31 激怒のレイ
翌朝。
漁村は快晴だった。
青空。
潮風。
港には漁船。
昨日の地獄みたいな夜が嘘みたいに穏やかだった。
「のだぁ……」
しかし。
小野田レイだけは死んだ目だった。
目の下に隈。
寝不足。
精神ダメージ。
完全に疲弊している。
一方。
「いやぁ〜〜〜海鮮最高だったなぁ!!」
編集者。
めちゃくちゃ元気だった。
「朝飯のイカうめぇ〜〜〜!!」
「のだぁ……」
レイは死んだ魚みたいな目で編集者を見た。
「お主だけ旅行なのだぁ……」
「温泉も良かったわぁ〜」
「吾輩、夜中に海に殺されかけたのだぁ……」
「はいはい」
編集者は全く信じていない。
当然である。
見えてない。
聞こえてない。
昨夜も爆睡していた。
「お前、最近オカルトにハマりすぎて夢と現実混ざってんじゃね?」
「違うのだぁぁぁ!!」
レイは本気で叫んだ。
「腕いっぱい出てきたのだぁぁぁ!!」
「酒飲んでないのに?」
「飲んでないのだぁ!!」
シズカはワゴン車の後部座席で静かに窓の外を見ていた。
「…………」
昨夜の海。
歌声。
生贄。
あれはシズカですら少し怖かった。
「……海、怖い……」
「怖いのだぁ!!」
レイは即同意した。
「海女さんたちは良い人だったのだぁ!!でも沖のやつらはダメなのだぁ!!」
ワゴン車は漁村を離れていく。
遠ざかる海。
防波堤。
古い祠。
レイは窓の外を睨んでいた。
「のだぁ……」
そして。
ゆっくりメモ帳を開く。
そこには昨夜の走り書き。
『歌声』
『生贄』
『海へ返せ』
『腕いっぱい』
『死ぬ』
『怖すぎ』
「…………」
レイの顔が段々変わっていく。
恐怖から。
怒りへ。
「のだぁ……」
編集者が気づく。
「あ、なんか始まった」
「とりあえず盛りまくってやるのだぁ……」
「うわ」
レイの目がギラギラしていた。
「吾輩に怖い思いをさせやがってぇええ!!」
「逆恨みじゃねぇか」
「絶対許さないのだぁ!!」
レイはメモ帳へ猛烈な勢いで書き始めた。
「化け物いっぱい出してやるのだぁあああ!!」
「やめろ」
「読者全員地獄の底に落とすのだぁぁぁぁ!!」
「オカルト作家の発想じゃねぇ」
レイは完全にキレていた。
昨夜。
本当に死ぬかと思った。
だから。
もう遠慮しない。
「のだっ♡」
レイは急にテンションが上がる。
「まず沖から巨大女幽霊百体出すのだっ♡」
「増えてる」
「あと海底神殿なのだっ♡」
「なんでだよ」
「さらに人魚も出すのだぁ!!」
「お前人魚好きだな」
シズカは少し呆れていた。
「……昨日あんな怖がってたのに……」
「復讐なのだっ♡」
「読者に?」
「恐怖のお裾分けなのだぁ!!」
レイはどんどん盛っていく。
「海の底で歌う巫女!巨大な海蛇!沈んだ村!呪われた海女!」
「全部乗せかよ」
「エンタメなのだっ♡」
だが。
時々。
レイの手が止まる。
「…………」
「……のだ」
「どうした?」
「昨日の歌……」
少しだけ。
本当に少しだけ。
レイの顔が曇る。
「悲しかったのだぁ……」
「…………」
シズカは静かに頷いた。
レイは窓の外を見る。
遠ざかる海。
「怖かったけどぉ……」
「……うん……」
「なんか、怒ってたのだぁ……」
波。
歌声。
“返せ”。
あれはただの化け物ではなかった。
「……沈められたんだもんなのだぁ」
レイは鼻をすすった。
「若い女ばっかり」
「…………」
「海が怖いからって人間って酷いのだぁ……」
静かな時間。
編集者だけが分かってない。
「おー、この辺道の駅あるぞ」
「イカ食ってる場合じゃないのだぁ!!」
「いや食うけど?」
レイは溜息を吐いた。
そして。
数秒後。
「のだっ♡」
復活。
「でも盛るのだっ♡」
「結局それか」
「読者は怖いの好きなのだぁ!」
レイはペンを走らせる。
『海底から伸びる千本の腕』
『海女を喰う人魚』
『夜の海に沈む村』
『歌う女たち』
「のだっ♡」
どんどん書く。
怖かった分。
筆が乗る。
編集者が後ろを覗き込む。
「……お前、やっぱ書くの上手くなってるな」
「のだっ♡」
「前より空気あるわ」
「実体験なのだっ♡」
「盛ってるけどな」
「盛るのも技術なのだぁ!」
シズカは少し笑っていた。
「…………」
昨夜。
あれだけ泣いていたのに。
もう次の原稿のことを考えている。
「……変なの……」
ワゴン車は山道を走っていく。
海はもう見えない。
だが。
レイの耳には、まだ少しだけ歌声が残っていた。
「……かえせ……」
「のだぁ……」
レイは小さく震えた。
そして。
さらに原稿を盛った。




