1.DAY-6 九月二十三日(火) ハワイ・マウナケア天文台
標高四二〇〇メートル。 空気は薄く、夜空は異様なほど澄んでいた。
観測所の外では風が唸り、ドームの外壁を絶えず揺らしている。だが空調の効いた観測室のなかは、機器の低い駆動音だけが満ちる静寂だった。
夜勤は三人。
エレナはふと顔を上げ、壁の時計を見た。
家では娘のリサが、もう眠っているころだろう。週末のピアノの発表会が近く、このところずっと機嫌が悪い。今朝もろくに挨拶もせず、むすっとしたまま学校へ出ていった。
発表会まであと三日。それが終わったら、あの子の好きなレストランを予約してやろう。
そんなことを考えながら、ぼんやりとモニターへ視線を戻した。そのときだった。
エレナの指が止まる。
「……待って」
自動サーベイの連続画像。その一枚に、昨日まで存在しなかった光点があった。
「これ、何?」
向かいの席でデータ整理をしていたカイが顔を上げる。
「ノイズじゃないのか? CCDのホットピクセルとか」
「違う」
エレナは短く答えた。
「三枚連続。同じ位置に出てる。……それに、動いてる」
その声に、一番奥でログを確認していたマイケルが椅子を回した。
「どのくらいだ」
エレナが計算を走らせる。数秒。
表示された数字を見て、彼女は眉をひそめた。
「……秒速二百六十キロ」
「は?」
カイが笑いかけて、止まった。
マイケルが無言で端末を引き寄せ、自分で計算する。
やがて、ゆっくり顔を上げた。
「……誤差じゃない」
観測室の空気が変わった。
外では風が吹き荒れているはずなのに、妙に静かだった。
「そんな速度の彗星、あるわけがない」
カイの声がかすれていた。マイケルは答えず、画面を見つめている。そこにあるのは、確かに光点だった。けれど、それは既知のどんな軌道にも当てはまらない。エレナは逆算プログラムを起動した。演算結果が次々と弾き出される。そして数十秒後、彼女の顔から血の気が引いた。
「……おかしい」
「何がだ」
「軌道が、つながらない」
マイケルが身を乗り出す
「どういう意味だ」
「昨日の観測にも、一昨日の観測にも存在しない。逆算しても、どこにも行き着かないの」
エレナの指先が震えていた。
「まるで……今日、ここに突然現れたみたいに」
カイが小さくつぶやく。
「空間に……沸いた?」
誰も否定しなかった。
モニター上の光点は、ただそこにある。あまりにも確かに。エレナは画像をさらに拡大した。そして息を呑む。
「尾が……二重になってる」
「二重?」
「光の尾の下に、もう一本ある。影みたいな……黒い尾」
カイが無言になる。マイケルの目だけが鋭く細められた。
「……これは彗星じゃない」誰に言うでもなく、彼はつぶやいた。
「〝何か〟が、太陽系に侵入した」
その言葉が観測室に落ちる。
「何だって?」
カイが振り向く。エレナはかすかに笑った。
「昨日まで存在しなかったものが、突然現れて、どこから来たのかもわからない」
青白い光が、彼女の横顔を照らしていた。
「……まるで亡霊みたい」
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて、マイケルがゆっくりとうなずく。
「いい名だ」
そして、モニターの向こうに浮かぶその光点を見つめたまま、低く言った。
「世界は、そう呼ぶことになるだろう」
2.DAY1 九月二十九日(月) 奈良県桜井市
九月二十九日、今日、姉ちゃんがいなくなった。
ぼくは四年生で、澪姉ちゃんは六年生だ。
姉ちゃんは六年生になってから、ずっと機嫌が悪かった。学校であっても知らん顔をする。去年までは、ぼくを気にかけてくれて、ときにはいじめから守ってくれたこともあったのに。




