純愛
「とりあえず、俺は俺の心当たりを、お前はお前の心当たりを探してみようぜ!」
ニトロの言葉に優斗が頷くと、二人は散開して消えたお姫様の捜索を始めた。
といっても優斗は藍無姉弟と付き合いはじめて日が浅い。よく行きそうな場所にはあまり思い当たるところがなかった。
仕方なく優斗はニトロが探さないであろう場所、グラウンドの方へ向かってみることにした。
劇対決、引き分け発表からのめるとの突然の逃走。
お祝いムードだったクラスメイト達は大いに慌てふためいた。
だが文化祭で出し物をしたとなれば、膨大な後片付けが残るのは必然だ。
よってクラスの大半は後片付けに回り、めるとの捜索には優斗とニトロがあたることになった。
あれだけ目立つドレス姿だ、すぐに見つかる気もするが、相手はあの藍無 めるとである。
気配や存在を消して隠れられたら、優斗には多分見つける術がない。
それこそニトロの「めるとセンサー」に頼るしかない。そこまで考えて気づいた。そうだ、ほっといてもニトロはめるとを見つけられる。
なら自分は捜索より片付けに回った方がいいのではないか、そう考えた優斗が踵を返したそのとき。
視界の端に赤いような黒いような何かがひらめいた。
優斗が振り向くと、昇降口の大きなガラス戸に映った人影がサッと消えるところだった。
誘われるように優斗は人影を追う。だがすぐに見失ってしまった。
グラウンドへ出て、辺りに誰かいないか見回していた優斗の耳に、ジャアァと水の音が届く。
音の方に視線を向けると、なんといくつもの噴水が見えた。
そこには意気揚々と水飲み場の蛇口を上に向けて水を全開にしている、ドレス姿の貴婦人の影。
「…藍無さんっ?!」
裏返った声を上げながら、優斗は奇行の貴婦人に近づいた。
声に反応し、めるとが顔を上げる。そこには今まで見たこともない、晴れ晴れとした無邪気な幼児のような笑顔の彼女がいた。
その笑顔が逆に不気味で優斗はたじろいだ。その隙に奇行の貴婦人は全ての蛇口を噴水に仕上げ、楽しそうにドレスをひらめかせながらグラウンドへ舞い踊っていってしまった。
取り残された優斗は、とりあえず冷静に蛇口を閉めて元に戻してから踊るめるとのもとへ向かった。
水に濡れ、土に汚れるドレスの裾を気にすることもなく、優雅に舞い踊るめるとの姿は、宵の口のほの明るい空によく映えた。
だが優斗がそれをぼんやり鑑賞しているわけにはいかない。普段のめるとから考えると、今の行動はどうしても「気がふれた」としか思えないのだ。
何とかして踊りをやめさせて話を聞かないと。優斗はビクつく自身を叱咤しながら踊るめるとに手を伸ばす。
めるとが振りぬいた手に優斗の伸ばした手が当たる。途端めるとは大きくバランスを崩してしまった。
----倒れる、そう思った瞬間優斗はめるとの手を掴んで引き寄せ、めるとの体の下に自分の体を滑り込ませた。
ドスン。体二つ分の衝撃に優斗は思わず目を瞑った。
ゆっくり優斗が目を開けると、目を丸くして不思議そうな顔をしためるとが、優斗に馬乗りになる形になっていた。
普段のめるとならすぐに謝りながら退いてくれるはずだが、やはり今のめるとは何か違う、この状況すら楽しんでいるように表情が明るい。
優斗は意を決してめると「もどき」に声をかけてみた。
「…藍無さん、ほんとに本物の藍無さん…?」
「…どうだろう?うふふふ……」
「え、ほんとに偽物なの?」
「かなぁ?わかんない……うふふ…」
「……藍無さん、真面目に話そう。ほんとにどうしたの?」
「…引き分け…」
「…ん?」
「引き分け!あの人気者の美作さんと競って!!引き分け!!!
私すごくない?!すごいっ、すごいすごぉい~~~!!!!」
「げふっ、す、すごい、すごいからもうちょっと人の上ではおとなしく暴れて…」
「引き分けっ!引き分けっ!!引き分けっ!!!」
「あ、藍無さん、落ち着いて…引き分けだから勝ったわけじゃないし、だから条件がどうなるかまだわからないし…。
正直向こうがどう難癖付けて藍無さんたちを施設から追い出そうとするか…これから対策を」
「そんなの関係ないっ!!」
「えっ…?」
「そんなことどうでもいい!私…わたし……。
わたし、人より下じゃない!!上を向いて、息を吸う権利が私にはあるの!!
みんなと同じように!わたし、生きてここにいていいんだって!感じたの!!!」
「………そ、そう、…そっか、藍無さんは…うれしいんだね?」
「うれしい!!!!!」
「…そ、そっか…、藍無さんもう少しおとなしく…ね?腹筋に効きます…」
「めると!!!!!!」
「へっ?!」
「私の名前は「めると」!!!めるとって呼んで!!!!」
「…………えっと……」
「呼んでくれないと「優斗くん」って呼ぶよ?」
「えっ………」
「……呼んで?」
「……………」
「……優斗、くん…?」
「………魂に響く…」
「?…優斗くん?」
「あい………め、めると、さん……、名前で呼んでいいって、突然どうして…?
少なからず…めると、さんは俺に好意があるって…思っちゃうけど…いいの?」
めるとの頬から興奮の赤みが消え、真顔になる。
両手で自身の頬を包むと、めるとはぽつりぽつりと心の内を話し出した。
「…あなたは私に何らかの好意がある…と思う。
それが私の体に向けられたものか…私の内面に向けられたものか、わからない…どちらもかもしれない…。
なんで私なんかを…っていうのもよくわからないけど、多分これは、間違ってない…。
私は…人より下の私が、誰かをどう思うかなんて、それは考えるだけでもおこがましいと思ってた…。
でも今…「引き分け」の今なら、感じるの…。私がニトロ以外の誰かを…大切に思ってる気持ち…。
でもね、でも、ニトロが大切じゃないわけじゃないの。誰を思ってても、ニトロはずっと大切。
…あなたはそれをわかってくれた。私がニトロを大事に思う気持ちごと、ニトロごと私を受け入れてくれた。
だからあなたの傍は安心する、そばにいたい、名前を呼びたい…そう思う」
そう言うと、めるとは涙を目に湛えながら微笑んだ。
いっぱいいっぱいの感情を何とか言葉にして伝えてくれているその表情に、優斗は胸を掴まれた。
「………こんなに………こんなに、傾くの……はじめてなの……。
…知らないよ?優斗くん………こんな女に好かれたら…、あなたの人生が変になっちゃうかも……。
…そうなるの、怖い…わたしも、あなたをおかしくしたくない……。
ねぇ………今なら、まだ……」
めるとの瞳から涙が一粒こぼれ落ち、頬を伝った。
強者との勝負を引き分けたことで生まれた高揚感と肯定感。優越感に舞い踊ってからの胸の内の暴露。
揺れ動く感情の波と不安定さが優斗にも手に取るようにわかる。
でもきっと、波の中だからこそ言えたのだろう、今を逃したらきっと二度と伝えられなかっためるとの優斗への思い。
きっとめるとの、いちばんやわらかいところに渦巻いている感情。
否定したら即座に崩れ、それと同時に一瞬で壁を立てられ、二度と取り返しのつかない部分だ。
めるとは今受け入れられることにも怯え、跳ねのけられることにも怯えている。
それは優斗も同じだった。どちらも同じだけ怖い、ならば自分はどうしたいのか ----
考えるより先に手が動いていた。でもめるとに向けて差し伸べた優斗のその手は無様にも小刻みに震えていた。
その手でゆっくり、ゆっくり、めるとの頬に触れる。涙を指で拭った。
「………こんなに重い告白は、確かに怖い…。
でも、俺はめるとを離す気はないよ…、離れる気は…ないんだ」
めるとの両目から涙が次々にこぼれた。顔を歪ませてしゃくりあげる寸前になる。
優斗はめるとの頬に触れている手と反対の手を使って上体を起こした。
そのまま頬に触れている手でめるとを引き寄せる。めるとも抗うことなく顔を近づけていき、目を閉じた。
優斗もそれに合わせ、ゆっくり目を閉じる。
目を閉じる寸前の視界の片隅に映った影に思いきり嫌な予感がよぎった優斗は、引き寄せていためるとを慌てて自身から引きはがす。
途端、頭部に衝撃。横っ面を吹っ飛ばされた優斗は地面に倒れ伏した。
「優斗くん…?!」
めるとが慌てて優斗の上から退いた。遠くの方に転がっていくサッカーボールが伏した優斗の視界に入る。誰だ片づけ忘れたやつ殺す。
優斗の状態を確かめようとめるとがかがむより先に、今度は飛び込んできた黒い影が優斗に馬乗りになった。
「優斗テメエェェェェェェェェェ!!!!!!!!!」
飛び込んできた影は当然ニトロだった。ニトロはマウントポジションからの激しい肩揺さぶり攻撃でガツガツ優斗のヒットポイントを削っていく。
「俺はっ!!!……俺はっ!まだ認めねーぞ!!!めるとの『巣立ち』はまだ先だぁっ!!!!
俺にはまだめるとが必要だし、めるとにだって俺はまだ必要なはずなんだ!!!
「共依存」はそんな簡単に立ち直れたりしねぇって、嫌だったけど読み切った心理学の本にも書いてあった!!…書いてあったと思う!!
だから俺は…!…俺はっ…!!」
「何の話してるか知らないけど、もういい加減やめてあげてよっ!!!」
憤るニトロの肩を掴み優斗を助けたのは、いまだバレエのチュチュ姿の美作 翠だった。
くらくらする頭で不思議そうにぼんやりと美作を見上げた優斗に、ニトロが優斗から退きながらめんどくさそうに答える。
「…俺が連れてきた。
だってそうだろ?元はと言えばこいつがこんなこと始めたんだからよ…!
説明してもらおうじゃねぇか、なんでこんなことしでかしたのか、その理由ってやつをよ…!!」
ニトロの怒りの矛先が美作に向く。美作は一瞬ひるんだが、毅然とニトロを睨み返し強気な態度を崩さなかった。
優斗の具合を確かめつつ、心配そうに助け起こしてくれためるとの手を借りながら優斗が立ち上がる。若干くらくらするが問題はなさそうだった。
それを横目で確かめてから、ニトロは改めて美作に噛みついた。
「「洞井くんがいなきゃしゃべらない」だったかぁ?
ご指名の洞井くんだぜ!さあ話せよ!!俺とめるとにだって聞く権利はあるだろ?!」
「…………………ないよ…」
「あん??」
「ないよ!!藍無姉弟には聞く権利ないよ!!!
あんたたち二人がいるところじゃしゃべらないから!!!絶対!!!」
「なんだとぉぉ!?!?」
いがみ合う二人の間にめるとが体を割り込ませた。今にも飛び掛かりそうなニトロの両肩を両手で掴んで止める。
「めると!?いいのかよ?!こんな言わせ放題で!!
俺は嫌だぞ!!ちゃんと理由を聞かなきゃ納得できない!!」
「…そう、理由を聞かなきゃいけない、でしょ…?
…なら、私たちがいなくなれば洞井くんには話すって言ってるんだから、そうすればいい…。
必要なところは…あとできっと洞井くんが話してくれる…。だから…行きましょ…」
「めると…!!なんで…!!」
「いいから来なさい…!」
めるとが珍しく常ならぬ強引さでニトロを引っ張ってグラウンドから離れようとした。
それは優斗にも意外で、思わずめるとを引き留めようと手を伸ばしかけたが、めるとに視線で制された。
「………私の予感が当たりなら、あなたの役目なの…お願い」
めるとは謎の言葉を残して、ニトロを連れてグラウンドから退場してしまった。
残された優斗と美作の間に沈黙が降りる。拳を握り締め、先に話し始めたのは美作だった。
「……………答えて!!!」
「はいっ?!」
「…答えて、洞井くん…なんで………なんで藍無さんなの…?!」
「………な、何が…?」
「あなたが好きになった相手よっ…!!!」
「えっ?!……えっ…と…、そ、それ、答える義務が…」
「あるよ!!だって私……わたしっ…、私だって……洞井くんが好きなのにっ…!!!」
再び二人の間には沈黙が降りた。美作は俯き、涙をこぼしながら優斗の返答を待っていた。
その姿を見て余計言葉が出てこなくなった優斗は口をパクパクさせていたが、美作にはそれは伝わらない。
やがてしびれを切らした美作が言葉を続けた。
「………洞井くんには、あの二人って…どう見えてたの?」
「………ど、どうって…?」
「……気持ち悪く、ない?」
「…え?」
「…気持ち悪いよ、だって……普通の姉弟じゃない…あの二人には何か特別なものがあって…べったり、くっついてる。
関係が異常なの、見ててわかるもの…。洞井くんも、そうでしょ…?」
「…………………」
「………違うの?」
「………違う、かな…。
俺にはあの二人の関係はうらやましく見えてた。かけがえのない大切な人がそばにいるんだなーって…単純に考えてた。
…でも周りの普通の人間の目から見たら…気持ち悪い、のかもな…わからなくはないよ、多分」
「………普通の…?」
「美作は両親ちゃんといる家庭?」
「…え?うん、ケンカはするけど…仲はいいと…思う」
「そして児童養護施設の施設長がおばあちゃんで、幼少期からバレエが習えるほど、一定の裕福さはあった…」
「………洞井くん…?」
「俺ね、子供の頃に実の母親に捨てられてるんだ。
それ以来、血のつながった父とも血のつながらない継母とも、生まれた妹ともうまく関係を築いてこれてなかった…。
人との距離感?っていうのかな。それの近寄る方…が特に難しいって感じる。
だからいつでも一人でいるのが楽で…、それをここ最近はあの二人に強引に壊されちゃってはいるけど、悪くはない、気もしてた…。
あの二人といることで、人と繋がるって…こんなにも自分を楽にしてくれるもの…いや、強くしてくれるものなんだなって…感じてて…。
…俺、今の自分、結構好きなんだ。だから、いろんなきっかけをくれたあの二人…めるとさんには、感謝してる」
美作は完全に沈黙した。優斗もわたわたと一人パントマイムをやってみたが、結果は変わらなかった。
しばらくしてから、美作はわっと声を上げて泣き出し、崩れ落ちてへたり込んでしまう。
優斗はもはや動揺のあまり硬直し、何もできないでいた。
やがて泣き声の落ち着いてきた美作が、少しずつ言葉を選びながら話し始めた。
「……わっ、わたし…私……、洞井くんに助けて…もらったこと、あって…ひっく……。
私…、ずっとバレエがんばってきて、結構いい成績収められるようになってきてたのに…、ある日突然…顔がニキビだらけになったの…。
膿も血も出るし、顔がぼこぼこで恥ずかしくて…、俯いて過ごすようになった…。
それまでは結構人気者の方だったのに…一気に暗いキャラになっちゃって、クラスでも軽くいじめられだして…。
もうバレエもやめよう…そう思って、高校もバレエは全然関係ないとこに進んだ…。
でも高校一年のとき、委員会で洞井くんと初めて一緒になったとき、やっぱり私、地味子ってバカにされてて。
私と組まされちゃった洞井くんに申し訳なくて、ごめんねって謝ったの。そしたら洞井くん…
「地味子が多い方が世界が平和じゃないか」 ってボソッと言ってくれて…」
「………ごめん、全然覚えてない…」
「…うん、覚えてなくていいの。何気ない一言だったんだと思う。深い意味なんかなくていいの。
ただ…、あの言葉で私は変われた…。いつかあなたに告白したい、その一心でニキビケアを始めたの。病院に行ったり、薬も使ったり…。
髪を下ろして顔隠すのやめて、ポニーテールにして前を向いて…自分の意見も隠さずにきちんと伝えることにした…。
たくさん、たくさん変われたの…全部、あなたのおかげだった。だから…」
美作は言葉を切った。涙をぬぐうと立ち上がり、服に着いた土を払ってから優斗に向き合った。
「洞井くん、私はあなたが好きです。
………それを先に伝えるべきだった。
洞井くんに急接近する藍無さんを気にするなら、急におばあちゃんの施設に入ってきたあの二人に侵略された気持ちになったのなら。
劇対決なんて回りくどくて意地悪な提案しないで、普通に思いを伝えるだけでよかったのに。
…私はきっと、蹴落としたかったんだね。気味が悪いと感じてた、あの二人を。
私の中の、最低で真っ黒な気持ち…。敗因はこれだね。
私は自分に…負けたんだ」
美作はどこかすっきりした顔で、微笑みながら涙を流した。美しい笑顔だった。
その姿にドギマギしつつ、優斗は過去の己の発言が妙に美化されていることに恥ずかしさを感じて、ついいらぬことを漏らしてしまう。
「いやぁ……負けとか感じる必要はないと思う…というか、俺が藍無さんに興味持ったきっかけ、胸だったし」
「…胸?」
「あっ……い、いや、事故で!!ごみ捨てのとき事故で、ちょっとその…接触があったというか…」
「…接触?!」
「やっ…?!顔に?!顔にちょっと触っただけ!!
そのあといい体してるなって気づいてもっと興味を…」
「…体?!?!」
「はっ…?!か、体だけじゃないです!!だけどごめんて、俺思春期の男子高校生なんですよホント夢持たれるような存在じゃないんです~~!!!」
その後、せっかくの空気に水を差した罰なのか何なのか、美作に「女子高校生への正しい好意の持ち方」についてこんこんと説教された優斗だった。
優斗がぐったりしながら教室に戻ると、文化祭のあらかたの片づけを終えたクラスメイト達はすでにほとんどが帰った後だった。
めるとも無事戻ってきていたし、優斗も問題ないと判断されたのだろう。教師陣もその辺はきつく取り締まらずにいてくれたようだ。
学生服に着替え終わっためるとと、ヤニでも吸いたそうなヤンキー座りのニトロが優斗を出迎え話をせっつく。
「うーん………」
かいつまんで話そうにも、話していいかどうか判断できない部分があまりに多い。
悩みぬいた末、優斗は一つの結論に達した。
「みんな思春期なんだ!終わり!!」
ニトロの華麗な飛び蹴りを食らった優斗は、サッカーボールの件も含めて今度こそ保健室行きになったとかならなかったとか。




