ありえない『殺し屋』。春水と凛、初邂逅は……?
「殺し屋だあ……?」
猪原が上擦った声を出した。
確かに殺し屋には、間違いない。げんにたった今、貴志川が、目の前で殺されているからだ。だが、何か現実感がない。猪原の反応はそんな浮き足だった感覚を、そのまま言葉にしているだけのようだった。
「て言うかてめえッ、何、勝手に入ってきてんだよ!?」
思考の迷路をさまよった挙げ句、猪原はまず初めに問うべきことを問うべきだと思ったようだ。
「明河組がどこだか分かってンのか?こんなところにしゃしゃり出てきててめえっ、ただで済むと思うなッ……ああああっ!?」
脅しの雄叫びを上げる猪原の声から、覇気が流れ落ちた。
それと言うのも無理はない。春水が振るったメスが恐るべき殺傷力を発揮したからだ。
まるで蚊が刺すような微かさで喉元から挿し込まれた刃物が、すうっ、と、へその下まで、線を引くようにすると。
鎖骨下から、胸を割って下腹部までが派手に引き裂かれ、内臓がこぼれ落ちたのだ。まるで水風船を割るかのような呆気なさだ。
「あっ……アッ、ああああああ……!」
巨漢の体格自慢で馴らした猪原が、別人のようだ。
見る間に、短い悲鳴を漏らしてから、重力に従ってこぼれでる、自分の内臓を戻そうとするかのように腹を抑えてうずくまった。
その間にも内臓と共に噴出した大量の出血が、濡れそぼるように猪原の身体を染め、巨漢が事切れる頃には、まるでバケツ一杯のペンキを浴びせられたようになった。
一気に内臓を抜かれ、猪原は出血死している。あれほど凛がブッ飛ばしても屁でもなかった男が、このざまだ。
自分の青白い腸を指で掴み、あわてて腹の中へ戻そうとしながらも、あえなく意識を喪う姿は、悲惨を通り越して滑稽ですらあった。
「こちらはあとは、隼瀬さんお一人でございますね。他の人間はどうやら、首尾よく『誰か』が片付けてくださったようですけど」
殺し屋は冷ややかに、残る隼瀬を見下ろす。あの隼瀬が息を呑んだのが、凛にも分かった。
ただの『殺し屋』だと言うが、この女は、半端じゃない。その凄みが凛にも肌感で判った。
(なんだよこいつ……)
そこにいるのは、殺気も害意も含んでいない、世にも不思議な『猛獣』だった。その本性を表す前と後で、なんの違いもない。だからこそあっさりと、貴志川も猪原もあの世へ連れ去られたのだろう。
「確か三島春水と言ったか、あんた」
隼瀬は時間を稼ぐように言った。
そのときそっと、まさぐるようにその手が、春水の見えない位置で銃を取り出そうとしているのが、凛から判った。
「プロなんだろ。だったら交渉しねえか。報酬は言い値出すぞ。明河組の極道殺して、どうなるか分かってんだろ?地獄のはてまで追い回されるよりは、あんたにとってもいいんじゃねえかと思うんだがな」
隼瀬の口調は、余裕を取り戻している。ほんの少しでも焦れば、相手から主導権は奪えない。修羅場慣れした口調だとも言える。
恐らくは不意打ちで、いきなり顔面を狙撃くつもりだろう。こちらからは隼瀬の汚い意図が、筋肉の緊張からも丸見えだった。
しかし気づいてか、気づかぬうちか、春水は平然としている。なんの、警戒の気配も見せない。もしかしてこのまま、撃たれてしまうのではないか、と心配に成るほどに無防備だ。
「なるほど、明河組の看板、と言うのはそれほどに頼りがいのあるものですか?」
「へへ、本当に知らねえならあんた、いい度胸だと言いてえな……」
隠された隼瀬の手が、拳銃のグリップを探し当てたその刹那だ。
「明河組の極道をよ……舐めちゃてめえは生き残れねえやっ……」
隼瀬が春水の鼻面に、隠し持っていた拳銃で狙撃しようとした。気づいていた凛の一声も間に合わぬ。そのほんの、一瞬だ。
春水の剣が一閃し、隼瀬の手首ごと刎ねていた。
「ぎゃっ」
隼瀬が間抜けた悲鳴を発したときには、拳銃を握ったまま右手首は天井近くにぶつかって跳ね落ち、床に落ちた時点で、トリガーが引かれた。
銃弾は地を這い、まだ虫の息があったのか、横たわった貴志川の尻に当たり、すでに事切れたはずの貴志川が、
「ひゃっ」
と、甲高い悲鳴を上げて、跳ね上がった。
「てめっ」
それでも、啖呵を切ろうとした隼瀬の首を、春水の剣は無造作に薙いでいる。
「ごぼっ……おぼんこっぼおおんっ」
首を裂かれた隼瀬は、切り取られた手首の断面で何かを掴もうとするように、もんどりうって絶命した。
「あんた、気づいてたのか……?」
凛は思わず、春水に問うた。まさか知らんぷりして誘っているなどとは、夢にも思わなかったからだ。
「ああ、銃のですか?『起こり』が丸見えでしたから」
「予備動作ってまじかよ」
さすがの凛も目を丸くした。
今のはどうみても、隼瀬の動きを見てから春水が動いたようにしか見えなかった。それなのに尚それより速く、その刃は隼瀬の手首を切り離している。
(人間のレベルじゃねえ……)
当時の凛は思わず固唾を飲んだ。
「あんた、殺し屋……なんだよな?」
凛は遠慮せず聞くことにした。
プロの殺し屋ならば、残る自分や理子をどうするつもりなのか、それも知らなくてはならないからだ。
「ああ、それですか。説明が面倒なので殺し屋と言うことにしましたが、わたしは別に、殺し屋ではありません」
あっさりと極道を三人も始末しておきながら、春水は平然と答えるのだった。
「じゃ、アタシたちはどうなる?」
春水はきょとんとした顔をした。
「お好きなように。……気をつけてお帰り下さい」
(なんなんだよこいつは)
ますます不可解である。
プロの殺し屋を称しておきながら、別にそれでもなく、プロの殺し屋でも滅多に出来ないような絶技で極道三人も、あっという間に殺せるものなのか。
「あんた、アタシに事情を話してくれる気はねえのか?」
「……ないですね。別にあなたからの依頼でもありませんし」
「アタシが勝ったら話すな!?」
念押しすると、凛は構えた。無意味で無謀で、不条理な行動だと、自分で分かっていた。
しかしそれでも今、『彼女』と死闘う衝動を、押し下げられない。例えその果てに、無惨すぎる自分の、血みどろの最期が待っていたとしても。
「来な。アタシは全身凶器、江戸川凛さまだッ!」




