第一章 殺戮の修羅女神ジン・メタルハートあらわる!
「陛下、怖るべきことが」
まだ明けならぬ蒼き時刻。それよりも蒼白な顔。声を震わせている。
訝しげに振り返った王は、いつもより早く起きていて、簡易ではあるが豪奢な絹衣に既に身を包み、私室の暖炉に当たって思索に耽っていたところであった。ノックとともに入って来た男が夜明け前の静謐を破るまでは。
その男は震えが似合わない。刈り込んだ胡麻鹽の短い髪型に口髭と顎髯とを蓄え、皺深く日に焼けた精悍な鉄仮面のような顔立ちで、かつての猛者、荒ぶる豪傑であった。
軍務大臣ホムスブルグは百戦錬磨の大将軍として何度も破滅的な戦を経験したが、その男が今、唇を痙攣のように震わせている。
「何事ぞ、お前ほどの男が」
北大陸中西部の雄、鷹の国旗の意匠に相応しく、若鷹のごときホーク国王シュッドイン・ヘロルドは怒りを眉根に寄せ込めるとともに、疑念と苛立ちとで眉の腰を山なりに吊り上げた。
ホムスブルグがごくりと喉を鳴らす。
「たった今、報告が。
遠征軍のバーガンディ将軍から」
苛立ちは悪き予感を孕んで、さらに募り、
「だから、何だと言うのか。何があったのか。
言え!」
「どうか、おゝ、お赦しください、陛下、ハグレーポルガに向けた三千の軍が」
「我が精鋭の光輝なる三千、それがどうした」
「潰滅しました」
二の句が告げない。あまりの突拍子のなさに。
「潰滅? バカを言うな、我が軍は行軍中、まだ国内にいるはずだぞ。予定されている戦場は遙か遠い」
「そうです、そうです、そのとおりなのです、ハグレーポルガ王国軍にやられたのではないのです」
「意味がわからん、いったい、どこの軍が」
「軍ではありません、国ではありません」
「お前は何を言っているのか」
ホムスブルグはその名を言うのも怖ろしいかのように、またもや息を呑んだ。
「メタルハートです、王よ、ジン・メタルハートがあらわれたのです」
見上げるような巨軀の女傑、無双の兇暴さを持つ女狂戦士、蛇の眸を持つ憐憫なき青い血の闘士、無差別殺戮の修羅、大量虐殺の狂女神、まるで自然災害のように何が目的か、何のためなのか、理解し難い爬虫類のような非情性、いつどこに現れるか、全く予測不能の怪物。
漆黒の鎧をまとう身の丈は八フィート、大角の兜から風もないのに蠢く蛇のごとき黒髪があふれ、冷儼な眼の中枢にある瞳孔は丸い孔ではなく、縦に細く亀裂した蛇の眼のごときもの。まるで埴の傀儡のごとき無感情である。ドーベルマンのように痩せたしなやかな躬體は凶悪な相を露わにし、狂暴さそのもののようであった。
その姿を見たものは誰でも背筋が凍るであろう。
背に佩くバスタードソードは鞘から出た刃の部分だけで二メートル、幅が五〇センチメートル、分厚くて刃というよりは鋼鉄の板に刃を研いだようなものだ。重さは全体で四〇〇キログラムを超える。
この女修羅はこれを細枝よりも軽々と片手※でしなやかに扱った。(※バスタードソードは通常、両手剣である)
しかも、剣は刃までもが漆黒で、黒い炎が轟々と上がり、緋色の眼をした黒い龍が絡みついている。魔剣リャーマ・ネーグロだ。
脳裏にその現象がくっきり浮かんだヘロルド王は絶句した。息が止まり、言葉が出ない。
「王よ、お気を確かに、王よ、我が君!」
「あり得ぬ、あ、あり得ぬ、奴は既に」
「蘇ったのです。蘇った、そうです、蘇ったのです。あゝ、他にいましょうか、たった一人で、たった一人で、瞬時に三千の正規精鋭兵を潰滅させられる者が」
ヘロルド王は苦しみのように呻いた。「ぅうっ、うっ、ううっ」
そのときだ。
「陛下」
王の近衛の騎士であった。
王が寵愛する至誠純潔なる聖騎士ジェラードだった。
しかし、我に帰った王はそれどころではないと言わんばかりに突慳貪に遇らう。
「余は今、火急の事案の渦中にある。後にせよ」
「しかし、王よ、ハグレーポルガ王国軍三千が我が国との国境に迫っております」
「何だと」
王は顔を真っ赤にして憤りに眉を上げ、動揺で睜いた眼を震わせる。
軍務大臣ホムスブルグは緊張で蒼褪めたが、
「メタルハートが国家や組織と協働した例はほとんどない。殺戮のために超大国と協力したかのような体を取ったことはありましたが。
恐らくは偶然かと思います、思いますが、予想外の速さ。
どうあれ、迫り来る敵に変わりはない、迅速に、慎重であっても迅速に対応をせねばなりませぬ」
しかし、王は冷静さも威厳も失い、叫んだ。
「対応だと! どうしろと言うのか、三千の軍を失ったばかりで!」
「王よ」
ジェラードが言った。彼はまだそこにいたのだ。
「今一つ報告が」
「もう何も聞きとうないわい」
「かしこまりました」
引き下がろうとするお気に入りの近衛聖騎士を、「いや、待て」と呼び止めた。
「聞こう」
なぜだか感情に反して聞いておいた方が良いような予感がそのとき王の脳裏を過ったのである。
「但し、簡潔に述べよ」
「はい。
昨日、南部山岳地帯のスペルニー村を山賊の集団から救った騎士が」
「山賊から救った? 余はそんな話は聞いてはおらんが、まあ、些細な話ゆえ、余の耳に入れるまでもないと、長官が判断したのであろう。それはそれで間違った判断ではない」
「お言葉ながら、陛下、昨日、このわたくしめが短くはございましたが、お耳に入れさせていただきました。たった独りで、荒ぶる山賊ども四十四人を打ち破ったのです。四十四人いずれも大豪傑揃いだったと」
「そうか、実に稀有なことだ。昨今稀な武勇である。しかし、戦の直前で気がそちらへ向かなかった。ふむ、それで? 手短にだぞ」
「その騎士がこのように申し出られました、
申し上げます、『図らずも今宵、王の寛大で民全てに遍く注ぐ深き慈愛とご恩とを賜った。士は己を知る者のために死すと云います。
偉大なる恩義に報いるが騎士の務め。
そして、この戦、大義は貴国にあります。
ハグレーポルガはかつての騎馬民族の誇りを捨て、超大国神聖イ・シルヴィヱ帝国に染められ、神の教えに違い、利益優先主義に陥っています。拝金主義に堕しております。
二年前、彼の国が旱魃による飢饉の際には、貴国から食糧支援を受けながら、今年、貴国が季節外れの大寒波で農作物が壊滅し、国力が弱まっている機に乗じて、軍を起こして攻めてきました。
一時は滅亡の危機に陥りながらも、偉大なるへロルド王の指揮の下、天に正義を訴え、奇跡の勝利を遂げ、悪き国家ハグレーポルガを撃退いたしました。
しかし、超大国の後ろ楯てを持つ彼の国は、たちまち新たな軍備を進め、卑怯にも帝国の軍を入れ、將に進軍しようとしておりました。
英明なるヘロルド王は機先を制すべく、今回進軍された次第です。
この身は卑しくありますが、僭越ながらものこの戦の大義は真実であると感じ入っております。
さればこそ、真実のために殉ずるは士の務め、是非ともこの戦に協力させていただきたい。
時は迫っております。
王のご了承はいただけるものとして、今から出立させていただきますが、もしこの決断が王意に叛くものであった場合には、死の懲罰を賜るか、又は自刃に果てる所存でございます』
とのことでした」
王は驚愕した。
「何と、昨今、稀有なる崇高な志であることか。
余の意には背かぬ、しかし、止めよ。無駄死にぞ。
既に我が軍はない。ジン・メタルハートに出くわしたら、助かるはずもない。もし、かの虐殺者が去っていたとしても、イ・シルヴィヱの軍が入ったハグレーポルガ軍と出くわすこととなる。止めよ、門を閉じて出すな。
高潔の騎士を可惜喪うことは余の本意ではない」
「王よ、わたくしめは門を閉じるよう命じました。
しかし、騎士殿は龍馬を駈って、あの垂直の高壁を軽々と走り越えてしまったのです。神のご寵愛があるとしか思えません」
「何ということだ、信じられん。そのような偉大にして崇高な騎士の名は」
「ジン・メタルハートに滅ぼされたエルロイペ王国の聖騎士ジャン・マータ」




