これが上杉謙信の忍び?!軒猿の正体!
ごうごうとお腹の底に響く、地鳴りと武者押しの声のさなか。
重たくも、突発的な音量と堪えがたい残響が尾を引く、暴力的な破裂音が耳を聾する。
絶え間なく続く甲高い金属音に、革と肉を擦り合わせる鈍く低い音を切り裂くようにその音は、僕の中に潜む本能的な危機感と恐怖感を絶え間なく刺激し続けてくる。
これは、火薬の音だ。
もしかしてあれが真菜瀬さんの言っていた、細川家に配備された鉄砲なのだろうか。
朝方、僕たちは鞍馬山を脱け出して京都へ戻ってきた。
出発前の見通しではそのまま、予定戦場を先に通過して下京に潜入する手はずだったのだが、僕たちより早く、凛丸たち足軽部隊は真夜中に桂川付近に集結して、京都に乱入したらしい。もう日が昇る頃には細川勢との戦闘が行われていた。
このえの話によると足軽たちの動員兵力は五百に満たないと言ったところだが、迎え撃つ細川勢はその倍以上が戦闘に参加するはずだと言う。凛丸の見通しでは細川勢は下京に逃げ散った足軽たちの掃討が終わった時点で軍勢は退き陣の準備を始める様子だったが、細川勢は朝方の奇襲を予想してすでに戦闘準備を整えていたようだ。
勝っても負けても退き陣のときがもっとも警戒すべきだと言う武士ならば当然の鉄則なのだが、ふいの奇襲に血が上った足軽たちはやはり戦機を見誤っていた。
そのため戦場の様子は僕のような素人が見ても目にも明らかだった。
虎千代が言うとおり勝敗の帰趨は、まったく予想に違わぬ見通しだったのだ。
素肌に胴丸、日本刀を持ってほうぼうから突撃する足軽たちに細川兵たちが浴びせかけるのは、オレンジ色の煮えたぎる火煎だ。ロケット花火のように尾を引く火花は、衝撃波と爆音で馬を慄かせ、逃げ散る足軽たちの剥き出しの肉を容赦なく焦がしていく。男たちの悲鳴やうめき声が、いくさ場の辻々でむなしく上がっていた。
ここは桂川にほど近い、下京の町辻だ。釘貫の門は破壊され、無人の人家が放置されている。住人が逃げ散った長屋の板葺きの破れ屋根から、僕たちは戦場を臨んでいた。
(これが本当の戦場・・・・・)
今なら、真菜瀬さんが本当のいくさはこんなものじゃない、と言っていたことが分かる。ここはあらゆる物騒さと混乱が錯綜する、この世の地獄だ。やり場のない緊張感に僕はいたたまれない気分を抑えきれなくなる。
「気をしかと張れ。敵とかち合わぬよう、注意せよ」
虎千代が一目で見破ったのだが、防犯用に盛り上げられた土塁や側溝の中に細川勢が潜んでいた。馬を走らせてきた足軽たちはまずここで、埋伏していた細川兵の厳しい洗礼を受けた。下京の足軽たちも市街地戦で得意としてきた廃墟や塹壕を利用したゲリラ戦術だ。
臨時雇いの傭兵ではなく、野洲細川家が軍備を整え、本格的な動員をしてきたことは明らかだ。黒い陣傘に旗指物を指して鎧をまとった細川兵は、僕たちが時代劇でみる足軽たちとあまり変わらなかった。細川家の旗印は、確か、丸に二つ引き両と言うのだったと思う。黒字に白い円の中に横に二本、同色のラインが引かれただけのシンプルな家紋だ。
彼らは揃いの長さ二メートル近い番槍(配給の、量産品の槍)を持ち、鬨の声を上げて一斉に集まった足軽たちを蹴散らした。この槍衾には、どんな剣の達人でも一度に数人で攻撃されたら支えようがない。訓練した足軽の集団戦法は最新の戦術で、個々人の戦闘に任せた足軽の戦術はまったく通じなかった。
未明に集まった足軽たちは僕が見る限りは、どの局面でも、なすすべもなく敗走させられていた。
中でも足軽たちを浮き足立たせたのが、その火薬の音とともに降り注いだ火の矢だ。何度か僕は細川兵と思われる武士たちがそれを使うのを見たのだが、それは僕たちが時代劇でよくみる火縄銃とはまた形が違って、しかも驚くほど巨大だった。形も真っ直ぐで銃床と言える部分がなく、鉄砲と言うよりはロケット射出装置みたいだった。
「あれは鉄砲ではないわ。唐渡りの火槍ぞ」
と、虎千代が言うには、それは鉄砲以前に中国から渡ってきた火薬兵器でこの時期での畿内の戦闘では、これがポピュラーだったようだ。
火槍は、もっとも原始的なライフルだ。古くは火薬が中国で発明された九世紀前後にヨーロッパで流行りだした兵器で、ローマンキャンドルチューブと言うものが発祥とされる。それはその名の通り、ロケットが装着されたただの筒で、小さな弾丸を照準をつけて飛ばす銃とは違い、命中精度もほとんどなく原理的には銃と言うよりは、本当にロケット花火のようなものだったらしい。
だが、狙いは不正確とは言え、密集して肉薄してくる足軽たちに数を揃えて打てばそれなりの効果はあるわけで、度重なる爆音と火傷を負った負傷者に混乱させられた足軽たちはみるみる討ち取られていく。火傷で死ななくても逃げ遅れたところを槍で突かれたら、いちころだ。
火薬の引き起こす最大の戦果は、馬の混乱だ。足軽たちの馬は借り物で、火薬の音に慣れる訓練をもちろんしていない。馬は臆病な生き物だ。訓練をしていない馬は金属の輝きにもおびえてしまう。火薬の炸裂に驚いて棹立ちになった馬から転げ落ち、または暴れ馬に後ろから蹴り倒されたところに槍をつけられ、何人もの足軽が命を奪われた。
「目も当てられぬな」
惨劇に出会うたび、虎千代は暗い口調でつぶやいていた。
やはり無理がありすぎたのだ。ただの寄せ集めの足軽たちが、完全武装した正規の武士たちにかなうはずがない。
しかしひどい負け戦だ。凛丸たちはどうしているんだろうか。無事だといいがこの惨状を見ると、うかつな希望的観測も口にできなくなる。
「そう悲観するな。弥太めがおるわ。あやつは無茶苦茶だが、やることはやる男だ」
虎千代が励ますように僕に言ってくれたのだが、確かにそちらの心配はないようだ。
こんな悲惨で一方的な状況にあって鬼小島率いる力士衆だけはなんと最前線にいた。虎千代が言ったとおり、奴らは無茶苦茶だった。鬼小島が通った跡はあの化け物のような長巻に吹っ飛ばされた細川兵の足軽たちが散乱し、へし折れた二つ引き両の旗指物が放置され主を喪った馬などが彷徨っていた。常時死兵と言われた彼らは、全員徒歩で馬は使用しないし、火薬の音になどおびえたりしないのだ。なんて恐ろしい。
そんな極悪部隊だが、虎千代の姿を見かけると対応が一変する。
「あっ、おいっ、お嬢だっ!全員整列しやがれっ!」
「お疲れ様ですっ!」
野太い男たちの体育会系直球の大声が、天空にこだまるする。物騒な男たちは野蛮な戦闘行為をぴたりと止め、虎千代の前に整列して、ずらっと頭を下げた。誰もしわぶき一つ立てない。不気味なくらいだ。いつ見てもアウトレイジな長尾家の突撃部隊だった。
「お嬢、俺ら絶好調です!今日も元気に戦ってますっ!」
「た、大儀。だがくれぐれも無茶はするなよ」
「お嬢、ありがてえっす!」「でもお嬢の突撃の下知を聞かねえといまいちやる気がでねえす!」「早く越後に戻ってきてくだせえっ」「お嬢、俺にもお言葉をっ」
すごい人気だ。しかし、屈強な男たちがドスのきいた声で、お嬢、お嬢、と群がる光景は、目の当たりにするとさすがに一歩退く。虎千代はさすが大将らしく、ひとりひとりの名前を挙げて労うとともに鬼小島に用意の金銀を一掴み与えて、
「弥太、上手く引き上げたら、奴らに酒でも振舞うてやれ。かような負け戦じゃ。くれぐれも死者を出すでないぞ」
「へへへっ、分かってますって!おい、クソ野郎どもっ、早くもお嬢からごほうびを頂いたぞ。戻ったら浴びるほど飲みやがれっ」
と、鬼小島がその場で景気よくその金銀をばら撒いたので、連中は最高潮だ。うおおおおっ、と海兵隊のパーティのような大騒ぎ。まったく、この連中だけは敗残兵の面影のかけらすらなかった。
しかし、だ。次に何気なく言った虎千代の言葉が、連中のテンションを変えた。
「なれば弥太、後は任せてよいな。凛丸たちのことも」
「えっ?」
凛丸。その言葉が出たときだ。歓喜のどよめきが嘘のように消え去り、野獣の咆哮を上げていた鬼小島がぴたり、と停まった。あっ、あれ?
「・・・・・まさか、忘れてはいまいな」
「あっああ!・・・・・はいっ、そこも、ぬ、抜かりはねえです!はいっ」
脂汗だらだらで言った鬼小島たちは、その後、前線を撤退する相談をこそこそし始めた。絶っ対、忘れてたな。この分だと本当に、凛丸たちが心配だ。
キャラの濃い長尾家の面々と別れて、僕たちは上京へ向かう。そこでまず僕たちは新兵衛さんが段取りをつけてくれた長尾家の軒猿衆と落ち合うことになっていたのだ。
上京と言えば煉介さんが向かったはずの弾正屋敷があったはずだが、虎千代は途中、そこに足を向けても弾正さんに会う気はないようだ。
「あやつは信用ならぬでな」
今の状況では、いきなり煉介さんが訳も分からず罪人に仕立て上げられたと言う情報だけで、いたずらに渦中の人物に接触すればはぐらかされるか、それともいいように翻弄されるかが関の山だ、と虎千代は言う。
「そもそも童子切めはあやつの屋敷へ来たときに何やら談合しておったであろう」
そうだ、と僕は今さらながらに思い出した。初めて屋敷を訪れたときも、煉介さんは僕たちを置いて二人きりで弾正と話をしていた。
「真菜瀬やお前らの話ではあれから、ふらりといなくなることが多くなった、と言うがあれは十中八九この弾正めの差し金であろう」
僕は、はっ、として、
「と、言うことはもしかしたら弾正さんも」
虎千代はにべもなく頷いた。
「無論、一枚噛んでおろう。白々しくとぼけられるか、あまつさえ、罪人の係累を捕らえたとて、売られる可能性すらある。あやつの面を見るは後回しよ」
戦国大名は戦国大名を知る、と言うところか。ううん、煉介さんの先輩とは言え、確かに相手は、権謀術数の塊のような松永弾正久秀だ。会ってみると気さくだったが、本人も喰えない人であることは確かだったし、虎千代の言うことも、もっともかも知れない。
(それにしても、静かだな・・・・・)
虎千代と話しながら僕は、塀の外から屋敷の方をうかがってみた。弾正屋敷の長い土塀のうちは、不気味に静まり返っている。虎千代によれば、弾正は主君の長慶について、各地に出兵しているらしい。この頃について言えば、三好家は負け戦が続いていると言う。細川家の足軽狩りも、弾正たちをじりじり追い詰めている証と言えなくもない。
「どうも、この辺りのはずなのだが」
虎千代は辺りを見回した。どうも軒猿衆が指定してきた場所は、なんとこの弾正屋敷の目と鼻の先なようのだ。
「軒猿、って忍者だよね?」
「うん?そうだが」
虎千代はさらっ、と言った。この辺りさすが戦国大名だな、と僕は思う。やっぱり家に忍者がいるのって、僕たちに置き換えて考えてみると家にお手伝いさんとかが出入りしているくらいの感覚なのだろうか。
「なんだお前、軒猿どもを知っておるのか?」
「ま、まあ少しはね」
期待してたわけじゃないが、なんか、どきどきしてしまう。忍者か。そう言えば、忍者の人に出会うなんてこの時代に来て初めてだったのだ。
軒猿、と言うと上杉謙信配下の忍びなのだが、一般的にはそれほど知名度はない。やっぱりライバルの武田信玄が、配下に真田家の甲賀忍者やムカデ組といった特殊部隊を抱えこみ、自らも権謀術数ばりばりの諜報戦術を好んだのに対して、野戦決戦の好きな上杉謙信は諜報機関を使うイメージがあまりなさそうだからだろうか。
でもあの、忍者嫌いの織田信長ですら饗談、と言う忍者集団を抱えていたのだ。戦国大名に忍びは不可欠なのだ。地味だけど軒猿衆にも、「木猿」や「小猿」と言った名人がいたらしい。すばしこそうな小男をイメージしてしまう。
待ち合わせ場所、と言うところがこんな場所だから、てっきり塀を飛び越えて怪しい黒覆面とかが現れるのかと思っていた。しかし僕たちにはまた、意外な展開が待っていた。
「きゃあああっ!」
突然、沸き起こった悲鳴に僕たちは身体を強張らせた。この甲高い声。女の子の悲鳴だ。
「これっ、大人しくせぬかっ」
みると築地塀の角の辺りで、男女二人が揉み合っている。騒ぎはあそこだ。
「ああっ、痛いですっ。どうか、ご無体はおやめくださりませっ」
悲鳴の女の子は、悲痛な叫びを上げている。僕らと同い年くらいの女の子だ。
一見して良家のお嬢さんと言う雰囲気だった。つやめいた黒髪がさやさやと腰まで豊かに波打っている。桜色の小袖がまた、なまめかしい。雪のように白い肌に、涙で濡れた大きな瞳の睫が長く、文句なしに清楚な美少女だ。まるでこうやって、悪い人に攫われるために生きているみたいにかよわそうな女の子だった。
対する相手は、鎧で武装した髭面の男でこれが絵に描いたような悪人面だった。様子を見ていると、どちらが悪いのかは一目瞭然に思えるのだが、どうやら男はただのかどわかしではないらしい。訊いてみると、その清楚そうな女の子ともみ合いながら押し問答しているのだ。
「いいから来いっ!怪しい奴め、中でとっくり泥を吐かせてやるわ」
「ううううっ、わたくしは、何もしておりません。ただ、ただ、ここを通りすがっただけの小娘でござります。あああっ、どうかっ、どうかお許しを」
「な、なあ、虎千代、助けなきゃ」
「ああ」
と、言ったが、虎千代は別に、ここでことを荒立てる気ではなさそうだった。ちょっと面倒くさそうに二人のところへ歩いていくと、
「もし、往来で立ち騒ぐは見苦しき限りぞ。差しでがましいが何があったか。この小娘の言い分、聞いてみてもよいではないか」
過日と違い、虎千代は立派な服装をしている。居丈高になって襲ってくるかと思いきや、男もその風体を見てそれなりの身分の人間なのだと思ったのか、
「い、いや、これは失礼致した。実はついそこの塀で不届き者を捕らえ申して」
「不届き者?」
僕は思わず、男の腕の中に囚われた女の子を見る。い、いやまさか。
「いっ、言いがかりですっ。わたくし、ただ、この塀沿いに歩いていただけで」
「不審な物を投げ込もうとしていたではないか」
「不審なもの?」
「出せっ、早う。懐にしまったであろうっ」
「わたしは何も・・・・・いやあっ、やめてっ!変なところ触らないで下さいっ」
ぶんぶん、と、女の子は首を振る。潤んだ瞳にみるみる涙が溜まってきて、えぐえぐ泣きだしてしまった。この子が不届き者なんてまさかそんなわけない。
「と、虎千代どうにかならないか?」
僕は虎千代の方を見たが、虎千代は何だか白けた顔で腕組みをして、泣きじゃくる女の子を眺めているだけだ。やがて何を言うのかと思ったら女の子に向かって、
「助けぬぞ」
きっぱりと言い切った。ええええっ?
「余計な声をかけてすまなかった。不審者と申すなら、やはり不審者でござろう。存分になされよ。煮るなり焼くなり好きにするべし」
「そ、そんなっ」
冷たすぎる。しかもなんてひどい言い方だ。ショックを受けたのか、女の子も絶望してみるみる青ざめて膝が笑っている。
「なあっ、どうして助けてやらないんだよ」
「ふん」
虎千代は僕を促すと、去っていこうとする。いつもの虎千代らしくない。らしくなさすぎる。僕がもう一度、引きとめようとすると、
「黒姫」
と、虎千代が女の子に向かって言った。
「捕まったはおのれの責ぞ。一人でなんとか出来るであろう」
ちっ、と言う大きな舌打ちを僕が聞いたのは次の瞬間だった。えっ、今舌打ちしたのってこの子?それに黒姫って、虎千代が言ったのはこの子の名前か。そう思っていると。
がくっ、と男の肩から力が抜けてあっという間に腰が落ちた。あ、これって虎千代のときと同じだ。びっくりした僕が声を上げる間もなく、女の子は鎧の男の片腕をとると、
「どっせええええいっ!」
と、えげつない気合声とともにぶん投げた。
まったく情け容赦のない一本背負いだった。
受け身をとる間もなく男は、固い地面に脳天をぶち当てて泡を吹いて気絶した。女の子はそれを見下ろすとこれみよがしに鼻を鳴らし、袖の埃を払いながら片手で首を掻き切るジェスチュアをした。
「下郎が。いつまでも、珠のお肌に触ってんじゃねーですよ。輿入れ前のお肌が穢れたらどうしてくれるのですかっ」
邪悪そうに顔を歪め、吐き捨てる姿はさっきまでのかよわいお嬢様とは思えない。
「こやつめが軒猿よ」
うっ、まさかとは思ったけど、この腹黒そうな子が軒猿だったのか。
「く、黒姫。なぜおのれが来たのか」
虎千代は心底嫌そうだ。それも分かる気がする。
「なぜって。虎さまあるところ、黒姫ありではございませんかっ」
このノリ、前にも見たことあるぞ。越後の人ってみんなこんな奴ばっかりなのか。外見だけは清楚な美少女だったが、中身は邪悪で危険すぎる本性を秘めていそうな黒姫だった。
「ああっ、虎さま。黒姫、またもや危ういところを助けられました」
自分で助かった癖に、黒姫は、恥じらい恥じらいしながら虎千代にすり寄ってくる。
「狂おしいこの気持ち、どうあなた様に伝えてよいのか分かりませんっ。黒姫、あなた様がためこの身、十七年間純潔を守り、清めてまいりました。もうっ我慢なりません。ずっと、押し倒したい・・・・・もとい、お慕い申しておりまする。この上は身も心も、いとしの虎さまに捧げとうございますうっ」
「だっ、抱きつくな。気味が悪い。どうせ、わざとであろうっ。こんな、妙な場所を指定してきおってからに」
虎千代の腕にすがり、身体を摺り寄せる黒姫。どうでもいいけど長尾家の人、みんなキャラが濃すぎる。まともなのは新兵衛さんくらいなのかも知れない。
「もう、虎さまったら疑り深い。わたくし、本当に困っていたのですよ。あのまま中へお持ち帰りされてここでは言えないほどひどいことをされてしまったら、虎さまのお嫁にもらって頂けないところではありませんか」
よよよ、と黒姫は袖を噛んで泣く。さっき男を豪快に投げ飛ばした極悪な顔を知っていると、その仕草もどこか裏があるように見えるから不思議だ。
「あ、早速ですが助けてもらったお礼をしなくちゃですね。わたくし、この辺りによい温泉の出るお茶屋さんを知っているのです。まだ日が高いですがそこで、虎さまと二人、めくるめく肉欲にまみれて昼下がりのただれた愛のっ」
「いい加減にしろ」
ついに虎千代の肘鉄が黒姫の脳天に突き刺さった。
「虎千代、まさかと思ってたけど・・・・・百合?」
十分ありうるな、と思って僕は聞いてみた。
「馬鹿なっ、こやつが勝手に申しておるだけじゃ。わっ、わたしの気持ちは、昨夜、風呂場でお前に話したではないか」
「風呂場で?」
じろり、と黒姫がこちらを見てくる。危険な眼差しが恐ろしい。
「とにかく黒姫、お前このようなところに呼び出したからには、我らに話すべきことはあるのであろうな」
「はいっ、それはもう抜かりなく」
すると黒姫は、油断のできない笑顔になって頷いた。
「まずは移動しませんか?ここで話すにはちょっと、危険すぎるので」
だったらなんでこんなところに呼び出したんだろう。もっともな突込みがあったが、誰かが指摘する前に黒姫はさっさと歩き出していた。
黒姫が僕たちを連れて行ったのは、弾正屋敷にほど近いところに建つ一軒の酒蔵だった。ここは軒猿衆の拠点の一つらしい。俗に言う忍び宿と言うやつだ。量り売りのお酒を売るお店だったが、黒姫が僕たちを連れて堂々と入っても誰も咎めるものはいなかった。
中庭に大きな蔵が建っていて、その土蔵の二階家に僕たちは通された。
「ご覧下さい」
窓を開けると、外にさっきの弾正屋敷が見える。
「手回しがよいな」
「弾正がことは新兵衛様より言付かっておりましたので監視はしておりました。それに、為景様以来、京都は長尾家にとっても重要な地です。在京の軒猿衆は、特に命がなくとも、京の権門勢家にあまねく通じておりますわ」
「うむ、それは父から聞いている」
この辺りは事情が複雑だ。これはどうも虎千代よりもお父さん、為景の仕事に関わることだったらしい。
以前に京都から戻ってきた守護の上杉氏が長尾家と争うことで、越後の戦国時代が始まったと虎千代が言っていたが、お父さんの為景さんは上杉氏の力を封じ込めた後、長尾家が越後を治めることを認めてもらうために京都で任官活動をした。その運動の名残でここにはもともと在京の長尾家の人間が網を張っているらしい。そう言えば虎千代が名前を隠していたのも、最初は京都にいる自分の家の人間にばれないためだったのだろう。
「だが黒姫お前、在京の軒猿衆ではあるまい。いつここへ来た?」
「それはもう、新兵衛様にうかがってすぐに飛んできましたわ。わたくしがついてすぐちょうど偶然、京都の担当のものがどうも食べ物が合わず身体を壊してしまったこともありまして。そのまま担当を引き継がせて頂きましたっ。ああ、いとしの虎さまと京とで二人きりなんて・・・・・わたくしったらなんて幸福な軒猿なのでしょう」
忍者が食中毒起こしたりするのだろうか。すぐとちょうどと偶然が交錯する黒姫の説明は、限りなく怪しい。
「で、それからは蔭ながら、わたくしが虎さまの身を案じさせて頂いておりました。防衛上、虎さまの身辺はひととおり調べさせて頂いておりますので、顔を合わせていなくとも皆様のことから虎さまのお風呂やお寝みの時間まで、知らぬことはほとんどありません」
て、言うかストーカーだ。
「す、すごいんだね、全然気がつかなかった。じゃ、じゃあ僕のことも・・・・」
「成瀬真人」
ふいに冷たい声の棒読みで自分の名前を呼ばれたので、僕はぞっとする。
「ああ・・・・あなたのこともようっく存じておりますよー」
はっ、と気づくと、間違いない。黒姫の視線からは、はっきりと目にみえない殺気が僕の胸に突き刺さるように放射されていた。
「女子の着物を着せて虎さまを連れまわしたことまでは知っています。しかも虎さまと仲良さそうに、腕を組みやがっていたそうじゃないですか。でも、まーそれはいいです。それより、先ほどの、お風呂の話は聞き漏らすところでしたよ。このわたくしでも虎さまのお背中は流したことがないのに・・・・・何があったか、とっとと吐かねーとこの場で生爪を剥ぎますわよ」
「黒姫」
それ以上、虎千代は何も言わなかった。黙って脇差の柄に手を当てたので、さすがの黒姫も真っ青になって引き攣った笑顔でお茶を濁した。
「じゃ、じゃあ、ごっ、ご挨拶もほどほどにしてっ、そろそろ本題に入りましょうか。ええっと、虎さまが寄寓していらっしゃるくちなは屋で、足軽一味の大将をしている童子切の煉介という男の消息ですよねっ」
ばたばたと、黒姫は何かを持ってくる。そこに積み上げられた紙の束にびっしり書かれたのはすべて、なんらかの記録のようだ。
「これらはすべて、この弾正屋敷の出入りを記録したものです。お話では煉介なるもの、たびたびどこかへ足を運んでいるとのことでしたが、わたくしの記憶では弾正屋敷に足を運んだことはあれから一度もありません」
「ふむ」
と、虎千代は目を瞠った。なんとだ。僕たちと、挨拶に行ってから煉介さんは弾正屋敷に足を運んだことは一度もなかったのだ。
「一度もないとはな」
「はい、記録を確かめてみましたが、この数ヶ月屋敷への訪問は一度もありませんね。まあ、弾正自身もこの屋敷にはほとんどおりませんので行っても、会えはしないかと思います。出兵がなくても接待や饗応、金策などで屋敷には二日と戻ってはきませぬので」
と、黒姫は外の景色をうかがった。
「やはりか」
「フフーフ、さすが虎さまお目が高いです」
え?虎千代は黒姫と顔を見合わせている。二人とも何かに気づいたのか、口の端に同じ笑みを浮かべていた。
「要は、別の場所で逢うておるわけよ。お互い違う用事をそれとなく装って出てな。ことに弾正の動きはめまぐるしい。対して煉介はそれほど不自由な身ではない。都合はいつでもつけられる。密談するにふさわしい場所をな」
「密談って・・・・・」
そんな考えすぎじゃないかと思った。実際、密会の証拠は何も出ていないのだ。だって、だとしたら一体、弾正と煉介さんの二人は何を企んでいるんだ。
「おかしいと思わぬか。あの検非違使が童子切の煉介を論難した、三つの罪状。そのすべては、すでに時が経ち、沙汰止みになったものぞ。真菜瀬が話していた通り、あの人市は非合法のもので、本来、売り物を盗られたとてどこに訴える尻を持ってもいけぬ。さればこそ我も鵺噛童子として、越後からの足弱どもを解き放つことが出来たのだからな」
「う、ううん。言われてみれば確かに」
その理屈は分からないこともない。煉介さんが人市で暴れて絢奈を取り戻してくれた事件だが、あれだけ大きな騒ぎになって何の問題にもならなかったのは、弾正の力もあったのだろうがそもそも相手に非があることだったと考えれば納得はいく。鵺噛童子として虎千代が被害を及ぼしたのも、そうした後ろめたい人たちだったからこそ、越後からさらわれた人たちも、新兵衛さんが連れ帰ることが出来たのだろう。
「あるかなきかの罪を人に糾問されるは、理由のあることぞ。恐らく童子切め、検非違使や侍所に目をつけられるようなことを弾正と画策しておったのだ。つまりはあの道按と言う男、適当な理由で煉介を拘束して泥を吐かせようという考えだったに違いない」
要はあれは、別件逮捕ということだったのか。
それに、と、虎千代は言った。
「童子切めは真菜瀬に、弾正にとりなしを求めにゆくと申したそうだな。だが黒姫、あれからあやつめはこの屋敷に足を運んだか?」
黒姫は躊躇なく、首を横に振った。
「で、あろうな。すなわち、奴らは互いに会う方法を事前に決めている。だから緊急時にあっても童子切めが弾正屋敷に駆け込む愚は犯さぬのだ。黒姫、あの日、くちなは屋を出てからの童子切めの足取りは分かるか?」
すぐに黒姫は、別の記録を持ってきた。
「当日の記録はあまりあてになりませんよ。あの急な事態に警戒したのか、童子切煉介も慎重になって巧妙に足取りが途絶えています」
「普段の記録を見ようか」
黒姫が手渡した記録を僕ものぞきこんだが、これもまた詳細にびっしりと書かれていた。
草書で読めないのだが、黒姫がいちいち、中身を説明してくれる。
知られざる煉介さんのプライベートだ。それによるとこの日は三条通りの酒屋で輸送の用心棒をしたり、またあるときは薬師小路の名のある土倉に、借金取立ての代行を頼まれて、長屋を回ったりしている。意外と忙しい。僕は内心感心した。煉介さんって、いくさがないときは暇でごろごろしているのかと思ったら、ちゃんと働いてはいたのだ。
「足取りは雑多だな」
これだけでは何ともいえない、と虎千代が言うと、黒姫はどんどん記録を運んでくる。今度はそれは弾正のスケジュールを追ったもののようだ。
「弾正の在京と煉介が示し合わせて外出しているようなふしはあるか?」
「ううん、どうですかねえ。これをみると弾正が在京の折はほとんど外出しているようですけど、童子切煉介もそれに合わせて外出しているような形跡はなさそうですが」
山のようになった記録をはぐりながら、黒姫も首を傾げている。しかし、こんなことで本当に何かが分かるのだろうか。
「だが、弾正が京都にいるときに必ず足を運んでいる場所はあるであろう」
と、虎千代が言い出した。
つまりはいわゆる待ち合わせ場所、と言うことか。
「いや、それは恐らくは中継地点のような場所だろう。この記録に弾正と表面上接点がないことを考えると、童子切はそこで連絡を待ち、姿を変えるなどして奴と示し合わせた可能性がある」
「変装、人の出入りが目立たない場所、長時間滞在しているようにしていても怪しまれない場所、となるとかなり対象が絞れてきますねえ」
風変わりなように見えても黒姫は、さすがは諜報のプロだ。虎千代のヒントで記録からどんどん検索対象を抽出していく。
「あっ、ここかも知れません」
二人はやがて二つの記録を照らし合わせた中から一つの場所を探し出した。




