その十六 黒と白の反転夫婦
「あ、あいたたた……」
今や定住している勢いの隠れ家で、引っ張り出した寝茣蓙を居間に敷き、うつ伏せになって乱は呻いていた。
本人曰く〝筋肉痛〟に苛まれているらしく、雪は心配そうに声をかける。
「ら、ランさま……大丈夫ですか? その日のうちに筋肉痛がくるなんて、うう……例の騒ぎのせい、ですよね」
「ああ、いや……つい、な。調子に乗って右眼を使ってしまったから……説明しにくいが、あの時は、己にとって世界がゆっくりになる感覚、というか。だがそんなゆっくりな世界の中、全力で動けば、体のほうがついていかん。今日のことにしても、己にしてみれば気をつけて、のんびりと最小限で動いたというのに……この有様よ、ははは」
「あ、あれで、のんびり? 拙の目には、もう何も映らないくらい、お早かったのですが……」
「ははは、他の奴らにとっても、だろうさ。まあ初めて糞親父をブッ飛ばした時なんかは、手加減なんて分からず、そりゃもう全身が千切れそうな痛みで、三日三晩は寝込んだくらいさ。まあそれ以降は、右眼ほどではないにせよ、左の眼力も釣られて鍛えられてな。今やあの通り、道場主の腕前よ、ははっ……あ、あいたたた」
「! ランさま……」
囲炉裏で湯を沸かし、麦湯(※麦茶)を淹れてきた雪が、湯飲みを脇に置いて、強がる乱の傍らに座る。
腕まくりすると、白く繊細な肌が露となり――格子窓から差し込む月光を浴びつつ、乱の背中に手を伸ばす。
「ん? はは、どうしたユキ……ひゃんっ!?」
「あっ、驚かせてしまい、申し訳ございません……按摩(※マッサージ)でも、と。拙、これは結構、得意で……良く母上にも、褒められまして」
「あ、ああ、なるほど……あっ。……そうか、月光を浴びても、体は煌めくのだな。月光を反射するように……初めて会った夜のことは、目の錯覚ではなかったわけだ。あまりに美しすぎて、実は驚いていたのだぞ、ははは」
「え、ええっ、からかわないでくださいっ。驚いたというなら、こちらこそですし……と、とにかくですね。月光ならば日光と違って、肌も焼かれません。まあ治癒の力? だとかも、ささやかですが……その分、せいいっぱい、尽くしますねっ。えいっ、えいっ」
「そ、そうか、でも無理はせんよう……にゃ!? ふあっ、ちょ、ユキ、そこは……ひゃあんっ!?」
「えい、えいっ……? ……ランさま、何だか声が、高いような……」
「お、己は……か……傾奇者だからぁ……きゅうっ!?」
「傾奇者さんって、そんな感じなんです……?」
いまいち要領を得ない雪だが、そもそも今は派手な顔塗りも落としている乱を見て、按摩を続けつつ物思う。
(ランさまのお体……あんなすごい剣を揮うというのが信じられぬほど、意外に細身です。腕も、太くない……ですが、先ほどの説明を聞いて、納得です。力任せに揮う〝暴〟の剣ではない……むしろ洗練とした、精密の技だったのですね。道場での時、ランさまの剣に、拙が強く惹かれたのは……きっと、そういう部分。ランさまのように、というのは烏滸がましくとも、足の小指分でも近づければ……)
「ふ、ふゃぁ……う、うう、ユキの手ぇ……よ、よすぎるぅ……くう、ちょ、ちょっと休憩……ひぃんっ!?」
(……というか、何だか、妙に……いえ、凛々しいランさまに、こんなことを思ってしまうのは、失礼だとは思うのですが……)
雪は常に、乱へと憧憬の情を抱いている。ただ今は、秀麗な細面をほんのりと紅潮させ、眼帯をしていない左目側はとろんとした、そんな乱を見て思った。
(美しいですし……とても、お可愛らしい……って、拙はなんという失礼なことをー!? いけませんっ、今はランさまをお癒しすることに、集中せねば! 心頭滅却、心頭滅却ですー……むむむ~ん)
邪念を追い払おうと、雪はなおさら集中する。
……が、その一方、乱は乱で複雑な思いを抱えていた。
(くう……ユキの腕前、恐るべし……恐るべしだぞっ。ええい、変な声がでちゃう……うぬぬーっ気を抜くな、己~! ああもうこんなこと、おみつにもさせなかったのに。……はあ、全く、己も焼きが回ったもんだ……)
按摩を受けながら、顔だけをこっそり向けて、何やら集中している雪を覗き見る。
真剣な様子は、普段の可憐な様子とは違い、一種の仕事人にさえ思えた。
差し込む月明かりに照らされ、光の粉を舞わせるように煌めく姿は幻想的で、清廉として映える。
乱にしてみれば普段から〝あまりにも可愛すぎる……〟と思う、そんな雪の普段とは趣の異なる、真面目な横顔を見て考えた。
(……な、なんか、かっこいい……って、己は何を考えている~!? 可愛らしいユキに対して、逆に失礼だろう! ああ、もお~っ……)
人知れず、互いに心中で、複雑な思いを巡らせている。
ある意味で似た者夫婦、そんな二人が考えることとは――




