煉介さんが罪人?!くちなは屋に現れた異様な男が告げた衝撃の事実!
ふらふらとどうにか風呂場を這い出ると、事情を知らない絢奈にいらぬ心配をされる。
「あっ、お兄い、湯あたりした?顔真っ赤だよ」
「う、うん・・・・なんて言うかちょっと予想外の目にあって」
着替えを済ませた虎千代も、このえに叱られながらすごすご入ってきた。混浴のインパクトは強かったけどまあまあ途中までは普通の話をしてたはずなのに、お蔭で気まずい。こっちも目を合わせづらい。
「ねーねー、お兄い、お風呂すごかったでしょ!虎っちと入った?」
「あ、ああ、結構すごかったよ」
違う意味でなんだけど。未成年には刺激が強すぎた。なんなんだ、あの温泉イベントは。どこでスウィッチが入ったのか、まったく予想がつかない。
絢奈と虎千代は隣に坐ると、なにやらこそこそ話している。五百年も時代の違う年頃女子の会話で何を話しているのかと思ったら、
「どう、虎っち、お兄い攻略上手くいってる?絢奈と話した通りやってみた?」
「う、うむ。・・・・どうにか、でいとまではこなしたのだが、城と違うてなかなか落ちぬでな。風呂場ではしくったわ。何か、次なる策を授けてくれ」
「ううん、お兄いって、変なところ頑固だからなあ・・・・・・」
うう、どうも様子が変だと思ったが虎千代の後ろで糸を引いていたのは、こいつか。に、してもこんなところで堂々と話さなくてもいいのに。そう言えば戦国時代の人たちは本人がいる前でおおっぴらに謀反の相談をしたりしていたそうなので、この辺り無頓着なのかも知れないが、僕にはちゃんと聞こえていると言うこの事実をもっと尊重してほしい。
「姫さま、色恋ごとにうつつを抜かしている場合ではありませぬ」
ぷりぷり怒っている幼女このえがこの中では一番まともなのだ。
「大事が出来する前に、一刻も早く越後に帰りませねば」
「くどいぞこのえ、帰らぬと言うたら帰らぬ。女子の恋路と越後、いずれが大事か、幼いお前には分らぬであろう」
いや、どう考えても越後だろ。
僕たちは御殿のような板の間に通されていた。そこにはすでに膳部が設けられていて、避難してきたのか足軽たちが思い思いの姿で酒を飲んでいる。真菜瀬さんたちが甲斐甲斐しく右往左往している姿は、くちなは屋と変わらないが、他のお客さんは大丈夫なんだろうか。
「あっ、マコトくんたち、お風呂入った?」
真菜瀬さんは僕たちを見つけると、お盆を持ったままこっちに歩いてくる。
「驚いたでしょ、みずち屋自慢の野外大浴場!」
「いや、あの真菜瀬さん、それはそれですごかったんですけど」
そろそろ、この人にも深刻になってほしい。
「改めまして、小島貞興が娘、このえにごじゃりまする。我が長尾家の金津より、お話は聞いておりましたのですが」
と、話をとりなしたのはこのえだ。ぺこり、と真菜瀬さんに小さな頭を下げて、
「こたびの細川勢の下京への乱妨、唐突に降って湧いた惨事とは言え、因果はくちなは屋と聞いておりまする。委細、姫さまにお話くだされまるすか。姫さまがお世話になっておりまする以上、見過ごしには出来ませぬ」
「は、はあ・・・・・それは、ご丁寧に」
真菜瀬さんは目を丸くしている。しかし、つくづくきちんとした子だ。
「真菜瀬さん、僕もどう言うことか事情を知りたいです。僕と虎千代が店を開けたのってほぼ半日程度じゃないですか。その間に、いったい何があったのか、説明してください」
「うん、そうだよね。でもわたしひとりじゃちょっと・・・・なんて言ったらいいか」
そのとき、どやどやと入ってきた集団がいた。凛丸と七蔵さんたちだ。あの、戦火の中からちょうど帰ってきたのだろう。みんな、装備も顔も煤や泥、血で汚れていた。
「真菜瀬さん、下京の連中はあらかた逃げたようです」
被害の状況を確認してきたのだろう、凛丸は真菜瀬さんに言った。
「市内の狼藉は凄まじいものです。家捜しまでされて足軽の装束をしているものは差別のほかなく、みな討たれ遺骸は路傍にうち棄てのままです」
つまりは行われたのは足軽狩りなのか。凛丸の口ぶりではそのようだ。しかし隠れているのまでわざわざ家捜しされてまで、足軽を目の敵に殺される、と言うのは異常な事態と言うほかない。
「ひでえもんだ。俺らの組内じゃねえが知った顔の仲間も、細川の槍玉に挙げられてくたばっちまったよ。ふいを討たれたとは言え、不甲斐ねえ限りだが」
七蔵さんも顔を歪めている。どうやら話では、下京の足軽たちはみんな、細川勢の標的にされたようだ。でもそれがくちなは屋のせい? ますます話が読めず、ことは混乱するばかりだ。
「り、凛丸、煉介さんは・・・・・?」
凛丸はじろり、と僕を見た。が、別に何も言うことなく、虎千代の方へ向かって、
「長尾殿」
と、言った。絢奈と話していた虎千代は無言で凛丸を見上げた。
「火急の折、救護の援兵痛み入る。お蔭で我らくちなは屋以下、危うい命を救われた」
「それは何よりだった」
皮肉でもなんでもない口調で、虎千代は言った。
「委細は後で。この上、力を貸して頂きたいこともあるゆえ、膝を詰めて今回の顛末、お話したい」
どう考えているのか、そうか、とも、いやだ、とも虎千代は言わなかった。やがて傷を負った足軽たちは凛丸たちに率いられて、どこかへ引き上げていった。
後から来たのは、新兵衛さんだ。
「景虎様、ようご無事で」
凛丸に付き添ったのだろう、新兵衛さんも同じく、戦場帰りだった。
「どうやら力士衆と鬼小島めが間に合うたようですな」
虎千代はじろりと、新兵衛さんを見上げた。さっきのように何を考えているのか、よく判らない表情だった。
「このえから委細は新兵衛に聞けと、報告を受けている。こたびの細川勢の出兵、足軽どもへの乱妨の次第、話せるな?」
それが答えだと言うように、新兵衛さんは黙ってうべなってみせた。
「ここは騒がしゅうございます。取り急ぎ、奥へ席を設けまする」
僕と絢奈、真菜瀬さん、鬼小島にこのえ。
通されたのは、庭に設けられた別棟だ。
室町風の書院造らしく、連子窓に書棚、床の間の青磁に花が一輪、活けられている。個人の書斎といった雰囲気。外から月の光が明かり障子から入るせいか、灯明皿に火を入れると、ほとんど不自由はない。真菜瀬さんはすぐに僕たちの食事の支度をしてくれた。これでまたびっくりした。山の中らしく、山菜に川魚、雉、猪なのだというが、お膳に皿は満載、いかにもボリュームありそうなメニューなのだ。
(大丈夫なのか、これ全部食べちゃって・・・・?)
思わず、心配になる。くちなは屋のつけも溜まっているのに、ここの滞在費用は誰が払うんだろう。
ほどなく鎧を脱いで、羽織姿の新兵衛さんが現れる。
「上座は無用ぞ」
身分の上下の席を設けようとする先手を打ったのか、虎千代が言った。
「ここにいる誰とも身分の別はない」
「じゃっ、じゃあ、お嬢っ」
ちゃっかり隣に座ろうとした鬼小島を通り抜け、虎千代は僕と絢奈の間に座った。ぼろぼろになってしまったあの小袖から藍色の着流しに着替えて太刀を佩くと、またいつもの虎千代だ。女の子っぽいのも捨て難いけど、やっぱりこの方がぴったりくる。
「先ほどは新兵衛より事情を訊く前ゆえ、私心を申すは避けた。いくさ場でも報告は、二番着到の声を聞いてからでも遅くはなし、との謂われもあるゆえな」
と、虎千代は言った。実際、状況が結構混乱している。凛丸が現れたとき虎千代の態度がそっけなかったのには、そう言う理由があったようだ。
「さて、まずは真菜瀬様より虎千代様たちがくちなは屋を抜けてよりのことを、詳しく聞いておいた方がよいでしょう。わたくしの話はそれより後に」
と、新兵衛さんは真菜瀬さんを見た。そうやって促されると真菜瀬さんは言いにくそうに、ようやく話し始めた。
「実はさ、虎ちゃん、新兵衛さんに助けてもらったんだ。あのあと、お店に変なお客さんが来てさ」
男たちは、侍所の目附を名乗ったと言う。
侍所とは室町幕府の公的機関で、いわゆる警察と軍隊の中間のような機関だ。都ではもともと検非違使が警察の役割をしていたんだけど、この時代では侍所にその役目を奪われている。
目附と名乗ったからにはその二人は警察官のようなもののようだ。ちなみに侍所の別当は代々、細川家の世襲だった。
最初に現れたのは二人。烏帽子に素襖、黄金造りの拵えの高価そうな太刀を佩いていたそうだ。
素襖に烏帽子と言うと煉介さんが弾正屋敷へのぼった服装のことだ。
いわゆる立派な武士といった感じ。
どう考えても湯屋に来るような服装じゃない。
そのせいか、男たちの態度も最初から横柄だったようだ。
「童子切の煉介なる、狼藉者をとっとと引っ立てい」
ちなみにくちなは屋では意外とこう言うことがある。
大抵は路上の諍いごとに煉介さんが外で関わったとか、そう言うことだ。それほど無茶な言い分でなければ煉介さんも穏便なので、適当に話をとりなして帰ってもらう。またそこで喧嘩になるケースもあるにはあったが、ほとんどは煉介さんの本当の実力を知ればすごすごと帰っていく。だから真菜瀬さんも特に心配はしていない。
「むー、煉介のやつ・・・・・まーたどっかで喧嘩してきたな」
と、そのときはやはり、真菜瀬さんもそのように思ったようだ。
煉介さんはちょうど、留守だった。この頃の煉介さんはずっとこんな感じだ。なにをしているのか、昼間はどこかに出かけていて、夜、みんなが酒宴を張るころ、こっそり帰ってくることが多い。
「えっと、煉介は外出してるって言うか、いつ戻ってくるかちょっと分からないって感じなんですけど」
と、真菜瀬さんも曖昧な返答しか出来ない。そもそも正直、煉介さんに用事があってくちなは屋にねじこんでくるのは、ろくな連中ではないので真菜瀬さんもほとんどまともに取り合ったりはしないのだが。
「薄汚い売女が、ぬけぬけと巧言を弄しよって」
と、男の一人は、現在、その発言をしたら女性の権利保護団体に訴えられるような雑言を真菜瀬さんに浴びせかけた。
「かばいだてすると、おのが身にも罪が及ぶぞ」
もう一人が、憎々しげな声で吐き棄てた。
「この童子切なるは当代きっての、悪党足軽じゃ。市中での狼藉の次第、目に余りあるによってほうぼうから訴えが出ておる。御託を言わぬとさっさと出さぬか」
「いや待って、そんな無茶な」
「狼藉はよして頂こう」
押し問答の末、出てきたのは凛丸だった。
「おのれ、童子切の縁者か」
「下座して名乗らぬか、無礼者が」
「呼びつけにされて名乗るいわれはない」
居丈高な男たちに、凛丸は毅然と言い返した。
「礼を知らぬ人間に礼を尽くす要なし。そも細川家の目附ともあろうものが、湯屋での振舞いを知らぬか。無遠慮に騒ぎ立てるは無粋の極みとは思わぬか」
「かむろ崩れの若僧が利いた風な物言いをしおるわ」
男は唇を歪め、柄に手をかける。それが、それほどの手練ではないことは、太刀の抜き方をみてよく判ったと言う。凛丸は視線を落とすと、興奮しない口調で諭した。
「抜くか。抜くならば、それなりの覚悟をすることだ」
「口の減らぬ小僧よ」
凛丸に侮られたと思ったか、余計にいきり立った男が身体をかがめ、剣を抜こうとする。その出篭手を踏み込んで斬りおとそうと、凛丸が柄に手をかけたときだ。
「待て」
どこかで声が立った。その声に前傾しかけていた男は、柄に手をかけたままぴたりと、動きを停めた。呼吸を外されて凛丸も、思わず柄から手を離す。
「興奮するなよ」
声の主は隣の男でも、もちろん真菜瀬さんでもなかった。声は外からしたのだ。
男の声だ。ぼんやりと眠たげな、どこかぼやくような声音だった。
「どうもおのれらに任せると、埒が明かんようでいかぬなあ」
真菜瀬さんが言うには気がつくとそこに、白い水干をまとった男が立っていたそうだ。いつの間に、と言う気配のなさだ。まるで幽霊のようなその男は、棒のように細長く、身の丈も煉介さんよりやや大きいくらいある癖に、見た目には、病気持ちかと言うくらい痩せていたと言う。
その不気味な男は一見して武士には見えなかった。そもそも水干、と言うのは、平安装束で丸襟の前に合わせのない、貴族や神官の衣装なのだ。ちょうど陰陽師がまとっている服と言えばイメージしやすく、その男も髷を結わずに垂髪にした髪を後ろで紙こよりでまとめていた。薄く化粧をしているのも、また薄気味悪さを醸しだしていた。
「何者だ、貴様」
凛丸が声をかけると、男はぎろりと目を剥いてこちらを見た。
「稚児髪・・・・・お前、かむろ首の凛丸か」
知識があるのか、男は薄い唇を歪めて、凛丸の名前を言い当てた。にたり、と笑った歯も鉄漿でくすんでいて、真菜瀬さんが見たところによると、なぜかやすりなどで削って犬歯を尖らせてあったと言う。
「童子切は遁走げたのかや」
「逃げるいわれがあるか」
「ああ、あくまで白を切るか」
ゆらり、と半歩男が身体を動かしたので、凛丸は柄に手をかけた。
「逃げた、か。残念、あやつめの大太刀とぜひ太刀合わせして、血浴びおうたら、さぞや胸が好くと思うたに」
男は、そう言うと手に提げた得物を取り出して見せた。いきり立つ凛丸を抑えるように、男は機先を制して言った。
「そうあわてるなよ」
それは一見すると、大きな弓のようにも見えた。黒漆塗りで仕上げ、そこに金の螺鈿細工がびっしりと施されている、雅楽器のような武器だ。奇妙なのはそれがまるで嵐で折れた樫の古木の枝のように微妙なカーブを描いて、不自然な歪みを見せていたことだ。見れば見るほど、それは異様な刀剣だった。
鍔がないが柄はあるので、中身を抜き合わせて使うかと思われたが、太刀にしては反りが強すぎ、弓にしては巨大すぎるようだった。大きな刀身の割に柄は片手で握るほどしかない。
長い腕を閃かせて男はさらり、とそれを抜き放った。
鞭のようにしなる鋭い刃が、藪を這い滑る蛇みたいに鞘から抜き出されていったのは、次の刹那だ。それはどうやら可能な限り薄く鍛えてあるとは言え、刃渡りは煉介さんの大太刀に匹敵する長さだ。重量もそれなりにあるはずだが、男の太刀には滑り止めの柄糸が巻かれていない。代わりに、柄頭に絡みつくように巻かれた編糸がその役目を果たすようだった。編糸の先には重石のつもりか、小さな髑髏の象牙細工がつけられている。
男はくるくるとそれを、柄を握った片手に巻くのだが、黒い編糸はところどころほつれ、繊維が弾けていた。真菜瀬さんはその質感に覚えがあると思ってよく見ていたのだが、そう言えばそれは、よく髪を梳いたり編んだりするときに出る枝毛とそっくりだった。つまりは男の長い柄糸は、誰か人の毛で編まれていたのだ。
「下京在、童子切の煉介。数うるに恐れ多きその罪、大きく分けて三つあり」
清水で濡れたように砥がれた刃を愛でながら、男は言った。
「一つ目は先の上京、人市での乱暴狼藉。無理やりにさろうてきた人足五十名余りの身代宙に浮き、取引が出来ぬと人商人どもから訴えが出ておる。天下に認められた商いに非道をもって乱行するなど、これまさに悪党の振る舞い」
凛丸と真菜瀬さん、刃物を楯に二人の様子をうかがうように男は話を続けた。
「そして、ことの二つ目は、その折にさろうてきたソラゴトビトをこともあろうに、おのれで匿うて生かしておること。世に妄言をなし、天下を騒擾せんとするソラゴトどもを匿うとはこれ狂気にして、ことに僭上の沙汰」
「もうっ、馬鹿言わないでよ」
堪えきれなくなった真菜瀬さんが、ついに言った。
「て言うかさ、勝手に人をさらってきて売り払うなんて、非道な商売してるのは人買商人どもの方でしょ。そんな奴ら、ひどい目にあって当たり前だよ。それに、絢奈ちゃんだってこの世界に飛ばされてきて、わけもわからず人買いに売られそうになったのを、煉介が助けて・・・・・」
男が右手を閃かしたのは、ほんの一瞬のことだった。真菜瀬さんの目には、何かが光って、ひゅん、と風を切って顔の横を何かが通り過ぎていくようにしか見えなかったという。それが、
「・・・・・・あっ」
声を上げかけた真菜瀬さんの足元に、はらりと何かが舞い落ちる。それは、真菜瀬さんの顔の横の髪の毛だった。ちょうど鋏で切りそろえたみたいに、髪の毛は綺麗に切り取られ、まとめてそこに落ちていたのだ。髪を落とされて、そこに真菜瀬さんの左の耳があらわになった。
「これで次は耳を落としやすくなった」
ぶるん、と剣をしならせて男は言った。
「売女、人の話は私見を挟まず、とっくり聞くことだ。聞く耳もたずば、次は耳を落とすぞ。ちなみに言うが、これで鼻も削げるし、唇も剥げるのだ。満足に生業も出来ぬ化け物面になりたくなくば、ひっそり口をつぐんでいるんだ。悲鳴なら、閨でじっくり聞いてやるから」
くくくくく、と、恐怖に凍りついた真菜瀬さんの表情を愉しむように覗き込むと、男は、卑猥そうな湿っぽい笑い声を上げた。
様子も異様だが、男の腕は確かと言わざるを得なかった。くちなは屋の玄関はそれほど広い場所じゃない。家屋も現代のものと違って天井低く、床柱もあって長い剣を振るうには工夫がいるのだ。しかし男はそれを片手の動きだけで自在にやってみただけでなく、変幻自在の片手剣の鋭さも見せつけた。
膝の近くまである、男の長い腕がそれを可能にしていると言ってもいいだろう。凛丸が剣を抜いて入る半歩前から、男はどこでも自由に獲物の肉を突き刺せるのだ。しかも、うかつに動けば真菜瀬さんを餌食にするとも言っている。不可思議な状況になった。拘束されたわけでもないのに、二人はそこでピンに留められたように動けなくなったのだ。
「ひとおつ、ふたあつ・・・・・さあて、次の三つが重要だぞ」
男はゆっくりと、自分の指を折ると、話を続けた。
「三つ目、童子切の煉介、上京の松永弾正久秀に汲みし、管領細川家を脅かさんと、日夜、都で怪しき振る舞いを行っているとの由。ひいては王城を騒がしたあやしの化け物、鵺噛童子なるも、この童子切が差し金によることと。名もなき足軽の所業とは言え、これは都を揺るがす大罪である。都の治安を預かる細川家は元より、将軍家に弓引く愚行ここに極まれり。よってここに童子切煉介を斬罪とし、一味係累ことごとく根絶やしにする」
「皆殺しだと?そんな馬鹿な話があるかっ。おのれらになんの権限がある」
「権限ならある」
「ほざけ、化け物」
抜き合わせた剣を狙って、男の刃が閃いた。凛丸の剣は鞘を離れ、手から吹き飛んで、だん、と大きな音を立てて天井の梁に刺さった。
「化け物とは、口が過ぎるなあ。今日はこれで帰ろうかと思うたが、やはり手土産を残していくか」
男は風鳴りをさせ、切っ先を弄ぶと、真菜瀬さんの方へ歩み寄った。
「餓鬼のなますもよいが、売女の化け物面も一興よな。さあて、童子切はどちらが喜ぶか。どうする?お前が選べ」
真菜瀬さんは壁に張り付いたまま、男の殺気に当てられて動けない。でも大きく息を吸うと、意を決して凛丸に向かって言った。
「凛丸っ、逃げて。いいからっ、あんたが煉介を呼んでくるっ」
「化け物面がお好みか」
男が右手を閃かせ、真菜瀬さんの顔を狙う。真菜瀬さんが身を避けるだろうことを計算し、男は鼻を狙ったのだ。逃げ切れない。鋭く研ぎ澄まされた一撃が、真菜瀬さんの顔に吸い込まれた。かに見えたが。
トーン、と甲高い音を立てて、刃は床柱に突き立った。真菜瀬さんの顔の前、数センチの場所だ。なぜだか突きは、ぎりぎり外れたのだ。
「ぐっ」
と、男がくぐもったうめき声を上げた。やはりあの一撃は脅しではなかったのだ。攻撃は外したのではなく、何者かによって故意に外されたのだ。
いつのまにか男の背後に、もう一人の武士が立っていた。
「何者か」
「客よ」
と、その男は静かな怒りを抑えた口調で言った。
そこにいたのは、新兵衛さんだったのだ。
「部外者が、なにゆえ邪魔立てするか」
「それがしは部外者にあらず。それに湯屋で刃物を閃かすとは、まったくもって無粋者なり。まともな武士の振る舞いになく、呆れ果てたるゆえ、手を出したのよ」
「我が武士にみえるか」
男は犬歯を剥き出すと、新兵衛さんに向かっていった。床柱の剣をずっ、と抜き出し、右手首をしならせて、新兵衛さんの肉をこそごうとする。
しかしその一撃は、新兵衛さんの真横を通り過ぎていくだけだった。また、突きが外された。攻撃が当らなかった理由が、今度は男にも分かった。一瞬早く間合いを詰めた新兵衛さんは、左手の指拳でぽん、と男の右肩を押したのだ。
それは、相手の筋肉が反射で強張らないよう、ぎりぎりの強さの絶妙な一撃だ。
突きを撃つ刹那、男は右肩を崩され、針の穴を狙うような精確な一撃は微妙な狂いを生じる。それは奇妙な放物線を描いて新兵衛さんの身体を避けて消えていった。
長い腕と自在な手首の返しを使った変幻自在の片手剣。その要が右肩の可動域にあることを瞬時に見抜いた新兵衛さんの的確な達人芸だった。
「おのれ」
男は間合いをとって仕切りなおそうとするが、くちなは屋はそう広くはない。半歩早く踏み入った新兵衛さんは脇差を抜き、刃を胸の真ん中でねじりあげるように構えると、男の咽喉元に鍛え上げた切っ先をつきつけた。
「ぬっ」
新兵衛さんの脇差は、備前鍛冶無銘の業物だ。戦場で鎧と鎧の隙間をこじり開けて寝首を掻く馬手差なので、切っ先は鋭く、それでいて身は分厚く鍛えてある。片手で頭を抑えたまま、反対側の手で、首をねじり切るなど造作もない代物だ。
「ここは狭い。場所を変えるなら仕切りなおしてやるが」
殺気を帯びた底冷えする声で、新兵衛さんは言った。
「次はかように寝首を掻かれぬよう、気をつけるがいい」




