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浮城の黄昏  作者: ピーマンtタコ


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第零話─この世界の歴史─

1943年、大きな歴史の転換点があった。

1941年〜43年の間に米英軍は真珠湾、マレー沖、珊瑚海、ミッドウェーと連戦連敗し、多くの軍艦を失った。そこに追い討ちをかけるかのように日本の新型潜水空母によりパナマ運河も破壊され、少なく見積もっても十ヶ月は利用不可となった。更に、ドイツはイタリアからの支援を受けながらバルバロッサ作戦を発動し、すでにモスクワ近くまで進軍していた───


米国はこれ以上の消耗を防ぎ、欧州戦線に専念するため、43年夏、ホノルル条約、俗に言う日米講和を敢行した。条約の内容としては以下の通りである。

満州の主権を中華民国に返還する。

日中双方の即時停戦。

米軍は中国本土から即時撤退

日本軍は治安維持のため、中国本土に最大3年間の駐屯を認める

オセアニアからの撤退。

日本は今後の欧州戦線に関与しない。

一部地域にて米国企業の活動を可能にする。

ハワイ、ミッドウェーの8年間の非軍事化。

アジア諸国への侵攻、及び内政干渉の禁止。

ABCD包囲網などの経済制裁の段階的解除。

オアフ島を日米共同管理区にする。

そして、秘密協定として欧州戦線終結後、新たな国際機関の本部をホノルルに設置する───


当時としては両国ともに非難も多くあった。

日本では、なぜ命懸けで手に入れた満州を返さなければならないのか、なぜ勝ち戦をわざわざ講和で締めるのか。

米国では、なぜ消耗戦になれば勝てるとわかった相手に講和するのか、アメリカはいつからこんな弱腰になったのか…

しかし、それでも締結した。してしまった。そのツケを後から払うことになるとは、この頃はまだ誰も知り得なかった…

1944年には、ヒトラーが暗殺されたことや米国の本格参戦を皮切りにドイツは内部から崩壊した。社会主義ドイツと民主主義ドイツに分かれ、欧州戦線は終結したのであった。なお、イタリアは外交上、ドイツに物資的支援こそしていたが、ムッソリーニが1926年に暗殺された後、ファシスト党の影響力は目に見えて低下し、実際の戦闘に関しては他の政党の努力により一切参加していなかったため、戦後の賠償金支払いもある程度少なく済んだのであった。

1950年。国際連合が成立した。日米英仏中ソの列強が常任理事国となり、国際社会の平和を目指す機関であった。

が、来たる1953年。ソビエト連邦が社会ドイツ含む東ヨーロッパ諸国を事実上の傀儡国家にし、急速に勢力を拡大していった。共産主義のこれ以上の拡大を恐れた日米両国は、大東亜共栄圏構成国のある程度の自治権と引き換えに、対共同盟を結びソ連に対抗した。

1961年には、米民間企業から突如として、米国に連絡があった。「ノイマン・コンピュータ」なるものを見てほしいとの連絡であった。しかし、この発明品は、まさに産業革命以来の画期的な発明であり、その後、米国はこれを暫くの間軍機に指定した。

そして、1974年。ソ連はコンピュータを搭載した米軍に対抗するため、より多くの軍艦や戦車などを発注し、結果大量の軍事費が嵩み、遂にソ連は崩壊した。

その後、米国は再び他国と冷戦が起こることを恐れ、二次大戦終結時に極秘裏に凍結された特務兵器開発計画「マンハッタン計画」を再始動した。しかしながら、当時の関係資料は責任追及を恐れた政治家が焼却処分を命じ、ほとんど残っておらず、かつ技術者も多くが既に死亡していたため、マンハッタン計画は思うように進まず、再凍結されたのであった。


1984年。対ソ連のため日米から援助されていた中華民国は、ソ連崩壊後に支援を打ち切られ、緩やかに衰退していった。そして、46年に暗殺された蒋介石、ストレスで胃潰瘍を発症し、その後も重なるストレスで心筋梗塞により死亡した蒋経国と続き、1960年に就いていた蒋緯国政権の腐敗や、蒋緯国の病状悪化による後継者争いも相まったことにより、中華民国は軍閥割拠の時代に突入した。

そして、それにより朝鮮北部に大量の難民が流れ込み、治安悪化を招いた。

これを受けた大日本帝国上層部は、難民を正式に手続きし、開拓地に送ることを考えたが、陸軍タカ派はこれを拒否し、中華民国政府の救助、及び治安維持を目的として満州を一時的に統治することを提案した。軍部も議会も当然猛反発したが、先の大戦に於いて、満州を手放すという屈辱を受け、不満が溜まっていた陸軍タカ派を抑え込むことはできず、仕方なく日本は友軍救済・治安維持という大義名分を掲げ、中国への侵攻を開始した。米国はこれを強く非難し、ABCD包囲網を再び実行することを画策したが、中国は到底協力できる状況ではなく、オランダに至っては大国となった日本相手に強硬策は取れずそれを拒否。そのため、アメリカとイギリスのみで包囲網を組むこととなった。しかし、日本は既に南方資源の輸送ルートを確保しており、効果的とは言えなかった。

その後、再び満州が日本の実質的な統治下に置かれ、かつ蒋緯国をそこに避難させ、正式な中華民国政府とした。

その後、米国と日本の関係は時が経つにつれ悪化し、1990年には日米冷戦に突入。

そして、来たる2014年───

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