プロローグ 『兄妹の朝のバカ話』
はじめまして。
この作品を読んでくださったすべての方に、心より感謝いたします。
少しでも楽しんでいただけたなら、これ以上嬉しいことはありません。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 早く起きて! 大変だよっ!」
朦朧とした意識の中、何か重いものが身体の上に乗っているような感覚があった。そのせいで、思うように身動きが取れない。
あどけなさの残る声。そして、布団の上から俺を必死に揺さぶるその小さな手。その二つだけで、誰が俺を起こそうとしているのかはすぐに分かった。
「……うぅ、玲、やめてくれ……。今すごく疲れてるんだ。昨日の夜、友達とゲームしてたら深夜までやっちゃってさ。それに、何回言えば分かるんだ?兄ちゃんの上に乗るのはやめろって。朝っぱらから、まだ目覚ましだって鳴ってないんだぞ。腹が減ったなら、冷蔵庫にある調理済みのやつを自分で温めて食べてくれ。」
「早く起きて! 大変なことが起きたんだから! まあ……可愛い妹であるこの私のお腹がぺこぺこで、ぐぅぐぅ鳴ってるっていうのも大事件ではあるけど……って、そこは今どうでもいいから!」
まだ意識は完全には目覚めていなかったが、その声の調子から察するに、どうやら妹は俺に何かを伝えようとして、かなり焦っているらしい。
「……分かった分かった。ほら、起きたから。これでいいだろ?」
眠気の残る目をこすりながら、大きなあくびを一つして、上半身を起こした。ちょうどその時、俺は妹と目が合った。
「今日から私は正式な国会議員になったのよ! すごいでしょ! だから早く朝ご飯を作って、私に食べさせなさい!」
俺が身体を起こして彼女を見つめていることに気づくと、妹は自信満々に自分のあまり成長していない胸をぽんと叩きながら、先ほどの宣言を口にした。
そんなわけで、俺の一日は、俺の上に平然とまたがる妹と、意味不明な一言から始まった。
「はいはい、すごいすごい。じゃあ俺はもう少し寝るわ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は妹を「何言ってるんだこいつ」と言わんばかりの目で二秒ほど見つめ、何事もなかったかのように布団へと再び潜り込んだ。
……こいつはいったい朝っぱらから何をわけの分からないことを言ってるんだ? 寝起き早々、頭がおかしくなったのか。
まあいい。徹夜のせいで頭が痛いんだ。もう少し寝ておこう。
「起きてよー! お兄ちゃん! ほら、早く起きた起きた!」
玲は相変わらず諦める気配もなく、俺の周りでしつこく騒ぎ続けていた。
「はぁ……分かったよ。ほら、来いって。朝飯くらい作ってやるから、もう大人しくしてろ」
あいつの性格上、無視したところで諦めるわけがない。俺の二度寝の夢はあっさりと打ち砕かれ、仕方なく重たい身体を起こして布団を剥いだ。
「お兄ちゃんが最高に美味しい朝ご飯を作ってくれたら、この私の秘書に任命してあげてもいいんだからね」
俺が料理を作ると聞いた途端、玲は再び偉そうな口調に戻り、まるで俺に新しい役職でも与えるかのように話し始めた。
「さっきの設定、まだ続いてるのか? 俺を起こすために、よくもまあそんな適当な話を思いつくよな」
俺はベッドから起き上がり、部屋を出た。二人で他愛もない話をしながら、ゆっくりと歩いてキッチンへ向かう。
「嘘なんかついてないもん! 全部本当のことだってば!」
「はいはい、そうですねー。サンタもユニコーンも存在するんですねー。分かりましたよ、議員先生。おはようございます」
俺は冷蔵庫からハムやベーコン、卵、それから蛋餅を取り出しながら、玲とくだらない会話を交わし、ついでに妹をからかっていた。
ここまでの会話を聞いていれば分かるだろうが、玲はどうやら「議員」という謎の設定に、すっかり入り込んでいるようだった。
嘘をつくのは良くないことだ。兄としては、ここでちゃんと妹に注意してやるべきなのだろう。
まあ、あまりにも間抜けで、逆に可愛げがあるし、見ていて面白くもある。だったら無理に止めるほどのことでもないだろう。
所詮はちょっとした冗談だ。周りが聞いて笑って、そのうち忘れてしまう程度なら、それも悪くないだろう。退屈な休日に、少しくらい面白い出来事が増えたと思えばいい。
「お兄ちゃん、絶対信じてないでしょ! 私が言ってること、本当なんだからね!」
俺が何度も見せる適当な態度やからかうような口調のせいで、玲は頬を膨らませながら、ぶつぶつと不満を漏らし続けていた。
どうやら玲は、本気で俺にその「議員」という設定を信じさせて、しばらくこの茶番に付き合ってほしいらしい。
「……はぁ、ほんと何て言ったらいいんだよ、お前は」
頬をぷくっと膨らませ、食卓に座った玲は、箸で机をこんこん叩いたり、手でぺしぺし叩いたりして不満を全身でアピールしている。そんな妹の姿を見て、俺は心の中で深いため息をついた。
この実の妹は、いつもこうして騒がしいところと、少々残念な頭の出来を除けば、普通に可愛いと言えるんだがな。まったく、実にもったいない話だ。
……なるほど。これが世間でよく言われる「残念系美少女」ってやつなのかもしれない。
「分かったよ。お前がそれを将来の目標にしたいって言うなら、それでもいいんじゃないか。政治家になるのも悪くないだろ。なんだか儲かりそうだしな。まあ、選挙とか街頭演説とか、具体的にどうやるのかは俺には分からないけど、とりあえず今はちゃんと勉強しろ。そうすれば、将来何をやりたいと思っても、きっと大きな問題にはならないから。」
世の中の親たちがよく口にするような台詞を何気なく口にしながら、俺は気だるげに大きく伸びをした。そして、そのままコンロの前へと立った。
フライパンに油を引き、火を入れる。最初にベーコンとハムを焼き上げ、皿に移して出番まで待機させておく。
続いて、蛋餅を入れて焼き、ひっくり返す。そこへ卵を落とし、黄身を潰して皮全体に広げていく。
もう一度ひっくり返し、先ほど焼いておいたベーコンとハムを乗せる。そして、端からくるくると巻いていく。
あとは完成した蛋餅を食卓へ運ぶだけ。こうして、簡単な朝食作りは無事に終わった。以上、俺がお送りする『朝飯ひとつで、うちの残念な妹の妄言を止める方法』講座でした。
特に注目する必要もないし、チャンネル登録も不要だ。来週の同じ時間に、俺たちがまた会うこともないだろう。
「さあ、受け取るがいい。偉大なる兄様が丹精込めて作った至高の一品を」
俺は二皿の蛋餅を食卓へ運び、自称「議員」の妹と一緒に朝食を取る準備をした。
「おお! それはそれは、たいへん素晴らしいことでございますね!」
「ありがとう」
「いやぁ、素晴らしい自画自賛ですねぇ。……でも実際はただの普通の蛋餅じゃん。近所の朝飯屋のおばちゃんのほうが百倍上手に作れると思うよ? しかもここ、ちょっと焦げてるし。」
玲は箸で蛋餅をつんつんと突きながら、眉間にしわを寄せる。そして、まるで一流の料理評論家気取りで評価を始めやがった。……まったく、可愛げのない妹だ。
「文句があるなら食うな! 朝っぱらから人の上で跳ね回って無理やり起こしたと思ったら、今度は適当に国会議員だなんだと吹かしやがって……。お前、自分が偉くなったつもりかよ。今日という今日は、この兄貴がしっかり教えてやる。年上を敬う心ってやつと、家の中での立場ってものをな!」
もともと寝不足で機嫌が悪かったところに、玲のあの人を小馬鹿にしたような顔が目に入った。その瞬間、俺の中の我慢の糸が切れ、思わず声を荒げてしまった。
そして俺は、玲に出してやった蛋餅の皿までひったくるように回収し、自分の前へと引き寄せた。
よしよし。これで朝飯は二人分、全部俺のものだ。
「やだよ! 私、お腹空いてるんだから! それに今は外に出るわけにはいかないの。自分で朝ごはんを買いに行くこともできないんだから。だって今の私は議員なんだからね」
「……は? 外出禁止ってこと? いや、なんでだよ」
「だから、パパラッチだってば! マスコミの記者とか! いっぱい追いかけてくるんだから!」
「お前、本当にその設定に入り込みすぎだろ……。その無駄に高い集中力、少しは勉強にも分けてくれよ」
どうやら玲は、まだまだその脳内設定による一人芝居を続けているようだった。
自分を国会議員という設定にしたものだから、今度はそこから派生して「家の外にはマスコミが待ち構えている」という新たな妄想まで完成させているらしい。
まあ、あれに近いものだろう。海外の子供がよくやる『The Floor Is Lava』っていう遊びだ。
床は溶岩だと本気で想像して、ソファやテーブルみたいな高い場所だけを安全地帯にする。そんな、子供の想像力だけで成立する遊びだ。
とはいえ、玲の場合はルールが少し違う。
床が溶岩になる代わりに、家の外には大量の記者が張り込んでいる設定。つまり、この家の中だけが唯一の安全地帯というわけだ。
「だから本当なんだって! 嘘じゃないから!」
「まあいいけどさ。今日は日曜だし、出たくないなら無理に出ろとは言わない。……でも、明日になってもまだ議員ごっこを続けるのは勘弁してくれよ。できれば、この朝飯を食べ終わったら現実に戻ってくれるとありがたい。」
俺自身もかなりのインドア派だ。だから、別に外へ出たくないという気持ち自体は大した問題だとは思っていない。
ただ、平日は普通に学校へ行かなきゃならない。だから、遅くとも明日までにはこの遊びを終わらせてもらう必要がある。
「遊びじゃないってば! お兄ちゃんのバカ! どうせ毎日ゲームばっかりしてる引きこもりなんだから! だから彼女の一人もできないんだよ!」
「おい! 今のは兄として聞き捨てならないぞ! その発言はアウトだ、禁句だ! お前が自分を国会議員だと思ってるのは勝手だけどさ、だったら俺のことももう少し尊敬してくれてもいいだろ! せめて『頼れる兄』とか『イケメン兄貴』とか思えないわけ?」
「本当にそれを望むなら、私の権限を使って、この国におけるイケメンの定義そのものを改正する法案でも提出してあげてもいいけど?」
「余計なお世話をどうも。まあ、実際にそれを実行できるのかっていう問題や、お前に本当にそんな権限があるのかっていう話は置いておくとして……。もし本当にそんな方法を使わなきゃ『イケメン』って呼ばれないなら、それってただの遠回しな侮辱じゃないか?」
「……まあ、確かにそうだけどさ! あーもう知らない! どうせお兄ちゃんは何を言っても信じてくれないんだ! バカ! 話聞いてくれないし! もう嫌いだから!」
すると玲は、頬を膨らませたまま俺の前に置かれていた自分の朝食を持ち上げた。
そして「お兄ちゃんのバカ」とかなんとか小言を漏らしながら、小走りで部屋へ戻っていく。そのまま絶賛ふてくされ中らしい。
……これが、世に言う反抗期というものなのだろうか。
「食べ終わったら、ちゃんと食器を流しに持ってくるんだぞ」
俺はいつものように、忘れないよう念入りに声をかけた。
「えぇ……嫌なんだけど……。私はもう国会議員なんだよ? それなのに、どうしてお兄ちゃんの指示に従わなきゃいけないの?」
妹から返ってきたのは、兄としては聞き捨てならないほど冷酷な一言だった。
……ったく、いつの間にこんなに口が達者になったんだか。
これはもう、親父が帰ってきたら一度ちゃんと相談する必要があるな。この数ヶ月で妹がどれだけ生意気になったのかを。
「決まってるだろ。俺はお前の兄だからだ! 偉大なる議員様!」
俺も負けじと、少し投げやりな口調で言い返していた。
……冷静に考えれば、俺も人のことを言える立場じゃないのかもしれない。妹のことを子供っぽいと思っていたけど、案外似た者兄妹なのだろう。
「……いやいや、こんな年齢の国会議員がいるわけないだろ。どこの異世界設定だよ、超ウケる 」
面白いことに、この時の俺はまだ知らなかった。
自分の発言が後になって見事に覆される、いわゆる「フラグ回収」というものが、いつだって予想以上に早く、そして盛大にやってくるということを。
玲が言っていたことは、すべて冗談なんかではなかったのだ。
なるべく毎日更新できるように、これからも頑張っていきます^^
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