マルグリットの情熱
かわいいは、つくれる。
あの伝説のフレーズは本当だった。
「可愛い」を見事に体現してしまったドレス姿のめるとを前に、優斗はただただ感心してしまった。
舞台に映えるようにと多少濃いめに施されたメイクも、ドレスの深い赤色に負けていなくて、素の美しさを際立たせていた。
普段の長い髪はゆるく巻かれ、後ろはアップにして花やリボンで飾っていた。あらわになった白いうなじに思わずため息が漏れる。
だがやはり特筆すべきは胸元だろう。中世ごろのドレスはほぼ全てそうなのだが、胸元が大きく開いている。
胸が大きいめるとにとっては恥ずかしかったのだろう、そこには暗めのトーンの網目レースがあしらわれ、首元のリボンチョーカーと繋がっている。
本来の白い胸元でももちろん美しかっただろうが、黒タイツを連想させるこちらもこちらで充分に男子高校生の性欲に突き刺さる。
本当にどこをどう切り取っても最高だった。
本人が真っ青を通り越して真っ白にさえなっていなければ。
「………ダメだ、視線も合わせてくれねぇよ……」
カチカチと細かく歯を鳴らしながら、メイクも意味をなさないほど真っ白な顔色になり果てているめるとに、ニトロがお手上げのため息を漏らす。
体育館の放送室兼用具倉庫に集まっていたクラスメイトからも大きなため息が漏れていた。優斗も困り果てて天を仰いだ。
何をやっても主役の緊張がほぐれなくて、最終兵器で他学年のニトロを何とか連れてきたのに。
本番まで時間もないのに、めるとは最愛の弟の顔すらまともに見れず、ただ虚空を見つめてひたすら歯を鳴らしていた。
いよいよ迎えた文化祭当日、美作が宣言した劇対決は学校中の噂になっていた。
それほど大きくもない体育館は暇人のやじ馬で溢れかえり、異様な盛り上がりを見せていた。
一室を借りてメイクとドレスアップを済ませためるとが、会場である体育館へ向かう時、どうしてもこのやじ馬の目を躱すことができなかった。
めるとがクラスメイトたちと渡り廊下を歩いた際、やじ馬から一斉にスマホを向けられシャッターを切られたらしい。
舞台設定で忙しかった優斗はそこまで手が回らなかった。結果プチ芸能人扱いされためるとは萎縮し、極度の緊張状態に陥ってしまったのだ。
「…洞井くん…どうしよう…」
クラスメイトの女子が不安げに優斗に問いかける。優斗にも唸る以外に答えが返せなかった。
正直、ここまでたくさんの時間とお金と労力をかけて準備してきた。絶対に成功させるつもりでいた舞台だった。それはめるとも同じだろう。
だがめるとは一人の女の子。普通の人よりだいぶ自分に自信がない、小さくてもろい心の持ち主なのだ。
それが普通の人間でもビビって緊張する場面に出くわせば、こうなるのは無理もない。
このまま舞台を始めたとしても、めるとの心が粉砕されてしまうだけだろう。仕方ない、棄権するしかないだろうか ----
優斗がそう考えたとき、わっと客席から声が聞こえた。先発の美作の舞台が盛り上がっているようだ。
めるとがこの状態になってからだいぶ時間が経っていたらしい。舞台が始まっていたことにすら優斗は気づいていなかった。
さらに動揺の広がったクラスメイト達の不安を蹴散らすかのように、仮の控え室のドアが勢いよく開かれた。
「ちょっ、洞井プロデューサー!ちょっと来て、ちょっと!!あっちの舞台すごいんだって!!」
飛び込んできたクラスメイトの一人が、部屋の空気も読まずに興奮した様子で優斗を呼んだ。
何事かと気になった何人かが、飛び込んできたやつを筆頭に舞台裏の方へ向かう。優斗はめるとを見た。震えは収まっているが動きはしない。
「………俺が見てる。お前、行って来いよ、プロデューサー」
暗い顔でニトロが呟いた。ニトロも今日のために様々な下支えをしてくれていた。楽しみにもしていただろう、複雑な心境のようだった。
だが今は呼ばれたとおり、優斗はプロデューサーの立場なのだ。めるとだけに注力するわけにはいかない。どんな結果になるとしても。
優斗はニトロに後を任せると、熱気で盛り上がる舞台の方へ向かった。
暗い舞台裏から覗き込むと、そこには光を身に纏う白い妖精が舞い踊る姿が見えた。
美作 翠だった。光をキラキラと跳ね返す白いドレスは、確かバレエの衣装だ。
美作は小さい頃からバレエを習っている、そんな噂を耳にしたこともあった気がしたなと優斗はぼんやり考えていた。
美しかった。舞台を所狭しと動き回る華麗なステップも、指先まで意識した踊りの表現も、とても美しかった。
同時にぞくりと優斗の背中を寒気が這う。美作は本気だ、本気でめるとに勝とうと…潰そうと狙ってきている。
一体二人の間に何があったのだろう…めるとはどんな恨みを買ったのか。女の執念のダンスが優斗を震え上がらせる。
それまで優斗と共に、舞台裏から固唾をのんで美作の舞台を見守っていたクラスメイトたちがざわつき始めた。
何事かと思って後ろを振り向くと、そこには白い妖精とは対照的な、黒を纏う貴婦人…めるとが立っていた。
後ろから青い顔のニトロがついてきている。止めようとするそぶりをしているところを見ると、どうやらめるとが自発的にここに来たようだ。
めるとは真っ直ぐ舞台の見える位置へ進む。クラスメイトが左右に分かれ、道ができた。
舞台袖の一番前まで来ると、めるとはただ静かに美作のバレエを見つめていた。何の感情も移さない瞳で。
優斗はそっと隣に立ち、めるとの様子を観察する。その横顔は青ざめてはいないものの、何を考えているのかはわからない。
声をかけるのをためらった優斗は、めるとと共に美作の舞台を見つめた。
やがて透き通る声が、小さく小さく語り始める。
「……………おかあさんね、最初からああだったわけじゃないの……。
私の小さい頃は、本当に丁寧に育ててくれてた。どんなわがままも笑って許してくれてた。
家事も完璧で文句のつけようがなくて、特にお料理がおいしかった…。自慢のおかあさんだった。
…でもね、それは多分、演技だったの。
本当の自分を覆い隠して、お父さんにずっと好きでいてもらうための。「普通のしあわせ」を手に入れるための。
………何もかも変わったのは、お父さんが他に女を作って出て行ってから。
おかあさんの本性に気付いたのかどうかは、わからない。
ただ、おかあさんは作り出した「完璧な自分」を否定されてしまった。
そこから彼女は演技をやめた。…私のただしあわせなだけの人生は5才で終わってしまった。
…でも、5才まで確かに見ていたの。間近で、誰よりも演技のうまかったあの「大女優」の演技を。
………私には、あの人の血が色濃く流れている…今も…ずっと………」
優斗に向けて語ったというより、めると自身に語り掛けているのかもしれない。だが優斗を動かすにはそれで十分だった。
優斗は振り返り、集まったクラスメイトたちから適任を探し出す。
「……新山!」
「えっ、はい!?」
「悪い、ここの指揮一旦お前に任せる!
大丈夫、各所にリーダーもいるし、お前は進行を見守ってればそれでいいから。
美作の舞台が終わって片付けと次の設置が済んで、時間になったら幕を上げて舞台を始めてくれ!
これ台本!細かいことはこれに全部書いてあるから、お前なら読めばきっとわかる!」
「…お、おう…??……って、何で俺なんだよ?!お前はどーすんだよ!?」
「やることがある!
みんな!!藍無さんは大丈夫だ!!彼女を信じて最高の舞台を作ろう!!
打ち合わせどおり準備に取り掛かってくれ!!小久保さんはちょっとこっち来て!」
「えっ?!わ…私…?」
「うんごめん、確か演劇部だったよね?」
「えっ?う、うん…でもまだ端役しかもらったことなくて…下っ端で…」
「先輩で誰か実権握ってる人と知り合いじゃないかな?できればメッセンジャーアプリ繋がってる人で」
「えっ、えっと………馬場先輩なら…前にお世話になったから…」
「その人今どこにいるかわかるかな?」
「あっ、こ、ここにいる!劇対決楽しみにしてたから、見てるはず…!」
「そっか、ごめん悪いんだけど、繋がるまでアプリで連絡とり続けて!大事な用があるんだ!!」
「わ、わ、わ、わかった…!やってみるね…!」
「狭山さん!!音響問題ない?!」
「大丈夫、美作チームもトラブルなさそうだからいけると思う」
「歌詞朗読のBGM、歌のカラオケバージョンのものを薄く流す予定だったよね?」
「うん、何か変更あるの?」
「シーンに入ったら歌える音量で流してほしい。前奏もあるからタイミングは藍無さんがわかるはずだ」
「…それってまさか!」
「|洞井くん!馬場先輩繋がったよ!!」
「ありがとう!体育館裏手のところで待っててほしいって伝えて!俺すぐ行くから!!」
優斗は困惑する周りに一礼すると、体育館裏へ駆け出した。
決意を固めためるとのために、最高の舞台にするために、どうしてもそれが必要だった。
演劇部自慢のミュージカル用ワイヤレスピンマイク。
高価なもののため滅多に使わないのだと何かで聞いた記憶がある。
簡単に貸し出してもらえるとは思わないが、こちらも簡単に引き下がる気はない。
この頭でいいならいくらでも下げる、首ごと切り落として差し出しても構わない。
何としてもそれを借りて、めるとの決意に繋げる。
プロデューサー仕事の大一番だ、優斗は走りながら自分に気合を入れた。
ピンマイク貸し出しの交渉は難航したが、美作の舞台が終わってめるとの舞台が始まると、馬場先輩はあからさまにそわそわしだした。
めるとの気合の入ったドレス姿を渡り廊下で目撃したらしい。楽しみに思ってくれていたようだ。
ならばここで、と全力土下座を披露した優斗の努力のかいあって、無事高級ピンマイクを借りることに成功した。
音響部署でピンマイクの設定を終え、優斗は舞台裏に走った。
プロデューサー代理を務めてくれていた新山と替わろうとしたが、彼に止められた。
「藍無さんからの伝言。
『ニトロと一緒に遠隔照明の高田のところから見ていてほしい』だって」
優斗は一旦考えてから頷くと、舞台袖に戻ってきたときにめるとのピンマイクを付け替えるよう指示を出してから、現場を新山に任せた。
そしてキャットウォークという体育館の二階壁際のみの通路に向かった。
そこには照明の高田を押しのける勢いで、舞台に食らいつくニトロの姿があった。
高田の仕事の邪魔をしないよう気を付けながら、優斗も舞台のめるとの演技を見守る。
めるとは普段の練習どおりの力が発揮できているようだった。
声にも張りがあり、凛とした美しいたたずまいはまさにマルグリットそのものだった。
めるとがしゃべるときの仕草、視線、指先までこだわった優雅な動き。
普段のめるとからは想像できない完ぺきな演技につられ、他の役者も自然と演技の質が上がっていく。
観客も迫力のある演技に飲み込まれるように舞台を見つめている。優斗も息を吞んで舞台の進行を見守った。
マルグリットは普段は勝ち気で、筋の通った凛々しい女性だ。
次代当主の弟不在の中でも弱気な姿を見せず、常に一族の先頭に立って皆を鼓舞し、仕事をこなしていた。
だが彼女もまた一人の女性。一人分の人間でしかない。
周りのものはおろか父母にさえも邪険にされ、部屋に帰ったときには感情が溢れだし泣き出してしまう。
弱々しい本音を誰にも見せず、立ち向かい続ける彼女に観客の視線も釘付けになっていく。
やがて弟不在を一番嘆いていた父親が病床に伏せる。
マルグリットは代役当主として手腕を発揮するも、女性の身で偉そうな振る舞いをする、と周りから軽蔑されてしまう。
女性貴族は美しくあれ、としか意識していない母親とも折り合いは悪かった。
四面楚歌の状況でも気丈に闘っていた彼女だったが、ある時父親の病状が悪化、最後を看取ることになる。
今際の際、父親が何かを呟く。マルグリットは耳を近づけてその言葉を聞いた。
あの子さえ帰ってきてくれれば、安心して逝けるものを…。
最後の言葉の中に、マルグリットの努力に対する何らかの評価は微塵も含まれていなかった。
…いよいよだ。優斗はごくりと喉を鳴らした。隣でニトロも同じように緊張して舞台を見守っている。
父親の葬儀のあと、場面はマルグリットの部屋のバルコニーに変わる。
誰もいない月夜のバルコニーに、質素な夜着で現れたマルグリットは声を殺して静かに泣き崩れる。
優斗が身を乗り出してめるとの胸元を確かめる。ピンマイクは無事付け替えられたようだ。
立ち上がったマルグリットは短い台詞のあと、右手の指先を月に向けて----優斗とニトロのいる「月照明」の場所に向けて、そっと伸ばした。
視線も自然とこちらを向く。めるとの艶やかな表情に優斗の心臓が跳ねた。
静かに流れ始める音楽、イントロの終わりにマルグリットが息を吸い込んだ。
会場中に響く美しい高音。音割れの一切ない、歌い手の声の魅力を存分に観客に届けるそれは、借りてきた高価なピンマイクのなせる業だ。
素人がつまづきやすい歌いだしの部分も完璧だったマルグリットの歌は、滑らかに美しく、撫でるように温かく、戦地の弟へと響いていく。
脅えるな 愛しき子 夜に紛れ 銃を手に 闇を駆ける
その胸に あたたかな灯火 頬を撫でる 夢を届けよう
どうか 安らぎを この声が 歌が 届くように
愛しい あなた ----
永遠に 守る そのまどろみ いつか いつの日か
スポットライトが徐々に消えてゆき、舞台が暗転して歌のシーンが終わる。
観客席からぱち、ぱち、とまばらな拍手が聞こえ、それは次第に喝采に変わった。
優斗とニトロは急いでキャットウォークを降り、めるとのもとへ向かった。
舞台の場面は変わり、領民から金品を巻き上げている家来の話になっている。
その舞台裏では、戻ってきた汗だくのめるとを囲んで皆が感動の盛り上がりを見せていた。
だがその中心にいるめると自身は、小刻みに体を震わせ不自然に汗をかき、顔色も真っ青で今にも倒れそうだった。
「めると…!」
優斗と共に舞台裏に入ったニトロが駆け出す。めるとが顔を上げた。
くしゃりと表情を歪ませると、めるとは真っ直ぐに走り、ニトロをすり抜けた。
両手を広げて硬直するニトロをよそに、夜着の裾をなびかせてめるとは優斗の胸に飛び込む。
優斗が驚きと衝撃のあまり動けずにいると、顔を上げためるとが必死の形相で優斗に訴えかけた。
「終わりじゃないって言って…!」
「………え?」
「…まだ、終わりじゃ、ないから…気を抜くな……最後まで……がんばれって…言って!!」
「………藍無さん…」
「言って!!!」
めるとの必死さが優斗の胸に届く。
これは居場所を賭けての劇対決だとか、弟を優斗にとられないための姉の意地だとか、そういうものじゃない。
これはめると自身の本物の気持ちだ、優斗は思った。
初めて、誰かに強要されて仕方なくではなく、外に促されて仕方なくではなく、めると自身が望んでいること。
マルグリットを最後まで演じ切ることを、彼女自身が望んでいる。
優斗はめるとの両肩を掴み、息を吸い込んで真剣な眼差しで告げた。
「…藍無さん」
「………」
「あなたは「藍無 めると」ではない、「マルグリット」だ」
「…!」
「最後のときまで、あなたは駆け抜ける、そうでしょう?」
「………はい」
「大丈夫、ここにいるから」
そのとき舞台袖から「マルグリット、着付け急いで!」の声がかかる。
声に振り返っためるとを衣装係とメイク係が襲い、手早くドレスに着替えさせ、髪を整えていく。
武装が終わった彼女の背を、優斗はそっと押した。めるとは舞台袖に駆け出す、ニトロの脇をすり抜けて。
ニトロが呆然と立ち尽くす中、マルグリットの再登場に観客席が盛り上がる声が聞こえた。
ニトロの心中は察するに余りあるが、優斗も今は舞台成功のために尽力せざるを得ない。
ポンと肩を叩き、ニトロを正気に返らせると、優斗はクラスメイトに告げられた機材トラブルのチェックに向かった。
その後舞台は、家来の不正を暴いたマルグリットが、逆にその罪を被せられてしまうシーンに入った。
どうあってもそれを覆すことはできず、ならばその罪と共に沈もうとマルグリットは家来を殺してしまい、捕らえられる。
牢獄に捕らえられたマルグリットはボロ布を身に纏い、みすぼらしい姿で鉄格子の窓から見える月を眺めた。
看守が寝てしまうと、マルグリットは彼を起こさないようにそっと動き、服の下、動きから下着の中に隠していたと思われる封筒を取り出す。
中から手紙をゆっくり取り出すと、愛おしそうに震える手で文面を撫で、ぎゅっと胸に抱きしめた。
台詞は一切なく、彼女の嗚咽交じりの小さな鼻歌が途切れ途切れに舞台に流れる。静寂が会場を包む。
すすり泣くような歌が終わると、マルグリットは最後の言葉を呟く。
「あなたに会えないまま私は逝くけど、あなたの帰る家は守ることができた。
本当の悪は倒せた。あとはあなたさえ帰ってくれば、私の汚名が消えるくらいに一族を盛り立てることができる。私は信じている。
だから、どうか守れたと…それだけは、それだけは誇りにさせて…」
舞台がゆっくり暗転していく。
次に明かりが灯ると、そこは斬首台のシーンだった。
マルグリットはゆっくり段を上り、ギロチンに首をかけられる。
うつろに、されるがままに項垂れていた彼女はギロチンの刃が落ちる瞬間、くすくすと幼子のような笑い声をあげた。
ギロチンの刃を支えていたロープが切られる。舞台暗転、効果音だけで首が落ちたことが観客席に伝わる。
ナレーションが静かに一言だけ入る。
彼女の弟が参戦していた戦争が終わったのは、それから半年後のことだった、と ----
こうして優斗のクラスの演劇は幕を閉じた。
観客席からの拍手喝采の中、軽く舞台挨拶をしてめるとたち役者が舞台裏に戻ってくる。
集まっていた裏方のクラスメイトや他の役者たちにも囲まれて、めるとはもみくちゃになるように舞台成功の祝福を受けた。
ニトロと優斗もその場にいたのだが、全くめるとに近づける気配もないほど場は異常な盛り上がりを見せていた。
だがその盛り上がりが一瞬で鎮まるアナウンスが流れる。
「では20分間の投票時間を設けます。
各自朝礼で配られた、生徒会印が押された特殊紙の投票用紙にどちらの劇に票を入れるか書き、舞台上の投票箱に入れてください。
締め切り30分後に投票結果を発表させていただきます」
一斉に我に返ったクラスメイトたちが、今朝の紙を探して散り散りになる。
会場に集まった大勢が、投票箱の前に長蛇の列を作った。
マルグリットからただの気弱なめるとに戻った彼女も、結果を気にして緊張し、ボロ布衣装の裾をぎゅっと握り締めていた。
ニトロは何も言わず、そんな姉の背に手を当て、そっと支えた。
そのとき、投票に向かったはずのクラスメイトが舞台裏に転がり込むように戻ってきた。
「ちょっ…!藍無さん、着替えて!!
舞台舞台!!あっちのクラス、バレエ衣装で最後のアピールしてる!!!
うちもやんなきゃ…メイク!衣装!!どこいった~~!!!」
同じように考えて投票から戻ってきたクラスメイトらによって、すっかりマルグリットが剥がれためるとは再び着飾ることを強要される。
彼女が戸惑っているうちに準備は着々と進み、ものの数分でドレス姿に戻っためるとは他の役者に両脇を抱えられて舞台上に連行された。
ニトロも優斗もすっかり追いやられ、蚊帳の外である。
「………俺たちも投票すっか……」
「……だな……」
後片付けをしつつ結果発表を待つ間、なぜか美作アピール軍団は舞台を降りなかった。
つられてめるとアピール親衛隊も舞台を降りることができず、両者主役が見守る中の結果発表となった。
「結果を発表します!
『プリンセス・リリィの四重奏』 ---- 186票!!
『マルグリットの手紙』 ---- 183票!!
僅差ですが、プリンセス・リリィチームの勝利です!!!」
会場がどよめいた。称賛、喜び、怒号、悲哀…様々な感情の渦が出来上がった。
肩をがっくりと落とした優斗たちの中から、悔し紛れの声が上がる。
「…なあ、不正とか、あったりなかったり…」
「難しいだろうな…紙には生徒会印も押してあったし、特殊紙だったし…。
開票も生徒会が直々にやってたから、文句がつけられるところは…ないかな…」
その言葉に、クラスメイト達から次々とため息が漏れ始めた。
優斗が舞台上のめるとを見ると、ドレスを握り締めて俯いてしまっている。
それとは対照的に、横に並んだ美作軍団は勝利の喜びをあらわにし、ありがとうを連呼し続けている。
残念だが、三票の敗北だ。優斗がそれを受け入れようとしたとき、高らかに手を打つ音が会場に響いた。
「皆さん!劇スタッフも観客の皆様も、おつかれさまでした!!
両者ともとても見事な演劇でしたよ!先生たちも見ていてとても胸打たれました!!
ですので、開票後に恐縮ですが、我々教師陣も投票に加わりたいと思います!!
一切の不正がないように、我々も朝に配られたものと同じ投票用紙で、開票は生徒会に一任したいと思います!
結果発表まで、しばしお時間をください!!」
なんと声を上げたのは演劇部顧問の女性教師だった。
響く上に通る声でそう宣言され、会場内は再びどよめいた。
もちろん勝利に浸っていた美作陣営からは非難の声が上がる。
だが会場内で誰かが始めた手拍子が、どんどん拡散して大きな力の流れとなる。
「全校投票!!全校投票!!全校投票!!」
その声に押され、美作陣営は悔しそうに口をつぐんだ。
良くも悪くも面白い方に流れてしまう、学生にありがちな数のごり押しによる、まさかの教師陣投票参加が決まった瞬間だった。
教師陣の投票はすぐに終わり、改めて票の数え直しをして結果再発表となった。
「静粛に!!!
改めて結果を発表し直します!
『プリンセス・リリィの四重奏』 ---- 198票!!
『マルグリットの手紙』 ---- 198票!!
同点です!!!繰り返します!!両者同点です!!!」
会場内がワッと沸き返った。非難のどよめきより、称賛の喜びの方が圧倒的に多い。
おそらく、めると側の僅差敗北からの同点という構図に、ドラマ性を感じた若者たちが騒いでいるだけにすぎないのだが、その効果は絶大だ。
涙を流して喜び合うものまで出てきている会場内で、美作陣営は思いがけない悔しさに晒されていた。
糸が切れたように座り込んだ美作はその場で泣き出してしまい、彼女のクラスメイトたちが必死に慰めていた。
そして今度は反対にめると陣営がお祭り騒ぎになる。飛び上がって喜ぶニトロ、手を叩いて盛り上がる劇スタッフたち、皆一様に興奮状態だった。もちろん優斗も。
だから騒いでいる間にいなくなった一人を見逃した。
「………あれ?藍無さんは…?」
めるとが、ドレス姿のままこつぜんと姿を消した。