表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/21

19.


 「女の幸せなんて、どれだけ地位のある男と結婚するかで決まるものですわ」


 そう言ってシャーロットは歯を覗かせ子どものように笑った。


 「だから、わたくし王子様と結婚したいのです」


 「ふん…愚か者だな。そんなことで幸福などと…」


 ルーファスは呆れて言った。


 「愚か者で結構ですわ。夢をみるくらいわたくしの自由でしょう?」



 出会った時からその海の深くを覗き込むような瞳に惹かれた。

 まるでセイレーンの歌声に海へと引きずり込まれるかのように、気がつけば目が離せなくなった。

 儚げな容姿からは想像できないほどしなやかな強さを持つ彼女は、初めから公爵家に生まれたルーファスに怯むことはなかった。気がつけば自分も気遣いなど忘れ、彼女との会話を楽しんでいた。時折歯を覗かせ子どものように笑う…その顔をずっと見ていたいと思いながら。


 しかし、彼女はこちらを向くことはなかった。

 好意を伝えることさえ素直に出来ない自分に苛立ちと焦りを感じていた。

 見失えば海の泡となって消え、二度と会えなくなるような気がした。


 魔法も剣も知識も、自分に敵う者はなかった。

 金も地位もすべてがそろっていた。

 だからアガモット家と取引をして彼女を手に入れるのも簡単だった。

 

 「愚か者…ですわ」


  シャーロットは呆れて言った。


 「あなたは本当に愚か者。ご存じかと思いますが、わたくしの両親は金の亡者でしてよ。あなたのお尻の毛も一本残さずむしり取られますわよ」


 「…令嬢が尻の毛の話をするな」


 「わたくし…長生きはできませんわ。きっと子どもも産めず死ぬと思うのです」


 「…死ぬまでは面倒をみてやる」


 「本当…愚か者」


 シャーロットはそう言いながらもぽつりぽつりと自分のことを話してくれ…最後には自分を受け入れてくれた。


 シャルレーネが産まれると、シャーロットは言った。


 「わたくしはこの子をめちゃくちゃに愛でます。あなたは厳しくしてくださいね。愛されるのは母親の特権、嫌われるのは父親の務めですわ」


 「はあ…」


 ルーファスはシャルレーネを抱え、呆れながらシャーロットを見つめた。


 「この子がどこででも生きていけるように、強い子に育ててくださいね」


 そう言ってシャーロットは笑った。


 シャルレーネが産まれた後も、シャーロットの無謀な行動には何度も怒りを覚えた。


 ある時、流星群を見に行くのだと五歳になったばかりのシャルレーネと護衛も連れず二人で出掛け、夜中になるまで戻らなかった。


 「無能な愚か者は大人しくいていることだ!」


 帰って来たシャーロットにルーファスが激怒すると、シャルレーネは泣き出した。


 「おかあさまはむのうなんかじゃない!おとうさまなんてだいきらい!」


 「嫌いでけっこうだ」


 ルーファスはそう言い捨てて部屋を出ようとした。


 するとシャーロットはシャルレーネに言った。


 「聞いて、シャルレーネ。無能っていうのはね、生きているだけで尊いって意味なのですわ」


 「そうなの?」


 「そう。難しくてややこしいことは人に任せて、だらだらしていることが許される特別な人のことをいうのですわ」


  ルーファスは思わず振り向いて言った。


 「おい…変なことを教えるな」


 「わたくしがこうやってだらだらと楽しく生きていられるのは、すべて愛するお父様のお陰なのです。だから、嫌いだなんて言わないで」


 シャルレーネは泣きながら顔を上げた。


 「心配を掛けてごめんなさい、ルーファス。さあ、シャルレーネもお父様にごめんなさいしましょう」


 「…ごめんなさい。おとうさま」


 「…もういい。お前達ふたりが無事なら。…私もいきなり怒鳴ってすまなかった」


 そう言ってルーファスはシャルレーネの頭を撫でた。

 シャーロットはシャルレーネの顔を覗き込んで笑った。


 「お父様に何を言われても、お母様は平気ですわ。こんなはげったれの言うことなんてへでもありませんもの」


 「誰がはげだ!誰が!」


 ルーファスは思わず声を荒げた。


 「はげったれ?」


 シャルレーネは首を傾げた。


 「いい加減にしろ!シャーロット!シャルレーネが変な言葉を覚えるだろうが!」

 

 「なんですの、陰険じじい。いえ、違いますわね。心配だったからと言って喚きちらすなんてとんだおこちゃまですわ」


 「お前!まったく反省してないだろう!」


 「いんけん…じじい?」


 「シャルレーネ!真似をするのはやめなさい!」


 ルーファスは慌ててシャルレーネの耳を塞いだ。


 「あら、いけませんわ。この子の前では言葉に気をつけなくては」


 そう言ってシャーロットは笑った。 


 シャルレーネが六歳になる頃、シャーロットは頻繁に高熱が出るようになっていった。ルーファスはアビー達に二人を任せて、ルドラ国に通っては新しい治療方法を学ぶようになっていた。


 ふとシャーロットは口にした。


 「そろそろ、わたくしと離縁する頃ではありません?ルーファス」


 「…はあ?」


 「あなたが色々と治療を試してくれたお陰でわたくし死にそうにもないし、でもやっぱり家を継ぐためには男の子が必要でしょう?」


 「ふざけたことを言うな。…子どもはもう持たないと二人で決めたはずだ」


 「本気ですわ。わたくしにそっくりな天使のシャルレーネは、当然王子様に選ばれるとして…」


 「またその話しか…」


 「この家には後継ぎが必要ですわ。ルーファス、あなたには何万人の愛人がおりますの?」


 「…ふざけるな」


 「では、つくるべきですわ」


 「いい加減にしないと本当に怒るぞ」


 「いいえ、わたくし夢だったのです。この泥棒猫!って言いながら愛人と喧嘩するのが」


 そう言ってシャーロットは拳を突き出してみせた。


 「…愚か者が」


 ルーファスは呆れながら溜息を吐いた。


 イブリン・モニーク伯爵未亡人から弟ルーイとの子を引き取るように言って来たのは五年後のことで、それまで離縁するしない、愛人をもつもたないの押し問答は度々続いた。

 養子を迎えることに、ルーファス自身が安堵させられた。


 シャルレーネの婚約が決まった日、ルーファスは真夜中に屋敷へ帰りついた。

 ルーファスは、寝室を訪れると眠るシャーロットを見つめ口元に手を当てた。

 穏やかな呼吸に安堵して、自分もその隣に横になって目を閉じた。


 ふいに唇に柔らかな感触を感じて目を開くと、シャーロットが暗闇で微笑んでいた。


 「…本当にセイレーンみたいだな」


 その微笑みに思わずそう呟くと、シャーロットはむっと口を尖らせた。


 「またそんなことを。…わたくしが超絶音痴なことはご存じでしょ?」


 ふんっと鼻を鳴らして、ルーファスは笑った。


 「喜べ、シャルレーネがエデュラン王子の妻に選ばれた」


 「まあ!本当に?なんて素晴らしいの!」


 そう言ってシャーロットはルーファスに飛びついて来た。


 「容姿だけはわたくしに感謝してもらわなくてわ」


 「ふんっ」


 「でもエデュラン王子は十歳でしょう?いずれもっと若い女がいいとか言い出したりしないかしら。そうなったらシャルレーネが可哀そうですわ」


 「王子が愚か者だったら俺が引き離す。いや、シャルレーネが見切りをつけるだろう」


 「そうね、あなたに似て真面目でしっかりしていますもの」


 「お前…また痩せたな」


 ルーファスはシャーロットの背中を撫でた。


 「このままだと、元々ない胸がもっとなくなるぞ」


 「失礼ですわ。わたくしだって、アビーのように豊かな女性になれるものならなりたいですわ」


 「…あれは太っているだけだ」


 「なんて失礼なことを!」


 「…食事は食べれているのか」


 「ええ、元気にやっていますわ」


 「…家を空けてばかりで悪い」


 「いいのです。…ずっと一緒にいたらうんざりしてしまいますわ」

 

 「…おい」


 「ふふ、冗談ですわ。あなたがわたくしのことを想ってくれていること…よく分かっていますわ」


 シャーロットはそう言って、ルーファスの胸に頬をすり寄せた。


 「…ありがとう、ルーファス。あなたはいつもわたくしに希望をくれるのです。でも、シャルレーネにはちょっと厳し過ぎるんじゃないかしら?あなたを怖がっていますわ」


 「お前が厳しくしろと言ったのだ」


 「そうだけれど…嫌われても知りませんわよ」


 「もう嫌われている。父親は嫌われるのが務めだろう」


 「もう…」


 ルーファスは、シャーロットの頬を優しく撫でた。


 「愛している、シャーロット。お前が生きている…俺はそれだけでいい」


 シャーロットは、ルーファスの手に頬を寄せた。


 「俺のセイレーン、どんなに音痴でも一緒に海の底に落ちてやるよ」


 「まあ、ルーファスったら!」


 シャーロットはそう言って笑いながら拳を振り上げた。


 それからしばらくして、シャーロットは高熱を出した。

 いつもと同じですぐに良くなると…そう思っていた。


 それなのに、ベッドで横になっているシャーロットの脈はどんどんと弱くなっていくようだった。

 シャーロットに付き添っていたルーファスは、身体の震えが止まらなくなった。


 「…アビー、シャルレーネにすぐに来いと連絡しろ」


 シャーロットは首を振った。


 「いつもの熱ですわ。あの子に心配かけないで」 


 「いいから早くしろ!」


 「はい!」


 アビーが部屋から飛び出して行った。


 「愛していますわ、ルーファス」


 そう言って寝台から手を伸ばすシャーロットの手をルーファスは夢中で握った。


 「…愛しているなら…愛しているというのなら…」


 ルーファスは思わず呟いた。


 「俺も…連れていけ。シャーロット。本当に愛しているなら…俺を…呪い殺せ。お前のいない世界など…俺は…」


 「やだ、本当にセイレーンじゃない」


 シャーロットは微笑んだ。


 「…あの子をお願いしますわ、ルーファス…」



 何もかもを捨てた。


 思い出も何もかもを。

 

 そうでなければ、自分が壊れてしまいそうだった。

 いや、もう壊れていたのかもしれない。


 家のために都合のいい妻を迎え入れた。

 何もかもがどうでもよかった。


 ただ生きていた。

 忙しくしていれば、何もかも忘れられると思っていた。

 それでも夜になれば彼女の夢を見た。

 目を覚ました世界のどこにも彼女はいないのに…。

 それが恐ろしくて眠ることが出来なくなっていた。


 『お母様が幸せだったとは思えません!』


 シャルレーネの言葉に打ちのめされた。


 お前に何が分かる!一体何が…!


 でも…そうだ。


 そうなのかもしれない。

 もっと傍にいるべきだった。

 優しい言葉を掛け、気遣うべきだった。

 彼女がうんざりするほどの愛を…伝えるべきだった。


 今からでも遅くないだろうか。

 ずっと…ずっと傍に…。


 気がつくとベッドの上にいた。

 どのくらいの時が経ったのか分からなかった。

 薄茶の猫が、顔を覗き込んでいた。

 彼女を思い出す、深い碧の瞳をしていた。


 「…なんだ、お前」


 「ふみゅー!」


 そう言って猫はいきなり顔を叩いて来た。


 「――っ!な、なんだ、こいつ」


 「ルーファス坊ちゃん!」


 そう言って部屋に飛び込んで来たのはアビーだった。


 「もう…もうこのまま目を覚まさないかとっ!」


 アビーはそう言って泣き出した。


 記憶にないが、部屋に倒れていたらしい。

 クリスが密かに餌をやっていた猫が自分の部屋に入り、大騒ぎして気がついたそうだ。


 「どうか…どうか生きる気力を取り戻してくださいまし、坊ちゃん。シャルレーネ様のためにも…」


 そう言ってアビーが、一通の手紙を取り出した。


 「シャーロット様があなたにこれを。…わたくし捨てられるのではと怖くて渡せなくて…」


 「…あいつが?」


 手紙を受け取り、封を開く。

 懐かしい文字に思いがけず涙が零れ出ていた。


 「…愚か者が」


 彼女らしい、手紙の内容に思わず呟く。


 「…忘れられるものなら…とっくに忘れている」


 ずっと…ずっと流せずにいた涙がただただあふれた。


 あいつはすべてを分かっていた。

 俺の弱さも…何もかもを。


 自分のことで精一杯だった。

 お願いねと言われていたのに。


 いまさらかもしれない。

 いまさらだ。

 でも…まだ終われない。


 手紙が舞う。

 白い鳥に姿を変え、空を舞う。


 その手紙だけは、手放すわけには…!



 「お父様!」


 一瞬のことだった。

 ルーファスの姿はテラスから消えていた。

 シャルレーネは慌ててテラスへと駆け寄った。


 「あらら…そんなに慌てちゃって。意地悪し過ぎたかな」


 エデュランがそう呟いた。


 「す、すぐに治療師を…」


 地面に倒れるルーファスの姿に、シャルレーネは慌てて部屋から出ようとしたが、エデュランがシャルレーネを抱えてテラスの柵へと登った。


 「ごめんね、まさか飛び降りちゃうなんて。でも、きっと大丈夫だよ」


 そう言うと、エデュランはテラスから飛び降り難なく地面に着地した。


 「お父様!」


 シャルレーネはエデュランの腕から降りるとルーファスに駆け寄った。エデュランも傍によりルーファスの身体を仰向けにすると、何かを呟きながら手を翳した。


 「…大丈夫。再生術は必要ない。怪我ひとつないよ。…ほら見て、レーネ」


 勿忘草が咲く草むらの上にルーファスは横たわっていた。

 その胸から覗いていたのは、嘗てシャルレーネが縫ったひどい形の勿忘草の周りにシャーロットが縫った美しい勿忘草の咲くハンカチだった。

 エデュランは、ルーファスを受け止めたであろう木々の枝を見上げた。


 「君の…君と母上の魔法だよ。…彼は幸運を貰っている」


 「お母様が…。本当に…本当に良かった」


 シャルレーネはほっとして微笑んだ。


 「ランバルト卿は体調を崩していたんだよ、シャルレーネ」


 「…お父様が?」


 「夜も眠れず、食欲もなくなって…ほとんど回復薬で生活していた。心が壊れているのを無視して、生きる気力さえ失い…ついに倒れて眠り続けていた」


 「そんな…」


 「彼の悲しみを…僕は知ってる」


  エデュランそう言って目を伏せた。


 「どこに行っても愛する人はいない。何度やり直しても、誰に縋っても、本当に欲しいものだけは手に入らない。僕はドラゴンに生まれ変われて幸運だったけど、彼は違う。…もう二度と愛する人に会えない絶望の中で…生き続けなければならない」


 「お父様…」


 「でもね…君がいたんだ、シャルレーネ。僕にも彼にも…」


 「わたし…?」


 「そう。シャーロット様とルーファス様、二人が出会わなければ生まれなかった君というレアな存在がね」


 そう言ってエデュランは微笑んだ。


 「…彼が目覚めて体調が戻った頃、君がアガモット家でメイドなんてやってることが分かった。きっと自分の言うことなんて聞かないだろうから、父上と取引したんだ。君を助けるためにね」


 「…セドリック様も言っていたわ。お父様と取引したのだと…」


 「う…」


 ルーファスが呻いたので、シャルレーネは顔を覗き込んだ。


 「お父様!…大丈夫ですか?」


 「…ああ」


 むすっとしたままルーファスが言ったので、シャルレーネは思わず声を荒げた。


 「愚か者…お父様の愚か者!手紙を追い掛けて落ちるなんて!」


 「親にむかって愚か者とは…どういうことだ」


 ルーファスは目を開けて言った。


 「お父様だっていつもお母様を無能な愚か者と…」


 「仕方がないだろう…俺は口が悪いんだ」


 シャルレーネは驚いた。

 ルーファスが自分を俺と呼ぶのを聞いたのは初めてだった。


 「俺だってどれだけあいつの口の悪さに耐えて来たと思っている」


 「お、お母様が、口が悪いなんて…信じられないわ」


 「ふんっ、お前は覚えていないだろうな。お前が真似をするから、あいつお前の前じゃ従順な母親面をするようになった。俺が何を言っても澄まして…裏でどれだけ罵られて来たか」


 「罵る?お母様が?」


 「そうだ!人の頭頂部を覗き込んでは、有能な方は…本当に大事なものをどんどん失うだとかなんとか…何とかいいやがって!」


 「…え?」


 シャルレーネとエデュランは思わずルーファスの頭頂部を見つめる。


 「俺はハゲてない!」


 そう言ってルーファスは、身体を起こした。


 「あいつはいつもいつもいつも俺が絶妙に気にすることばかり言って、あんな嘘を信じるのかとけらけら笑いやがって!」


 ルーファスは深く息を吐くとふふふと笑いを零した。


 「…本当に最悪な奴だ。…いや、最悪なのは俺か」


 「お父様…」


 ルーファスは、シャルレーネを見つめると言った。


 「…悪かったな、シャルレーネ。お前も…お前も辛かったのに。俺は…俺が一番辛いのだと思い込んでいた。…何もかもを…すべてを忘れたかった。あいつを思い出すだけで…壊れてしまいそうだった」


 ルーファスは胸元を探ると、勿忘草のハンカチを差し出した。


 「これを持っていけ」


 「これは…」


 「一度お前に返したな。もっと腕を磨けという意味だったが…俺はやはり言葉が過ぎるようだ。あのあと、あいつに将来ハゲる呪いをかけられた」


 ぶっとエデュランが噴き出した。


 「どれだけハゲるの嫌なの…」


 「おい、バケモノ。さっき飛んで行った手紙は偽者だな」


 ルーファスはそう言ってエデュランを睨んだ。


 「そうですよ、本物はあなたの机の鍵付きの引き出しの中です」


 「あの手紙も…シャルレーネ、お前のものだ」


 「いいの…お父様。これと手紙は…お父様が持っていて」


 そう言ってシャルレーネは微笑んだ。


 「わたしがお母様を忘れるわけがないわ。だって刺繍をするたびにお母様を想うから」


 「ふん…そうか。それなら…いい」


 「手放さなくてほっとしてるんでしょう、ルーファスお父様」


 エデュランがそう言うと、ルーファスは目を吊り上げた。


 「うるさい、バケモノめ」


 「お父様!」


 「…そいつは本当にセドリックに似ている。ちゃらちゃらと人をこけにして…」


 「え、嘘でしょ。ごめんなさい…」


 「ふんっ」


 シャルレーネは目を伏せた。


 「お父様…ごめんなさい。以前お父様にひどいことを言って…本当にごめんなさい」


 ルーファスは黙っていた。


 「わたし…お父様に愛人がいたことも子どもがいたことも…許せなくて」


 「レーネ、それはきちんと説明しなかったルーファスお父様が悪いと思うけど」


 そうエデュランが口を挟んだ。


 「どうせわざわざ知らせる必要はなーいとか自棄になってたんじゃないの?」


 「…うるさい」


 「…お母様は…いつも幸せだと言っていました」


 「…どうかな」


 「だって、出会った時からまるでおとぎ話の王子様みたいだったって。わたくしの王子様はあの人しかいないって…そう言って…笑っていたから」


 「ふんっ」


 ルーファスは、そう言って微笑むとシャルレーネの頭を撫でた。


 「お前も…頑張っているようだ。あいつそっくりの無謀だが」

 

 その言葉と優しい手に、シャルレーネは胸がいっぱいになった。


 「ずっと守ってくださって…ありがとうございます」


 「…俺じゃない。セドリック王のお陰だ」


 そう言ってルーファスは笑った。

 ルーファスはエデュランの方を向くと言った。


 「で、俺に何の用事で来た」


 エデュランはもじもじと手をすり合わせた。


 「…それは、結婚の了承をもらいに…」


 「すでに一緒に暮らしているくせにか?」


 「そ、そんな僕等は未だに清い関係で…!」


 「俺の了承など不要だろう。いいから要件を言え」


 「はーい」


 エデュランはそう言いながら、どこからともなく何かが書かれた書類を取り出した。


 「これが僕の暗殺に関わった方々の名前です」


 ルーファスは顔を顰めた。


 「…俺が苦労して調べ上げていたことをこうも容易く…」


 「で、強制的に記憶を覗こうとして闇の魔石を作り出したわけか。天才ですね、お父様」


 「うるさい」


 「あなたが、僕が入れ替わっている可能性に気づいたのは、四年くらい前ですよね。体調が戻ってから、偽のエデュランと会って…彼から異様な気配を感じた。で、その後めちゃくちゃ怖がられて接触できなくなった」


 「…どうして偽者はお父様を怖がったの?」


 「ルーファスお父様は、魔力探知が得意なんだ。ロバートさんみたいにね。だから、自分が闇のドラゴンの鱗を持っていると見破られる可能性があった」


 「なるほど…あの闇の気配。魔力を打ち消すと言われる嘗ての魔王の力だったのか。そんなものが本当に存在するとは…」

 

 ルーファスは大きな溜息を吐いた。


 「不信感を抱いたあなたは父上と接触して、この四年僕の…偽者の周辺の調査を命じられた。父上が亡くなった後もそれを続けていたんだ。ライオットに目を付けていたのは、シャルレーネと僕の婚約が白紙に戻された直後、彼がシャルレーネとの婚姻を望んで来たからでしょう?」


 「なんですって?」


 「そう…彼が恋をしていたのはシャルレーネ、君なんだ」


 「ふんっ、あれは恋などではない」


 ルーファスは鼻で笑うと言った。


 「あいつにとってシャルレーネは…そうだな、言わば勲章に過ぎない。己が王子に勝ったという勲章だ。シャルレーネが戻っていないと知ると、あいつは豹変した。シャルレーネのことを口汚く罵って去ったそうだ。俺は知らないが…クリスがそう言っていた」


 「あなたには、ルドラで学んだ医術の知識があった。だからこそ、ジュリエッタの治癒術を疑った。僕もあなたの記憶が無ければ分からなかったかも」


 「…俺の記憶を勝手に散々探りやがって…くそが」


 「あ、くそっていった。公爵様のくせに」


 「うるさい」


 「シャーロット様を救うために、あなたはずっとルドラの技術を学んでいた。領地の仕事もあって忙しいだろうに」


 「…お父様」


 「努力する者は無能じゃない。…あなたはそう言って領地の仕事を色々な人たちに託している。貴族とかそうじゃないとか関係なく。ランバルト家が繁栄しているのはそのお陰だ」


 「…俺は面倒が嫌いなだけだ」


 「忙しいのに、それでも毎日毎日ちゃんと家に帰ってシャーロット様の様子を伺ってたんだ。すごい人だ」

 

 「ふんっ」


 ルーファスはエデュランから渡された紙を捲った。


 「…これは預かる。審問官に渡せば、自白など容易いだろう。闇の魔石を作り出すまでもなかったな」


 ルーファスは立ち上がると、エデュランの前に立った。


 「だが、お前がこれ以上王室に関わることを俺は許さない。…オディール女王にその正体を明かすことも」


 「お父様…そんな…」


 「闇の力は未知とされ恐怖の対象であるのは変わらない。魔王の力をもつお前が王室に関われば、この国を揺るがす事態となりうる。俺はそれを望まない」


 エデュランは唇を歪ませて笑った。


 「なんでですか?姉上に会わせてくださいよ。それに…望まないってどうするつもりですか?…僕に勝てると…お思いで?」


 「エデュラン…」


 「…絵をやろう」


 「絵?」


 エデュランもシャルレーネも首を傾げた。


 「シャルレーネが赤ん坊の頃から何度か有名絵師に描かせた…」


 「その取引のった!」


 そう言ってエデュランはがしりとルーファスの手を握った。


 「全てはやらん。何枚か…だ」


 「…お父様」


 半ば呆れながらシャルレーネはエデュランとルーファスを眺めた。


 「…なんてね」


 そう言ってエデュランはルーファスの手を離した。


 「大丈夫、初めから姉上に僕のことを話すつもりはないですよ。いろいろ調べてくれていたあなたには悪いけど、みんなの記憶はいじらせてもらいました。王子の入れ替え計画は…初めから存在しなかったってね」


 「そんな…エデュラン」


 「初めから王子の命を奪うことが目的だったが、失敗。運よく生き残った王子は顔と記憶を失ったが、ルドラの技術を利用して美男になって復活。調子にのって、愛人をつくって失踪…それが姉上にとって都合がいい」


 「そんなことないわ。どうしてそんなことを言うの?オディール様はあなたを…」


 シャルレーネは思わずエデュランの腕を握った。


 「僕が父上に代わってニア村に行くと決まったのは、急なことだった。でも、それを…この計画の首謀者であるノスタクス家に明かしちゃったのは姉上なんだ」


 「そんな…オディール様が?」


 「…なるほど、そこまで知っているのか」


 ルーファスがそう言って溜息を吐いた。


 「情報が漏れたのはオディール女王のせいではい。メイドのランシュ・ガナットだ。オディールの手紙を利用して、ノスタクス家に情報を流していた。ランシュはオリヴィアを敬愛していた。セドリックの子を殺し復讐したいと考えていた」


 「…僕の入れ替えが完了して、ランシュはメイドの仕事を辞めた。姉上が女王になってさぞかし喜んだことだろうね」


 「ランシュの居場所を見つけるのも苦労したというのに…お前は彼女の記憶もいじったのか」


 「まあね」


 「こうも人の記憶をいじり回せるとは…呆れた魔法だ」


 「きっと姉上は、どんな姿でも僕が帰って来てほっとしたんじゃないかな。自分のせいじゃないってね。で、記憶を失った弟の代わりに女王にもなれて好きな人とも結婚出来た。…それでいいんだ」


 「…オディール女王を…姉を恨みはしないのか」


 「まさか。今でも大切な姉上ですよ。いつか彼女のために、僕は洗脳の魔法を使いたくなるかもしれない。だから…これ以上関わらないのが正解だ」


 「エデュラン…」


 「でも…会うくらいはいいでしょう?…エデュランじゃないなら」


 そう言ってエデュランはルーファスを見つめて微笑んだ。


 「ふんっ…勝手にすればいい」


 「そういえば、ニア村へはルーファスお父様が僕の護衛に騎士団を出してくれたんでしょう?何かが起こると分かっていたの?」


 「護衛騎士を出したのは俺じゃない。俺はそのころは…ああ、あまり記憶がないな。すべてクリスとイブリンに委ねていた」


 「もしかしてジュリエッタの願いをイブリンが叶えたのかもね。傷ついた王子様をすぐにでも助けてあげようと…」


 「じゃあジュリエッタは、すべて分かっていたの?」


 「まあ彼女にとって起こるのは、入れ替えじゃなくて王子様が呪いにかかる…だったんだろうね」


 シャルレーネはぞっとした。


 「なんてこと…。それなら止めることだって出来たはずなのに」


 「ふんっ、まあいい。…これで面倒な貴族至上主義共も追い出せる。久々によく眠れそうだ」


 「頼りにしています、お父様」


 そうエデュランが言うと、ルーファスはエデュランを睨んだ。


 「お父様と呼んで良いと許可した覚えはないが?」


 「えー、娘さんを僕にください」


 「もう奪っているだろうが。…俺は忙しい」


 ルーファスは再び振り払うような手つきすると、背中を向けた。


 「あ、仕送りはもういいですよ。僕お金持ちなんで」


 「ふんっ」


 「またすぐきます。絵の用意しといてくださいね」


 エデュランの言葉に、ルーファスは振り向かず歩き続けた。

 シャルレーネは思わず駈け出して、ルーファスのシャツの背中を掴んだ。


 「お父様…勝手なことをたくさんして…ごめんなさい。でも…わたし、エデュランときっと幸せになります」


 ルーファスはシャルレーネをちらりと見て言った。


 「愛想をつかせたら…いつでも帰って来なさい」


 シャルレーネはその言葉に微笑んだ。


 「…はい」


 「ひどい…」


 エデュランがぼそりと呟いた。

 シャルレーネはルーファスから離れると、エデュランの元へと向かった。



 エデュランは庭で黒いドラゴンに姿を変えると、シャルレーネを乗せて飛び立った。


 「…本当にでかいドラゴンになりやがった」


  ルーファスはそう呟いて空飛ぶドラゴンの姿が見えなくなるまで見送った。


 「魔王だなんて…王子様どころじゃないな。シャーロット」


 「なーん」


 そう声がすると、足元にロッティが纏わり付いて来た。まるでロッティが返事をしたような気がしたので、ルーファスは思わず微笑んで抱き上げた。


 「なあ、ロッティ。お前もそう思うか」


 「なーん」


 ふいに魔法が解けた気配がした。


 「お父様!お父様!」


 「坊ちゃん!」


 そう言いながらルパートとアビーが庭に飛び出して来た。


 「お部屋にいないと思ったらこんな場所に!一体どうし…」


 ルパートは人間の形に倒れた勿忘草を見てはっとした。


 「身投げなんて…僕を見捨てるつもりですか!」


 「…二階くらいから落ちたくらいで、この俺が死ぬわけがないだろう。まったく、父と呼びたければ呼べと言っているのに…」


 アビーが涙をハンカチで拭き始めた。


 「せっかくお嬢様と再会できたと言うのに!命を軽んじるなんて…あんまりです。坊ちゃん!」


 「坊ちゃんはやめろ、アビー」


 ルーファスは深い溜息を吐き、そしてふんと鼻で笑った。



 明るい空の下、流れる雲を見つめながらシャルレーネはエデュランに言った。


 「信用している人って…お父様だったのね」


 『まあね』


 「教えてくれていたら良かったのに」


 『だって、僕が言っても君は絶対一緒に行くって言わなかったでしょ?』


 「…そうかも知れないけれど」


 シャーロットはいつも笑っていた。

 ルーファスに何を言われてもいつも、笑って耐えているのだと思っていた。

 だからこそいつもルーファスに腹を立てていた。


 でも…。


 「お母様とお父様の話…もっと聞いてみたかったわ」


 『あの人にハゲとか言えるんだから、すごい母上だよね』


 「ふふっ、そうね」


 シャルレーネは優しくエデュランの背中を撫でた。


 「ねえエデュラン」


 『なあに?』


 「最後は…あなたに任せる」


 『…何の話?』


 「わたしと一緒に終わるかどうかは、あなたに任せる。最後は契約を破棄してもいい」


 『まさか番の契約の話?なに言ってるの、破棄するわけ…』


 「…あなたを愛しているわ、エデュラン。わたしをあなたの奥さんに…」


 ふいに宙に投げ出されるような感覚に、シャルレーネはひゃっとした。


 「…いやっ!」


 しかし、次の瞬間には人間のエデュランの腕の中にいた。


 「ひどいよ、レーネ!」


 「…ひどいのはあなたじゃない!いきなり…」


 「僕がどれだけロバートさんに相談してプロポーズ大作戦を考えていたか!」


 「…え?」


 「だ、だって、一度断られたから…。やっぱり雰囲気が大事かなって…夜景の見える場所とか豪華な夕食食べた後とかいろいろ、いろいろ…考えていたのに」


 「じゃあ…それを待っていた方がいい?」


 「え…い、いや。ちょ、ちょっと待って…」


 エデュランは、軽く咳払いをした。


 「シャルレーネ…僕も君を愛している。だから…僕と番になって一生傍にいてくれる?」


 「…ええ。もちろん」


 シャルレーネは微笑むとエデュランの首へ手を回し、その唇に唇を合わせた。

 その時、エデュランとシャルレーネ、互いの手首を結ぶように黒い文字が浮き上がった。それは、エデュランが初めにキスをしたときと同じように見えたが、黒から金色に色を変えて光を散らしながら消えた。


 「何…今の?」


 「…なんだろう。エラにも聞いたことない…」


 そう言ってエデュランは、文字の消えた手首を見つめた。


 「…もしかして、僕からの一方的な番関係じゃなくなったってことなのかな」


 エデュランは、嬉しそうにシャルレーネの手に手を絡めて微笑んだ。


 「…君から唇にキスするのって初めてだね。いや、猫の時以来かな」


 「そ、そう?」


 「…僕から無理やりしてばかりじゃ嫌がられるかなって…ちょっと心配だったんだ」


 「だ、だって恥ずかしい…じゃない。あなたはいつも平気な顔しているけれど…。初めてキスした時だって、わたしばかりどきどきして…」


 「…そんなことない。僕も…どきどきしてたよ」


 エデュランが再び顔を近づけて来ると囁いた。


 「絶対もう一回しようって…思ってた」


 エデュランはシャルレーネの唇を優しく食むと、今度はさらに深く何度も何度も唇を合わせた。エデュランの唇がシャルレーネの輪郭を辿るように顎、首筋へと這う。首筋に唇の濡れた感触が落とされると、シャルレーネの口から思わず吐息が漏れる。


 「…今日からは一緒に寝るから」


 そうエデュランが首筋で囁くとぞくぞくとする。


 「…今だって一緒に寝ているわ」


 思わず意地悪くそういうと、エデュランが耳元で笑いを漏らし顔を上げた。


 「ノエじゃなくて、僕のままで…てこと。…だめ?」


 そう熱の籠った上目遣いで言われるとシャルレーネはうっと言葉を詰まらせる。


 「昔…学んだけれど…こ、こういう場合年上のわたしが…あなたを導かないと…いけないのよね?」


 エデュランが目を大きく見開いた。

 その顔にシャルレーネの頬はますます熱くなる。


 「…出来るか…分からないけれど…努力するわ」


 エデュランは嬉しそうに歯を覗かせ、屈託のない笑顔を浮かべるとシャルレーネを思いきり抱き締めた。


 「やっぱり僕のレーネは最高だ!」


 「ちょっと、エデュラン!」


 エデュランの背中を撫でながら、シャルレーネはふとここが空の上だと言うことを思い出した。


 人の姿のままエデュランは浮いている。


 「…ねえ、この姿でも空…飛べるの?」


 「え?…うん」


 「じゃあ、今まで落ちて姿を変えていたのって…」


 エデュランは顔を上げると、何度も瞬きしてにやりと笑った。


 「だって君が思いきりぎゅーって抱きついてくれるのが嬉しくて」


 「もう!」


 シャルレーネは、エデュランの頬を思いきりつまんだ。


 「このぷにぷにドラゴン!」


 「あたたた!もう違うってば!」

 

 エデュランはそう言いながら、楽しそうに笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ