17
雪代館・別館。
午前一時過ぎ。
そこは本館とは別世界だった。
廊下は暗く、障子は破れ、天井には黒い染み。空気は異様に冷たく、まるで建物全体が湿った墓みたいだった。
「のだぁ……」
小野田レイは半泣きだった。
なお。
編集者は今頃、本館の露天風呂で日本酒飲みながら温泉を満喫している。
『小野田ぁ〜、なんか出たら呼べよ〜』
そう言い残して去って行った。
最低だった。
「のだぁぁぁ……吾輩だけ労働環境が違うのだぁぁぁ……」
レイは懐中電灯を抱き締めながら震えていた。
隣には白衣の女幽霊。
「……寒い……」
「寒いのだぁ!!」
すると。
廊下の奥。
ズル……
ズルズル……
「のだ」
レイの顔が引き攣った。
暗闇から。
何かが這い出てきた。
男。
女。
着物姿。
旅館の従業員っぽい者。
客らしき者。
全員、傷だらけだった。
頭が割れてる。
顔が潰れてる。
足を引きずってる。
しかも。
人数が多い。
「のだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
レイ絶叫。
だが。
逃げなかった。
なぜなら。
最近、恐怖と商魂が融合し始めていたからである。
「のだ……」
レイは震える手でメモ帳を取り出した。
涙目だった。
「地方伝承とか旅館の秘密とかあったりしますのだぁ……?」
「…………」
幽霊たち。
止まる。
「……あー以外も喋ってなのだぁ……」
完全に記者だった。
しかも怯えながら。
這い出てきた幽霊たちは、逆に困惑していた。
「…………」
「…………」
「…………」
空気が妙だった。
普通。
人間は逃げる。
泣く。
失神する。
なのにこの男。
涙目でメモ帳構えてる。
「……何なんだお前」
頭が割れた男幽霊がボソッと言った。
「のだぁ?」
「なんで取材してんだよ」
「仕事なのだぁ……」
レイは本気で震えていた。
「怖いけどぉ……原稿料があるのだぁ……」
「最低だな」
「生活がかかってるのだぁ!」
すると。
顔半分が焼け爛れた女幽霊が近づいてきた。
ズル……ズル……
「のだぁぁぁ……!」
レイ、涙目。
だが逃げない。
商魂が勝っていた。
「お、お主は何者なのだぁ……?」
「……昔、別館で火事があった」
「のだっ♡」
レイ即メモ。
「火事ぃ!」
「嬉しそうに書くな」
「強い設定なのだっ♡」
「設定じゃねぇよ」
幽霊たちはちょっと不愉快そうだった。
だが。
数十年ぶりに話を聞く人間だったので、なんだかんだ喋ってしまう。
「……昔、この旅館、戦後しばらく裏で色々やってた」
「のだぁ?」
「密輸とか」
「のだっ♡」
「闇市絡みとか」
「昭和なのだぁ!」
「あと別館で怪我人隠してた」
「のだぁ〜〜〜♡」
レイ、どんどんテンションが上がる。
怖がりながら。
「最高なのだぁ!人間の闇なのだぁ!」
「なんでそんな嬉しそうなんだよ」
「読者は大好きなのだっ♡」
すると。
廊下の奥から、別の幽霊がボソッと言った。
「……昔、山神様を怒らせたって話もある」
「のだぁ!?」
レイの目が輝く。
「民俗系なのだぁ!?」
「……この山、昔から変なんだよ」
「続けろなのだっ♡」
「お前さっきから怖がってんのか喜んでんのか分かんねぇな」
「両方なのだぁ!!」
レイは本気だった。
実際、膝は震えている。
だがメモの手は止まらない。
完全に職業病だった。
その頃。
本館露天風呂。
「いやぁ〜〜〜極楽だなぁ〜〜〜」
編集者は日本酒を飲みながら温泉に浸かっていた。
雪見露天。
最高だった。
「小野田便利だわぁ……」
最低だった。
一方。
別館。
「のだぁ……」
レイは完全に怪談座談会を開いていた。
周囲には傷だらけ幽霊たち。
普通なら発狂する光景である。
「でぇ!?この旅館、座敷童とかはいないのだぁ!?」
「知らねぇよ」
「狐とか山姥とかぁ!」
「お前オカルト知識偏りすぎだろ」
「昭和雑誌で学んだのだっ♡」
白衣の女幽霊は少し呆れていた。
「……慣れすぎ……」
「最近、吾輩の人生がおかしいのだぁ……」
レイは遠い目をした。
「去年まで普通の馬鹿大学生だったのだぁ……」
「今も馬鹿だろ」
「うるさいのだぁ!!」
その時。
廊下の奥から。
ギィィィ……
何か重い扉が開く音。
幽霊たちが一斉に黙った。
「…………」
「…………」
「…………」
空気が変わる。
「のだぁ?」
レイだけが置いてけぼりだった。
「どうしたのだぁ?」
頭の割れた男幽霊がボソッと言う。
「……あれ起きた」
「のだぁ?」
「別館の一番奥」
「のだぁ?」
「一番やばいの」
「のだぁぁぁぁぁぁ!!?」
レイ絶叫。
「なんでまだ上があるのだぁ!?」
すると。
廊下の奥。
真っ暗闇の中。
何か巨大な影がゆっくり立ち上がった。
「…………」
「…………」
レイ。
数秒沈黙。
そして。
「のだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
メモ帳抱えて全力逃走。
「撤退なのだぁぁぁ!!記事は十分なのだぁぁぁ!!」
なお。
メモ帳だけは絶対に落とさなかった。




