第一話 インディアスへ
船倉に、馬が吊るされている。
腹の下に太い帯を回して、梁から吊って、脚が半分だけ床に着くようにしてある。そうしないと、揺れで脚を折るのだそうだ。
暗い。臭い。
馬は目を開けていた。白目を剥いて、鼻から泡を垂らして、時々、体を大きく震わせる。
吐いていた。
向こうでは、馬は神様みたいに扱われるらしい。あそこの人間は馬を見たことがないから、人と馬とで一つの生き物だと思い込むのだそうだ。だから百人で千人に勝てる、と船の連中は言っている。
——神様が、吐くか。
そう思っただけだ。深い意味はない。
俺は梯子を上って、甲板に戻った。
俺はゴンサロ・ゲレーロという。パロスの生まれで、仕事は水夫だ。歳は、数えるのをやめた。
三十日、同じ景色を見ている。
海だ。褒めているんじゃない。三十日も同じものを見せられると、「広い」は悪口だと分かってくる。
水は樽の底のほうが濁ってきた。乾パンは叩くと虫が落ちる。叩かない奴もいる。落とすと減るからだ。俺は叩く。まだそこまでは落ちぶれていない。
船べりに寄りかかって、西を見る。何もない。昨日も何もなかった。一昨日もなかった。
——それでも人は乗る。俺も乗った。
なぜか、という話をする。長くはならない。
一四九二年。グラナダが落ちた。
八百年だ。八百年かけて、ようやく最後の一つを取り返した。俺はその場にいた。門が開いて、旗が降りて、向こうの王様が泣いたとか泣かなかったとか、そういうのを遠くから見ていた。
いい年だった。人生で一番いい年だと思った。
問題は、その翌日から始まる。
戦が終わると、兵隊が余る。
そのパロスというのは、小さい港だ。何もない。船と、船を作る奴と、船に乗る奴しかいない。
その年の八月、その港から三隻出た。
率いていたのはジェノヴァから来た男で、名をコロンという。西へ行けば東に着く、と言い張って、あちこちの宮廷を回っては断られ続け、最後に金を出す気になったのが、うちの王様だった。戦が終わって、財布に隙間ができたからだ。
俺は、見送った側の人間だ。
港の連中は笑っていた。俺も笑った。西へ行って東に着くのなら、便所に入って台所から出てくるようなものじゃないか。
七か月ほどして、二隻が帰ってきた。
男を何人か連れていた。裸で、肌の色が違って、喋る鳥を抱えていた。金の細工も少し。
コロンは言った。インドの手前の島々に着いた、と。
だからあそこは、インディアスと呼ばれることになった。今でもそう呼んでいる。
あの男はその後、三度行った。島をいくつも見つけた。繋がった土地も見つけた。
二度目の帰りに、鎖で縛られていた。
理由は、港の人間なら誰でも知っている。
コロンは島を見つけただけではなく、島を治める役も貰っていた。王様の代わりに向こうの一切を仕切る。そういう約束だった。
仕切れなかった。
黄金が出ない。飯がない。病人が出る。連れて行かれた連中は黄金を掴んで帰るつもりで来ているから、掘れと言われても掘らない。
コロンは、縛り首にした。
スペイン人をだ。それも、家柄のある者を混ぜて吊るした。
これが効いた。向こうで何人殺そうと誰も気にしないが、こちらの人間を、しかも家の名のある人間を吊るすと、その家が王宮で騒ぐ。
帰ってきた連中も騒いだ。王様の前で、給金を払えと大声を出した奴らがいる。
王様は人を寄越した。ボバディーリャという。全部を調べて全部を決めていい、という紙を持った男だ。
その男が島に着いた日、広場でスペイン人が吊るされていたそうだ。調べるまでもなかった。
コロンは兄弟ごと捕まり、鎖を付けられ、船に積まれた。
ここからが、俺には少し分からないところだ。
海の上で、船長が鎖を外そうと言ったらしい。王様は外せと言うに決まっている、着く前に外しましょう、と。
コロンは断った。
付けたまま船を降りて、付けたまま王宮まで歩いた。
王様は怒らなかった。すぐに外させて、取り上げた金も返して、また船を出す許しも出した。
ただし、島を治める役だけは返さなかった。
鎖は、その後もあの男の部屋にあったという。死ぬ時に一緒に入れてくれ、と言っていたとか。
俺には分からない。外していい鎖は、外す。
三年前に死んだ。死んだ時、王様も港も、大して騒がなかった。
——これが、向こうの始まりだ。
最初に見つけた男が、最初に縛られている。
実際に行った連中の話は、もう少し具合が悪い。
コロンが最初に拠点にしたエスパニョーラ島には、黄金がある。あるにはある。だが川で砂を洗って一日に粒がいくつ、という程度のものだ。掘れば出てくるような山ではない。
それから、あそこの人間が減っている。
戦って減った分もある。だがそれより多く、病んで死ぬ。理由は誰も知らない。神父は罰だと言う。兵隊は運だと言う。俺は、考えないことにしている。
それでも人は行く。俺も行く。
スペインで戦が終わってしまったからだ。剣の握り方しか知らない男が、国じゅうに余っている。畑仕事は身につかない。修道院は入れてくれない。だったら西だ。
俺が乗っているのはニクエサという男の船団で、行き先はティエラ・フィルメという。島ではなく、繋がっている方の土地のことだ。そこに黄金の国があるらしい。
らしい、というだけかもしれない。たぶん、それだけだ。
それでも俺には、乗る理由になった。
「明日にゃ見えるってよ」
水夫の一人が、通りすがりに言った。
三日前も同じことを言っていた。一昨日も言っていた。だから返事もしなかった。
——翌朝、本当に見えた。
西の端に、細い線が一本。雲じゃない。動かない。
人が甲板に集まってくる。誰も喋らない。三十日ぶりに、見るものがあった。
俺はその線を眺めながら、船倉のことを少し考えた。
あそこに、神様を降ろすのか。




