこうとする。

「あのっ、とっ、虎さまっ、傷のお手当だけでも」

「不要だ。まだ決着ではなかろう」

と言うと虎千代は黒姫を退ける。それから虎千代は、念を押すように僕を見た。虎千代と贄姫、二人の間で言う決着はまだついていないのだ。ここまで信じたのだ。僕には虎千代の好きにさせてやろうと思った。僕が道を開けると、虎千代は誰の手も借りず、贄姫と相対した。片足を引きずり、雨に濡れた身体は贄姫と同じく満身創痍だった。

こうして命を削り合った二人のいくさ姫は、再び向かい合ったのだ。

「ご気分は」

と、贄姫が訊いた。震えを帯びていたが、その声にはなぜか慈しむような響きが混じっていた。

「悪くはない」

と、虎千代は応えた。

「今、判ったゆえな。お前はわたしだった。いくさ場を往来し、屍を踏み分け、敵の首を並べるうちにそうなるかも知れなかった、それが今のお前の姿だ」

贄姫は無言で、微笑んだ。なんとも屈託のない笑みだった。なぜかは、僕にも判らない。この二人のいくさ姫の間には、殺し合うことで得られる奇妙な理解があった。虎千代も贄姫もそれを確かめるためにこうして再び、傷だらけの姿で相まみえることを望んだのかも知れない。ある意味では、この二人はなんとも凄まじい共感で結ばれようとしていたのだ。

「まだ熱い」

なくなった右手の痕で贄姫は、肩口の傷をなぞるように虎千代の太刀痕を確かめる。

「楽しき時でした。生きているうちで、一番」

と、贄姫は深いため息をつき、辺りを見回すようにした。

「なんとも美しいいくさの景でしょう。首を獲られ打ち棄ての遺骸、泥まみれの旗に主を失った馬。そしてこの、血と腸(わた)と鉄(かね)の匂い。我らここから生まれ育まれてきたのです」

「だろうな」

虎千代も、否定はしなかった。彼女の名に含まれる虎、は彼女の父、為景が激戦地の虎口をとって名付けたものだ。しかしそれは贄姫の言う、死を撒き散らす忌まわしい存在のためとは違う。死から生へ、希望を導く力のことなのだ。

「さて、虎姫さま。まだやれましょうや。見たところそこに、立っているのが精いっぱいのようですが」

「ぬかせ」

贄姫の挑発に、虎千代は鼻を鳴らした。

「おのれこそ、左腕一本でまだ我を斬ろうてか」

「ええ、無論のこと。今度こそここで、退く気はありませぬ」

荒い息を整え、太刀傷を抱えた二人はようやくにして、剣を手に取っている。

雨はまだ、二人の身体を濡らし続けているが、薄い雲の彼方に太陽の光る気配がする。虎千代も贄姫もほの明るい光に包まれながら、傷ついた甲冑や刃から、雨粒を滴らせて、じっと機会(とき)を待っている。

贄姫は左腕一本を振り上げ、虎千代を斬り伏せようとし。

虎千代はそのまま切り上げを狙うか、剣を地面に刺したまま、かすかに足を開き腰を落としている。

二人とも、ふらふらだ。さっきの立ち合いでまともに撃ち合う体力すらすでに使い果たしているに違いない。後は残り少ない自分の命一個で、相手の息の根を止め得るかを考えるしかない。ともすれば、相討ちになる可能性が強い。腕一本でまともな働きも出来そうにない贄姫はむしろ、そちらを狙っているようにも思える。

もはやそこに言葉はない。二人だけの時間が流れた。

雲が途切れた。

ぱっ、と辺りに日が射し始め、二人は同時に身体を起こした。

贄姫が振り上げた刀を左手一本で振り下ろそうとしたその時だ。

どん、と虎千代が足を踏みしめ。

地面に突き刺した剣をぐっ、と押し込み、体重を預けるようにすると。

贄姫を越すように。

跳んだ。

一刀。

立木を押し倒すようにして虎千代は、贄姫を斬り倒した。

それは、決着を突きつけるに申し分ない手ごたえの一撃だ。

疲労が極に達していたのか下からの切り上げを予期していたのか、贄姫はほとんど反応することもあたわなかった。胴丸と骨を断ち割る凄まじい音とともに、贄姫は左手の剣を振り上げたまま、今度こそあおむけに斃れた。


贄姫は死んだ。僕が見るまでもなく、血を撒いた贄姫の身体に命はなく、そこには傷つき果てた抜けがらが天を仰いでいた。魂が去った贄姫にもう、ぎらつく殺気や衝動は残っていない。意外にも穏やかな死が、表情を覆っていた。

最期のその瞬間、そこに何を焼き付けたものか。その瞳にはもはや感情の色はなく、涙で潤んだ眼窩が雲を溶かして現れた晴れ間を、凪の日の湖面のように映しているだけだった。その胸に抱かれた海賊旗のようなぶっちがいの虎千代の見事な太刀痕こそ、あの奇怪な鬼姫が最期に望んだものだったのだろう。悲惨な戦場を愛した女は、自分の望むとおりそのまま無惨な戦場の景になったのだ。

「やっ、やりましたですね、虎さまっ」

血留めの包帯と薬草を持って黒姫が真っ先に虎千代に駆け寄る。あの一撃で足の傷口が開いたか、虎千代はすでに立ち上がることも出来なくなっていたのだ。

杖代わりの小豆長光はそこに、放りだされていた。贄姫の血がついたその剣を、僕は懐紙で拭うと、虎千代の腰の鞘に戻してやった。

「すまぬな」

と、虎千代が言った。大きくついた息に疲労感が色濃く漂っていた。

「やったね」

「うむ」

と、剣を受け取った虎千代は表情を濁らせた。

「さても、哀れな女であった」

黒姫から手当てを受けながら、虎千代はその贄姫の亡骸を見下ろしている。虎千代は贄姫をそうなるはずだった自分の姿だった、と言った。人を殺し、血を浴び、戦場を闊歩し続けることで生の充足を得ていた贄姫を虎千代はどんな想いで斬ったのだろう。

その宿業から解放されて晴れがましい贄姫の死に顔に比べれば、虎千代の表情は疲れ、沈んでいた。これから贄姫の分も、虎千代は戦場を往来し課された宿業を背負って行く。贄姫を斬ることで虎千代はそれを決意したのだ。その想いが肩に軽かろうはずがない。

しかしだ。今は、喜んであげるべきだと僕は思った。

ついに虎千代は贄姫を倒したのだ。

「虎千代、立てそうか」

「ああ、どうにかな」

虎千代は苦笑するように微笑んだ。

「これでどうにかことは済んだ。お前にも苦労をかけた」

「そんなことないよ」

僕は、懐から取り出した簪をそっ、とその髪に差してやった。

「あっ、こ、これは」

「返すよ。やっぱり、この方が似合ってる」

「こっ、ここはいくさ場ぞ」

虎千代は髪からあわててべっ甲細工の揚羽蝶を取ろうとしたが、僕はその手を握った。

「ありがとう。虎千代がこれを渡してくれたから、信じて待てたよ」

「うううっ、黒姫がいるではないか。そう言うことは、ふっ、二人きりのときに言えばよいのだ…」

「でもありがとう。本当に助かった」

「そ、そうか。ならば、よかった。届けさせた甲斐があった」

僕が微笑むと虎千代は、顔を真っ赤にして唇を尖らせた。相変わらずこう言うとき、素直じゃないんだから。

「なっ、なっ、なんなのですかっ、このわたくしの置いてけぼり感はっ!」

その様子をみてさすがに黒姫は絶叫した。

「まっ、真人さんが悪いですよ!よりによってそう言うやり取りをあえてこの黒姫に見せつけるとは!虎さまの嬉し恥ずかし愛欲のご表情はそもそもは黒姫のためのものなのですよ。それを分捕るとは、ご立派な度胸してますですねえ!ぶっちゃけありえないですよ!て言うか、ずっこいです!真人さんばっかり、ずっこいですよお!」

両手をばたつかせて、黒姫は猛抗議する。だだっ子か。

「ご、ごめん黒姫」

って、そして僕、なんで謝ってるんだ?

「大体ですねえ、虎さまに愛情籠った御言葉をかけて頂くのは、そもそもこの黒姫こそ、なのですよお。虎さま、わたくしも徹夜で頑張ったですよ!わたくしにも、愛欲の情籠った嬉し恥ずかし、お褒めの御言葉をっ」

「黒姫、贄姫の侵入を許し、此度の仕儀になったはそもそも、軒猿衆の警備不行き届きではないか」

「うううっ、そ、それは…そのお…」

ずばりと虎千代に言われ、黒姫は硬直した。

「まあよい。徹夜で奔走したおのれらの労苦に免じて、それは不問とする。以後、気をつけよ」

「はっ、はいですっ!ごめんなさいです、虎さま!…あれ?って、わたくし怒られちまったではないですかっ!真人さん、どうしてくれるですかっ」

いや、それで僕を責められても。


一時はどうなることかと思ったが、どうにか生きて帰れた。

傷ついた虎千代を乗せて馬を曳いた僕だったが、戻るのに少し気おくれがあった。本来は撤退する予定だったにも関わらず虎千代率いる越後勢は、言うなれば僕一人だけのために、全滅の危険を冒してここまで来てくれたのだ。あんな無茶な突撃でどんな惨状があったのか、もし死人が出ていたとしたなら僕の責任だと思っていたのだが、

「おうっ、小僧、生きてやがったな!」

戻るなり、鬼小島に背中をぶっ叩かれる僕。なんでそんなテンション高いんだ。

「どうだったあ、人質は」

いや人質体験はどうだったかと言われても。贄姫には指を切られそうになるし、弾正には脅されるしで、緊張とストレスで寿命が縮んだとかしか言いようがないのだが。

「さっきの突撃はさすがにおれたちでも、肝が冷えたぜ。だがあすこで退かないのは、さすがはお嬢だろ。なあ、みんな」

さすがに幾多の決死の特攻をくぐり抜けた連中だ。驚くことに、なんとさっきの突撃にも死人の一人もないようなのだ。

「かようなものよ、いくさなるものは」

鬼小島から軍勢の状況報告を聞きながら、虎千代は僕に言った。

「死なんとすれば生き、生きんとすれば死ぬ。これもまた真理なのだ」

しかし疲れ果てるどころか、なんて言う奴らなのだ。柿崎景家を囲んだ力士衆は、酒と武器を手に、揚々と意気を上げている。

「見たか若僧、これが越後衆のいくさじゃああっ!はははははあっ、弾正の奴めら、どんな面しとったか!」

尖り髭をさらに逆立たせて、景家は僕に迫ってくる。鷲掴みした土瓶の酒を頭から浴びている。ええと。僕が返答に詰まっていると、

「おいっ、小僧!ぼけっとしてんなよ」

その瞬間、どん、と鬼小島にまた背中を突かれる。うう、何度もなんだってんだ。

「おれら、お前のためにここまで来てやったんだぜ。おれらに帰参の挨拶は」

「弥太郎さん…」

涙目で振り向くと鬼小島が帰参に気後れする僕の思いを見透かしたように、笑っていた。ただいま。僕は掠れる声で、どうにかそれを言った。

「馬鹿野郎、よく戻ってきやがった」

さすがにこれはぐっと来た。ありがたいことに虎千代だけじゃなく、鬼小島たちも僕を心から心配してくれていたのだ。

「こう言う奴らよ」

虎千代も苦笑しながら僕に、言った。何だか不思議だ。ここは戦場なのに、本当に、自分の家に帰ったみたいだ。

「我も言うてなんだな。無事に生きて我が命を果たしたこと、大儀であった。帰参、祝着至極」

その瞳が強く、涙で潤んでいた。おかえり。そう素直に言えばいいのに。でも嬉しかった。それで僕も心から虎千代に、ただいまを言った。


「やっぱり戦場(ゲンバ)が一番じゃなあ、クソ野郎どもっ」

景家の声に、おおおおっ、と力士衆の雄叫びが湧き上がる。

「もうひと仕事片づけて、今夜は祝杯じゃああっ!」

陽が傾きかけ、再び姿を現した陽光は淡い紅を帯び始めている。もはや日暮れは目の前だ。その頃、弾正の軍勢の姿は跡かたもなく、戦場から消えていた。残るは、血震丸が率いる狗肉宗の軍勢だ。山上から引き返してきた彼らは、逃げ散る松永勢をものともせずに攻撃を続けている。しかし兵数の上ではこれで、互角になった。

「こちらも片をつけねばな」

僕に馬を曳かせたものの虎千代は、すでに疲労の色が濃い。

「と、虎千代大丈夫?」

「う、うむ。一番槍は勇士に譲るにしても、この、先駆けばかりは譲れぬでな」

「お嬢、ここはしばしお休み下せえや」

鬼小島がすかさず、ふらふらと馬上の姿勢が中々整わない虎千代を気遣う。

「後はおれと柿崎のオヤジとで片をつけますんで」

「しかし。皆、死力を尽くしておる。ここで我ばかり、休むわけにはいかぬ」

と、手綱を持った虎千代だったが、そのままふらりと落馬しかけそうになる。

「とっ、虎千代、危ないって」

僕は黒姫とあわてて虎千代を馬から引きずりおろした。

「虎さまあっ、わたくしたち軒猿衆もおりますです。でかぶつだけじゃ頼りないと思うのはもっともですが、ここはご自愛くださいですよお」

「う、うう…すまぬ。大丈夫だ。だが、少し休めばまた、戦えるのだ」

こんなことになってまで、なんて強情な奴だ。

「虎千代さん、無茶は禁物ですよ」

僕たちが虎千代を持て余していると、その様子を見かねて、砧さんが凛丸と説得に来てくれた。砧さんは煉介さんに代わって、凛丸たち足軽衆を率いて、これまで戦ってくれていたのだ。

「長尾殿、我ら足軽衆が前線を支える。ともかく心配は無用だ」

と、凛丸は立ち上がろうとする虎千代を抑えて頼もしく言った。

「虎千代さんは体力を温存してゆっくりと来るといい。皆を奮い立たせようと君が進んで敵前に立つのはいいが、総大将の君から討ち取られてしまっては元も子もないからね。ここは、まず見ていることだ」

「う、うむ…」

砧さんはやんわりと微笑むと、虎千代に言った。

「虎千代さん、君はやはり大将を謂う『頼うだる人』だね。よく周りを見るといい。君を助けに、一生懸命にしてくれようとする人は、真人くんや君の家来ばかりじゃない。私や、凛丸くんたち…それに真菜瀬ちゃんたちもだ。皆、君を支えたくてここに来ている。たまにはそれに甘えなさい。それも大将の器だよ」

頼みになる人。それはただ、頼りになる人が大将になる、と言うばかりではないのだ。そう、砧さんは言う。つまりは、人の心の拠り所になれる人。強さばかりでなく、弱さすら心を開いて、そこにきちんと見せられる人。この下剋上の戦国乱世だからこそ、それがあえて素直に出来る人間こそ、貴重な存在だったのだろう。

そんな虎千代だからこそ。皆が力を尽くしてくれる。はるか現代から来た僕だって、虎千代のために命を賭ける気になったのだ。

「虎千代、僕がこの馬に乗る。僕の後ろに乗りなよ。それで戦場に出よう」

躊躇する虎千代の手を僕は取った。

「だっ、だが、お前は武器をとっては戦えまい」

「心配ご無用。主従の馬は、この松鴎丸が守りまする」

と、火縄銃を携えた松鴎丸が、すかさず僕たちに連れ添う。

「だって」

と僕が言うと、

「す、すまぬ…」

と、虎千代は頭を下げた。

「何も謝ることはないさ。松鴎丸も僕も、虎千代の助けになりたくて、やってるんだからさ」

見なよ、と、僕は言った。

虎千代はそこに、自分のために集まった顔触れをもう一度見渡した。

砧さんの言うとおりだ。

虎千代を助けるのは僕や、長尾家の人たちばかりじゃない。

みんな、自分の意志と目的の元に、虎千代に集った人ばかりだ。

「行こう、虎千代」

僕は虎千代の腕をとり、馬に乗せた。そして彼女に教えてもらった手で手綱を取る。その馬に、寄り添うように軍勢が集まった。

「よっしゃあっ、今日は余計に腕の見せ所だぜ、野郎どもっ」

鬼小島は武器を取ると、それを天高く突き上げて見せた。

「さあっ、お嬢っ、出陣の合図を」

僕は虎千代を見ると、小さく頷いた。皆の心づかいが嬉しかったのだろう、彼女はいっそう声を溜めて夕陽の空に下知を轟かせた。

「打ち物うてえいっ、出陣じゃっ」


暮れなずむ空に、『龍』一字、純白の突撃旗が翻る。

態勢を整えた虎千代の軍勢は、龍の尾にかじりつこうとする血震丸たちについに反撃を出た。勢いに乗った長尾勢は追い立ててきた黒い群れをひと息に腹の中に呑みこんだ。その勢いは昨日から三連戦を重ねている軍勢とは思えない。

「はっははあっ!やっぱり武士(おとこ)は戦場(ゲンバ)が一番じゃなあっ」

柿崎景家は自ら槍を駆って、敵勢に躍り込んだ。指揮官なのに虎千代に限らずこの人も、無茶では負けていない。だが腕は折り紙つきだ。血に濡れそぼった大身槍は狙いあやまたず十人近くの首を突き通し、瞬く間に槍衾を築こうとしていた敵の徒歩足軽を後退させた。

血路を開いた景家の後を均すように、間髪入れず鬼小島たち力士衆が踏み潰す。

「のうっ、弥太っ、お嬢についてきて良かったわっ、なあっ」

傍らの鬼小島に向かって景家は叫んだ。

「へっ、へへえっ、オヤジ、今さら何言ってんすかっ」

力士衆の大太刀の中でも、ひと際分厚く長い刃で五人を一気になぎ倒すと、鬼小島は言い返した。

「やっぱりお嬢のいくさが最高だぜ!はははあっ、これだから、俺らァ力士衆はお嬢から離れられねえんですよっ!」

「でかぶつがっ、一人で悦に入ってるんじゃねえですよおっ」

押し返そうと出る敵の波に黒姫率いる軒猿衆が、すかさず迎え撃つ。

「今宵、虎さまに一番馳走するのは軒猿衆だってんですよ!」

黒姫は両手に持った炸裂弾を容赦なくばら撒いた。爆音が耳を聾し、爆煙と土砂がばらばらと湧きあがる。それに乗じて入り込んだ軒猿衆が短刀一本で敵兵を刺殺していく。鋭い鎧通しで鎧の隙間の急所を瞬時に突き貫く、彼らの前には重厚な大鎧も通用しない。

「ふっふうう…これだけ働けば、今夜の虎さまの閨は黒姫のものですよお!お疲れの虎さまにも黒姫は大丈夫です、とっときの飛騨の霊薬で虎さまをやる気に…いや、癒やしてあげるですよお。黒姫、いつもより頑張っちゃいますですよ!」

不気味な妄想を垂れ流す黒姫は、今日も絶賛全身凶器だ。爆弾をばら撒いた後は無数の八方手裏剣が、群がろうとした足軽たちの全身を散弾銃のように貫いた。飛び道具に堪え、どうにか接近して討ちとろうにも、黒姫の身体からは毒針に酸、鎧ごと叩き潰す鎖分銅などが飛び出した。

鬼小島も黒姫も手がつけられない。

死線をくぐり抜け、さらに技も勘も磨かれている。力士衆も軒猿衆も、普通の兵士たちでは相手にならなかった。血震丸が金で雇った兵たちは瞬く間に無数の死傷者を出し、潮が引くように逃げ散っていく。

「おのれえいっ、死に損ないどもがあっ」

髑髏を兜に頂いた血震丸が怒りに燃えて、軍刀を振るう。

「我と狗肉宗で直々に噛みつぶしてくれんっ」

いよいよ、敵の主力部隊狗肉宗の出現だ。

獣の毛を植えた鎧に巨大な鎧通しを装備した重装歩兵は、真新しい血と肉を浴びて初めてみたときよりも禍々しい雰囲気を放射している。しかもその勢いは、昨日の衝突でかなりの死傷者を出したはずにも関わらず、なぜかまったく衰えていない。

「出るぞおっ」

不気味な読経を煽りたて、肥馬を駆ったのはやはり紛れもなくあの知切狠禎(ちぎりがんてい)だ。

「げえっ、あの野郎っ、生きてやがったか」

虎千代に斬殺されたはずの大行者の、不気味な大鉈槍は健在だ。

狠禎の一振りは、鬼小島の長巻の一撃に勝るとも劣らない。

「邪教徒、滅せよ」

ドン、と交通事故のような衝撃音とともに、二人の力士衆が一気に蹴散らされる。野鍛冶の大鉈は、力士衆の装備した備前鍛冶の大太刀をへし折り、胴丸具足を噛み砕いた。正面衝突した力士衆の武士は、目を剥いて絶息している。

「ようやったぞ、狠禎よ」

馬首を並べた狠禎に、血震丸は感に堪えぬ様子で言った。

「血震丸殿が盃に汲むあの虎姫が首は目前ですぞ」

人の血肉を刃からふるい落として、狠禎は血震丸に和した。

「はははあっ、そうじゃなあ。逃しはせぬぞ」

血震丸は哄笑すると、高声を上げた。

「長尾虎千代っ、さっさと出て来ぬかあっ!姿を現さぬは武士の名折れぞ」


その声は僕たちのもとにもすぐに、届いた。

「血震丸」

黒田家を滅ぼした憎き仇を見つけ、松鴎丸はとっさに弾を込めた。

「今はだめだ」

と、僕はそれを制した。うかつに銃を撃てば、傷ついた虎千代の居場所を気取られる可能性がある。

「狠禎め、あれで生きておるとは」

知切狠禎の息の根をとめたはずの虎千代は怪訝そうに言って、眉をひそめる。確かに、生きているのはまだいいとしても、あれだけの重傷で、次の日もこれほど動けるはずがない。狗肉宗はどのような秘術を用いて、あの禍々しい大行者を蘇らせたのか。

それにだ。

昨日の激戦で、狗肉宗にもかなりの死傷者が出たはずだ。あの不気味な獣の鎧をまとった死体を、僕もいくつも目にしている。だが今、血震丸たちが率いる狗肉宗の数は、まったく減った様子がないのだ。むしろ、昨日より増えているようにも思える。

(何があった)

不気味な予感を、僕はえづきとともに飲み下した。


「噛みつぶせ」

血槍を振るった狠禎の軋るような命令が、狂獣たちに降る。

大地のおめきのような、呪われた経文を唱えながら、突出してくる。死をも恐れぬこの獣たちはまるで黒い一枚壁のようだ。軍勢を噛みちぎられた鬼小島たちも必死に、軍勢を整えて衝突に備える。

「来るぞっ!」

狗肉宗が寸前に迫ったときだ。あっ、と鬼小島が何かに気づいたように叫んだ。

「騎馬武者どもは、馬を下りやがれえいっ」

もう手遅れだ。

命令が徹底していなかった凛丸たち足軽衆が、狗肉宗の突撃の餌食になった。

まるで地から生えた黒曜石の塊のようなこの重歩兵に、騎馬の武者はまったくの命取りだった。馬で乗りかけても、男たちの壁は微動だにしないのだ。そうしてまごつく間に叩いても折れない丈夫な刃に下から腹を貫かれ、串刺しになった足軽たちが何人も血祭りに上げられる。

刃の波に押し上げられ、何人もの騎馬武者が馬から放り投げられた。べしゃっ、と無惨な音を立てて墜落したときには、ぐしゃぐしゃに潰された肉の塊で、もはや手の施しようもない。

「凛丸くん、騎馬武者たちを退かせなさい」

と、素早く撤退を指示したのは、砧さんだ。

「し、しかしっ」

ぶち当たってしまった兵たちは、追いすがる狗肉宗に捕まり、逃げる隙もない。

「走れば馬の方が速いでしょう。とにかく逃げなさい。ここは任せて」

凛丸にも自分の馬を預けて、砧さんは足軽たちを退かせた。

砧さんはみるみるうちに、一人になる。

当然その砧さんの前に、狗肉宗の黒い群れが立ちはだかってきた。

「やれやれ、困ったな」

大きく息をつくと、砧さんはすらりと背中の大太刀を抜いた。その剣は、煉介さんのそれに勝るとも劣らない、刃渡り二メートルを越す長大な武器だ。これならば、狗肉宗たちの超重武器にも十分渡り合えるに違いない。

だがそれはいいとしても砧さん、驚くほどの軽装備だった。

超重武器を扱うせいか肩当ても胴丸も、防御よりも機動性重視だ。ところどころ鉄の小札が入っているのだろうが見たところ、頭形(ずなり)の筋兜だけが完全に鉄製なくらいだ。

顔まで全身隙間なく鎧で覆った重装備の狗肉宗とはまったく対照的だ。

(本当に大丈夫なのか)

あれでは狗肉宗の猛功を防ぐ術はない。

「邪教徒、死せよ」

そう思ううち、狗肉宗の獣たちが腹に刃を抱えて突っ込んでくる。

そこにはほとんど、どんな隙もなさそうだ。

全身でぶちかましを当てるように強烈な体重の乗った一撃を。

すい、と太刀を構えた砧さんが軽くいなしたかに見えた刹那だ。

ぐるん、と反転するように、突撃してきた狗肉宗の大鎧が。

倒れた。

まるでコントでバナナの皮を踏んだ人みたいに、あっけなく。

ええっ。

信じられない。

「これは」

何があった、と言うように虎千代も目を見張っている。やはり虎千代も、原理を知らないようだ。

その砧さんはいつも通り、にこにこ笑っている。

この人はどこまで達人なのか。底知れない。あの重装備の狗肉宗の歩兵を今、どうやって倒したのか。まるで魔術だ。

得体の知れない力の存在を察したか、一気に踏みつぶそうと迫った狗肉宗たちも二の足を踏んでいる。

その間に倒れてうめく男の腰から脇差を抜くと、砧さんは悠々とその男に止めを刺した。

「遠くでいい。よく、見ていなさい」

と、砧さんは僕たちや凛丸に向かって言った。

「ことのついでだ。もう一手教えましょう」


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