9 ファミレス
一九八一年。
夏。
午後八時。
駅前のファミリーレストラン“サンフラワー”。
まだ「ファミレス」という文化そのものが少し特別だった時代である。
ネオン。
オレンジ色の照明。
クリームソーダ。
ナポリタン。
若者たちの笑い声。
そして。
「のだっ♡」
小野田レイはめちゃくちゃドヤ顔だった。
向かいには美女。
同い年くらい。
茶色く巻いた髪。
大きな目。
やたら甘い喋り方。
そして。
超ぶりっ子だった。
「えぇ〜♡小野田くんって本当にオバケ見たのぉ?♡」
「当然なのだっ♡」
レイは胸を張った。
なお。
今日は無駄に背伸びしてアイスコーヒーを飲んでいた。
苦かった。
でもカッコつけているので我慢している。
「偉大なる吾輩の偉大なる逃亡談聞きたいのだぁ!?」
「ききたぁ〜い♡」
完全に気分が良くなった。
ちなみに。
この美女――ミカは、最近雑誌掲載でちょっと有名になったレイに興味を持って近づいてきた女である。
つまり。
レイの脳内では既に“モテ期到来”だった。
「ふっふっふ……」
レイは椅子にふんぞり返った。
「吾輩があの赤窓病院に侵入した時なのだぁ……」
語り始める。
めちゃくちゃ得意げに。
「空気が違ったのだぁ」
「きゃ〜♡」
「もう入った瞬間、“死”だったのだぁ」
「すごぉ〜い♡」
「そして吾輩は気づいたのだ……“ここには本物がいる”……と」
なお。
実際は入口で帰ろうとしていた。
だが当然盛る。
「でもぉ、小野田くん怖くなかったのぉ?♡」
「うむっ♡」
レイはサングラスをクイッと上げた。
夜なのにかけていた。
「吾輩、肝が据わってるのだっ♡」
大嘘だった。
ミカは「あはは♡」と笑った。
完全に営業スマイルだったが、レイには分からない。
「それでぇ?」
「そこで白衣の女が現れたのだぁ」
レイは低い声を出した。
「スゥ〜〜……っと……」
「やだぁ♡怖いぃ♡」
ミカはレイの話に合わせて肩をすくめた。
レイは内心ガッツポーズ。
(勝ったのだぁ!!)
「そして吾輩は走ったのだぁ!!」
「えっ♡」
「命を懸けた逃走なのだぁ!!」
レイは机を叩いた。
「廊下を駆け抜けぇ!!窓をぶち破りぃ!!」
「えぇ〜♡映画みたい♡」
「吾輩、二階から飛び降りたのだっ♡」
「すごぉ〜い♡」
なお。
泣いていた。
しかも足をくじいていた。
だが現在のレイの脳内では“昭和ハードボイルド怪談主人公”になっていた。
「普通の男なら失神してたのだぁ」
「小野田くん強いんだぁ♡」
「うむっ♡」
調子に乗った。
「吾輩、命の危機に慣れてるのだっ♡」
人生でそんな経験ほぼない。
ミカはパフェを食べながらニコニコしていた。
「でもぉ〜♡今こうして生きてるってことはぁ♡」
「のだぁ?」
「その幽霊さん、小野田くんのこと好きなんじゃなぁい?♡」
「…………」
レイが固まった。
なぜなら。
実際かなり懐かれているからである。
「……のだ」
「えっ♡なにその反応♡」
「いやぁ……」
レイは視線を逸らした。
「まぁ……ちょっと……」
「えぇ〜!?♡」
ミカは身を乗り出した。
「なになにぃ!?♡」
「…………」
レイは悩んだ。
言うべきか。
だが。
言いたい。
自慢したい。
なので。
「……実はぁ」
声を潜める。
「今、吾輩の部屋に普通に出るのだぁ」
「…………え?」
「白衣の女なのだっ♡」
数秒沈黙。
「……えぇ〜♡うそだぁ♡」
「本当なのだぁ!!」
レイは熱弁した。
「最近、一緒に映画見てるのだぁ!!」
「…………」
「あと怪談ネタ提供してくれるのだっ♡」
「…………」
「便利なのだぁ!!」
ミカの笑顔が若干引きつった。
レイは気づかない。
「しかもなのだぁ!」
レイはさらに盛り上がった。
「吾輩、最近“幽霊監修ホラー作家”として注目されてるのだっ♡」
「そ、そうなんだぁ♡」
「印税も入るのだっ♡」
「へぇ〜♡」
「つまりぃ!」
レイはビシィッ!!と指を立てた。
「吾輩、将来有望なのだぁ!」
ミカは笑った。
「すごぉ〜い♡」
だが。
その瞬間。
ファミレスの窓ガラスに、白い影が映った。
「…………」
レイの笑顔が止まる。
「のだ」
「小野田くん?♡」
窓の外。
街灯の下。
白衣の女幽霊が立っていた。
じぃぃぃ……っとこちらを見ている。
「…………」
レイの背中に冷や汗が流れた。
「の、のだぁ……」
「えぇ〜?どうしたのぉ?♡」
「…………」
女幽霊。
無言。
だが。
なんか圧が強い。
「…………」
レイは悟った。
(怒ってるのだぁ)
理由。
たぶん。
勝手にネタにした。
あと女の子口説いてる。
「のだぁ……」
「ほんとに幽霊いるみたいな顔してるぅ♡」
「…………」
レイは乾いた笑いを浮かべた。
「い、いるのだぁ……」
「えぇ〜♡」
「窓の外なのだぁ……」
「やだぁ♡」
ミカは振り返った。
当然。
見えない。
「なにもいないよぉ?♡」
「…………」
レイだけが見えていた。
白衣の女幽霊。
無表情。
じーっ。
「のだぁ……」
レイは青ざめた。
すると。
女幽霊がゆっくり指を動かした。
窓ガラスに。
スゥ……っと文字を書く。
『たのしそう』
「のだぁああああああああ!!!!」
レイは絶叫した。
周囲の客がビクッ!!とする。
「きゃっ♡」
「い、いたのだぁあああ!!」
「えぇ!?♡」
「怒ってるのだぁあああ!!」
レイは椅子から転げ落ちた。
店員が走ってくる。
「お客様!?」
「窓なのだぁ!!窓ぉおおお!!」
なお。
一般人から見ると、突然ファミレスで絶叫して転げ回る変な大学生でしかなかった。
そして。
白衣の女幽霊は窓の外で静かに思っていた。
「…………」
この男。
調子に乗ると本当に面倒である。




