第十四話
所謂黄昏時だ。
残光の下で、勇者の黒い血が広がっていく。
奴の最期の言葉。音のない、口を動かすだけのそれでも、読唇術など使えなくてもなんとなく読み取れた。
奴の最期の言葉“なんで”
おそらくは俺に対して、そしてこの世界に対して。
なんで殺された?
なんで強くなったのに死ぬ?
なんでここで終わりなんだ?
なんで?
ニートの奴に分かる筈もない。
「終わったな」
後ろから声がした。
同じような装束を着込んだロブ。手にはマグルフとの取引に使ったような鞄。
「よくやってくれた。受取りな。お前さんの報酬だ」
そう言って、俺の方にそれを突きだす。
空ではないことが分かる重さ、人一人の命の値段。
「それと、こいつは始末屋からだ」
そう言って懐から小さな銀色のスキットルを取出して俺に放った。受け取ったそれには底近くに犬の落書きがされていた。
始末屋。表沙汰に出来ない死体を処理する専門家。人は見かけによらないものだ。
「安心して。ただの酒よ。毒は入ってない」
その絵をじっと見ていた俺に、用済みになったから口封じされると考えているように思ったか、後ろから見ていたフーリアが付け加える。
ロブがそれに同意するように片眉を上げる。
「そうかい。ご馳走さん。体は離れの剥がした床の下だ」
そのロブの後ろから現れた始末屋にスキットルを上げて挨拶すると、彼は小さく手を挙げてそれに応じた。
ロブと始末屋が離れに消えていく。
さっきまで入っていたロッカーに寄りかかってスキットルの蓋を開け、少し煙臭いウィスキーを喉に流し込んだ。
ぐびり、ぐびりと味も分からず流し込む。
第四波が流れ落ちて行った時、唐突に俺の中で何かが繋がっていった。
エンジンだけを回転させていた車に上手くクラッチを繋いだように、全てが一度に動き出した。
“浅井君ってさ、どっちかって言うと犬っぽいよね”
ようやく俺の中でこいつの答えが出た。
そうだ。俺は犬っぽいんだ。
と言うよりもむしろ犬なんだ。
俺は刑務所内で死んだ。
自ら死を選んだ。
それは人生に絶望したからで、何故絶望があったかと言えば、家庭と仕事を一気に失ったからだ。
俺にはあの世界に居場所が無かったからだ。居場所、より正確に言えば役割と所属が一度に失われた。
俺はトラックの運転手。仕事は楽しい物じゃあないが、かと言って全くもって一秒も我慢ならない程じゃあなかった。
家族は特別裕福でもなかったし、衝突が一切無い訳でもなかったが、居心地が最悪ですぐにでも縁を切りたい程じゃあなかった。
つまりどちらも――そこまで嫌いではないという意味でだが好きだった。
もっと言えば、俺はあの暮らしに満足していたのだ。
帰るべき所属が、群れが、つまりは家族があって、与えられる役割が、つまりは仕事があって、それは決して悪い暮らしではなかった。
だがそれはある日いきなり終わった。
アホタレに巻き込まれることでどちらもが一瞬で奪われた。
なあ勇者、お前の“なんで”の答えはこれだ。
俺が犬だからだ。
だからこの仕事を受けた。
勿論最初は報復と嫉妬だったが、ここにきてようやく分かった。
食うに困らない稼ぎがあって、首輪をつけられてボールを投げてもらえるのは、そんなに悪いもんじゃない。
もう一度ぐびり、スキットルが空になる。
なあ妹、もし聞こえるなら聞いてくれ。
俺はお前の言った通りの人殺しだ。こっちに来ても結局はそうするしかなかった。
こっち、つまりこの世界。
ここではニートが勇者で、奴隷が売り買いされていて、銃器マニアは武器を造っていて、その武器がトラック運転手の手に渡る、そのトラック運転手が勇者を殺し、そしてそいつは犬なんだ。
何もかも違う。俺達のいた世界とは全く別の、まさに文字通りの異世界。
ヤク中共の白昼夢みたいな世界。
狂った世界。
だが、これだけは言っておくが、お前の兄貴は狂人ではない。
ただしもう俺はそちらに戻れないし、たとえ戻れても戻らない。
狂った世界でまともでいるという事はつまり狂っているという事だ。
「お疲れ様。よくやってくれた」
空になったスキットルを置いた俺に、フーリアが声を掛けた。
いつの間にか俺と同じ装束姿に戻っている。
「さて、これで今回の貴方の仕事は終わりだ。これでもう貴方は自由の身。その金を持って真人間として生きて行ってもいい。暫くは監視をつけさせてもらうが、貴方が今回の事を他言しないとわかればすぐにそれもなくなる。ただ――」
しっかりと俺が彼女の顔を見るまで待つ。
彼女は顔を露出させてはいるが、闇の中に浮かぶその表情は、心持ち普段より柔らかく見える。
「私としては、次の仕事も貴方とやりたいと思う」
しっかりと俺の顔を見てそう言った。
始末屋と一緒にロブが戻ってきた。
「次を受けてくれるのなら、仕事はもう決まっているぜ。今回よりも少し厄介な相手になるが、そのぶん報酬は割増だ」
群れはまだないが、役割は与えられた。
それで今は十分だ。
「よし、わかった。こちらこそよろしく頼む」
「ありがとう。こちらこそよろしく」
フーリアと握手を交わす。
俺は勇者でも英雄でもなくただの暗殺者だ。トラックのない世界では前職の経験を活かして食っていくこともできない。つまりこの地でできることなどない。
別に人を殺したい訳ではない。こいつらの理念に共感してこの世界をどうこうしたいという思いもない。
もっと単純で、簡単な話。
他にすることがない。
だが、それでも役に立つ。
俺ならできると見込まれて仕事を任され、一人で生きていくには悪くない額の報酬を手に入れる。十分じゃないか。
「よし決まりだ。続きは店に戻ろう。ようこそシン。俺達の仲間」
暗闇にロブの象牙色の歯が浮かんだ。
「次の目標はアーフェンから西に進んだ隣国フェルロー王国の東端に位置するブラウズ侯爵領にいる。ブラウズ侯爵領はその名の通りブラウズ家という貴族が代々治めてきた土地だが、先代が数年前の戦争で戦死、後継ぎだった嫡男も生まれつき体が弱くそれから程なくして死んだ。残されたのはまだ16歳の妹ただ一人、領民は困窮し、このまま取り潰されて王の直轄領になると思われたが――」
「そこに転生者が現れた、と?」
俺の答えにロブは頷いた。
臨時休業の酒場は明かりが一つだけ、俺とフーリアとロブがその唯一の明かりの乗った四人がけのテーブルを挟んで顔を突き合わせている。
「そいつはどうやったかその妹に取り入って、王家や周辺諸侯との交渉を行い、領内の内政一般を取り仕切り、最近は領内に跋扈する山賊相手に征伐軍を結成して軍事顧問のような立場にもいる。その活躍によって領民の暮らし向きも改善しているらしい」
「なかなかのやり手ね」
フーリアの答えにまたロブが頷く。
「それが後付けスキルでなければな……。あくまで奴は転生者だ。そしてやり過ぎた。このままでは均衡が崩れかねない。現地の連中にも根回しはしておくが当然いまだ弱小とは言え貴族の右腕だ、それなりに厄介な仕事にはなるだろうが……」
ロブはそこで言葉を切る。
卓上に揺れているランタンの火が彼の顔をぼんやりと浮かび上がらせている。
そしておそらく俺の顔も。
「やろう。やるさ」
それだけ答えた。
磨かれたランタンのガラス。それに映る俺の顔は、どこかあの勇者に似ていた。
(おわり)
更新遅くなりまして申し訳ございません。
「勇者死すべし」これにて完結でございます。
異世界転生なんてほとんど何もわからないで書き始めた作品、至らぬ点も多々ございましたが、少しでも面白いと思っていただけたなら幸いです。
さて、最後になりましたが、
評価して頂いた方、ブックマークして頂いた方、そして出来の悪い拙作をご覧頂きました全ての方、皆様の応援を頂いてこそ、無事完結する事が出来ました。
本当にありがとうございました。
それでは。




