3話 神に愛された男(2)
女の人が両手を頭の後ろにやりながら、あたしと聖くんの方に歩いて来る。聖くんがレイ……と零す。そして女の人があたしに視線を向ける。
いつもは聖くんが通訳の魔法で話してくれていたけど、国が違うから言葉が分からないことを理解したあたしは、自分でも通訳の魔法を使う。
「だれ」
通訳の魔法で言葉の意味が伝わってきたあたしは、ホッと胸を撫で下ろす。女の人の言葉に、聖くんが念話で答えたなんてあたしは気づかない。女の人はあたしをしばらく見ると、ふーん? と声を漏らす。
そして両膝にそれぞれ右手と左手を置くと、背中を曲げてあたしと少し目線を合わせた。
「おれはレイヴィア。レイヴィア・エルヴィア・エレトフィア。よろしく」
「おれ……?」
女の人が名乗る。あたしは聞こえた一人称にそう漏らした。幼いあたしを気遣って、女の人も通訳の魔法を使ってくれたことに気づかずに。
「そ、おれ。性別は一応女だけどな」
両膝から手を離し、背中を元通りに伸ばしてそう言うレイヴィアさんことレイちゃんの言葉に、聖くんが口を開く。
「あんたは馴染みがないだろうけど、レイは昔からおれだから。気にするだけ負け」
「そ、そうなんですか……」
王族として暮らしていたあたしは、女なのに男が使う一人称を使っているレイちゃんに衝撃が走った。そんな人がいるなんて、当時のあたしは考えもしなかったんだ。
あたしが聖くんの言葉に反応すると、世の中色んなヤツがいるって話。とレイちゃんが反応する。
「……で? アンタの名前は?」
「ぁ、アメリア、です……」
レイちゃんの問いにあたしはぎこちない様子で名乗る。
「そ。よろしく、アメリア」
そう言って、レイちゃんは屈むと右手を差し出した。あたしの国でも自己紹介の挨拶とともに握手をする習慣はあったから、あたしはおずおずと手を握る。その様子に、レイちゃんの口元が軽く弧を描いた。
「レンは……?」
聖くんがそう訊ねると、レイちゃんは聖くんに視線をやって。屈んでいた背を伸ばすと答える。
「悠と任務。まあ今は悠次だから? 柚葉でも追っかけてるかもしれねぇけど?」
「……、柚葉は?」
「悠次に追っかけられて逃げてるんじゃねぇの?」
なに、柚葉に用事? と聖くんに訊ねるレイちゃん。
「魔界からの追っ手に追われてるんだよね」
「おまえ休暇中に何してんだよ」
「俺じゃない」
聖くんがそう言えばあたしを見るレイちゃん。聖くんが続ける。
「詳しくは後で話すけど、捜索の魔法とかで万一見つからないようにしてほしいわけ」
「結界の外にでも行くの」
「行けないのは不便でしょ」
「そりゃそうだけど」
……で、おまえらここで何してるの。とレイちゃんが続けて言う。内容聞きに来ただけ。と聖くんが反応すれば、レイちゃんは少し眉を寄せて怪訝な顔をした。
「まさかと思うけど、つれて任務行く気なわけ」
「……護るのは俺の役目だし当然でしょ」
「……アメリア、アンタ何歳? 見たところ5から7歳くらい?」
聖くんの回答に、あたしを見てそう言うレイちゃん。
「5歳です」
「ふーん? 歳のわりに高いんだ、背」
「3.9ftくらいです」
「ああ、ほぼ119㎝か」
通訳の魔法は魔界でのフィートの単位すらも変換する。レイちゃんはこの国の単位を口にして理解した。――次の瞬間、突然両開きの右のドアが勢いよく開く。内側から押されてあたしらのいる廊下の方に勢いよく開いた右のドア。それをぶつかる直前で聖くんが躱す。
「ぶねぇぞ!」
と、危ねえのあを無くした音を発するレイちゃん。あたしは現れたその女の人を見上げる。女の人の長くて赤いズボンが印象に残った。その見たことのない衣服に幼いあたしは目を見張る。
その赤いズボンを袴と呼び、その衣服を巫女装束と呼ぶことなんて当時のあたしは知らない。
長い黒髪を下の方で纏めている、巫女装束を着たその女の人は、聖くんとレイちゃんを見ると、応援に行ける――? と言った。
「いや、いきなりなんだよ」
応援? なんの。とレイちゃんが続ける。
「ルーカスの」
と女の人が答えると、レイちゃんが続けて。
「ルーク? なら〈Believe in hope〉に任せればいいんじゃねぇの」
そう話す。幼いあたしは『希望を信じる』に任せる? とよく解らずにその会話を聞くしかできない。
「一緒に派遣したに決まってるでしょ」
そう女の人が言うと、レイちゃんが更に言う。
「団員全員派遣するわけないだろ」
「派遣してます」
「はぁ?」
そこで聖くんが口を挟んで、ルークはなんの任務に行ってるの。と女の人に訊いた。
「麗樹の防衛と魔族捕獲もしくは討伐」
(!)
あたしは魔族捕獲もしくは討伐という言葉に、目を見開いて耳を疑った。レイちゃんも目を見開いて。
「魔族? なんで魔族が……」
そうレイちゃんは口にすると、思い当たったかのようにあたしの方を見た。それを間髪入れずに聖くんが言う。レイ、何も言うな。と。
魔界からの追っ手にあたしが追われてるとさっき言われたことが繋がって、幼いあたしを見たんだと思う。魔界に住むのは魔族と魔族に従う種族、魔獣、魔物、ドラゴンに虫とかしかいないから。
「俺が行く」
聖くんがそう口にした。
「……そういうことならおれも行くわ」
レイちゃんがあたしから女の人と聖くんに向き直るとそう言う。
「俺1人でいい。そのかわり、レイと紫桔舞はアメリアを護って」
「……解ったわ」
レイちゃんは幼いあたしを見てそう言い、女の人、紫桔舞さん? ことしーちゃんはあたしを見て頷いた。
聖くんはあたしの方に来てしゃがむと、左手であたしの頭を優しい手つきで撫でる。そしてあたしを見つめると言ったんだ。
「少しいなくなる。あんたを追っ手だと思うヤツのトコに連れてくわけにいかないから。だから、傍にいられなくてごめん。すぐ戻って来るから、待ってて」
……安心して。レイも紫桔舞も強いから。それに、ここに誰の許可もなしに魔族は入って来れないから大丈夫。そう、聖くんはあたしを安心させようと説明する。
幼いあたしは、この時点で聖くんらがあたしと同じ種族じゃないことに気づかなくて。後々そのことが問題になるなんて思いもしないんだ。
「1人で行くんですか……?」
あたしは心配で不安な顔を聖くんに向ける。聖くんはあたしの様子に口を少し開けるものの、言葉を発するまで少し間が空いて。そしてあたしの頬に左手を添えると、――ありがと……。と聖くんは静かに口にした。
何に対してのお礼の言葉なのか、幼いあたしには解らなかった。けどそれはあたしが聖くんを心配した事に対してだと思う。
「……心配しなくていい。何かあれば瞬間移動で逃げるから」
そう言うと、聖くんは立ち上がる。そしてレイちゃんとしーちゃんを見ると、――行ってくる。そう言い残して、聖くんは瞬間移動の魔法を使ったんだ。